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    Houx00

    @Houx00

    @Houx00
    色々ぽいぽいするとこ
    こちらは二次創作です。ゲームのキャラクター、公式様とは一切関係ありません。

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    Houx00

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    書きかけ随時更新中
    過去に行ってしまう愛弟子のウツハン♀
    十数年前くらい想定
    注意点↓
    ねつ造と妄想多め
    里の設備は独自設定であったりなかったりします

    あおあらし 狩猟が大好きでいつも子供みたいにはしゃぐあの人が、ふとした時に髪の綺麗な女の人を目で追った。
     だからその日から私は髪を伸ばし、いつも手入れを欠かさなかった。


    「ウツシにぃに、取れた?」
     子供の頃、ウツシ教官と集会所の前の広場で竹とんぼを飛ばして遊んだ。教官はその竹とんぼが桜の枝に引っかかったのを取りに行ってくれた際、集会所の二階に視線を向けた。
     そしてそちらに小さく手を振ってみせる。
    「ウツシにぃに?」
    「えっ、ああ、ごめん。よく飛んだね! もう一度やって見せてくれる?」
     すぐに竹とんぼを持って降りてきてくれた教官の袖を引いて、首を傾げた私に教官は笑顔で頭を撫でてくれたけれど。
    「………………」
     視線を感じて、ふと見上げた集会所の二階には人がいた。顔ははっきり見えなかった。私が見上げているのに気付いたその人は慌てて背を向けて奥へと引っ込んだから。
     その後ろ髪の毛先が揺れるのを、教官はまた、確かに視線で追っていた。

     でも教官がそれらしい素振りを示したのはそれっきり。普段は誰にでも友好的に接するし、気さくで熱血漢で、色恋なんて興味がなさそうで。
     女の人を追いかけるよりもモンスターを追いかけている方が似合う。周りの印象もそうだと勝手に思ってた。

    ―〇●〇―

    「ずいぶん賑やかになってますね」
    「輸出分も作ってたら興がのったらしいよ」
     集会所の入口に並ぶお面を見上げて言うと、ハナモリさんが同じく棚を見上げて教えてくれた。
     ヨツミワドウ、ブンブジナ、タマミツネ、どれも狩り場で馴染みのあるその顔は、やっぱりハンター目線からのモンスターの顔ですこし怖いけど、どこか愛嬌もある。
    「こうして見ると、ヨツミワドウとブンブジナは可愛いけどタマミツネは綺麗な顔なんだなって再確認します」
    「そうだね。それにもう春も終わりだ。夏に向けてタマミツネは多めに作ったのかな」
    「いつも夏祭りの時期はタマミツネの商品が人気ですもんね。優美で涼しそうで、」
    「そうか。また今年ももう、そんな季節なんだね」
     集会所の外を見て青葉に向かって言ったハナモリさんが眩しそうに目を細める。
    「もう何年かなぁ、あれから…」
    「?」
    「ハナモリもこの時期が来たら思い出すニャ?」
    「そりゃあ。あんな、ねぇ…?」
     そばにいたオテマエさんも話に加わって、ハナモリさんと頷きあう。なんのことだろう、と考えていたらハナモリさんは〈あれはね、〉と静かに語りだした。

     それからの話は内容が途中で耳をすり抜けて、よく覚えていない。
     唯一覚えているのは「あの」教官に過去、恋人がいたらしいということ。

     その人はある日突然、里に現れたハンターで、年の頃も同じ教官と仲良くなる。二人はいつも一緒。仲のいい恋人だった、とハナモリさんは懐かしむような穏やかな笑顔で言った。
    「あの時のウツシ教官は面白かったよ。その子の一挙手一投足に右往左往して、まるで通い婚のように彼女の元に通ってね。刺激の少ない里だから、あの大恋愛がどうなるのか賭けてた人もいたくらいだよ」
    「そう、ですか…」
     そんなこと聞くんじゃなかった、と悔やんでも今更遅い。
    「でもあの子は来たときと同じに突然、里から姿を消しちゃったニャ」
    「ウツシ教官はそれからしばらく塞ぎ込んでたなぁ。彼女のことをとても気に入っていたから」
     そこまで聞いて、急に目の前の景色がどんよりとして見えた。棚に並ぶお面もなんだか表情が恐ろしく映る。
     それからすぐ、鉛でも飲んだみたいに重い胃にムカムカしながら、ハナモリさんたちに話のお礼を言って別れを告げた。
     教官は恋愛なんてしないと思ってた。ううん、していてもおかしくないけど。
     ハナモリさんの話みたいにそんなに誰かに夢中になるなんて、それが例え過去のことでも、誰かに恋するなんて思いもしなかった。

    「はぁ……」
    「どうかした? 元気がないね、愛弟子」
    「うわっ…あ、教官…」
     帰り道、茶屋にいたオトモにお団子をねだられた。
     嬉しそうに頬張るオトモの隣で、大きなお団子を見つめてため息をついていたら、頭上の桜の上から教官が降ってきた。そしていつも通り、太陽の下で爽やかな笑顔がこちらの顔を覗き込む。
     少し驚きはしても、この人が神出鬼没なのはいつものことだし、なにより間の悪い登場にその目を見られずに俯く私が押し黙ったままでいたら、頭上からは心配そうな声がする。
    「愛弟子?」
     愛弟子、その聞き慣れた呼び名が別の単語に聞こえて返事ができなかった。
     兄のように師のように接してきた人の恋愛事情は、家族の違う一面を知ったような気まずさと、居心地の悪さ。それから、大好きな人を知らない誰かに取られたような疎外感。
     だから、いつも通りには接することができない。
    「大丈夫? お団子も無理して食べていたようだし、体調でも悪いのかい?」
     そういうと教官はしゃがんで、俯いたままの私に視線を合わせる。
    「…教官、聞いてもいいですか」
     さっきの優しい声とその瞳に促されるように返した声は少し震えていた。
    「なに? 狩猟のこと?」
    「……教官の、昔この里にいた恋人のこと…」
     それだけ呟いた私に教官は一瞬、息を呑む。その態度に私もまた言葉を止めると、ちらちらと舞う桜の花びらだけが私達の間で時を進めていた。
    「だれ、に聞いたの?」
    「ハナモリさんとオテマエさんが…」
    「…何をききたいんだい?」
     段々と落ち着いた声に戻った教官は、困ったように笑うと〈なにも面白い話はないんだけど〉と続ける。
    「大恋愛だったって…」
    「あぁ、うん…。そう言ってよく茶化されたけど、でも、彼女とのことはほとんど俺の片想いだから」
     そう、教官はまっすぐこちらを見て言った。思い出話ならもう少し懐かしむような顔をするかと思ったら、態度も言葉もまるで昨日のことのように答える。
     おまけに、私の心をぐさぐさ音を立てて刺すようなことまで平然とした顔で言う。
    「どんな人だったんですか」
     もう、よせばいいのに、口を開いた私に教官は〈キミとこんな話をする日が来るなんて、時が経つのは早いなぁ〉と、はにかんでから言葉を紡いだ。
    「髪の綺麗な人だったかな」
     まず一言、そう言った教官にざわりと胸が波立つ。でもどこか、ああだから過去に、髪のきれいな女の人を目で追ったんだ…と冷静に受け止めている私もいる。
    「触れると絹のような、って言うだろう? まさにそんな髪の持ち主で…」
    「とは言っても、実際にその頭に触れたのは数えるほどだけど…」
    「恋人、だったのに?」
     自分の大きな手のひらを見て言う教官は一度ゆっくりとその手を握ると、何かを捕まえそこねたようなため息をついた。
    「掴みどころのない人だったからね。触れたら消えてしまいそうで。『今に化かされるぞ』って里長からはよく言われたけど…」
    「化かされる…?」
    「里の中にはあやかしか何かだって思ってた人もいたみたいだ。名前も聞けずだし」
    「名前も…? 恋人って、そんなものなんでしょうか」
    「だから俺の片想いなんだって。出会った時からずっと…」
     〈あ、里の人には彼女とのことをあまり聞かないで、恥ずかしいから〉と声を小さくした教官があたりを見回す。
     里のみんなからも今日まで教官と恋人の話なんて一度も聞いたことがない。それどころか教官は恋人がいる素振りすら見せなかった。今も昔も。でも、ハナモリさんは『恋人だった』と言っていたし。
    「その人のこと、すごく好きだったんですね」
     一縷の望みをかけて、わざと過去形で尋ねるとその人は寂しそうに笑っていった。
    「好きだよ。別れは突然だったけど、彼女が最後に残した髪はまだ手元にあるんだ」

     その後、また適当な理由をつけて教官と別れた私はトボトボと里の通りを自宅へと歩いていた。
     恋人がいた、までは面白くない気持ちはあっても受け入れられた。でも、教官の中では終わった話じゃないのをまざまざと見せられた。
     おまけに、死人に勝てるわけがない。
     『彼女が最期に残した髪』
     それはきっと遺髪だ。
     だからか、教官は〈彼女は再会の約束もしてくれたから、いつかまた、どこかで会えるんじゃないかな〉と話の終わりに微笑んだ。
     その言葉に今も恋人がいない理由、そしてこの先も恋人は作らないかもしれないという可能性を見てしまった。
     そうして私の失恋は確定してそれ以上の話を聞く精神力は、ポキリと音を立てて折れると粉々に砕けた。
    「…どんなモンスターより手強い、」
     おそらくどうやっても勝てないそのモンスターは、姿すら私は見ることが叶わない。なのに教官の中には確かに住み着いていて、今もそこで悠々と過ごしているのかと思うと悔しさで涙が出る。
    「どうしたのニャ、そんなところに座り込んで」
    「カジカさん…なんでも、」
    「なんでもって顔じゃないのニャ」
     大きな魚を背負って首を傾げるカジカさんに、慌てて目元を拭うと思っていたよりも大粒の涙が指先を濡らす。
    「モンスターに負けたのかニャ」
    「そんな感じ、です」
    「里一番のハンターを負かせるなんてたいしたモンスターなのニャ! さっきのタマミツネといい、また凶暴なモンスターが増えてるのニャ。怖いニャァ」
    「…"さっきのタマミツネ"?」
    「そうニャ、さっき大社跡の釣り場に潜って魚を獲ってたら大きなタマミツネが襲ってきたのニャ! あ! そうニャ! ギルドに依頼を出しとくからあのタマミツネを追い払ってほしいニャ」
     〈じゃないと、おちおち漁もできないのニャ〉と肩を落としたカジカさんがその後に、私への励ましに大きなマグロと、前金だと言ってサシミウオを5尾、自宅に届けてくれた。

     その魚をルームサービスに預けて、まだ日の高いうちに狩りに出る準備をする。これは八つ当たりじゃない、と誰かに言い訳してヒノエさんからクエストを受注して里を出た。
     オトモは今日は留守番。タマミツネと私の一騎打ちがいい、そんな気分だった。


