フォクシー・パニック『ごきげんよう、渋谷の民よ』
突然の大音量。フレットは思わず耳に手を当てる。そろそろ聴き慣れてきたとはいえ、寝起き一発目に金髪ホストの顔面ドアップは結構キツい。暇なのだろうか。
『ハロウィンを楽しんでいるか?今日は街もずいぶんとネツを帯びているね……』
「ハロウィン、かぁ」
シイバの言うとおり、まだ昼間だというのにスクランブル交差点は人の群れでごった返していた。蝙蝠の羽根をリュックに付けた人、猫耳のカチューシャを付けた人、ゴスロリで全身を固めた人……コスプレを楽しむ様々な、人。事情が事情でなければ自分もあの中に交じってはしゃいでいただろう—-親友を誘って。
「騒がしーね」
『実は先日、渋谷にかつて居たという面白いノイズの話を聞いてね……俺の部下が復活させてくれたよ。それで今日は特別なゲームを用意した。楽しんでもらえるといいのだが……』
フッ、と笑みを漏らし、ではごきげんよう、とお定まりの挨拶を投げかけた。それきり、いつも熱っぽいらしいゲームマスターの姿は消え、代わりにQFRONTの液晶は単調な化粧品の広告に移り変わった。新作の乳液は冬の乾燥から敏感肌を守ってくれるらしい。俺も守られたいわ、と内心で毒づく。
「特別なゲーム?って何よ?」
なあリンドウ?と話しかけようとして気づいた。……いない。周りを見回してもどこにもいない。リンドーウ?と大声で呼びかけても返事はない。いつもなら隣で起き出して、低血圧の顔でスマホを弄っているところなのに。
ミナミモトがいないのはいつものこととして、ナギの姿もそこにはなかった。
「……俺一人?」
ずっと独り言を言っていたことになるのが少し気恥ずかしい。気軽に話しかけられる相手が隣にいないことに強い違和感を覚える。喩えるなら、スマホを家に置き忘れてきたような。そのスマホが不意にブ、と震え出した。RNSにミッションの通知が届いていた。
『真の友の姿を見極め 力を合わせて標的を打ち倒せ』
フレットは首を傾げる。『真の友』と言われて思い浮かぶのは、強い癖毛とスマホ依存症を持つツイスターズの暫定リーダー —- 奏竜胆である。しかし「姿を見極める」とはどのような意味だろうか。彼を探しに行けということだろうか?連絡を取ろうとメッセージ画面を開こうとしたが、アプリが立ち上がった直後に画面はメニューに戻ってしまった。何度繰り返しても、同じ。
諦めて、すぐ逃げられる程度の薄さで意識を集中させ、周囲の空気を探った。『面白いノイズ』 — 嫌な予感はするが、それだけに先に情報収集をしておきたい。キィン、と軽い耳鳴りがして、周囲の空間に不調和の影が現れては揺らぐ。が、その正体は普段見かけるノイズばかり。特におかしな敵がいる様子はなかった。それだけ確かめて、すぐに意識を散らし接触を避ける。ミッションの内容が掴めず首を傾げたところで、耳なじんだ声が彼に届いた。
「……フレット」
「おぅわ!」
呼びかける吐息が耳に触れそうなほどの至近距離。思わず飛び退る。
「リンドウ!?」
行き交う人々の波の中、黒いスマートフォンを片手に持った少年が微動だにせず突っ立っていた。ぼんやりとしているようでどこか不機嫌そうな表情もいつも通りだ。早くも探し人が見つかった形となり、フレットはおぉ、と抱きつかんばかりに再び距離を詰める。
「リンドーウ!どこ行ってたかと思ったじゃん!?てかさっきまでいなかった?」
「おまえもどこ行ってたんだよ、探した」
「今日のミッション見た?ワケ分からん、ナゾナゾかね?」
「ミナミモトさんとナギさん探せってことだろ」
行くぞ、とそのままセンター街方面に歩き出そうとする彼の裾を慌てて掴む。
「ちょっと!?リンドウさーん!?話が早くね!?」
「?とっとと動いたほうがいいだろ?」
「いや、そりゃそうだけども……」
不思議そうに自分を見つめてくる姿に、僅かだが拭えない違和感を覚えた。彼の言う通り、ミッションの方向が見えているならなるべく早く動いてしまった方が得策だ。もたついていれば他のチームに標的を奪われてしまう。しかし安直と言えばあまりに安直。普段の彼ならもう少し考えてから動きたがるような気もする。
「早く二人に会わないとバトルも不利だろ」
「まぁ、そりゃそうだし……異論ないけどさ」
「行こう」
幾つもの疑問符を頭上に頂きながらも、改めてセンター街へと先導しようとする友人に素直に従うことにした。
センター街でもすれ違うのはコスプレ集団ばかりだった。
狼男の着ぐるみや魔女のセットで全身を固めている者は分かりやすい。だがラフに白衣を羽織っただけの者、作業着のような青いツナギを纏った者、時代を間違えたかのような袴に高下駄の者などもはや被服であれば何でもありのパレード状態。
