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    下町小劇場・芳流

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    POIPOI 41

    大昔の俺屍小説。
    「疫神」の後日談。そちらからお読みください。
    地獄巡り最終決戦前夜。
    2003.8執筆。

    #俺の屍を越えてゆけ
    goBeyondMyCorpse.

    「鬼鏡」 疫神後日談ー父の遺品 今月、朱点童子を討ちに地獄へ行く。
     当主明梨(あかり)がそう宣言したのは、つい昨日のことだった。
     しかし、当の本人は慌てるでもなく、縁側に腰掛け、残り少ない余暇をゆったりと味わっていた。
     視界の隅では、普段は人気のないはずの蔵の周囲を子供達が右往左往している。大きく開かれた蔵の入り口には、年代物の木箱や櫃が取り出され、冬の日差しに晒されていた。その間を忙しく動き回っているのは、ひときわ目を引く深紅の髪。
    「・・・まめな奴。」
     明梨はぽつりと呟いた。
     本当は討伐仕度のために蔵を開けたのだろう。しかし、明梨が当主になってこの方、開いたこともない屋敷の隅の蔵は、想像以上に乱雑だった。
     何が入っているかもわからない数々の箱を掻き分けるよりも、まずはいったん片付けた方が早い。そう判断したのだろう。先ほどから洸介(こうすけ)に捕まった年少者たちは、揃って蔵の整理につき合わされていた。
     明梨は子供達から視線を外し、縁側から自分の部屋を振り返った。開け放たれた襖から除く当主の部屋には、蔵よろしく壁際にいくつもの櫃や物入れが積み上げられていた。邪魔なもの、普段使わないものはとりあえずその中に放り込み、安易に積み上げてきたことが窺える。
     さすがに彼らを見ていると、自分も部屋の片付けくらいしておこうかという気にもなる。
    「・・・身辺整理って奴かな。」
     明梨は苦笑しながら腰を上げた。