     件のタマミツネはアイルーのカジカさん目線には大きかったかもしれないけれど、思っていたよりも小柄で、渓流で早々に捕獲して眠りについている。仕掛けた罠の中で眠るタマミツネはやっぱり綺麗で鱗の一枚すら輝いて見えた。
    「髪の綺麗な人だったんだって。教官の口から『絹のような』なんて言葉が出るとは思わなかった」
     落とし穴の盛り土の上に腰掛けて、健やかに眠るタマミツネに話しかけていると彼が大人しくなったことを察したのか、数頭のブンブジナがのんきに歩いてきた。お喋りでもしているんだろう、高い鳴き声をあげて水場を散策している。
    「私の頭を撫でてくれないのも、その恋人のせいなのかな」
     私がまだ小さな頃は褒めるときによく頭を撫でてくれたのに。ある日からはパタリと触れてくれなくなった。
     そこでため息を一つ、ついたところで遠くからフクズクの鳴き声を聞く。
    「そろそろ帰らないと」
     自分でもわかるくらいに気落ちした声で重い腰を上げて、キャンプへとモドリ玉を打った瞬間。 
    「う、わっ…!」
     突然、タマミツネと私のいる渓流に激しい風が上方から吹き込んだ。その風に辺りの木々から振り落とされた木の葉が水面に叩きつけられる。
     モドリ玉の煙もその風に吹き飛ばされて、乱れる髪を押えながら手を伸ばした時だった。
     さらに激しい春疾風が吹き込んで、その塵混じりの風に私は咄嗟に腕を上げ、目をかばった。

    ー○●○ー

     ようやく止んだ風の音に恐る恐る腕を下ろすと、モドリ玉がきちんと作用したのか、そこは見慣れたキャンプ…にしては違和感がある。
    「支給箱…新調したのかな、」
     私の見慣れた支給箱よりも新しいそれは足元で回る風車の数も少ない気がする。テントへと続く架け橋も苔が薄い。その先のテントは見知った風だけど。
     と、そのテントへと近寄った瞬間におかしいと思った。これは私の使っていたテントじゃない。中から香るお香の匂いは私が好んで使うものじゃない。
     恐る恐る覗いたテントの中は、壁に置かれた備品も男性のものが多い。アイテムボックスも私が武器をぶつけ、えぐれてついた傷が綺麗になっている。まるで、そんな傷はなかったかのように。
    「おかしいな、…あれ?」
     慌ててテントから出て、再度周囲を確認すると、近くの竹藪に立てかけられたいくつかのお面には見覚えがあった。
     作りかけなのか、一部着色されたタマミツネのお面は教官の作るものによく似ている。というか、そのものだ。こんな独特な作風の人がそうたくさんいるとは思えない。つい、見慣れたそのお面に向かって手を伸ばす。
     もしかして心配して見に来てくれたのかな。でも、お面を作ってるなんておかしいし…。
    「キャンプでまでお面作りなんて」
     違和感は感じながら呟いて一つ、そのお面を手に取る。幸い、塗料は乾いていたから戯れに顔に被せると近くの水面を覗き込んだ。
    「…そうだ、タマミツネ!」
     その顔を見て思い出す。今は狩猟中でしかも獲物を引き渡す前だ。きちんとギルドに報告しないと、と振り向きかけた時、背後から声をかけられた。
    「救援? 要請はかけてないはずだけど…」
     人の気配なんて、物音すら一切しなかったのにとビクリと肩を震わせて、思わず固まった私に近づいた足音は一人分。
    「こんにちは」
     その声の主は振り向かなくてもわかる。ウツシ教官だ。
     でも、教官にしては他人行儀な、少し警戒を含んだ声と昼間のやり取りを思い出して、返事を返せずにいたら、
    「ここで何をしてるの?」
    「なにをって、狩猟に来たんです。教官こそ、いつの間にキャンプに来てたんですか? いたならタマミツネを狩るのを手伝ってくれても…」
     〈よかったのに〉と、言い切る前に振り向く。
     そしてその顔を見上げると、お面越しに見たそこには威嚇するジンオウガがいた。お面をつけて、防具を身に着けた狩猟の時の姿だ。
     ただ、装備が普段と少し違う。だからか、その体が少しだけいつもより華奢に見えた。あるいは、竹に覆われたこの場所が薄暗いせいだ。
    「教官?」
    「え?」
     返事をされないことに戸惑った私の声に、同じく戸惑った声で返事をしたその人は、自分の背後まで振り向いて周囲を見回す。
     まるで、私の呼ぶ『教官』を探すみたいに。
    「それ、新しい装備ですか?」
     続いて尋ねた私に教官はいよいよ首を傾げた。
     そして、少しの気まずい沈黙を経て、口を開く。
    「…キミは誰?」
     まるで私のことがわからないかのように、硬く、戸惑ったその教官の声に、なにかがおかしいという予感はいよいよ確信へと変わった。

    ―〇●〇―

     そこは、なにかがおかしいどころじゃなかった。
     赤い橋の上で声をかけてきた傘屋のヒナミさんが若返っていた。すれ違って挨拶をしたハモンさんも少しだけ若く見えた。その後ろにはまだ幼さの残るナカゴさんと「ニャ」と高い鳴き声のコジリさんが着いて歩いていた。
     その向こうでは屋根の上で手裏剣がくるくる回る、その下の受付にはヒノエさんがお団子を頬張っていてそばにはミノトさん、開店準備をするカゲロウさんと談笑する姿が見える。こちらはなにも変わらない。
     でも、その先にコミツちゃんの飴屋はない。
    「おかえりなさい。ウツシさん」
    「ただいま、ヒノエさん。里長とゴコク様は里にいるかな?」
    「ええ、二人共さっきあちらでたたら場の様子を見て…あら、そちらの方は?」
     うさ団子を片手に微笑むヒノエさんが、隠れるように教官の後ろにいた私に視線を向けた。
    「迷いハンターだよ。大社跡のキャンプで保護したんだ」
     そして、こちらを振り向いた教官の姿は竜人三人組とは別に明らかに若返っていた。
     そのことに気づいたのはさっきの大社跡の中だ。

    ―〇●〇―

     固まる私に真っ直ぐ視線を向けた彼は、こちらの顔を控えめに指差す。
    「そのお面…」
     お面の小さな覗き穴からとはいえ、目の前で見た彼はやっぱりよく知っている人なのに。まるで初めて会ったような態度をされている。
    「綺麗でつい、勝手につけてしまって…ごめんなさい」
    「綺麗?」
    「え?」
    「本当に?! キミはこのお面を褒めてくれるの?」
     教官は急に嬉しそうな声を上げると、自分のつけていたお面を剥ぎ取った。
     するとその下からはきらきらと嬉しそうに輝く瞳が現れて、一歩距離を詰めると、私の素顔を覆うお面を両手で包み、こちらを見下ろす。
    「教、官…?」
     その教官の素顔が、昼間とは違う人のような気がした。
     いや、それどころか頬の深い傷もない。
     年齢だって私とそう変わらないくらいに見える。
    「キミが初めてだよ! 俺の作ったお面を褒めてくれた人は」
     嬉々とした声で、教官は言った。
     でも、おかしい。教官のお面は今、異国で人気が出て輸出までしている。ロンディーネさんも絶賛してるんだからその言い方は、やっぱりおかしい。
    「自分では良くできたと思ってるんだけど、そんなのに限ってみんな怖がるから…嬉しいな! わかってくれる人がいた!」
     そのきらきらする瞳はたしかに教官なのに。
    「…………………」
     内心は動揺しかない。
     どうして教官が若返っているのか、顔の傷もないのか、こんなに他人行儀な言い方をされているのか、なぜ私の知っているキャンプじゃないのか、さっきまでの些細な変化や違和感は目の前の教官の顔を見た瞬間、ざわざわと不安になって広がる。
     けれど、教官は私が知る視線以上に無垢な瞳を私に向け続けた。
    「教官、一体どうしたんですか?」
    「さっきから言ってる教官って、もしかして俺のこと?」
    「俺はキミと初対面なんだけど…」
    「初、対面…?」
     聞き取った言葉は、飲み込めずにオウム返ししてしまう。
     まさかお面をしているからわからない?
     ううん、そんなわけがない。私の声だけでも教官は私だと気付いてくれるはず。なのに、
    「あっ、でもその格好はキミもハンターだろう? 武器も持っているし」
    「そ、うですけど…」
     私の声も、防具にも武器にも見覚えがなさそうな教官はタマミツネのお面から手を離すと、次は物珍しそうに私の背後を覗き込む。一通り上から下まで見られている間に盗み見たその顔はやっぱり、変に若若しい。
     そういえば私がまだ小さな頃、教官はこんな感じだった気がするな…と記憶を辿る。
     さっきからまるで私がハンターになる前に時間が戻っているようなことばかりだ。でもこれがなにかの悪ふざけにしては手が込んでいるし、そもそも教官がそんなことをする理由が思い浮かばなかった。
     それに、本当に私のことがわからないような態度で接してくるなんて。教官にしては器用すぎる。
    「どこのギルドから来たの?」
    「……………」
     なんとなく答えあぐねた。これがどういう状況なのかわからずに口を開くのは、避けたかったから。
    「名前は?」
    「……………」
     沈黙。同じく黙った教官にどうしよう、とお面の下で冷や汗が流れる。
    「もしかして密猟…」
    「違います! あの、その…っ」
     途端に、怪しんだ声を出す教官に慌てて顔をあげる。
     ここまで、目の前の教官の目に嘘はなかった。でも一体どういうことだろう、と考えている間に笑顔のままの教官の手がさりげなく腰に伸びた。確信はないけど、暗器を隠すならそこだ。もしくは、刀を抜かれる可能性もある。
     さっきは笑いかけてくれたけど、今のウツシ教官の態度からして、密猟者だと思われて捕獲される可能性も否めない。かといって、そんなことをされる意味もわからない。ただ、私はキャンプに戻ってきただけなのに。それでも、この空間や目の前の人がいつもと違うことはわかった。
     そして教官の指先がその装束に触れた瞬間、私は人間は混乱して追い込まれると突拍子もないことを言ってしまうことを知る。
    「さ、さっき、そこで頭を打って!」
    「え?」
    「ハンターだってこと以外…何も覚えてないんです! 名前も、自分が誰なのかも…!」
     そして私は心優しい教官に無事、保護された。
     迷子の記憶喪失ハンターとして。

    ー○●○ー

     私はどこに『戻って』しまったんだろう。

    「しばらくはここで過ごすようにって里長が。困ったことがあったら俺に言ってね」
     集会所の準備室はガランとしていて、訪れるハンターも少ないのかあまり使われている気配がしなかった。
     この頃、集会所の準備室にナカゴさんとコジリさんの加工屋はなかったらしい。まだ二人は修行中のようで、ここで初めて見かけたときのようにハモンさんの後ろをついて回っている。
    「もし俺に言いにくいことがあればミノトさんとヒノエさんにもキミのことはお願いしてるから。遠慮なく話しかけるといいよ」
    「ありがとう、ございます」
     接し方がわからなくて、たどたどしくなる私の声に教官は、にこりと笑ってくれた。
     でもやっぱりその顔は若々しくて、まだあどけない。