「リンドウ、俺らもコスプレとかしてみない?」
手持ち無沙汰に任せて横を歩く友人に絡みかける。
「持ってなくね」
「買えばいいじゃん。ってかコニコニの服とか着れば、もうそれでコスプレ」
「こにこに?」
「コニーコニー」
リンドウは戸惑ったように首を傾げた。昨日ワンピ買ったよね?と指摘してやっても腑に落ちないような顔をしている。
「ほら、うさぎのブランド」
「……ラパンアンジェリーク?」
「いつの時代よ……リンドウ、なんか変なもんでも食った?」
先ほどからどうも様子がおかしい。流石に心配になって友人の顔を覗き込もうとすると、腰のあたりにふわりと触れるものがあった。そっと足元を窺い、そのまま衝撃に目を見開く。
「リンドウ、それ…」
驚きに上擦った声でフレットが指摘する。目線の先にはふさふさと揺れる尻尾があった。リンドウの腰からゆらりと揺れている、獣のような大きな尻尾。それを指差されたのを見て、気のせいでなければ彼は小さく舌打ちをした。そしてどこか面倒そうに答える。
「……あぁ、これ」
ぐるん、と急に身体ごと向きを変える。正面から向き合う形となったフレットは思わず目をそらしかけたが、咎めるように頬に手が添えられて逃げ道を塞がれた。
「り、リンちゃん!?」
「……ハロウィンだよ。フレット、トリックオアトリート」
「え、えぇ」
「持ってないのか?」
ニヤリ、と口の端を歪めている。次の仕手をゆっくりと考えているような表情はリンドウに似つかない。キャンディかガムでも残っていないかとポケットを探っていた矢先、突然身体の下の方を軽く打たれたような衝撃が走り、力が抜けた。足払いをかけられた、と認識した頃には背中に手が回され、痛くない程度に地面に寝かされる形になっていた。物理的に触れないとはいえ、地面直はちょっと汚い。決していい気はしない。
「イタズラしてやろうかな」
言葉を切るような普段の話し方とは違う、尾を引くような声で呼びかけながら膝立ちで覆いかぶさってくる。立ち上がろうとついた手の上から柔らかく掌を重ねられ、地面に縫い付けられた。半目気味に笑いかける口元から赤い舌を覗かせるその姿に”色気”というワードが脳内を巡り、フレットはゴクリと唾を飲んだ。友人の真意が掴めず、声に震えが混じっていく。
「ちょっリンドウ!ここセンター街!みんな見てる!」
「見えてない」
「他のチームとかいる!」
「混んでるから見えない」
そうかもしれないけど。いやそうだとして何。頭の中にぐるぐると思考が回る。
「なになに……何する気、リンドウ……?」
「何だと思う」
耳に顔が寄せられ、ふ、と息が吹きかけられた。擽ったいような刺激が神経を伝わり、全身がゾワゾワする。そして…ふわりと甘い香りがした。チョコレートのような、シロップのような。そこら中で配られているお菓子の香りだろうか。
目の前に迫る相手に香水の類はあまり似合わない。その彼が、顎にかけた黒いマスクの上から薄く笑っている。細められた目。薄いカラメル色の瞳にじっと見つめられている。やけに鋭い犬歯がギラリと光る。
「喰ってやろうか」
「フレット、動くな!」
「!?」
自分を抑えつけている相手と全く同じ声が、しかし張り詰めた鋭さで響き渡った。身を竦めた次の瞬間、目の前の空間に斬撃の気配が走り友人の顔が苦痛に歪む。
「グァァッ!!」
「り、リンドウ!?」
背中を斬り付けられたのか、獣のような呻き声がその口から漏れた。次の瞬間、白黒の砂嵐のようなものが身体中からゆらりと吹き出した。モザイク状のモノクロの中で友人の顔が揺らぎ、瞬きをした次の瞬間には突き出た鼻と大きな耳を持つ獣の頭部に変わっていた。
—-狐。
「う、うわ!ノイズ!」
3本の尻尾を持つ白い狐が、今や小さく縮んだ体で自分の胸の上でうつ伏せになっていた。背中に傷が残っている。慌ててその顔面に『アイラブランチャ』のショットをたたき込む。コォン、と切なげな声を上げて狐の全身から勢いよく砂嵐が吹き上げた。治まる頃にはノイズは影も形もなく消え去っていた。
「……ん」
へたり込んだままのフレットに右手が差し出される。ありがと、と短く礼を言ってその手をとり、ぎこちなく立ち上がった。まだ若干腰が抜けてしまっている。
「……狐のノイズが化けてたんだ」
「あ、見極めるってそーゆーこと」
趣味わる、と呟いて顔を引きつらせた。チームメイトの姿を真似て誘いかける妖狐が「面白い」とは、相変わらずセンス最悪な野郎である。
「襲うならノイズらしく普通に襲えばいいのにな」
「仲違いでも狙ってんのかね?性格悪いわマジ……」
「で、フレットは『見極め』られなかった?」
