京園⑱*
熱帯植物の大木の影。幹も梢も大きければ当然葉も大きく、伸びた枝葉に隠されるように置かれたハンギングチェアが微かに揺れる。飲み物を買って戻ってきた京極が、微睡む園子を前にしてどうしたものかと眉尻を下げた。
近年リニューアルしたばかりという温室植物園のドーム内はあたたかく人も疎らで、風も吹かず静かだ。休憩スペースで二人掛けのハンギングチェアを見つけた園子が、ブランコを見つけた子供のように腰掛けて振り返り笑顔を見せた様子が目に焼き付いているだけに、藤で編まれた籠のようなそれの背凭れに身を預ける無防備な姿に胸の内が俄に忙しくなる。小さな鞄を胸の下辺りで抱えた手も今はただ添えているだけで、降りた前髪が瞼の上にかかっている。外したヘアバンドは転がって膝から落ちていた。
危なっかしい人だ。と、もう何度目になるか分からない憂慮は何処か甘い感情を伴う。額を隠す彼女の前髪を指先で払って退かしてやると思いの外素直に瞼が開いた。はじめから起きていたのだろうか、と、京極はやや目を瞠る。
まだぼんやりとした視線が何度か瞬く。眠気を含んではいるものの園子の表情は柔らかく、首を傾げた拍子に前髪が落ちた。
「真さん」
微笑んだ彼女が居住まいを正し隣の空いたスペースに座るよう座面を軽く叩いて促してくる。もうすっかり目は覚めているらしく、差し出されたペットボトルを受け取り蓋を捻り開ける手付きもしっかりしていた。喉を通る冷たさに目を細める彼女の隣で彼も同じようにボトルを開けた。
「気持ちよくてついうとうとしちゃった」
伸びを一つして肩の力を抜いた園子がハンギングチェアに体重をかけ、その拍子に少し椅子が揺れた。
「此処はあったかくていいわね。……出たくなくなっちゃう」
温室の外は、晴れてはいるが恐らく風が冷たい。まだ日暮れには早いが陽は傾き始めている。午睡に丁度良い陽射しにはもう日陰を求めたくなるような強い暑さはない。
夏はもう終わりかけている。
当たり然の事が寂しく感じるのは何故だろう。
園子が黙って京極を見上げる。彼女の視線を受けた彼は一瞬言葉に詰まったように小さく息を呑んだ。それに気付いたのか一度目を逸らして、園子が手櫛で髪を整える。ヘアバンドを着け直してから再度向けてきた微笑みが、夏の終わりを惜しんでいるだけのそれではないと分かって、しかし言葉が出てこない京極は逡巡から抜け出せない。
ずっとこのままこうしていたいと、言ってしまっていいのか分からない。
きっと今、互いに同じ事を考えているに違いないのに。
京極も黙ったまま、園子の肩を抱き寄せて自分の胸に押し付けるようにして抱き締めた。ハンギングチェアが揺れて、背凭れの向こうに見えた空の青さと陽射しがやけに眩しく感じる。触れ合った身体と、腕の中の園子が額を擦り寄せるぬくもりが切ない。
恋しい人と過ごすこの時間は、とても幸福で、胸を掻き毟りたくなるほどもどかしい。
「もう少し、このままで。……」
この夢の中にいたいと願ってしまう。
京極の指先が園子の髪を優しく撫でる。彼の顔が近付いてくる気配に、彼女はそっと瞼を閉じた。
〈了〉
20230910/まどろむまにまに