     里の人から聞いた暦はまだ私が子供の頃の年号だった。みんなが若返っていることも、あるはずのものがないことも、そうだとすれば納得できる。
     どうやら私はあのモドリ玉で過去に『戻った』らしい。
     もしくはタマミツネかブンブジナに化かされている、そのどちらか。どっちだとしても困ったことになったのは間違いなくて、にわかには信じられない。
     でも、もしかしたらこれは夢かもしれない、と思い切り壁にぶつけた後頭部は痛むだけで私の意識はこのカムラにあるままだった。
     そしてタマミツネのお面はつけたまま。
     里長やゴコク様への挨拶の際、外さないのかと視線を感じたけど。『ひどい怪我をしているので』というとそれ以上は特に何も言われなかった。
     ここが過去のカムラなら子供の私と今の私が二人いることになる。それはさらに事態をややこしくしそうで外す気にはなれない。
    「あの、きょぅ…ウツシさん」
    「なに?」
     つい、いつもの呼び方をしかけた私に教官は抱えていたお布団を奥の畳に下ろしながら、気にした風もなく首を傾げる。
     私を保護してからの教官は里への説明や、ゴコク様の説得にと動いてくれた。明るく経緯を説明する教官に里のみんなはすんなりと私を迎えてくれて、寝泊まりの場所として集会所の二階を与えてくれた。
     そして面倒見のいい教官は、明らかに怪しい私にも優しい。
     あちこち歩き回って、いただいたお風呂で濡髪が冷える頃。窓の格子の向こうはとっぷりと暮れた夜が広がっていた。
    「本当にありがとうございます、なにからなにまで」
    「気にしないで。キミはそのお面を褒めてくれたから、きっといい人だ」
    「記憶がないのには困ったけど、それに関してはキミが一番不安だろうから…。テントでも俺のことを『教官』なんて呼んで混乱してたしね」 
     その言葉にギクリと胸が跳ねた。
     お風呂に入って一息ついたおかげで、咄嗟に出た嘘のことをすっかり忘れていた。
     そうだ、私はここでは『記憶喪失のハンター』ということになっている。
    「ちゃんと記憶が戻るといいな。とりあえずギルドに捜索のかかってるハンターがいないか問い合わせてみようか。それならきっとすぐにキミの身元も…」
    「えっ! あ…、それは…!」
     暦が本当ならば登録もないハンターの捜索なんてかかっているわけもなくて、さらにややこしいことになる。それを回避しようとしたおかげで私はまた…
    「どうしたの? そんなに慌てて」
    「ギルドへの問い合わせは止めてください! この一件で評価が下がると困るので…! あと、恥ずかしいから!」
     そんなふうに嘘に嘘を重ねてしまう。それに教官は驚いたような顔をして、吹き出すようにして笑った。
    「あぁ、ごめんね。わかった、その件はもう少し先にするよ。もしかしたら明日にも記憶が戻るかもしれないし」
    「ありがとうございます…」
    「じゃあ、今日はもうゆっくり休んで」
     そう言って教官は私に背を向けると、準備室の入口の暖簾を潜った。ギ、ギ、と階段を踏む音がして、下からは茶屋のオテマエさんの声がする。
    『あの子、大丈夫かニャ?』
    『うん。受け答えもしっかりしてるし、記憶以外は怪我もないよ』
    『それは良かったニャ。でもガルクやアイルーの次は女の子を拾ってくるニャんて』
     ニャハッとオテマエさんと茶屋のアイルーたちの笑い声がする。こっそりと暖簾を割いて覗いた階下では、まだ茶屋の制服を着たマイドさんがソロバン片手に教官を見上げて笑っていた。
     マイドさんは元は茶屋で働いていた。その後、雑貨屋さんに転身したとマイドさん、オテマエさんの双方さんから聞いている。
     だとしたら階段の下の光景は…。
     やっぱり、ここは過去のカムラなの…?

    ー○●○ー

     ヨモギちゃんの茶屋がない集会所前は広くて物足りない。
     お世話になったせめてものお礼に、集会所の掃除をさせてほしいとゴコク様に頼んだのはここに来て翌日のこと。
     その向こう、船着き場から知った人たちが坂道を登ってきた。前を先導するように走るイカリさんは時折後ろを振り向いて、ツリキさんが転がり落ちてないか確認する。
    「こんにちは」
     そう言って声をかけてくれたツリキさんはまだあどけない子供だ。
    「こんにちは」
     お面をつけたまま、ぺこりと頭を下げると微笑んで、またゆっくりとツリキさんはイカリさんの後ろを歩いていく。
     里の人とは極力、会話らしい会話をしないようにしていた。話しかけられたら答えるけれど、自分からは話しかけないように。
     お面をつけたままの身元不明の客人、きっと不思議に思う人も不安に思う人もいると思うけど、ここで私が身元を証明できるものは何一つない。下手に会話をして、嘘や矛盾を重ねてしまうのは得策ではないと思う。
     今も遠巻きにいくつか視線を感じるけど、カムラは秘境の隠れ里だ。私も小さな頃は外から来たお客さんを遠くから観察したことがある。珍しいから興味があるんだ。
     あの時のお客さんもこんな気分だったのかな、なんて頭上の桜を見上げていたら後ろから声をかけられた。
    「カムラの桜は見事だろう」
     振り向くとフゲン様が仁王立ちで私を見ている。
    「あっ…はい。とても綺麗ですね」
     私の答えに満足したのか、〈そうだろう、そうだろう〉と顎を擦るフゲン様もやっぱり少し若返って見える。
     このカムラの里は歩けば歩くほど、里の人の言った暦を信じざるを得なかった。
     コミツちゃんの飴屋は一度もお店が出ているのを見ないし、お腹の大きなワカナさんのお店の隣に、セイハクくんのおにぎり屋さんはない。
     私が寝泊まりしている集会所の二階は相変わらず、広くて加工屋の道具すら奥の暖簾の裏に仕舞われたまま。たまにハモンさんが来て、出張所のように使うことはあっても主には休憩所のような扱いらしい。
     今は、私がいるから奥の間は立入禁止になっているけれど。
    「すまないな、百竜夜行の噂でこの里は久しく客人が来てないんだ。昨夜すぐに使えるとなるとあそこくらいしか用意できなかった」
    「いいえ、ありがとうございます。屋根があるだけで十分です」
     少し掃除をすれば…と、他に誂えられた客間も提案されたけど、馴染みのあるあの場所は居心地が良かった。それにここはカムラの里。防犯面も気にする必要がない。
    「ウツシも気に掛けていたが、どうだ? 体調の方は」
    「はい、大丈夫です。それに、ウツシ、さん…には本当に良くしてもらって…」
     まだ意識しないと出ない教官の呼び方に、口がうまく回らない。けれどフゲン様はそれを気にした様子はなさそうだ。

     保護された翌日の朝はすぐに来た。
     日当たりのいい準備所は寝転んだままでも、簾や欄干の隙間から差し込む朝日が眩しい。
    「全然眠れなかった…」
     ごろん、と最後の寝返りをうって起き上がると伸びをして、それからしばらく座り込んでいたら、柔らかな春風に乗って桜が舞い込んでくる。
     結局、あれから深夜になって集会所が静かになっても私は眠れず。予期どころか理解できない出来事に体と精神は確かに疲れているはずなのに、意識だけははっきりしていて一睡もできなかった。
     眠くはないのに出るあくびを噛み殺したとき、
    「ねぇ、起きてる?」
     ふと、窓辺の簾の向こうから声がした。朝日に負けない爽やかなその人の声は昨日、タマミツネを狩りに行く前に茶屋で話した時よりも少しあどけない。
    「まだ寝てるかな? うーん、体は元気でも大変な目に合ってるから…やっぱりまたあとで…」
     そう独り言のように言う教官に、慌ててそばにあったタマミツネのお面をつけた。そして窓辺へと駆け寄って、並んだ簾の隙間から控えめに向こうを覗く。
    「ぉ…おはようごさいます」
    「! おはよう! 起きてたの?」
    「はい。それにさっき、きょ…ウツシさんの声がしたので」
    「えっ。ごめんね、もしかして起こした?」
    「ううん! そんなことないです!」
     そこで簾越しに会話するのもなんだか変で、簾を両手で持ち上げた。
     すると準備所の前、ちょうどヨモギちゃんの茶屋があるはずの土地に根を張った立派な桜の木の上に教官がいた。太い幹が枝分かれするところに、しゃがむように座っている教官が私を見て微笑む。
    「また、そのお面をつけてるの?」
    「あ、…せっかくいただいたので」
     昨日、私がフゲン様たちの前でお面を外すことを暗に拒絶すると、教官は快くこのお面を私に譲ってくれた。
     そこで少し途切れた会話に教官に視線を向けると、その人はにこにこと笑みながら立ち上がって、桃色の花弁が散る中を幹から集会所の屋根に跳び移る。その足元でカシャン、とモンスターの鱗のような瓦が小さく音を立てた。
    「お腹空いてない? 朝ごはんを持ってきたんだ」
     そう言って教官が取り出したのは笹に包まれたおにぎりで、おにぎりといえばセイハクくんのお店だ。もしかしてセイハクくんのお店は出ているかも、そして夜の間にいつものカムラに戻ってるんじゃ、と窓辺から身を乗り出してそちらを覗いてもあるのはワカナさんの八百屋さんだけ…。
     セイハクくんはまだきっと、あのワカナさんの大きなお腹の中だ。
    「どうしたの?」
    「あっ、いえ…。」
     がっかりと肩を落とした私の前で、少年と青年の間を行き来する顔の教官が不思議そうな表情をした。
     そこで、外の家や階下の茶屋が出す芳しい香りが鼻をついた。


    「美味しい?」
    「はい」
     黙々とお米を咀嚼する私の隣で教官は〈よかった〉と呟く。
     よく考えれば、昨日の昼間からマトモに食べてない。
     狩りに行く前に食べたうさ団子は最初の一口以外、全部オトモにあげてしまったし。昨夜は昨夜でバタバタと慌ただしく、気持ちも落ち着かなくて食事も抜いてしまった。
     だからあの後、目の前からする甘いお米の匂いに盛大に鳴いた私のお腹に、教官はくすくす笑っておにぎりをくれた。そして口元だけ出すようにお面をずらして、一つ目を平らげたところでこちらに教官の手が伸びる。
    「よかった、今日はきちんと食べられそうだね」
    「記憶をなくす前のキミはきっといいハンターだったんだろうな。見事な食べっぷりだ」
    「あっ、少し動かないで」
     そう言って頬を撫でた教官の指先はすぐに離れた。私の鼻から上はお面で隠れていて教官からは見えない。その代償に、私からも教官の顔はおろか、仕草も見えない。
    「うんうん。やっぱりスズカリさんのところのお米は格別だなぁ…」
     もぐ、とまたおにぎりを口に運んだ私の隣でそんな声がした。
     それから朝食を終え、教官は〈外に出よう〉と提案すると里の中を案内してくれた。
    「あの架け橋の向こうがオトモ広場だよ。オトモたちの憩いの場兼訓練場。俺のオトモも今はあそこでコガラシさんの修練を受けてるんだ」
    「自然の豊かな里だから養生にはぴったりだよ」
     朝ごはんから始まって、里の中を丁寧に紹介してくれて。船着き場も、たたら場も、市場も、全部知ってるはずなのに、改めて教官から見た里の印象を聞くのは新鮮だった。
    「ウツシさん、迷子さんとお散歩ですか?」
    「ねえさま、迷子さんは失礼かと」
     背後から呼び止められて振り向いた教官と一緒にそちらを向くと、山のようなお団子を抱えて微笑む竜人姉妹がいる。この人たちは変わらないのに、でも集会所から出てきたからきっとあのお団子はヨモギちゃんの作ったものじゃなく、オテマエさんのお団子だ。そこは少し違う。
    「でもお名前がないのですから、迷子さんとお呼びするしかありませんよ?」
    「それも、そうですが…」
    「せめて名前だけでも覚えていたらよかったのにね」
     そう言って笑う教官の笑顔はよく知っているはずなのに、やっぱり自分とあまり変わらない年齢の容姿には慣れなくて、お面の下で曖昧に笑い返した。


