ココイヌ/東リ 自室のドアがノックされる。
「一……?」
遠慮がちな声が聞こえる。母親に名前を呼ばれたのは久しぶりだった。
玄関には、特攻服を着たずぶ濡れの少年が立っていた。彼の背には、まだ強い雨が降り続けていた。
「イヌピー」
幼馴染の乾青宗だった。呼び慣れたあだ名で呼ぶと、暗い目がこちらを向く。消えることのなかった火傷跡の他にも、いくつか青黒い痣が見られた。
「とりあえず、入れよ」
促すと、青宗は犬のように従順にその通りにした。一は洗面所からバスタオルを取って彼に渡した。
何があったのかは、上手く聞けなかった。しばらく、彼とは会っていなかった。昔にはなかった気まずさを抱えたまま、共に一の部屋に入ると、ようやく青宗が口を開いた。
「……アルバムあるか?」
「は?」
一瞬、意味がわからず間の抜けた声が出る。青宗の瞳が、遠慮がちに揺れる。
「写真……。うちの、燃えちまったから……」
「あ、ああ」
一は頷き、慌てて本棚を漁った。確か小学校まで——あの事件があるまでは、こまめに整理していたはずだった。
ようやく探し出したそれは、ずいぶん埃を被っていた。あれから、わざわざ見返したりなどしなかったから。
青宗はそれを受け取ると、昔のように一のベッドに座り、最初から丁寧にめくり出した。家も近く、何をするにも一緒だったから、彼と共に映ったものは多かった。
「懐かしいな」
「うん……」
青宗は素直に頷いた。そこにいる自分たちはまだ無邪気で、幸せな日々が続いていくと信じて疑わない顔をしていた。
不意に、青宗の手が止まった。その理由はすぐにわかった。
その写真の中で——一は緊張した面持ちで頬を染め、青宗は仏頂面でそっぽを向いている。そして後ろから二人の肩を抱くように、一人の少女が弾けるような笑顔をレンズに向けていた。よく覚えている。修学旅行に持って行ったカメラのフィルムが余っていたから、青宗たちの母が撮ってくれたものだった。
青宗の瞳には、うっすらと涙の膜が張っている。堪らなくなって、一は思わず強引にアルバムを閉じた。
「……いつでも見にこいよ、これくらい」
「ああ」
一は、壁にかかった時計を見た。もう既に、日付が変わろうとする時刻だった。
「泊まってくだろ」
「いい、帰る」
立ち上がった彼の服を掴んで押しとどめる。青宗は遠慮がちに振り向いた。
「オレみたいなのがいても、迷惑だろ」
「いいから」
一は語気を強めて言った。今夜だけは譲りたくなかった。
小さい頃、お互いの家を行き来してお泊まり会をしたように。同じベッドで肩を寄せて眠った。もう今はない青宗の家で眠る時、隣の部屋に彼の姉がいることに緊張して、よく眠れなかったことを思い出した。
一は布団の中で手を伸ばし、そっと青宗の手を握った。彼が起きていたのか眠っていたのかはわからなかったが、微かな力で握り返された。
目を覚ますと、青宗の姿はなかった。
彼が少年院に入ったと聞いたのは、それからすぐのことだった。