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    ゆりお

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    ゆりお

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    ワンライ。お題「カラオケ」

    ##東リ

    ココイヌ/東リ ファ、ソ、ラ、シ——指が動いて音を作る。もう何度も繰り返したから、すっかり暗記してしまった。甲高いソプラノリコーダーの音は良く響くから窓は閉め切っており、部屋は少し蒸し暑い。一は口を離すと湿った額を袖で拭った。ベッドの上では友人の青宗がすやすやと寝息を立てている。なんとなく腹が立って、耳元で思い切り大きな音を立ててやろうか——そんなことを考えていると、コンコン、とドアがノックされた。
    「はい」
     部屋の主が寝ているので、代わりに一が返事をする。ドアが開いて、青宗の姉である赤音が顔を出した。
    「一くん、来てたんだ」
    「うん。ごめん、うるさかった?」
     一は頬を赤らめて、慌てて手を後ろに回した。リコーダーの練習なんて、子供っぽくて恥ずかしかった。
    「ううん、全然」
     赤音は笑顔で答えると、そのまま部屋に入ってきた。彼女は気安い性格で、一たちよりも五つ年上だったが、こうやって自然に輪の中に入ってくる。
    「明日、音楽のテストなんだ。イヌピーの見てやるって話だったのに、起きないし」
    「まったく、青宗は」
     一は、赤音の前ではつい早口になってしまう。自覚はあったが直せなかった。彼女は気にした様子もなく、ベッドの上で寝こける弟を軽く睨んだ。けれどもすぐにまた人懐っこい笑みを浮かべて、床に置いてある本を手に取った。
    「これ、教科書?」
    「うん」
    「懐かしいなぁ。私もやったよ、この曲」
     すう、と息を吸う音が聞こえた。そして次の瞬間、彼女が歌い出したので一はひどく驚いた。特別上手くはないけれど、声は可愛らしく表情は楽しそうで、一は思わず聞き惚れてしまう。目が合うと、赤音の手が指揮者のようにリズムを取る。一瞬遅れて意図に気づき、一は慌ててリコーダーを口に含んだ。最初にひゅう、掠れた音が出たけれど、その後は綺麗に吹けた。赤音が嬉しそうに目を細めて、負けじと声量を上げた。
    「うるさいなぁ……」
     ベッドの上でもぞもぞと青宗が動いて目を覚ます。目の前で繰り広げられている突然の演奏会に、怪訝そうな顔でぼんやりとしていた。

           *

     青宗は約束の時間に15分遅れて現れた。
    「わりぃ、遅れた」
    「……おう」
     少しだけ息を切らせて部屋に入ってきた青宗に、九井は低い声で返事をした。既に薄汚れたソファに足を投げ出して座った彼は振り向きもしなかった。低いテーブルには烏龍茶が入ったグラスが一つだけ置かれていて、うっすらと汗をかいている。
     青宗は入り口に立ったまま、納得がいっていないとでもいうような、複雑そうな表情を見せた。
    「ココ。おまえ、カラオケなんか好きだったっけ」
    「べつに……」
     やはり低い声で呻くように答えて、一はあごをしゃくって「座れ」と示した。青宗は居心地悪く、彼と一人分の隙間を空けて座った。繁華街にあるカラオケ屋の部屋は狭く、空気が澱んでいて、不快な煙草の臭いが染み付いていた。
    「イヌピー、なんか歌えよ」
    「は?」
     突然言われ、青宗は顔を歪めた。
    「なんでだよ」
    「いいから」
     有無を言わさせずタッチパネル式のリモコンを押しつけられ、青宗は嫌だとはっきり告げた。てっきり、カラオケというのはただのカモフラージュで、何か別の目的があるのだと思い込んでいたのだ。けれどもカラオケの個室でマイクを拒否し続けている姿が馬鹿らしくなって、抵抗はさほど長くはなかった。
     青宗は、妙な律儀さで付属のタッチペンを使って予約を入れる。少し前に流行った誰でも知っている音楽が流れてきて、部屋の照明が切り替わった。ライトの色が、軽薄にぺらぺらと切り替わってゆくのが滑稽だった。
     一は、赤や緑に頬を照らされながら、ぎこちなく口を開く青宗をじっと見つめた。
     上手くも下手でもない、青宗の歌。歌の拙さに比べて、声は綺麗だ。けれども、声変わりの終わった男の声だった。
    「——へ?」
     突然音楽が止まり、青宗の間の抜けた声だけが大きく響いた。
    「なんだよ?」
     戸惑いながら、青宗は一を見た。リモコンを握りしめた彼は俯いていて、表情が見えない。
     青宗がもう一度声をかけようとし——その前に一が動いた。一人分の隙間をあっという間に詰めて、彼の手が青宗の首を掴む。一のてのひらに、青宗の尖った喉仏が刺ささる。瞬間、背筋が粟立ち、恐怖に一は立ち竦んだ。
     そのまま、縊られると思ったのだろう。青宗の身体は強張っていた。手からマイクが転がり落ちて床に当たり、ノイズとともに硬い音が二人の耳を刺した。
     目をまんまるに見開いて、こちらを見上げる青宗は、まるで小さな子供のようだった。そう認識した瞬間、一の世界から音が消え失せる。僅かに潤んだその瞳の中に映る自分の顔が見たくなくて、一は思わず、青宗にキスをした。
     青宗は、制止も抵抗もしなかった。ただ、驚きに動けなかっただけかもしれないが。一は脱力し、彼の胸の中に倒れ込んだ。徐々に音が戻ってくる。モニタから、くだらない笑い声が聞こえてくる。有象無象に溢れた現実を象徴しているかのようだった。
    「わけわかんねえ……」
     小さく吐き捨てた青宗の声だけはそのまま。一の耳にだけ吸い込まれていった。
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