     今朝のことを追想していると、ふいにフゲン様が言う。
    「これまでになにか思い出したことは?」
    「えっ、…な、なにも……」
    「そうか、それは困ったな…。」
     フゲン様はお面の向こうにある私の視線を盗むようにじっとこちらを見つめる。これはなにか、探られている気がする。
     身元のしれない客人に子供の純粋な興味とは別で、大人からはやっぱり少し警戒されているのかもしれない。
    「このままでは仕事にならないだろう」
    「というと」
    「登録のないハンターや身元のわからないハンターを里のギルドから狩りに出すわけには行かないからな。しばらく養生して、せっかくならここのギルドから狩猟に出ればいいと思ったが…」
     そう言われてやっと気づいた。そうだ、このままだと狩猟にも行けないし、移動の補助や支給品等のハンターの特権を使う事もままならない。
     ということは、収入は絶たれることになる。
     この状況がなんなのかもわからない、いつ元の里に戻れるかもわからない状況でそれはまずい。
     かといって本当のことを言って信じてもらえるかというと…怪しさに拍車をかける気しかしなかった。
    「ところで、その箒はなんだ?」
    「あ、これは集会所からお借りして…。ハナモリさんが快く貸してくれました。いい木の箒だから使いやすいよって」
    「とはいえ、客人に持たせるものじゃあないな」
     私の手元を見て言うフゲン様は言葉とは裏腹に面白いものを見るような目で、次に私の顔を見た。
    「あの、せめてものお礼になればと…なにもかも、してもらってばかりは落ち着かなくて…」
     慣れているはずのフゲン様の強い視線が、嘘をついているせいでそわそわと落ち着かない。握りしめた箒の柄は確かにいい木でしっくりと手に馴染んでいるのに。
    「そうか、では好きにしろ」
     でも、すぐに歯を見せて笑ったフゲン様はそれだけ言うと集会所の中へと入っていった。ぽつん、とそこに置いて置かれた私はその背中に向かって言う。
    「ここが済んだら、たたら場の前も掃除させてください」
     その言葉に彼はこちらを振り向かないまま、片手を上げて答えた。


    「あの子、今日は朝から動き回ってるニャ」
    「ウツシが里の中をあちこち連れ回していたが、おかしな様子はなかったそうだ」
     日当たりのいい茶屋の一等席で、ベンチに里長が腰掛けるとオテマエさんが走り寄った。そして話題は自然と、突然現れたらしいタマミツネの話になる。
    「おかしな、といえば。一昨日、昨日と俺は里を留守にしていて初対面のはずなのに、彼女は俺の名前を知っていました。さっき箒を貸して欲しいって話しかけられて…」
    「おおかた、ウツシが教えたんでゲコ。ギルドへの連絡も本人の意向を汲んでしばらく待ってほしいとウツシから頼まれたゲコ」
     そばの桜を手入れしていた俺が会話に加わると、テッカちゃんから降りたゴコク様もベンチへよいしょ、と腰掛ける。
    「ウツシは随分と、彼女を気に入っているようだが」
    「会ってすぐ、あの子の作ったお面を褒めてくれたって言ってたニャ」
     〈もしかして、それで惚れちゃったニャ?〉と、笑うオテマエさんに里長は少し考える素振りをして見せる。
    「ウツシも彼女の素顔は見てないと言っていたゲコ。素性も知れない客人に、いくら人懐っこいウツシでもそう直ぐには…」
     そう、彼女が頑なにつけたままにしていたというタマミツネの面を指して言うゴコク様はまだ思案顔の里長を見る。
    「話したところで悪いものではなさそうだが、名無しのタマミツネか…化かされてないといいがなぁ…」
     五月晴れの空の下、珍しく少しの心配が滲む里長の声がせせらぎの中に溶けた。

    ―〇●〇―

     ここに来て二度目の朝。
    「おはよう、起きてる?」
     今日も集会所の二階の居間から通路を挟んだ簾の向こうで優しい声がする。
    「おはようございます。ウツシさん」
     簾を上げて外を見ると、遅咲きの桃色の景色の中に教官がいた。いつもの立派な幹の上で笑うその人が手にしているのは今日は、茶屋の風呂敷に包まれたお重だ。
    「ワカナさんとカジカさんが、野菜や魚も食べさせないとって。下でよろず焼きにしてもらったから食べて」
     そう言った教官の背後の市場に、こちらに手を振るお腹の大きなワカナさんが見えた。それに控えめに手を振り返していたら、大きなマグロを頭の上に担いだカジカさんがその前を横切る。そして私達に気が付くと、彼も肉球を見せてこちらに手を振った。 
     里の台所を支える市場の朝は早い。その朝日の降る景色は私が幼い頃に見た、思い出の中のカムラと同じだった。
    「でもきちんとお代を…」
     そう言って財布を取りに走ろうとした私に教官はまた幹からこちらに飛び移って、手すりを跨ぎ、簾をくぐった。
    「昨日、店じまいの頃に店の前を掃いてくれたお礼も兼ねてらしいよ。昨日は一日、箒を持って里の中のあちこちを掃き清めてたそうだね」
     〈ここでじっとしてるのはそんなに退屈だった?〉と笑うウツシ教官がお重を差し出して、つい受け取ってしまう。
     あちこち掃除していたのはお礼もあるけれど、もう一つの理由はここが本当に過去のカムラなのかゆっくり見て回っていたのもある。掃除をしているなら傍目にも不自然ではないだろうし。
     それに関して、はっきりとした結論は出なかったけれど、里は綺麗になって体もよく動かしたので、昨日はとても清々しい気分で眠りについた。
    「いい匂い…です」
     腕の中の包みから漂うその香りにまた、きゅ、と私の胃が鳴いたのを耳のいい教官は聞き取ったらしい。頭上から、「どうぞ、たくさん食べてね」と楽しそうな声がした。

    ー○●○ー

     それからの暮らしは、目的に『元の時代に帰ること』というぼんやりとしたものを掲げながら、穏やかな里で過ぎようとしていた。
     相変わらず集会所の二階に間借りして、ここに初めて来た日のフゲン様が告げた『拾ったものが世話する分には問題ない』という言葉通り、教官は何かとここを訪れる。
    「そういえば、キミの武器や防具はどう見てもカムラの技術だけど、もしかしたらこの近くのハンターかもしれないね」
    「えっ」
     ここに来た翌日から袖を通してない防具は、片隅に鎮座するアイテムボックスの上に重ねてあった。動きやすい袴といくつかの着物、それらをヒノエさんとミノトさんが見繕って持ってきてくれたおかけで、私は一見、里に馴染む出で立ちになっている。顔のお面以外は。
     狩猟にも出られないし片付けなくちゃ、と思っていた矢先にそれをみながら教官が呟いた言葉にギクリとした。
    「でも外の国にハモンさんの弟子もいるし、必ずとは言い切れないけれど」
    「そ、そう…なんですね」
     まさか、未来のカムラ産ですとは答えられず、歯切れの悪い相づちを打った。
     教官は何かと私の様子を見て、記憶の手がかりになりそうな要素を拾っていく。これが初めてじゃないけど、やっぱりその度に嘘をついていることに心が痛んだ。
    「ニャー!!ひとまずそれはあっちに運ぶニャ、違う違う! それはこっちニャ!」
     そこで階下からオテマエさんの悲鳴が聞こえた。慌てて顔を上げた教官と私の目があって、どちらともなく下へと続く階段へ走り出す。
     暖簾を潜って、踊り場の手すりから並んで下を見下ろすと、そこには茶屋で働くアイルーたちの走り回る姿がある。
    「オテマエさん、どうかした?」
    「どうかしたも、ニャにも! こんなに忙しいのは店が始まって以来だニャ! 急な輸出の注文で…、ネコの手…はいっぱいあるから、ガルクの手でも借りたいニャ!」
     こちらを見上げたオテマエさんの前には、圧巻のカウンター席。箱詰めされたうさ団子が山のように積まれている。真ん中のウロでお団子を焼いているアイルーも今日はそれに埋もれて姿が見えない。
    「あっ、私! 手伝います!」
    「あ、キミ! あぶな…」
     手すりを越えて下に飛び降りた私の背後からは教官が驚いた声を上げて、膝を付いて着地した目の前からは、オテマエさんがまん丸の目をさらに丸くして〈ニャッ!〉と、小さく声を上げた。
    「なにか私にできる事はありますか?」
     顔を上げた私のお面を見たオテマエさんはまた一瞬、怯んだものの、すぐにきりりと引き締まった茶屋のオカミさんの顔になると私に先が二つに割れたお団子の串を手渡した。
    「ハンターならコントロールはいいニャ? お団子のど真ん中にしっかり串を刺してほしいニャ」
     それなら里で何十回も見たからできる! 実際にしたことはないけど…と、内心意気込んで頷くと、オテマエさんの手が腰の包丁にかけられた。



    「今日は朝から茶屋が賑やかでゲコね〜」
    「ああ、本当だ。そういえばホバシラさんが積荷が多いからって船を整頓してましたね」
    「先程、姉さまが『今日のお団子は一味違う気がします』と仰っていました」
     集会所の入り口で、いつもの顔ぶれが茶屋を覗きながら言う。その視線の先では、アイルーたちに囲まれて一緒に歌を口ずさみながら働く迷子ハンターの姿。おぼつかない手付きはさておき、懸命に団子の玉に串を刺す姿は健気だ。
     ふと、二階を見ると手すりに頰杖をついてその様子を見守る人がいた。
    「お〜い、ウツシ。なにしてるでゲコ」
    「俺もなにか手伝おうかと思ったんですが、入る隙がなくて」
     そう答えながら階段を降りると、目の前に迫ったお団子の山は上から見るよりも壮観だったのか、彼は大きな目を一瞬、さらに見開いた。
     とりあえず協力して、箱詰めされたものを運び出そうかと考えていたら、じっとタマミツネの彼女を見つめていたミノトさんが口を開く。
    「こうして見ると、彼女は本当にハンター様なのでしょうか」
     少しの疑いを含んだような声で言うミノトさんの言いたいことはなんとなくわかる。おそらくこの里で調達したらしい里娘のような衣服に身を包んだ彼女は普通の女の子だ。
     普段の受け答えも控えめで、里守で大砲を構える里娘やこの竜人姉妹の方がまだハンターらしいかもしれない。
    「でもさっき、彼女はあそこから飛び降りてたよ。あの身のこなしはなにかしら、訓練を受けていると思うな」
     そう言ってさっき自分のいた二階の踊り場を指さした彼は二階から階下まで、途中に一回転したその指先の軌道を追った俺たちの視線をよそに、機嫌よくその腰の尻尾を揺らして彼女のそばに近寄る。
    「やっぱり、いやにタマミツネの肩を持つでゲコな」
     そう小さく呟いたゴコク様の言葉になにかしら思ったのは俺もミノトさんも同じだったらしい。
    「なにか手伝うことはある?」
    「あっ、きょぅ…ウツシさん! オテマエさん、こっちの箱は運んでも大丈夫ですか?」
    「大丈夫ニャ! そこの端からホバシラのところに持って行ってほしいニャ」
     集会所の入り口に立ったまま、こっそりと三人が顔を見合わせていると、前が見えるのかわからないほど積まれた菓子箱を抱えた彼はその隣を楽しそうにすり抜けていった。


