生誕の日に コツン。控えめに扉に手の甲をつけた。この程度の響かない音では、呼び出しとしては不適切だろう。しかし、今日は呼ばれている訳ではない為に、まだ迷う心がそうしてしまっていた。
もう凡人であれば眠っている時間だ。璃月港の中もしんと静まり返り、灯りがついている家の方が少ない。凡人が穏やかに時を過ごしているのならば、それはそれで良いことだと思った。
鍾離の家の灯りはついていない。やはり帰ろうか。はたまた、眠っているのであればこっそりと中へ入り傍で目を閉じるのも良い。生誕の日に何をすれば良いかわからないと鍾離へ告げた時に、共に眠ってくれればそれで充分だ。と彼が言っていたのを遂行しようと、魈は今ここへ来ている。だが、実際に来たのはいいが本当にそれで良いのかと、ここに来て少し悩んでしまっていた。
「……あっ……」
「これは、夜分に仙人様にお目にかかれるとは……さぁ、中へ」
「はい……」
しばらくして暗闇の中扉が開き、睡衣を着て髪も結わえていない鍾離が顔を覗かせる。
すぐに部屋の灯りがつき、掛けてくれと言われたので魈は少し悩んだ後に大人しく椅子に座った。
「こんな時間にどうした? 茶を淹れるので話を聞かせてくれ」
「あの……大丈夫です。用はすぐ済みますので……」
「ほう?」
茶を淹れようとする鍾離を制すると、鍾離も席に座ってじっと魈の様子を見ていた。
「……も、もうすぐ鍾離様の生誕の日です」
「そうだな。あと五分もすれば、そうなる。祝いに来てくれたのか?」
「はい……それと、前に鍾離様が、共寝をして欲しいと仰っていたので……」
「魈が今日は共に朝まで眠ってくれると、そういうことか?」
「はい…………そうです……」
「眠るだけで済むと思うか?」
「なっ、ぁ、……鍾離様が……お望みであれば……」
顔が熱くて脳が沸騰しそうだった。今自分が発している言葉は、確かに鍾離に届けたいものではあるのだが、聞かれるにはあまりに恥ずかしいものである。
「はは。冗談だ。魈が来てくれたことを嬉しく思う。共に眠るとしよう」
「はい」
先程つけられた灯りはすぐにまた消され、床を踏みしめる音や、布団に入る衣擦れの音だけが耳に響いている。二人で寝台に寝転んだ。もう日付が変わった頃だろう。
「し、鍾離様」
「ん?」
「お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう。最高の贈り物だ」
「っ……んっ」
少しだけ触れた唇は、魈の唇を数回食んで離れていった。ぎゅう、と鍾離に抱きしめられ、背中を鍾離の指が滑っていく。
「俺は今、迷っている」
「? 何がでしょうか」
「このまま魈の温もりを噛み締めながら眠るか、魈の身体を堪能するか」
「わ、我は……先程も鍾離様がお望みならばと……申し上げました」
「本当にお前は……参ったな」
「ん……っ、ぁ……」
背中を撫でていた指が、ゆったりと脇腹を撫で、腹を撫で、胸元をなぞっていった。手を握られ口を塞がれ、思考が段々覚束なくなっていく。本当にどちらでも良いのだ。
来年も、その先も、鍾離と一年の終わりを過ごせることは、魈にとっても夢のようで、幸福な時間である事は、間違いないのだから。