Nameless 4途中からベッドに移っておいて良かった。
体をぐったりとさせて微睡む青宗を見て、流石に自分も疲れたしリビングからここまで眠る青宗を運ぶのは無理だったろう。
長い睫毛が何度も落ちそうになっているが、どうにか寝ないように踏んばっている様子が可愛いらしい。
「眠いなら寝て良いよ」
「ん…でも、ココと話したい、から」
目元を擦ってから情事の気怠さが残る体をこちらに向けて、自分の肩を撫でていた九井の手を握った。
以前は長かった髪はすっかり短く刈り込まれていて、本人はそれを男らしくなったと思っているようだが九井からすると雛鳥みたいで可愛いかった。
それを言うと拗ねるのも解っているから勿論言った事は無い。
「なあ、何で髪切ったんだ?」
「…今更だな」
もうこの髪型になってから大分経っているのに何故今更それを聞いてくるのかと思ったが、九井からしたら今それが気になったのだろうと自分なりに解釈してそうだな、と口を開いた。
「髪長いと変な奴ばっか寄ってきて鬱陶しかったから」
「ああ、イヌピー髪長い時儚げな美人って感じだったもんな」
「…それは良くわかんねぇけど、髪切ったらそういうの減ったし後風呂も楽だから」
イヌピーらしいな、と笑って今はスッキリとした項を指先で撫でられる。
擽ったくて肩を竦めるとうーん、と困ったような顔をされたから何だと視線で問うた。
「イヌピー結構ここ弱いから、出来ればあんまり出してて欲しく無いな、と思って」
「…擽ったいだけだ」
「嘘つけ。ここ舐めたり甘噛みしながら突くとすげぇ中締まったからな」
先程の行為での事を恥ずかしげも無く口にされてこちらの方が羞恥心を煽られてしまった。
実際の所、今日までそこが弱いなんて自分でも気付かなかったのだ。
「なんか、今日だけでココに体作り変えられたみたいだ」
冗談のつもりでそう言ってみたが、そうなって欲しいと呟く程度の声音で言われてその真意を探ろうと顔を寄せるといつもの涼し気な目元がほんのりと赤くなっている気がした。
「他の男との癖なんて全部俺で上書きしてやりてぇ、って思っちまった」
「案外嫉妬深いんだな」
「イヌピーにだけだよ。他の奴にこんな事一度も思わなかった」
本音だったら、とても嬉しい。けれどそれを信じて良いのかは解らない。
結局心の奥底での真意なんて自分以外誰にも解らない。
それは青宗にも九井にも同じ事だ。
「マジで、ココとヤれると思わなかったから、なんか変な感じがする。夢見てるみたいだ」
「言った通りだろ、イヌピーで勃つってさ。それにこんな気持ち良くて疲れる夢は無いだろ」
「ココも気持ち良かったか」
「見りゃ解んだろ。出すもん出し過ぎて枯れそうだ」
一度でも驚いていたのに、その後何回もやる気になってくれたのが凄い事だよな、と思った。
九井は女が性的嗜好のはずなのに、どう見ても男の体である自分にあんな事になるなんて。
「…なあ、俺とココってどういう関係?」
再びその質問をしてみれば、九井は笑ってから露出していた青宗の肩の上まで布団を掛けてくれる。
それから頭や耳や頬を優しい手つきで撫でて火傷痕にそっと触れた。
「イヌピーのなりたい関係になれるって言っただろ」
なりたい関係、と言われても九井との関係にこれ以上の変化があるなんて考えた事も無かった。
もし変わるのだとしたら、それは別れの時ぐらいなのではと思っていた。
自分の存在を九井から必要ないと言わるまではせめて一番近くに居られる今のままで居たいと願っていた。
それを望むままになれるなんて言われても何を言ったらいいのか解らない。
「俺は、ココがどうしたいのか知りたい」
火傷痕の上に置かれていた手に自分の手を重ねて、それから真っ直ぐに見つめ返しそう問うた。
自分はいつも与えられてばかりで、守られて、そしてどんな時も望むようにしてくれた彼の望みを聞きたかった。
「言ったじゃん、俺はお前に惚れてるって。でもだからって、イヌピーが望まないなら関係が変わらなくたって良いと思ってる。」
変わらなくてもいつだって俺とお前だけだろ、そう言った九井の言葉の意味を考える。
確かにもうずっとそうだった。恋だの愛だのを差し込まなくても二人の世界に居るのは互いの存在だけだった。
九井一と乾青宗の間に誰かなんて存在しないし、誰の事も信じ無かった。
信じられるのは互いの事だけだった。
でもそれは、間に乾赤音という永遠に時を止めてしまった少女が居るからなのでは無いか。
本当の意味では二人だけの世界なんて、何処にも存在してないのでは無いか。
「赤音の事を忘れてくれって言ってもそれは出来ねぇだろ」
「…そうだな、それだけは無理だ」
