オレだけのはしゃいだように声を上げて歩く子供たち。
寄り添いながら歩くカップル。
急いだように足早に去っていく主婦。
都内最大のショッピングモールにはそんな人々が行き交い、賑やかな喧騒で包まれていて、誰もかれもそのほとんどが楽しそうで幸せそうな、そんな顔をしている。しかしオレの目の前でベンチに座り込んでいる男はそれとは真逆の顔をしていた。
「オイオイ、もう疲れてんのかよ。体力なさすぎだろ」
「うるさいマヌケ……私はそもそも人混みが嫌いだし、そんな私が三時間も耐えてやったんだ、あなたも少しは私を気遣ったらどうだマヌケ」
オレの軽口に倍以上の言葉で返した村雨だが、その声に棘はあっても覇気がない。顔色が悪いのはいつもの事だし、口が悪いのだっていつも通り。しかしいつもよりずっと感情が読みやすくなっていて、相当疲れてるのが透けて見える。
「気遣ってるから休憩してやったろ。つか、この買い物だって、元はと言えばお前が枕が硬いやらコーヒーは特定のメーカーしか飲まねぇとか口ウルセェから買いに来たんだろ」
大きなため息をついている村雨の隣に座って頭をわしゃわしゃと撫でる。いつもならすぐ「止めろ」と頭を振るか手を払うのに、今日は
「わざわざ買いに来なくとも通販でよかっただろう」
とだけ言ってされるがままに座っている。
「コーヒーはいいけど、枕とかそういうのは直接見て選んだ方がいいんだよ。買ったはいいけど気にいらねぇなんてことになったら返品して再注文してって手間増えんだろ。それに長く使うなら尚更……おい、聞いてんの、か……」
うんともすんとも言わず反応がない村雨に無視されていると思って顔を向けると、その瞬間肩にずしりとした軽い重みと、微かに鼻に衝く消毒液のような香り。
「む、らさめ?」
返事はない。代わりに小さく寝息が聞こえて来て、周りはガチャガチャと煩いくらいなのに、今のオレには届くのは微かな吐息だけ。何度か小さく声をかけても起きる気配はなく、珍しい姿に思わず目が奪われる。
少なくとも、俺が知っている村雨礼二という男は、こんな衆人環視の中で寝こけるような男ではない。周りに対するアンテナが鋭すぎる男だから、こんな場所で意識を手放すなんてできないはずだ。
……オレが、隣にいるから、とか。
村雨が聞いていたらきっと一蹴するような考えが頭に浮かんで、けれど僅かな期待に頬がじんわりと熱を持つ。
だって、オレの肩に頭を乗せている。
何でも見通す目を閉じて、薄い唇を僅かに開いて寝こけている。
それほどまでに無防備な姿を、オレの隣で、オレに身を預けて見せる。
そこまで考えて、何だか恥ずかしくなって、緩む口元を隠すように手で覆う。釘付けになっていた目線を外すと、少し離れたところから驚いたようにこちらを見つめる女と目が合った。
やべ、ニヤけていたのを見られた。それよりも、こんな無防備に寝ている村雨を、この場にいる他の誰もが見れるということに今更ながらに気付いた。
ふざけんな、オレだって滅多に見られねぇんだぞ。
気の緩んだ村雨を他の奴に見られた逆ギレ半分、そんな村雨を見てニヤけた顔を見られた恥ずかしさ半分で少し焦りつつ起こそうと声をかけた。
「おい村雨、――お、きろ、よ」
しかし、肩に乗った寝顔が思いのほか穏やかで、今度は起こすのが勿体なくなる。躊躇して、中途半端な声掛けになってしまったのだ。
人混みは好きじゃないという言葉は本当だろう。人混みの中元気に歩き回る村雨なんて想像もできないし、そんな村雨がいたら俺はきっと他人のフリでその場を去るだろう。普通に怖い。
そんな村雨は、最終的に疲れ果ててベンチに座り込んだとは言え、オレの買い物がひと段落するまでは何とか耐えて付き合ってくれた。まあ、この買い物自体村雨のためだから当然と言ってしまえばそこまでなのだが。
とにかく、そんな村雨が最後まで付き合ってくれたのがそれだけでいじらしくて堪らないし、だからこそ起こすのが勿体ないとすら感じる。だって、コイツがこんな無防備にしてんの珍しいんだぜ? まぁ、だからこそ他の奴らにだって見られたくねぇんだけど。
「……し、…み」
そうやってウダウダと悩んでいると、隣から鼻にかかったような声が聞こえて来てギョッとする。その声は、夜によく聞く声とそっくりで、まさかこんなところで、と慌てて口を塞ごうとした。その時だった。
「しし、がみ」
「っ……!」
ただ名前を呼ばれただけ。それだけで一気に体温が上がって、恐らく今のオレは人に見られないような……特に村雨には見られたくないような、そんな情けない顔をしてるのだろう。
ああ、仕方ねぇ。もう少し寝かせといてやるか。
半ばやけくそ気味にそう決めて、せめてもの抵抗にと村雨の顔をオレの首元に寄せて隠す。くすぐったいが、とりあえずこれでいいだろう。
後は早くオレの顔の熱が引けば……つかあの女、めちゃくちゃこっち見てんな。あっち行け。しかしオレの願いは叶うことなく、女は最後までこちらを見ていた。