    「やっと終わりましたニャァ」
     カウンターにぐったりと突っ伏すアイルーたちの隣で、同じように突っ伏した私のすぐ隣でコトリと陶器の音がした。
     顔をあげると山のようなうさ団子と、程よく湯気を上げる淹れたてのお茶からいい匂いが立つ。
    「手伝ってくれて助かったニャ。あとで手伝い料は持っていくから、これは食べてニャ」
    「え、お金なんて受け取れません。私が勝手に手伝っただけで…」
    「あの子たちと同じに働いたんだから受け取ってもらわないと困るニャ」
    「でも…」
     〈ニャ?〉と、首を傾げるオテマエさんは可愛いけど、その瞳の意思ははっきりとしている。これは断ってもきっと、受け取るまで引いてもらえない。
     そのことに頷くとオテマエさんは笑って、すぐに私の背後、集会所の入り口に視線を移して手を振った。
    「あ、お疲れ様ニャ! 二人もお団子食べてくニャ」
    「オテマエさんもお疲れ様」
    「おっ、甘いのはあるかな?」
     船着き場まで、うさ団子の積み込みを手伝っていたハナモリさんとウツシ教官が戻ってきたらしい。その姿にそそくさと準備するオテマエさんがさっそく、二人の前にもお茶を並べた。
     そして彼女は再び厨房へ向かうとお団子を二人分、大きなお皿に載せてきた。
    「ハナモリは特製のあまーいお団子ニャ!」
    「おっ! ありがとう!」
     ウツシ教官には私と同じもの、ハナモリさんの前に置かれたのは甘党らしい彼にぴったりな蜜の池に浸かるお団子だ。
    「キミもお疲れ様」
    「ウツシさんもお疲れ様でした」
    「あ、そういえばうさ団子は初めてだったよね?」
    「はい。…だと思います」
    「だと思う? もしかしてなにか思い出した?」
     まずい。余計なことを言ってしまった。疲れてぼんやりしていたせいで、つい…。
     そこで慌てて教官に小さく手招きして、その耳元に唇を寄せた。
    「実は…さっき、つまみ食いを…」
    「え?」
     教官は笑い声混じりの驚いた声を上げてこちらを見た。そして私がしたのと同じように、こちらの耳元に顔を近づけて囁く。
    「誰にもバレなかった?」
     まるでイタズラを共有する子供のように楽しそうなその声に頷いていると、視線を感じる。
     その視線の主の方を向くと、隣の席からジャリジャリと砂糖の音をさせて、特注のお団子を咀嚼する真顔のハナモリさんと目が合った。

    ー○●○ー

     葉桜が目立ち始めた頃、残り少ない桃色に追い打ちをかけるような雨が降った。集会所の二階から見下ろすと、花のように彩り豊かに行き来する傘は目に楽しい。
     それから準備を整えて一階に降り、一通りみんなに挨拶をすると
    「梅雨入りニャ」
     空を見上げたオテマエさんが言って、食材には気をつけないとと掃除を始める。
    「仕事には慣れたかニャ?」
    「はい、皆さん優しく教えてくれるので」
     そして、私は茶屋の娘のような出で立ちで茶屋に立っていた。いや、『ような』ではなく、実際に働いている。
     この前の一件以来、記憶も戻らず働き口もないのならうちで雇ってもいいとオテマエさんに誘われて、嘘をついている後ろめたさは感じながらもみんなとお揃いの前掛けをして茶屋に並ぶ。
     今この状況で狩りには出られないし、いつまでも里の掃き掃除ばかりはしていられない。そう考えればありがたい話だと思う。
    「ウツシも優しいニャ?」
    「え?」
     なんの前触れもなくオテマエさんにそう尋ねられて狼狽え、持っていたお盆を落としかけた。慌てて抱え直す私を見上げてオテマエさんは笑う。
    「毎朝毎朝、餌付けみたいに食べ物を抱えて二階に通ってるから里の中でも噂になってるニャ」
     茶化すようにそう言って茶屋の上の部屋を指差した。
     確かに教官は毎朝、私の朝ご飯を持ってきてくれる。一緒に朝ご飯を食べるのが習慣化するくらいには。しばらく遠出の依頼は受けてないのか、私がここに来てから『おはよう』の挨拶は一日も欠かしたことがない。
     でも、噂にまでなっているのは予想外だった。
    「あの子はちょっと抜けてるけど、いい男になるニャ」
     母のような目で言うオテマエさんに仕草だけで頷く。声にしなかったのは、その件の本人が集会所の暖簾をくぐって現れたから。
    「あー、ひどい雨だった」
    「見事な濡鼠ゲコね」
    「はい、これはしばらく続きますね」
    「それならテッカちゃんはご機嫌ゲコ」
     それから、ぐっしょりと濡れた教官は集会所の入り口でゴコク様としばらく話しこんだ。
     いつもは風になびくような髪が雨を吸い、ぺたりと寝て、草葉色は深い森のような色濃い緑に色を変えている。
    「そうだ。オテマエさん、少し上に行ってきてもいいですか? すぐ戻るので…」
    「いいニャ、どうせこの雨ならお客なんて来ないニャ」
     そう頷いてくれたオテマエさんにお礼を言って、集会所の前の階段まで歩くと私に気付いた教官がこちらに手を振った。小さく手を振り返すとすぐに階段を駆け上る。そして目当てのものを掴むとすぐまた暖簾をくぐってもと来た階段に足をかけ駆け下りた。
     途中、踊り場で方向転換。
     手摺を掴む前に踏み出した足は少しだけ浮足立っていて、
    「きゃっ」
     そして、慣れないお面での視界と雨で薄暗かったせい、あとは、はやる気持ちで駆け下りようとしたのが災いした。
     豪快に一段、階段を踏み外した。
     慌てて手摺に手を伸ばそうとしたけれど、その意思とは反対に体は前のめりに倒れる。そのまま階下の石畳に顔面からの着地…と体をひねって受け身をとろうと考えたと同時に、
    「びっ…くりしたぁ」
    「え」
     私の体は誰かに数段下から抱きとめられ、しかも、すぐに抱え上げられた。
     倒れ込んだ体勢のはずがいつの間にか、たくましい腕の中にいる。そして間近にあるその誰かの濡れた髪からその肩に、水滴がしたたるのを黙ったまま、数秒見つめた。
    「大丈夫? もしかして、階段が濡れてた?」
     こちらを見下ろし、心配を滲ませて覗き込む顔が幼くて、知っているのに知らない人みたいだ。
    「あ、いえ…! よく見てなくて…ごめんなさい!」
     その近すぎる距離に慌てて離れようとその体を押してもびくともしない。ハンターとしてそれなりに鍛えているつもりなのに。そう考えたところでこの人は相手はあの教官だと思い出した。勝てるわけがない、いや、頑張ったらいい線を行くかもしれないけど…ううん。特に頑張る理由も見当たらないのでやめておこう。
     そうしばらく大人しくしていたけれど、私の体は降ろされる気配がない。
    「…ぁの、ウツシさん…?」
     控えめに声をかけると教官は〈ん?〉と首を傾げてまた水滴が滴る。そして私の言葉を待つ前にそのまま階下へと降り始めてしまった。
    「こんなところで転んで俺のことも忘れられたら、寂しいからね」
     そう、いたずらっぽく言う教官はやっぱり私の知る教官よりも言動も顔も、ずいぶん若い。

    「あの、よかったら使ってください」
    「いいの? でも…」
    「そのままだと風邪を引いちゃいます」
     階下で教官の腕から石畳に降ろされて、すぐに差し出した手ぬぐいはその濡れ具合からいうとないよりはマシ、くらいのものだけど彼は快く受け取って髪から滴っていた水滴をガシガシと拭き取る。
    「ありがとう、助かったよ!」
    「いいえ、私の方こそ。それにいつもお世話になってるし…」
    「お世話?」
    「朝ごはんとか」
    「あー、あれはほら、餌付け…キミと仲良くなりたくて!」
     途中、なにか口走った教官が慌てたように声量を上げた。餌付け、と聞こえたような…と自分の耳を疑っていたら、私の視線に気付いた教官はへたりと寝た前髪の隙間からこちらを見る。私の反応を伺っているのがわかるような顔で。
    「でも、迷惑だったら言って?」
    「ううん、ウツシさんがいつもご一緒してくれるから寂しくないです」
    「…よかった! お節介だったらどうしようかと…」
    「ううん、また明日も来てくださいね」
    「じゃあ、いつもの時間に行くよ」
    「お待ちしてます」
     実際、以前の里に懐かしさはあっても私ではなく『どこかの誰か』で里にいるのも、元の未来に戻る方法がわからない現状も心細かった。だからよく知る教官がそばにいてくれるのは安心する。
     だから嘘じゃない、私の本音の言葉に教官は瞳を輝かせて笑顔になった。
    「そうだ! 指切りしよう! 俺が里にいる時はキミの記憶が戻るまで、朝食は一緒にとろう」
    「はい」
     差し出された小指に、ドキドキしながら自分の小指を絡めて。一緒に歌を口ずさむとなんだか懐かしい気分になる。途中、『嘘ついたら』という節には少しギクリとしたけど無事に切れた指は名残惜しく離れた。
    「仲良しこよしゲコな」 
     その声に顔をあげると、テッカちゃんの上で私達のやり取りを見ていたらしいゴコク様が、未来となにも変わらない福々しい顔をして笑っていた。