     部屋の最奥に横たえられていた木箱を引き寄せ、明梨は数ヶ月ぶりにその蓋を開けた。とたんに、埃の混じった古い鉄の匂いが鼻をついた。明梨はその中から鉄の塊を取り出した。
     それは、一本の古い大筒だった。火の神の恩恵を受けた、その名も『火神招来』と呼ばれる名砲である。
     だがどうしたことか、それは砲身も曲がり、引き金は馬鹿になっており、所々煤けて焦げついていた。もはや使い物にならないことは明らかだった。
     しかし、その壊れた大筒を、明梨は丁寧に埃を払い、こびりついた煤を少しずつ落としていった。
     じっと手元に注がれた彼女の眼差しにあるのは、言いようのない苦渋と、幾許かの懐かしさと、そしてほんの少しのいとおしみ。それは、その大筒そのものではなく、かつてこれを握っていた亡き人へと向けられたものであることは疑いもなかった。
     古びた大筒の埃と煤を落としながら、明梨はぽつりと呟いた。
    「陰干しくらいはしといてやるか・・・。次はいつ出せるかわかんないもんな。」
     そのときだった。
     廊下を駆け抜ける身軽な足音が響き渡った。明梨が顔を上げる間もなかった。許可した覚えもないのに部屋の襖が開け放たれ、いつもどおりの陽気な声が彼女を呼び、来客が何者であるかを告げていた。
     洸介は、幼さの残る面に喜色を浮かべながら、何故かその手に正絹の反物を抱えていた。
    「明梨様!蔵片してたらこんなの・・・。」
     だが、洸介の声はそこで止まった。明梨の手元に紅の瞳が注がれ、彼は軽く疑念の声を上げた。
    「あれ?俺、『火神招来』こんなとこ置いたっけ?」
     洸介の声を聞きながら、しかし明梨はばつの悪そうな視線をさ迷わせただけだった。突然現れた少年を見上げることもなく、彼女は何もない畳の上に目をやるしかなかった。
     明梨の手に握られているのは、確かに大筒『火神招来』。洸介の得物と同じ名の銃。
     だが、曲がった砲身。壊れた引き金。焦げ付き、煤けた銃身。
     彼の記憶と、目の前の光景が一瞬で繋がれ、それが何物であるかを物語った。
     洸介の手から反物が滑り落ち、畳の上で鈍い音を立てた。
     明るい夏の日差しのような紅の瞳が、一瞬で業火のそれへと変貌した。
    「なんでこんなのがあるんだよ!!」
     叫ぶとともに、洸介は明梨の手から大筒を奪い取った。乱暴に襖を開け放ち、大筒を庭に向かって振り上げた。
    「洸介!!」
     明梨は顔色を変えて、少年に飛びついた。
     他の女たちならばともかく、鍛えられた明梨とではまだ彼女の方が力は強い。明梨は力任せに洸介の両腕を押さえつけた。無理やりその手を下げさせ、大筒を握り合ったまま明梨は洸介と睨み合った。
    ―・・・!兄貴!?
     一瞬、明梨は息を飲んだ。彼女の目に映る洸介の瞳は、常の彼のものではなかった。そこに宿る色は、業火の紅。いま目の前にいるのは、この世にいないはずの彼の父ではないのか。
     しかし、明梨はその思いを振り切り、彼の名を呼んだ。
    「やめろ、洸介!」
    「何で止めんだよ、明梨様!こんなの、取っておくことないだろ!?」
    「父親に向かってその言い草はなんだ。兄貴の、もうこれしかないんだ。洸介が皆捨てちゃったんじゃないか!これひとつくらい取っておいて何が嫌なんだ!」
    「嫌に決まってるじゃないか!よりによってなんてもん取っておくんだよ!こいつで親父が何したか、明梨様、忘れたわけじゃないだろ!?」
     二人の記憶に、緋色に染まった思い出が甦った。
     忘れるはずがない。
     明梨にとっては兄であり、洸介にとっては父であった彼の銃口が一族に向けられたあの日のことを。そしてその餌食になり、彼岸へと連れ去られた大事な家族がいたことを。
     だが、拭い去れない記憶を抱えながらも明梨はやはり首を横に振った。
    「忘れるわけない・・・。でもな、洸介、兄貴はもう死んだんだ。いつまでも死んだ人のことを悪く言うのは止せ。」
    「死んだくらいで許せるっていうのかよ!そんなことできるはずないだろ。
    俺は許さない。死んだって、親父のことなんか一生許さない。親父は、俺の、俺たちの目の前で波流(はる)の母さんを殺したんだ!」
