エイプリルフール「鍾離! 大変なんだ! ちょっと来てくれ~!」
「む? パイモン。久しいな。旅人は一緒ではないのか?」
璃月港の三杯酔にてお茶を嗜んでいる鍾離の元へ、パイモンは一人飛んでやって来ていた。
「その旅人が! 助けてくれよ鍾離~! 魈だけじゃ……」
「ほう? 魈も一緒なのであれば、尚更俺の手は必要ないと見える。何か別の問題があるのだろうか」
パイモンは魈や旅人の名前を出せば、すぐに鍾離は立ち上がって来てくれるだろうと思ったのだ。
しかし、肝心の鍾離は未だ座ったままである。なんならもう一口、と茶を飲んでいた。こんなに危機迫った演技をしているはずなのに。なんでだよ! とパイモンは憤っていた。
「魈が卵をあっためてて、ヒナの世話をしているんだぞ~!? なんか、こう、大変そうで! これが緊急事態じゃないなら何でお前は立ち上がるんだよ!」
「魈が……?」
宙で足をジタバタしながら懸命に訴えたところ、ピクリと鍾離の瞼が動いたので、しめしめ、とパイモンは思った。もう一息である。
「魈は今どこにいる?」
「望舒旅館に旅人といるぞ!」
「ふむ……よし、すぐに俺も行こう」
鍾離が茶を飲み切り、立ち上がった。パイモンは内心ガッツポーズをしていたが、鍾離の瞳孔が細くなり険しい表情に変わっていることに気づいて肩を震わせてしまった。
そう、あれは星岩を落とす前のような、敵を打ちのめさんとする魔神の表情が垣間見えたような気がしたのだ。
「旅人! 戻ったぞ~!」
「あ、おかえりパイモン。どうだった?」
「結果は見えている。そのような用件で鍾離様が来るわけなかろう。くだらん」
望舒旅館の屋根を突き抜けて生えている木の上で、旅人と魈はパイモンの帰りを待っていた。
「それが……」
「俺が来てはいけなかったのか? 魈」
「な、し、鍾離様……」
パイモンは木々の間にを縫うように飛んで来たが、鍾離が凡人らしく木を登ってきたようで、幹から顔を覗かせていた。
魈が座っている傍には鳥の巣といくつかの卵と、孵ったばかりのヒナがいた。ヒナはエサを欲しがるべく、魈に向かって懸命に元気よく鳴いていた。
「それは、誰との子なんだ?」
「だ、誰……ですか? 我の知るところではありませんが……」
「ほう……? 相手がわからないとは、どういうことか……説明してもらおうか?」
そう魈が答えた途端にビリビリと空気が震え、元気よく鳴いていたヒナは口を噤んで震え出した。パイモンは旅人の背に隠れ、また旅人も重圧に耐えられず、木の上に伏していた。
魈もその場に座っているのがやっとで、目も開けていられない程の圧迫感を感じている。轟々と風が吹き荒れ、葉がいくつも舞い落ちていった。
何かよくわからないが、鍾離が憤慨しているのだ。いつ星岩が落ちてきてもおかしくはない光景だと言える。
「ね、ねぇ、パイモン。何て言ってここに連れて来たの?」
「魈がヒナの世話をしてるって言っただけの、つもりだったんだぞ……」
「鍾離様、お、落ち着いてください。ヒナが死んでしまいます」
まだ孵っていない卵には薄くヒビが入り、ヒナは立ち上がることなく蹲っている。
「相手が誰かもわからないヒナと卵など潰れても構わない。俺のことは遊びだったのか? だから相談できなかったんだろう? ああ、そうだな。そういうことか。はは」
「鍾離様……!」
魈はなんとか立ち上がり、勢いをつけて鍾離の胸元へと飛び込んだ。大抵何か問題が起きた場合でも、鍾離がこのように激昂することなどないに等しく、魈ですらこの場をどうすれば良いのかわからない。
「何か……何か勘違いをされています。どうか……おやめください」
旅人やパイモンがいることも構わずに、ぎゅうと鍾離の腰に手を回し、なんとか落ち着いてもらおうと声を掛け懇願した。
「鍾離様……どうか……」
あわや鬼神にでもなりそうな勢いの鍾離に向かって、何度も何度も声を掛けていると、急に重圧が解け、空気が和らいだ。息絶えそうだったヒナはまた息を吹き返したように懸命に鳴き声をあげていた。
「お前の可愛い頼みを断れないほど俺も鬼ではないが、どういうことか説明をしてもらう権利はあるな。そうだろう?」
「はい……止められなかった我にも責任がありますので、お話しいたします……」
「鍾離がそんなに怒るなんて……オイラ……ごめんよぉ~」
重圧から解放されたパイモンが、途端にわんわん声をあげて泣き出した。その横で旅人も申し訳なさそうにしている。子供じみた戯れに鍾離が乗ると思っておらず、あの時魈が強く止めなかったのがいけなかったのだと少しばかり反省した。
「その……このヒナは……旅人が巣から落ちているところを見かけ、どう対応したら良いかわからないということで、我が相談を受けたのです……」
「お前の子ではないのか……?」
「は、我? ですか……?」
思わずパチパチと数回瞬きをしてしまった。鍾離が今言ったことの意味が、本当にわからなかったのである。数秒考え、ようやく鍾離が何について憤慨したかを理解できたような気がして胸が苦しくなった。
「メスと番になったことはありませんので……第一我には鍾離様が……んん、その、ありえません」
「ふむ。そうか」
なんとなく勘づかれているとは思うが、旅人の前ということもあり、慌てて咳払いをして誤魔化してしまった。
「パイモンが……今日は嘘をついても良い日だと言って、遊びに興じたかったようです。我も止めはしたのですが……好きにしろと言った結果、鍾離様のところへ……」
「愚人節って言うんだけど……」
「ほう?」
旅人がおずおずと凡人の習わしを説明していた。パイモンは魈が卵を産んだという嘘を吐きに鍾離の元へ行ったのだと。それを聞いて鍾離は納得してくれたようだった。
「経緯は理解した。俺も一杯食わされたということか。なるほど。どうりで堂主がすぐ嘘だとわかる小さな事柄をたくさん言ってくるなと思っていた」
「鍾離……悪かったよ……」
「俺も大人気なかった。そうだ。詫びと言ってはなんだが、パイモンに馳走してやろう。今から璃月港へ行くのはどうだ?」
「……いいのか、鍾離! お前っていいやつだな……!」
「魈はどうする」
「我は……遠慮しておきます」
喜び勇んで璃月港に向かう旅人達を見送り、親鳥が戻ってきたので魈はヒナに別れを告げ、降魔へと向かった。
後から旅人に聞いたのだが、馳走と称してパイモンは岩喰いの刑に処されたらしい。あんまりだ! 騙された! と喚いていたらしいが……自業自得なのは言うまでもあるまい。