    ー○●○ー
     
    「そろそろ筍が旬だね、大社跡に採りに行かないと」
     約束通り今日も朝食を一緒にしたあと、柵に手をついて外の雨を見上げると教官は言った。
     そうだ、梅雨にはタケノコの群生地が賑やかになる。採集に行かなきゃ、と体に染み付いたハンターの習性が雨の匂いに考えた。
    「そういえば、キミは大社跡でなにをしていたんだろうね」
    「モンスターを狩っていたのか、なにか採集にきていたのか、それともどこかに行く途中だったのか…頭を打ったというのもまぁ、苔で滑ったとか?」
     〈災難だったね〉と眉を下げた教官がこちらを振り向いた。どれと聞かれたら『モンスターを狩っていた』だけど、場所が違う以上、そのどれでもない答えに私も困った顔をして顔を伏せる。
    「ごめん、嫌なことを聞いたかな?」
    「いいえ、そんなことは…」
    「でも記憶がないのに聞かれても困るよね」
    「それは……」
     思っていたよりも嘘をつき続けるというのは気持ちを消耗する。心配そうにこちらを覗き込む瞳が綺麗で、いっそ本当のことを話してしまおうかとさえ思った。
     でもおかしなことを言って里を混乱させる可能性を考えるとそれも出来ない。
    「ごめんよ、悪く思わないでほしい。ただ、キミに興味があるんだ」
     そう告げられて嘘とは違う意味で胸が跳ねた。好奇心の強いウツシ教官らしい、とは思いながら期待してしまう私がいる。
    「気にしてません。案外、記憶をなくす前から本当に迷子になってたのかもしれないし!」
     今も迷子といえば迷子だし。
     なるべく明るく答えた嘘は上ずって、高く部屋に響いた。

    「どうだ? タマミツネの様子は」
    「なにも。記憶はないまま、食欲は旺盛、最近茶屋で働き始めましたが働きぶりもオテマエさんが許容範囲だと」
     こちらの返事に頷いた里長が思案するように髭を撫でる。そしてゆっくりと頷いて俺を見た。
    「そうか。記憶はないか。……どうした、なにか気になることでも?」
    「いえ。なにもないです」
     合わせて物思いにふけっていた俺に里長の厳しい視線が刺さる。
     彼女は『タマミツネを狩りに来た』と会ってすぐの時に言っていた。だとすれば『モンスターを狩っていた』と答えてもいい。なのに昨日はなにも覚えてないと言っていた。そこだけが少し引っかかっていた。
     ただ、あの日は俺を『教官』と呼んだり彼女も混乱していたようなのでおそらく記憶が混濁してたのだろう。
    「オマエから見たタマミツネはどうなんだ?」
    「どう? と、いうと」
    「随分、タマミツネを気に入っているようだ」
    「え?」
    「オマエと同年代はこの里に少ないからな、ましてやハンターとなると」
    「…あぁ、そうですね。一緒に狩りに行けたら最高です!」
    「ゴコク殿がウツシはタマミツネから片時も目を離さない、と笑っていらしたぞ」
    「ぅ…それは、彼女のお目付け役が俺の仕事ですから」
     そう取り繕って答えても里長には色々とお見通しらしい。
    「何事もなく記憶が戻った時は共に狩りに連れて行ってやるといい。だが…もうしばらくの監視は任せたぞ」
     監視、里長は厳しい言い方をするけれど、一つの集落をまとめる長ならこんなものだろう。彼女が身元を証明出来ない以上、得体の知れない存在なのは間違いない。
    「はい」
     素直に頷けば、里長は大きく頷いて背に負った刀も揺れた。
     
    ―〇●〇―

     梅雨の合間の晴れた日。近隣の里のハンターたちがカムラの集会所を訪れた。その中に晴れ男がいたようで、嘘みたいにいい天気。そして、居合わせた教官と狩りに出かけて、羨ましく思いながらその帰りを待っていたら…。

    「変わった店員だな」
     戻って第一声、注文を取りに向かった私の顔を見たハンターたちは明け透けにそう感想を述べた。
     おそらく、私がしているタマミツネのお面が気になるんだろうとその視線に確信して、無理もないと納得する。
    「ご注文はお決まりですか?」
    「じゃあ、タマミツネを一頭。持ち帰りで」
    「…え?」
     タマミツ、と注文票に書いたところで顔をあげるとハンターたちはニヤニヤと楽しそうに笑っていた。すぐにからかわれたのだと気付いて、書いた文字を上からぐしゃぐしゃに塗りつぶす。
    「…あー…そんなに睨まなくてもいいだろ?」
     そして改めて注文を取ろうと再度、顔をあげると、ふいに聞こえた言葉に首を傾げた。私は睨んでなんていないし、あのくらいことで怒ってもないのに。そう思っていたら、その声の主の視線はちょうどその人の斜め前、ちょうど私を挟む席に座る教官に注がれている。
    「睨んでない」
     珍しく不機嫌そうな教官がそう言った。
     手にしていたメニュー表を静かに戻すとカウンターに肘をついて、こちらを見る。
    「睨んでたぞ。っていうか今も睨んでる」
    「睨んでないよ」
    「よく言う。あんな今にも斬り捨てそうな顔しておいて」
    「睨んでないって!」
    「きゃっ」
     バンッとカウンターを叩いて立ち上がった教官に驚いて私が小さく声をあげると、その人も思わず身を引いた。
     それにすぐ気づいた教官が〈あ…〉と小さく声を上げて、視線を伏せる。
    「…いや、ごめん。でもさっきの言葉はこの子に失礼だと思う」
     気まずそうに呟いてまた席についた教官は〈ごめんね〉とこちらを見る。思わず頷いたけど、なにについて謝られているのかはよくわからなかった。
     その微妙な空気に三人共が黙っていたら、反対側から前掛けを引っ張られる。
    「…悪かった。冗談のつもりだったんだ」
    「ごめんな?」
     その手の主の方を向くと、すぐに顔の前で両手を合わせて彼は苦笑する。そして、教官へもさっきの気さくな笑顔を向けてあっけらかんと言った。
    「オマエの女だったんなら悪かったな」
    「は?」
    「え?」
    「だから、この子がウツシの女だって知ってたら変なちょっかいかけてなかったって」
     『ウツシノオンナ』と何回か繰り返して『ウツシの女』と、やっと理解できた。でもその言葉の意味はすぐに飲み込めずに思わず教官を見る。
     すると目が合った彼は慌てて首を振った。
     その様子にこの場を回すハンターは呆れ顔で言う。
    「違わないだろ。ここに来てからずっとこの子を目で追ってるし、さっきも急に怒りだすし」
    「そういえば、帰りも茸やハチミツ採りながらなんか言ってたな…。明日の朝に食べさせようとか、なんとか」
    「てっきりなにか飼ってるのかと思ってたけど。タマミツネって」
     最後にそう呟いて、私のお面をみたその人は素顔を覗き込むように覗き穴の奥を見つめる。
    「その子とはそんな関係じゃ…」
    「どっちでもいい。わかりやすすぎるわ、オマエって」
    「なぁ?」
     目をそらさないまま同意を求めるその人と、視線をそらす教官に、どう反応していいのかわからず黙り込んだ。



     昼間はあんなに晴れていたのに。
     夕刻から遠くの空の立ち込める黒い雲を見上げて、今夜はもしかしたら大雨かもしれないとオテマエさんが心配そうに言った。でも、オテマエさんかゴコク様のお屋敷に避難するかという提案には頷けなかった。
     集会所の茶屋が店仕舞して、そのあと戸締まりされたギルドは無人になる。お風呂をいただいて、少しゆっくりしてから寝る支度を整え、夜も更けてくると、雨は強く地面を叩いた。
     激しく雨戸を叩く音に畳の上で膝を抱えて、提案を断ったことを少しだけ後悔し始めた頃。ゴロゴロと空が鳴いて、ドンッとモンスターを撃ち落とした時のような音に集会所は揺れた。
    「きゃっ」
     薄暗い休憩所は雨戸を閉めたことでさらに暗い。
     灯りは枕元の行灯だけの世界で私はもぞもぞとお布団に潜り込んだ。寝てしまえば、一人でも怖くないからもう今日は寝てしまおう。小さな頃にカムラの集会所が潰れたり燃えた記憶はないから、きっと大丈夫。
     そう自分に言い聞かせて目を閉じると、準備所の暖簾の向こうから微かに声が聞こえた。
    「大丈夫? 雨漏りとかしてない?」
    「…ウツシ、さん?」
    「遅くにごめん、やっぱり心配で様子を見に来たんだ」
     その時、また雨戸の向こうでドンッと落雷が。
    「ひっ」
     隙間から見えた閃光に肩をすくめて、慌ててお布団を深くかぶると暖簾を払う音がする。そして数歩の足音のあと、恐る恐るお布団から顔を出すと、顔全体で心配を表す教官と目が合った。
    「あ、悲鳴が聞こえたからつい…。もしかして、雷が苦手とか?」
     その言葉に頷くか迷った。モンスターの出す雷には慣れているけど、倒すことも逃げることも出来ない自然の雷はそれなりに怖い。対処の仕様がないから。
     特に今日の雷はとびきり激しい気がした。
     そしてゆっくり頷いた私に教官はため息をついて、こちらに手をのばす。
    「オテマエさんに甘えてもよかったのに」
     そう言ってお布団越しに頭を撫でてくれるのが私の知る教官と同じで嬉しかった。
    「まさかこんなにひどくなるとは思わなくて…」
    「そうだね、近くに落ちているようだし。今からでもゴコク様の屋敷に…」
    「でも…」
    「じゃあここに残る?」
     今から外に出たらきっとびしょ濡れになる。そんな姿でお世話になるのも気が引けたし、ゴコク様のところへ一人で行くのも、今は緊張するから避けたかった。でも外で鳴り響く雷は怖い。
     そんな葛藤が顔に出ていたんだと思う。駄々っ子を見るような目でこちらを見ていた教官は小上がりに腰を掛けた。
    「行くなら送るよ。雨を避ける抜け道があるんだ」
     このままあまり断りすぎるのも良くないかな、と迷う私に〈傘もヒナミさんのところの傘だからこの雨でも破れたりしないし〉と彼は笑う。 
     するとまた、ドンッと落雷の音。その衝撃にビリビリと雨戸が揺れた。今度は里の裏側、集会所から船着き場に向かう裏道の方角からだ。
     その近さに思わず身をすくめると彼は、
    「大丈夫、怖くない」
     宥めるような声に見上げたその笑顔がとても懐かしくて、小さな頃の記憶が蘇った。
     だから私はつい、その腕を掴んで言ってしまう。
    「今夜はここで一緒にいてくれませんか」