    「洸介!」
     凛としたその呼び声に、洸介は一瞬身を震わせた。
    「なんだって兄貴のことになるとそこまで言うんだ!お前、普段は他の奴に対しては誰にだっていい奴なのに。父親なんだぞ!?」
     洸介は唇を噛み締めた。何を言おうとも、自分とあの父が血という絶つことのできない鎖で繋がれていることは、否定しようもない。
     しかし、明梨にきつく窘められながらも、洸介は父の遺品を握るその手を緩めはしなかった。
     不意に、場違いに穏やかな声が響いた。洸介の背中で彼と同じ花の色の髪が揺れ、透き通る音色が二人を呼んだ。
    「洸(こう)ちゃん?明梨様?どうしたの?」
     反射的に洸介は振り返った。見慣れた金の目が彼に向けられており、洸介の紅蓮に染まった瞳とぶつかった。一瞬、駆け寄ろうとした波流(はる)の足が、見えない何かに阻まれ止まった。
    「洸(こう)ちゃん・・・?」
     おびえたような、かすかに震えた声が彼女の喉から漏れた。波流の目元が、わずかに揺らいだ。
     洸介ははっとして、彼女から顔を背けた。
    「・・・くそっ!」
     そのまま洸介は一目散に廊下を駆け抜けた。二人に背を向けたまま、振り返らずに姿を消した。
     波流はその背に向かって呼びかけた。
    「あ、待って、洸ちゃん!」
     洸介の腕から解放された大筒を抱え、明梨は畳の上に座り込んだ。思った以上に力がこもっていたようだ。気が抜けたとたんに、脱力してしまっていた。
     彼の後を追おうとしていた波流は、座り込んだ明梨の隣りに膝を揃えた。
    「明梨様、大丈夫?」
    「あー、大丈夫。洸介の馬鹿力め。大筒士であの腕力はなんなんだ。」
    「洸ちゃんがあんなに怒るなんて・・・。何があったんですか?」
    「ん・・・ちょっとな・・・。」
     明梨は波流の問いには直接答えず、代わりにすまなそうな眼差しを彼女に向けた。
    「ごめんな、波流。嫌なもん見せちゃって。波流も・・・嫌だろ?」
     そう語る明梨の手の中にある大筒に波流は目を止めた。その姿は、彼女にとっても忘れがたい思い出の中に眠るものだった。
    「これ・・・洸ちゃんのお父さんの・・・。」
     明梨は無言で、波流とともに抱え込んだ大筒に視線を落とした。互いに継ぐべき言葉もないまま、ただ同じものを瞳に映し、同じ時に思いを馳せていた。
     やがて、波流はぽつりと呟いた。
    「本当は・・・あんまり覚えてないんです、あの時のこと・・・。」
    「波流。」
    「怖かったことと、すごく悲しかったことと、それしか解らなくて・・・。泣いてばっかりいて・・・。ただ、洸ちゃんがずっと握ってくれていた手があったかかったことだけ、覚えてて・・・。洸ちゃん、私よりも小さかったのに。」
     懐かしさとも、悲しさとも、嬉しさとも取れる複雑な色が、波流の面に上っていた。
    「でも、洸ちゃんにとってはお父さんだったから。泣けた私よりもずっと辛かったんじゃないかなって・・・。」
    「そうだな・・・。」
     あの惨劇を目の当たりにするまで父を信じていた洸介にとって、彼の所業は明白な裏切りだった。
    「父親だから・・・。だから・・・許せないんだよな、きっと・・・。」
     明梨の呟きに答えず、波流は黙って立ち上がった。彼女は面に上がっていた複雑な色を押さえ込むと、いつもどおりの穏やかな笑みを浮かべた。
    「探してきますね、洸ちゃんのこと。たぶん、まだ近くにいると思うから。」
    「波流・・・アイツのこと、頼むな。」
    「はい。
     それから、明梨様。あれ、取っておいてくださいね。後で洸ちゃんがちゃんと言いに来ると思いますから。」
     波流は、明梨の部屋の隅に転がった正絹の反物を指差した。なかなか上物の絹だ。色もいい。だが、本来は綺麗に巻かれていたはずのそれは、畳の上で無造作に転がり大きく巻きを伸ばしていた。
     そういえば、最初に洸介がやってきたときにこれを持っていたような気がした。
     明梨は訝しげに尋ねた。
    「ずいぶんいいやつだな。あれ、なんなんだ?」
    「なんでしょう?」
     波流はただ微笑むだけだった。


