あまがっぱ それは、非常に小さな音だった。今日は雨が降っていて、少し風が吹いている。ただの凡人ならば、小石がドアに当たっただけだと気にする事はないだろう。
しかし、鍾離にはその先に、とある人物がいるのがはっきりとわかる。その気配を鍾離がわからない訳はない。あまりにも控えめにドアを叩くコツコツ、という音に、鍾離は来訪者を迎えるべくドアを開けた。
「魈。いつでも入って来て良いといつも言っ…………魈?」
「わっ」
ドアを開ける風圧に耐えられなかったのか、コロコロ……という音がしそうな程軽快に魈は転がっていってしまった。そんな馬鹿な。夢でも見ているのだろうか。と思うのだが、眠った覚えはない。
「しょうりさま……」
立ち上がった魈は合羽を着ていたが、髪の毛はぐっしょり濡れている。今転んだ事で、少し泥もついている。拭いてやらねばと、慌てて本能的に魈を手のひらに乗せた。
「これは……」
何かの術にかかったのか? なんだ、これは。
「雨が止むまで、我が鍾離様をお守りします」
雨はしばらく止まない。しかしそんな事はどうでもいい。脳内で整理が追いつかない。手のひらに収まる程の小ささになった魈を前に、しばし鍾離は呆然としていた。
ひとまず合羽の帽子を脱がせ、濡れそぼっている髪を拭いてやった。気分を落ち着けようと茶を出したが、茶杯の大きさと今の魈の大きさはさほど変わらない。これでは飲めないではないかと一人自嘲して、その場で小さな茶杯を作り出し魈へ渡す。すると魈はチビチビと茶を飲んでいた。
「魈へ質問をしたいが……良いか?」
「はい!」
小さな魈は口をへの字に曲げて、キリッと勇ましく眉をあげている。
「お、怒っているのか……?」
「違います」
「そうか。では単刀直入に聞くが、なぜその姿になったんだ?」
「鍾離様を雨から守る為です」
「ううむ……」
話が通じているようで通じていない。例えば魈が大きくなるのなら、鍾離の隣で傘でも差して文字通り降りかかる雨から守れると思うのだが、その小ささではどうやっても雨から鍾離を守るのは難しいのではないかと思ってしまう。
「術でも掛けられたのか?」
「術……?」
魈は首を傾げている。どうしたものか。助けを求める為にここへ来た訳でもなく、本当に、ただ雨から鍾離を守る為に来たらしい。
「我が雨を止ませてみせますので、窓際に吊るしてください」
「……ううむ」
魈の望みならばなんでも叶えてやりたいと常々思っているが、そのような拷問めいたことを頼まれると流石の鍾離も少し気が引けてしまう。しかし、当の本人はやる気のようで、さぁ早くと言わんばかりにキリッとした表情をこちらに向けている。
「……痛かったら言うのだぞ」
「はい」
渋々鍾離は折れてしまった。嬉々として窓際を睨めつける魈を手のひらに乗せ、太めの糸を胴回りに括り付け、窓際に吊るした。吊るされている魈を見ると、少し摩耗が進んでしまう気持ちになる。魈の気が済むまでそうしてやりたいが、最早雨などどうでも良いので早く降ろさせてもらえないものだろうか。
当の本人は窓の外の雨粒を尚もつぶさに睨みつけている。しかし、雨はもうしばらく降り続きそうだ。
「魈、俺はもう眠ろうと思う。朝になれば雨も止んでいるだろう。共に眠らないか?」
「我は眠くありません。では、鍾離様が起きるまでここで番をしています」
「ううむ……」
止めさせようと思ったが、案外魈は頑固な所があることを思い出した。俺が眠っている間中そうしているつもりか? と問いたいが、きっと魈は「そうです」と即答するだろう。
「では、俺もしばし起きていよう」
「鍾離様はお休みになってください。我はここにおりますので」
「魈………………許せ」
「あっ、鍾離様!」
鍾離は魈の胴体をむんずと掴んで、糸を切った。相変わらずへの字に結ばれた魈の口元は、鍾離の行動に怒っているのかもしれない。
「眠るぞ」
魈の返事を待たず胸に魈を抱えて布団に潜り込んだ。さすがの魈も一つ二つ抗議の声をあげていたが、聞こえないフリをしてさっさと鍾離は眠りに落ちた。
「……申し訳ございませんでした……」
目が覚めると開口一番魈にそう言われた。眠りにつく前に腕の中にいた魈は、寝台の下で膝をつき頭を垂れている。ふと外に目をやったが、雨は止んでいるようだった。
「怒ってはいない。が、何が起こっていたか、説明できるか?」
「……うまく説明することができそうになく……ただ、鍾離様を雨からお守りせねばと、それだけ思っておりました……」
「……そうか……」
わからないことを追求しても仕方のないことだが、それだけ何か鍾離の為にしようと思っていた事は、素直に嬉しく思う。
「お前は俺を雨から守ると言っていたが、代わりにお前がびしょ濡れになっているのは、俺もいたたまれない気持ちになる」
「……すみません」
「まぁ……大事がなさそうでなによりだ。茶でも淹れよう」
魈の顔を上げさせ、テーブルに座るように促した。茶を用意しながら、ふと昨日の魈の姿を思い出す。
それどころではなかったのであまりじっくり見られなかったのだが、中々に愛らしい姿をしていたように思う。
「また機会があれば、いずれ」
今度はもう少し、具体的に雨からどう守ってくれるつもりだったのか堪能してみるのも良いなと、鍾離は思ったのであった。