     すっかり耳に慣れた雨音と雨玉に叩かれる戸のくぐもった音がこの世界を外と遮断する。
     その世界で私の隣に、申し出に少し考えてから頷いてくれた教官がいる。
     膝を抱えて、お布団の下に隠れながらそちらを覗き見ると彼が小さく息をついたのが見えた。
    「ごめんなさい、やっぱりご迷惑ですよね…」
    「え? あ、そうじゃなくて…! 少し落ち着かないだけだよ」
     彼は慌てたように手を振る。さっきため息に見えたのは深呼吸だったらしい。
    「…………」
    「…………」
     訪れた無言の部屋に今度は私が緊張から呼吸を乱しそうになった。
     夜更けに締め切った部屋でふたりきり、記憶をなくしているという嘘が会話の内容も狭めて不用意に口を開けない。
    「あの」
    「ねぇ」
     でも何か話さないと、と思ったのは教官も同じだったのかもしれない。同時に口を開いた私たちは互いに顔を見合わせて、
    「どうぞ、ウツシさんから」
    「いや、どうぞ。キミから…」
     手を出し合い譲り合っていると、弾みで指先が触れ合う。その感触に思わず目があって、揃って手を引っ込めたところで教官は控えめに言った。
    「俺にキミの話を聞かせて。聞きたいんだ」
     不安そうな声色とは裏腹に熱の籠ったその視線に頷いて、促されるまま私は口を開く。
    「今日、誤解されちゃいましたね」
    「え?」
    「あのハンターさんに。帰りも茶化してきてたから、ウツシさんは優しいから仕事中の私をかばってくれただけなのに」
    「それは…うん」
    「ありがとうございます。嬉しかったです」
     言葉だけでは足りなくて、お面の下で笑うのがもどかしい。
    「お礼なんて言われる筋合いはないよ。昼間は大人気なかったって反省してるくらいだ」
     居心地悪そうに言って教官は立てた膝に頬杖をつく。あまり見たことない姿だ、と見つめていると視線に気づいた彼はこちらを向いた。
    「誤解されてキミは不快じゃない? それに大声出してごめんね」
    「不快だなんて。ウツシさんみたいに素敵な人となら…」
     言ったそばから恥ずかしさに顔を隠してしまう。すると教官も小さく〈えっ〉と声を上げた。そして彼が何か言う前に慌てて言葉を続ける。
    「そっ、それに大きな声も元気な証拠です!」
    「そ、そうだよね!」
     それに対する教官の返事もどこかあわただしくて、視線をそらされた。その様子に二人して大きな声で頷きあったのは騒がしい雨音のせいだけじゃない。そんな気がした。


     里の子の面倒を普段からみていたから子供を寝付かせるのには慣れていた。静かな部屋で頭を撫でて、穏やかな呼吸を心掛けるとみんなぐっすり眠ってしまう。それは彼女も同じだったらしい。
    「俺がついてるから怖くないよ」
     雨戸を揺らす小夜嵐に重なって、並べた布団の向こうから穏やかな寝息がしていた。包み込むように握った手は小さくて、その温度にこちらのほうが気持ちを落ち着かされる。そこで、眠るときもお面を外さないらしい彼女に苦しくないんだろうか、とそのふちに手をかけた。
    「教官…」
     そこで急に喋った彼女に慌てて手を引っ込める。けれどそれは寝言だった。再び寝息を立てるタマミツネはどんな寝顔なんだろう、とさっきとは別の興味が湧く。
     でも、まただ。また彼女は『教官』のことを呼ぶ。教官とはハンターになる際に師事した相手のことだろうか、彼女もハンターなのだからきっとそうだと思い当たりながら、その恋しげな口調がすこしだけ気がかりだった。
    「きっと、キミは可愛い弟子だったんだろうね」
     今頃その『教官』も心配しているだろう。けれど彼女がギルドに連絡したくないというのなら仕方ない。もう少しくらいここでゆっくりしていればいい。
    「今夜だってキミが傍にいてほしいと願ったんだから。明日どんな冷やかしを受けても俺は知らないよ」
     そわそわと落ち着かない感情を持て余す夜は全部彼女のせいにして深けていく。
     
    ―〇●〇―
     
    「失礼します」
     大雨のなか一人集会所に残ったという迷子のハンター様の様子と、雨戸を開けるために覗いた集会所の二階は薄暗く、湿気のこもった空気が充満していた。
     まずはハンター様にご挨拶を…と奥へ向かうとなぜか並んで布団が二つ。
     そしてそこに横たわるは手を繋いで眠る…。
     
    ―○●○―

     目覚めて目の前にあったのは教官の寝顔だった。
    「ひっ…」
     驚いて飛び起きると、ゆっくり持ち上がった瞼の下から金色の瞳が覗く。こちらに気づいて細められた目に魅入っていると、
    「おはよう」
    「おはようございます」
    「よく眠れた?」
    「はい、おかげさまで…」
     昨日のこともあって、すこし気恥ずかしい。そんな空気の中で寝癖を気にして髪を指で梳かし頷いていると、教官も起き上がって外を見る。
     誰がしたのか。音もなく、いつの間にか雨戸の透かされた集会所の二階にはあたたかな朝日が射し込んでいた。
    「雨も止んだみたいだね」
    「今日はいいお天気ですね」
    「そうだね、里中が洗濯に忙しくなるんじゃないかな?」
    「ああ、そうだ!私も晴れているうちに、溜まった洗濯物を洗わなくちゃ」
    「手伝おうか?」
    「えっ、い、いいです!さすがにそこまでお世話になるわけには…」
     恐縮する私に笑う教官の背後には青々とした桜の葉が雨に濡れて輝いている。昨日の今日で激変した天気と同じに、一夜明けて私たちの間も何かが変わった気がした。


     その予感はある意味、大当たりだったようでその日から里の人たちの私たちに対する態度が変わってしまった。
     まずはゴコク様やオテマエさんが豪雨の明けた朝、二階から揃って降りてきた教官と私を見て不自然に目をそらした。その中でミノトさんは澄ました顔で業務に務める。遅れてきたハナモリさんは楽しそうに教官の背を叩いてなにか内緒話をしていた。
     それから、私が茶屋のお遣いで外に出るとワカナさんに手招きされて野菜を貰った。「なにか作ってやんなよ」と主語の抜けた声をかけられ、隣のカジカさんからは魚の入った籠が手渡される。こちらも「今後も二人ぶんなら割引するのニャ」と笑う。でも、別に害はないのでなにをどうすることも…ないけれど。ワカナさんとカジカさんから貰った食材はオテマエさんにお願いして翌朝、教官が訪れる前に調理をしておいた。誰にとは言われなかったけれど、いつものお礼も兼ねて教官に出そうと思ったからだ。

     そしてその朝食を喜んでくれた教官との食事の最中。彼は必要なものはないかと尋ねてくれた。生活に必要なものは衣服含め、世話好きな里の人たちから与えられたので不便はない。
     けれど…。
    「モドリ玉?」
     いつも通り、ワカナさん自慢の野菜は甘くて、カジカさん手ずから獲った魚は身が厚いのにほろほろ崩れてつい頬張りすぎてしまう。
     隣で不思議そうな声を上げる教官にこくこく、と頷くことで応えると、ずりあげていたお面が少し下がる。教官はよく屋根の上でこうしているけどお面をしての食事は不便だな、とここに来て一つ勉強になった。
    「どうしてそんなものが欲しいの?」
    「あ、えっと…ハンターだから、狩猟道具を触れば記憶が戻るかと思って。ほら、ハンターにモドリ玉は必需品ですし…」
     理由を聞かれたときの為に用意していた言い訳は、しどろもどろで練習でもしておけばよかったと心のなかで呟く。

     元の時代に戻る方法として一番に思いついたのはモドリ玉だった。全てはあのモドリ玉を使ったことから始まった、気がするから。
     カムラは翔蟲がいればモドリ玉も不要だし、教官秘伝の最速のキャンプへの戻り方も心得てる。キャンプの支給箱でも覗かない限り、この里の中でモドリ玉を入手するにはハンターである教官に頼るのが一番な気がした。そこに来ての教官の申し出は有難かったのでそのお言葉に甘えることにする。
    「モドリ玉かぁ…」
    「はい、ダメですか?」
     控えめに顔を上げた私の狭い視界に、隠された教官の口元だけが見える。それはどんな表情をしているのかわからなくて、不安になっていたら
    「わかった。うちから持ってくるね」
    「それでキミの記憶が戻るなら、その時は名前を教えてもらってもいい?」
     私の知る教官よりも、さらに好奇心旺盛な声で返された答えに私は少し迷ってしまう。
     もし、モドリ玉で元の時代に戻ったら、名前を告げる前に目の前の教官とはお別れすることになるのでは…と考えたから。でもそこでもっと、気になることに気が付いた。
     確か、教官は恋人についても『名前を聞いてない』と言ってなかった?と。おまけにここは過去のカムラだ。年の頃も同じくらいで、その人もハンターだったと聞いたような…。
    (まさか、そんな…わけないよね)
     ふと、頭に過ぎった可能性に苦笑して私は小さく頷いた。

     件のモドリ玉はその日のうちに私のもとへと届けられた。
    「調合してすぐだから鮮度もいいよ!」
     しかもわざわざ調合してくれたらしい教官が見慣れたモドリ玉を私の手に握らせる。彼の言う通り、瑞々しいまでに鮮やかな緑色のモドリ玉は確かに鮮度が良さそうだ。
    「ありがとうございます」
     そしてあちこちからモドリ玉を眺めて、あの日のモドリ玉と何が違うのか考えた。でもそれはすぐに『同じ物にしか見えない』と首を傾げることになる。
    「使ってみるかい?」
    「いいんですか?」
    「どうぞ、好きにしてくれていいよ」
     こちらが言い出すよりも前に申し出てくれたことを有り難く思いつつ、どこで使おうかとあたりを見回す。そういえば狩り場以外で使った場合、どこに戻るのか考えたこともなかった。
    「あ、その前に。これもキミに」
     モドリ玉を片手に悩んでいたら教官はまた何かの箱を差し出す。
     蓋を取って渡された箱の中に鎮座する真新しい櫛をまじまじと見つめた。きれいな櫛だ。カゲロウさんのお店で見るようなきらびやかな、良いものだと一目でわかる。
    「あっ、深い意味はないんだ!キミが必要としてるんじゃないかと思えたから…」
     黙ったまま櫛を見つめていると教官は焦ったように続けた。たしかに私は今、櫛を所持していない。里共用のお風呂にある櫛を湯浴みの際に拝借するか、この部屋に落ちていた誰かの忘れ物を使っていた。それだって古いものだったから以前のような手入れはできずにいる。茶屋で働く以上どうにかしようとは思っていたけれど、つい後回しにしていたものだ。でもどうしてそれを…。
    「この前、寝ぐせに苦戦してたのを見て…」
     そう言われて思い出した。あの豪雨の日の翌朝、教官の前で手櫛で寝ぐせを直していたんだった。そんな些細な事も見られていたのかと思うとじわじわと恥ずかしい感情が湧き上がる。でも素直に嬉しい気持ちが勝った私はその櫛を手に取って喜びに満ちたため息をついた。
    「ありがとうございます。嬉しいです」
    「それはよかった」
     そして私以上に嬉しそうな教官の笑顔にまた一つ、恋をした。

    ―○●○―

     さて、モドリ玉はというと。
     試そうとはした。でもあともう少しだけ、この時間に浸っていたいと思ってしまったせいで使えなかった。貰った櫛が髪に馴染むまでの数日。ここにいたいと思ってしまったから、荷物の中へと大切にしまってある。
     