「俺はそれでも良い。けど、ココがずっとそれに捕らわれたままで居るのは嫌だ。俺だけを見て欲しいとかそういう事じゃ無くて…お前は赤音の思い出を通さずに俺を見て居られるのかって…悪い、何が言いたいかわかんねぇ」
手を放して目蓋を伏せた。
赤音という姉が居た。良い弟とは言えなかったが、それでも自分は姉として彼女が好きだったし大切な家族だった。
だからその姉の事を今でも思ってくれる幼馴染の事も好きで、とても有難かった。
けれどその感情とは別のものを自分は彼に対してずっと抱き続けている。
乾赤音の弟としてではなく、乾青宗として自分を見てくれる瞬間があるのだろうか。
本当に自分と彼の言う気持ちは同じ感情なのだろうか。
そういう事を考え出すと不安で仕方なくて、好きだと言われても何処かで信じられるずに居る。
「イヌピーが一番長いんだよ、俺の側に居るの。」
「ああ…そうだろうな」
「赤音さんを好きになった時間よりずっと長い。その間にどれだけお前の事を見てきたと思う?良い所も、それ以上に駄目な所も情けない所もたくさん見てきた。それはお前も同じだけどさ」
なにが言いたいのだろう。解らないけど、頭の良い九井は無意味な話なんてしない。
だから多分きっと何かを伝えたいのだろうと、向き直る。
「赤音さんは俺の中でずっと時を止めて綺麗なままだけど、お前は一緒に生きてる。離れたくても離れらんねぇくらい執着してるし、依存もしてる。俺以上にお前を知る奴なんて居ないしそうでなきゃ嫌だと思ってる」
そういう気持ちは同じだから理解出来る。
自分だって他の人間に九井の事を知った風に話されるのは不快だし、自分の知らない彼の話をされるのはもっと嫌だ。
執着だとか独占欲だとか多分それに近い感情なのだろうと思う。
「でもそんな事より、イヌピーが他の男に触られてんのとか抱かれてんだって思う方がずっと頭に来るし相手の男をぶっ殺したくなる。お前が俺以外を愛してるなんて言ったらお前と無理心中するつもりだ」
声音は穏やかな割に内容が物騒過ぎて一瞬何を言っているんだと思ったが、言われた言葉一つ一つを思い返してやっと気付く。
もしかしてそれはとても情熱的な愛の告白という事なのでは無いかと。
「俺だって、お前が女を抱く度に嫉妬してる。どうせ替えの利く程度の情しか貰えねぇ癖に、ただ女をってだけで俺よりココの側に居て可愛いがられんだ、ふざけんなっていつもいつも思ってる。」
「そんな事言われたらお前の事もっと好きになる」
「なれよ、俺が一番好きだって言え。赤音の居場所はそこでも良い。でも生きてる人間では俺が一番だって、そう誓え」
九井の胸の辺りを拳で叩くようにして脅迫めいた事はで迫っているというのに、それでも九井はほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑う。
「おっかねぇな、でも今まで聞いた口説き文句で一番キタわ」
茶化すみたいに言ったあとそれから、乾青宗が生きてる人間では一番だよ、と望む通りの言葉をくれる。
それが嘘か本当かなんて本音は解らなくても良い。
それを自分が信じると決めたのだから。
「浮気されたくなきゃちゃんと俺の事も構えよ、色男」
九井は女にモテる。見た目も良ければ口も上手い。
会社経営者で金も持ってるとくれば女は寄ってくる。
仕事上どうしても女と寝る日があるのも仕方ない。
それでも自分の事を一番だと嘘でも何でも言ってそれからこの出来損ないの体を愛してくれるのなら、その口で愛を囁いてくれるのならそれを信じて待っていられる。
「もう、イヌピーここに暮らせよ。お前が居るところに俺は帰るからさ」
「そうだな、ココが帰って来る日はうんといやらしくして待ってようかな。お前が抱いた女の事なんて忘れるように」
それなら毎日帰る、と笑ってから額に口づけられた。
腕が背中に回されて擦るようにされると、そう言えば今日は色んな事があり過ぎてとても疲れたし眠たかったのだと体が思い出す。
隣の幼馴染の顔にも疲れと眠気がじんわりと滲み出てきて目が重たくなって来てるのが解る。
「ココ、俺達の関係に名前なんて無くても良いか」
「…うん、俺とイヌピー。それさえ揃ってれば名前なんてどうでも良いよ」
幼馴染で友人で仕事のパートナーでそれから…
名前なんて無くても二人だけが知っていればそれだけで良い。
離れないように指を絡め合いそして目蓋を閉じる。
目が覚めた時に何も変わっていなくても、世界で一番愛おしい男の顔が見えるようにと、寄り添い合いながら眠りについた。
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