     九条家の庭は広い。
     各部屋から臨める中庭から外れ、日の当たらない西側に出ると、そこには井戸が掘られていた。冬場は日差しも射さず、寒々とした水周りである。
     しかし、洸介はそんな寒さをものともせず、井戸につるべを落としていた。夜には氷も張る冷たい井戸水を汲み上げ、足元のたらいの中に落とす。水が跳ねるだけでも冷たいという如月の寒空の下、何を思ったのか、勢いよく洸介は冷水に顔を晒した。予想以上の冷たさに目元がぎゅっと引き締る。そのまま何度も顔を洗った。
     ようやく面を上げたときには、彼の緋色の前髪からは幾筋も水滴が伝っていた。
     洸介は大きく溜息をつくと、濡れた前髪をそのままに、井戸を背に座り込んだ。ひんやりと冷たい石の感触が背中越しに伝わってきた。
     彼は右手で閉じた目元を覆った。この下には、父と同じ、紅の瞳がある。
    「これじゃ・・・同じじゃないか・・・。」
     洸介は悔しげに呟いた。
     紅というには生易しい、業火の眼差し。それは父にだけあったもののはずだった。
    ―明梨様、俺の目、親父と同じ色なんだよね?
    ―うーん、まあ、兄貴も赤い目だったもんな。
    ―そっか・・・。
    ―でも兄貴はもっとずっと深い赤だったんだよな。洸介の方が明るい色してるよ。
    ―じゃあ、親父とは違う?
    ―いくら親子ったって全く同じになるはずないだろ。自分で思っているほど兄貴に似ているわけじゃないよ、洸介は。
     自分は父には似ていないと思っていた。一族すべてに牙を剥いた彼とは違う、と。
     しかし、一瞬だけ邂逅した視線の中で、波流は明らかな怯えの色を見せたのだ。あの時、彼女は洸介ではない誰かをそこに見たのだ。
    「親父だ・・・親父なんだよ・・・!」
     右手に覆われた彼の面が悲痛に歪んでいた。
    「洸ちゃん?いる?」
     遠くから、波流の声が少しずつ近づいてきた。しかし、いつもなら二つ返事で飛んでいく彼も、このときばかりは一言も返事をしなかった。
     やがて、井戸にもたれかかった洸介を波流が見つけたとき、彼は先ほどと同じ姿勢で座り込んだままだった。
     波流はいつもと同じ声色で、彼に声をかけた。先ほど見た一瞬の恐怖は姿を消していた。
    「こんなとこで、寒くない?」
    「寒くないと・・・頭、冷えないから・・・。」
    「うん。」
     波流は短く応えると、洸介の隣りに座り込んだ。同じように井戸を背にし、彼の面を覗くことなく頭を並べた。
     しばらく二人とも何も言葉を発しなかった。沈黙が二人を取り巻き、ただ互いの気配だけがそこにある。つかず離れず、微妙な距離感を保ちつつそこにある互いの存在は、ほんの少し心を落ち着けるものだった。
     ようやく、洸介は口を開いた。波流は黙って耳を傾けた。
    「波流・・・俺さあ・・・。」
    「うん。」
    「親父のこと、嫌いなんだ。大嫌いなんだ。あんなふうになりたくないって、ずっと思ってた・・・。」
     波流はただ、相槌を打った。是とも非とも言わず、洸介の言葉を受け止めていた。
    「でも、俺の親父なんだ。ああなりたくない、あんな生き方はしたくないってずっと思ってたのに・・・。
    どんどん、どんどん似てくるんだ!嫌だって思ってるのに、似てくる・・・。・・・親子なんだよ・・・。俺はあの親父の子供なんだ・・・!」
     悲鳴のような絶叫が、彼の唇から漏れた。これまで決して語らなかった言葉が口をついて出ていた。
     泣き出しそうな洸介の声に波流はただ耳を預けていた。悔しさと、苦しみだけが彼の言葉を彩っていた。
     ひとしきり感情の波が高まり、やがてそれが幾分静まったことを感じると、少女は少年に語りかけた。普段と同じ、日常の言葉だった。
    「ねえ、洸ちゃん。さっき、あの反物、明梨様にちゃんと渡してくれた?」
    「え?」
     前触れなく変わった話の筋に反応を鈍くしつつ、洸介は記憶をたどった。そういえば、持って行った覚えはあるが、明梨に渡した記憶はない。彼らが蔵を掃除していた中で見つけた、一級品の正絹だった。
    「あ・・・。悪い、放り出して来た・・・。」
    「うん、じゃあさ。今じゃなくていいから、後ででいいから、ちゃんと明梨様のところに行こう?あれ、洸ちゃんが明梨様に渡したかったんだよね?」
    「渡したかったっていうかさ・・・。うちじゃ明梨様が一番なんだし。」
    「綺麗な生地だったよね。誰が買っといたんだろうね。風子ちゃんも欲しいって言ってたのに、こういうのは明梨様に渡さないとダメだって言ったの洸ちゃんじゃない。明梨様のこと、好きなんだよね。」
     波流は隣りの洸介に目をやった。いつもどおり、彼女の面にあるのは、安らぐような穏やかな微笑だった。
    「私、洸ちゃんのそういうとこ好きだよ。」
    「な、なんだよいきなり!」
     面食らう洸介を尻目に波流は腰を上げた。さすがに、体が冷え切ってしまっていた。
    「寒いね。そろそろ部屋入ろう。風邪引いちゃうよ。」
     そう言って、波流は洸介の手を引いた。まださすがに釈然としない面持ちのまま、しかし洸介は彼女に促され立ち上がった。ほんの少しだが、その面に笑みが戻っていた。照れもあるのだろう。
     冬の寒空の下、洸介の髪はまだ水に濡れたままになっていた。彼の肌は寒風に晒されて冷え切ってしまっていた。
     それでも、波流に引かれたその手だけは、温かかった。

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