     そうしてまた今日も私は茶屋に立つ。まだ明けない梅雨にお店は閑古鳥だったけれど、機嫌よく湯呑みやお皿を磨いていたらオテマエさんの視線が私の髪へとまじまじと注がれていた。
    「今日はなんだか、いつもより髪がさらさらに見えるニャ」 
    「あ、これはウツシさんが櫛をくれて…」
    「ニャッ?!」
     驚いて一歩下がったオテマエさんが再度、私の顔を見る。そして〈あの“櫛”ニャ?〉と自分の毛並みを爪先で梳くようになぞった。
    「はい、これを…」
     そういって懐から件の櫛を出すと彼女はじっとその櫛を大きな目で見つめる。その様子にマイドさんもそばから私の手元を覗いた。過去の教官からとはいえ、好きな人からの贈り物だから肌身離さず持ち歩いていた。身だしなみを整えるものだし傍目にはなにもおかしなことはないはず。
     けれどオテマエさんは心底驚いた表情で次に私のお面を見上げた。
    「そうニャ、櫛を…」
     〈ついに〉と付け足した彼女の背後からマイドさんが言う。
    「それならここの二階を出る日も近いですニャ?」
    「どうしてですか?」
    「どうしてって…それは、」
     顔を見合わせるオテマエさんとマイドさんに首を傾げていたら背後から元気な声がした。
    「オテマエさん、頼まれてたものを取ってきたよ!」
     振り向くと教官が竹の束を両腕に抱えている。腕ほどの長さのそれは紐で縛られていた。オテマエさんに頼まれて、となると茶屋で使うものらしい。たとえば竹串の材料なのかもしれない。
    「ありがとニャ」
    「このくらい、いつでも言って。どこに置こうか?」
    「この辺に置いといてニャ」
     そう言ってカウンターの上を指したオテマエさんに教官は言われた通りそこに束を重ねる。
    「私も手伝います」
    「じゃあこれを頼むよ」
     手渡された束を受けとって重ねながらふと思う。そういえば、教官のお面を販売している棚がない。今は不在のハナモリさんの定位置が妙に殺風景でそちらを思わず見つめた。提灯だけの下がるそこにお面や風車が並ぶようになったのはいつからだっけ。
     今ではあるのが当たり前で気にしたこともなかった。子供の頃にはあった気がするんだけど。

    ―〇●〇―

     その日の夜。
     お風呂をいただいて集会所に戻るとだれかがいた。その手には昼間見た竹よりも長い竹が握られている。一瞬、警戒して様子を窺っていると、その人は桜の幹と幹の間にその竹を当てながら〈うーん〉と唸って首を傾げていた。
    「ウツシさん?」
    「あっ!おかえり!」
     聞き慣れた声にほっと息をついて髪を拭いながら声をかけると彼は例のお面を販売している場所、階段の真下で振り向く。前方に構える幹には縄が結びつけてあり、奥は薄暗くてみえなかった。こんな時間に何をしているんだろう、と近づくと教官はその竹を背後に隠す。
    「なにをしてたんですか?」
    「いや、別に…」
    「その竹…」
    「これは…なんでもないよ!」
    「もしかして、ここでなにか売るんですか?」
    「えっっ?!どうしてそれを…」
     あっ、いけない。不思議なものを見る目で教官がこちらを見つめる。余計なことを言ったかも、と焦って言葉を探した。
    「茶屋からもよく見えるし、人も集まる場所だから何かを販売するにはいい位置だなーって前から思っていて。例えばお土産とか、」
    「ああ、なんだ。そういうことか」
    「それでなにをしてるんですか?」
    「珍しいな、キミが俺のすることにそんなに食いつくなんて」
     そう言って苦笑した教官に近づいて、私もお面の下で愛想笑いを返す。すると彼はまた竹を取り出して例の場所にあてがった。
    「お察しの通り、ココでお面を売ろうかと思って」
    「キミには話していなかったけど、この里は百竜夜行という災いに見舞われたことがあるんだ。だから今後もまた予想されているその厄災に備えて、俺も今は里を長く離れるわけにいかないし…副業みたいなものだよ」
    「あとは家に作ったお面があふれてるから賑やかしも兼ねて置いてもらおうかと…。じゃないと俺の寝床がなくなりそうなんだ」
    「もちろん、ゴコク様の許可は貰ってるよ」
     そして教官は縄を拾い上げ、器用に竹を固定していく。見慣れた風景になっていく様子を見つめていると彼は続けた。
    「キミがいつもお面をつけてくれているのを見ていると嬉しくて、つい作りすぎちゃったんだ…」
     照れる教官の横顔に締め付けられるような胸の痛みを感じる。里を守ろうとする姿勢も、その素直に嬉しそうな言葉も愛おしくて苦しい。思わず胸元を押さえる私を知ってか知らずか、彼は黙々と作業を続ける。四方を囲う形になるはずの竹は奥と側面の部分はほぼ完成していた。あとは手前のお面を飾る部分だけ。
    「あっ、少し歪んでます。右が高いみたい」
    「こう?」
    「もう少し下げて…そこです」
    「ありがとう。ほかも見ててくれるかい?」
     そうして内部から竹を縛り付けていく教官と仕切りを隔てて向き合いながらの共同作業は楽しくて、濡れ髪が冷えるのを忘れて夢中になった。

    「よし、こんなもんかな」
     そして完成した展示用の棚は私の知っているものにかなり近い。後はお面を飾れば…
    「あれ?」
     そこで、ふと重大なことに気づいた。恐る恐る柵の向こうにいる教官に訊ねる。 
    「そういえば、そこからどうやって出るつもりなんですか?」
    「あっ!!!!」
     大きく声を上げた教官の前後左右は彼自身の手で縛られた竹と幹が取り囲んでいて、下も柵で囲われている。到底、おとこの人があの棚の隙間から出られるとは思えない。二人ともうっかりしていた。でも〈どうしよう、どうしよう〉と呟いておろおろと辺りを見渡す教官が可愛い。
    「ふふっ、ウツシさんが捕獲されちゃった」
    「え、ぁ…うん。ははっ」
     そして私につられ、柵の向こうで照れたように笑う教官に未来の面影を見た。

     なんとか棚の向こうから抜け出した教官と見慣れたタマミツネ・ブンブジナ・ヨツミワドウのお面を並べていると最上段にしめ縄がお面にかかっていた。
    「これじゃせっかくのお面がよく見えませんね」
    「でもこのしめ縄は外すわけにはいかないし」
     たしかに。過去は神と恐れられたモンスターたちが模されたお面だから、神聖な場所としてしめ縄はつけておいたほうがいい気がする。現に未来のカムラには…と記憶を辿って景色を思い出していたら…
    「そうだ!」
     そこで教官は腰にあったクナイを抜き取った。そして大きく垂直に飛び上がると私が居候している部屋の前、階段の踊り場の床の側面へと遠慮なくクナイを打ち付ける。それから背伸びをしてしめ縄をクナイにかけた彼に私は驚いて目を見開く。
    「ウツシさん?!」
    「こうすればお面もよく見えるかな、と」
    「たしかによく見えるけど…怒られませんか?」
    「どうだろう? そのときは一緒に怒られてくれるかい?」
     いつかの内緒話のように楽しそうな教官がこちらを見下ろしてへらりと微笑む。それに私が戸惑いながらも頷くと、今一度、販売所を見て満足そうに頷いた。

    ―○●○―

    「気に入ってくれる人がいるといいんだけど」
    「きっといますよ」
     縄や竹を片付けながら教官が販売所に視線をやる。不安げな教官に答えて幹に巻いた縄に風車を差した。風車も教官の案で子供たち用にと用意していたものらしい。
     件のお面については、たしかに独特な作風は好き好みがありそうだし、本当に人気が出るまでは時間もかかることを私は知っているけど。でも教官らしい個性的なお面たちはやっぱり愛嬌があって、格好よくて、
    「私は好きです」
     そう呟いて最後の風車を差すと振り向く。すると教官も片付けが終わったらしく荷物はすっかりまとまっていた。でもその荷物のそばで佇む教官の様子がおかしい。なぜか手で顔を覆って隠していた。
    「ウツシさん?」
    「す、好きとか簡単に言わないでよ」
    「え?」
    「本当に好きになるからっ…!」
     そして荷物を抱えた教官は集会所を飛び出していった。

    「…なにそれ…どういう意味…?」
     その背中を見送ってぽつんと残された私はひとり、時間差で熱くなる頬を押さえて蹲る。

    ―○●○―

    「おはよう、起きてる?」
    「おはようございます。起きてますよ」
     今朝も柵の外から控えめにかけられた声に御簾を上げると、日に日に明るくなる朝の風景の中に教官がいる。桜の木の幹の上、定位置でこちらから視線を逸らして彼は居た。寝不足なのか、目の下のクマが目につく。でもそれは私も同じなので指摘しなかった。
    「昨日はありがとう、それに変なことを言ってごめんよ」
     そして立ち上がると気まずそうにこちらに一歩踏み出し、変わらず伏し目がちな視線が叱られたガルクと重なって、ふ、とお面の下で笑みが漏れた。
     こんな教官は見たことない。そのことが新鮮で嬉しい。
    「ううん。今朝も来てくれてありがとうございます。お腹すきましたね」
     そして気にしてないふうを装って返すと彼はぱあっと笑顔になる。するとないはずの尻尾が後ろに見えた。
    「ウツシさんって、ガルクみたい」
    「え? どういう意味?」
    「ひみつです」
    「教えてよ、気になる!」
     そしてまた今朝も彼を部屋に迎えて二人きりの朝食が始まった。

     今朝もカジカさんから買い取ったお魚は食卓に上がった。茶屋の厨房を借りて簡単に焼いたものだけど、素材がいいから塩だけでじゅうぶんおいしいとオテマエさんも太鼓判をもらっている。
    「キミの焼き加減は絶妙だな、あと塩の塩梅も!」
    「ありがとうございます。オテマエさんの教え方がいいのかも」
     シンプルに焼いただけのものに感動して褒めて喜んでくれる教官がまた一口、魚を口に含む。焼き目のパリッという音が響いて私もつられるようにお魚を口に含んだ。うん、やっぱりカジカさんのお魚はいつ食べてもおいしい。
     それに好きな人ととる食事は余計においしく感じる。
     そう、つかの間の幸せとおいしいお魚を噛み締めていたときだった。
    「キミは本当においしそうに食べるね。お面をしてても食事中は口元がいつもにこにこしてて」
    「え?」
    「あ、いや、ずっと見てるわけじゃないんだけど…! たまたま、そう! たまたま見るといつも笑ってて…! ずっとなんて…」
     段々と小さくなる声は最後はもごもごと口ごもって聞き取れない。でもお面をずり上げた狭い視界から垣間見える教官の手が慌てたように動いていたから嘘の下手な人だと思う。それと同時に今度は私のほうが教官の視線を意識して手が止まってしまった。
    「…でもそういうところが、…可愛いな、って思う」
    「か、…可愛い?」
     そして小さくつぶやかれた言葉をハッキリと聞き取った私は一旦、上擦った声を隠すようにお面を顔に戻して耐えることにする。
     可愛いなんて初めて言われた。あの教官に。素敵だ、とか、かっこいいと言われることはあっても可愛いなんて…初めて。まるで女の子を褒めるみたいな言葉はくすぐったくて嬉しいの半分、混乱半分で黙ったままの私が思わず教官のほうを見ると、彼は彼で口布を上げて私の視線から口元を隠した。
    「それは本当だよ」
     おまけにダメ押しでそんなことを言われたら…。
     
     続
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