やけに決断が早く強引なリンドウモドキの記憶が脳裏に蘇る。見抜けなかったのは自身でも申し訳なく思う。しかし、友人としても恋人としても優柔不断でリードしきれない彼の姿を見てきたからこそ、普段と違う姿に何となく胸が高鳴ったのも事実だった。いつももう少し積極的になってくれればと思わなくもない —- 流石に押し倒して欲しいとまでは言わないが。
「いやーゴメン、ニセリンドウ結構カッコ良かったからさ……」
それを聞いたリンドウの声のトーンがあからさまに下がった。恨めしげな、じっとりとした目線でこちらを見ている。
「何だよ、浮気か」
「浮気じゃないって〜、俺一途だよホント」
普段見れない姿が見れて嬉しかっただけ……とは言わない。妬かれて嬉しいとも言えない。代わりにわかりやすく拗ねてむくれた頬をウリウリと突いた。黙り込んだリンドウを好き勝手にいじっているうち、ふと思い当たる。
「あれ、もしかしてリンドウもニセ俺とかニセナギセンとか見たカンジ?」
「いっぱいいたよ」
「マジ!?」
「いろんなコスプレしてた」
賑やかな雑踏に混じって自分が”いっぱい”いる光景を思い浮かべる。何ともゾッとしない。ゾンビやミイラやフランケンの仮装をして渋谷を歩いたら楽しそうではあるけれど。
「でも俺っぽいのに襲われてるフレットはおまえだけだった」
「あー、なるほどー……?」
同じ顔の相手にのし掛かられていた、その姿を見られていたことが恥ずかしい。そのお陰で助かったとは言え何だか気まずく、リンドウから目を逸らす。
「まぁちょっと怖かったし……うん、いつものリンドウがいーわ」
「それはどうも」
照れるでもなくボソリと呟かれる。いつものローリアクションを受け、物足りなさを感じていたフレットにふと悪巧みが浮かんだ。
「あ、そうだ」
カチャカチャと耳飾りを外しては付ける。何をしているのか、と訝しげに傍観するリンドウを横目にアレンジを繰り返し、よしっ、と堂々と顔をあげた。その両耳からは普段つけているクロスが消え、同じ位置にボールタイプのものが差し込まれている。
「リンドウのコスプレ……えっと、トリックオアトリート?」
「なんだよそれ」
「地味ハロウィン?」
最近SNSで流行っていた投稿を思い出し、その場でアレンジした。分かる人にしか分からないコスプレ。この場で分かるのはお互いのみだ。
「お菓子ある?」
「ないけど」
「イタズラしていい?」
リンドウは呆れたような表情でしばらく友人の顔を見つめ、諦めたようにため息をついた。
「やるなら早くしろよ」
はーい、と返事をして、そのまま無防備なリンドウの頬に軽く口づけをした。え、と素っ頓狂な声をこぼして一瞬固まった後、困ったように触れられた頬に手を添えた。
「へへ、キスしちゃった」
「……イタズラでやるなよ」
「お、じゃあ本気ならいい?」
「そういうことじゃ……」
揚げ足をとられた格好になったリンドウはますます気まずそうに目を逸らした。フレットの笑みがますます深くなる。
「……あ」
リンドウがコートのポケットを探る。すぐに付け替えられるようにいくつものアクセサリーを突っ込まれ、膨らんだ
ポケットの中から、”ガラガラ”のブレスレットをしゃらりと取り出して片腕に付けた。そのまま、リストバンドを巻いたフレットの右手首を掴む。
「おまえのコスプレ!トリックオアトリート!」
「はーい、ないですよー」
こじつけレベルでも悪ふざけに付き合ってくれるのが嬉しく、大人しく受け入れることにした。
「目つぶってて」
「はーい?」
閉じられた視界の中で、何してくれんの?と期待に胸をワクワクさせていた。……と、3秒後、柔らかな感触を期待していた額にバチンと強く硬い衝撃が与えられた。予想外の痛みで反射的に目を開くと、中指を突き出したような形の手が目の前にあった。所謂でこピン。
「いぃった!何すんのー!」
「はは、フレットめっちゃキス待ち顔だった」
愉快そうに吹き出した友人に、フレットは額を抑えたままキャンキャンと不満を漏らす。
「そりゃ期待したじゃん!」
「そういうのは帰った後でいいだろ?」
「え」
ぶっきらぼうに投げかけられた言葉を、フレットは一瞬吟味する。その示唆するところに思い至り、内心からこそばゆい期待が込み上げてきた。自然と頬が緩む、声が跳ね上がる。衝き動かされるように右手を握り、突き上げる。
「っしゃ!さっさとゲーム終わらして!RGに帰ろ!」
「あは……ゲンキンな奴」
「ナギセーン!ミナミモトさーん!どこっすかー!!」
今にもスキップし出しそうにはしゃぐ彼の視界の端で、リンドウは困ったような、はにかむような微笑みを浮かべていた。
「ところでリンドウもなんかされたん?」
「3人分のおまえに襲われた」
「……えっマジ?」