社畜反社とイヌピーぬい 別れた幼馴染がアイドルになっていた。そりゃあ、顔はいいと思っていた。だけど愛想も悪くて愛嬌もなくて、芸能界に微塵も興味がなかった幼馴染が、まさかアイドルになるなんて。はじめて画面で見たときは椅子から転げ落ちたほどだった。あの時ほどひとり暮らしをしていてよかったと思った日はない。
一方のオレは反社の社畜だった。朝から晩まで働いて、金を稼ぐ。趣味はない。金は有り余っているが、服と飯に使うくらいがせいぜいだ。反社なので稀に抗争があるが、そういうことはそういう面子で片付けてくれるので、オレの生活は扱っている金額こそでかいが、社畜サラリーマンと同じようなものだ。
イヌピーがアイドルになったことはある時期から知っていたが、あえて見ていなかった。別れた手前、意地になっていたのかもしれない。
ある日、珍しくオフになったオレはぼんやりとテレビをつけた。そこにはイヌピーがいた。きらきらとした衣装をまとっている。笑顔はなかったが、クールキャラということで通しているらしい。
「マジかよ……イヌピー」
気がついたらオレはイヌピーが出たコンサートを八時間ぶっ通しで見ていた。並外れた集中力があることを、自分でうっかり忘れていた。
イヌピーのデビューは十八歳。アイドルとしては遅いくらいだ。しかも基礎がないものだから、歌は下手だし、ダンスはできないし、演技力もない、アドリブもできない。ないないずくしのイヌピーだが、それでもがんばっていた。
アイドルグループの一員であるが、イヌピーはほとんどバックダンサーみたいなものだった。それでもイヌピーは健気にがんばっている。たまにアップでぬかれるときがあって、そんなときははにかんだ笑顔を見せる。
「ああああ、クソ! こうなるのわかってたから見なかったんだよ!」
オレはネットで見かけたイヌピーグッズをすべてカートに入れた。稀に終了したグッズなどがあって、死ぬほど悔しかった。オレの金はなんのためにあるんだ!
イヌピーという推しができて以来、オレの生活は一変した。
社畜生活は相変わらずだが、ちょくちょくイヌピーのチェックをするようになっていた。
一千万の損失も、イヌピーの笑顔があれば我慢する。納期の遅れも、イヌピーのライブが決まれば罵倒を飲みこむ。吸収合併がきまって仕事がくそ忙しくなることが決まっても、イヌピーに貢ぐ金だと思えば頑張れる。急に名古屋出張が決まっても、あ、コラボカフェ行けんじゃね?と前向きに考えるようになっていた。
……なんかオレかわいそうじゃね?
ともかくイヌピーという推しを見つけたオレは、仕事に精を出すようになっていた。
そんなオレにも禁断のグッズがあった。ぬいだ。
そもそもオレは人形が苦手だった。いわゆるフランス人形とか日本人形とかいうあれだ。なんとなく気味が悪いと思っていた。そんなオレがぬいに手をだしていいものか。しかも反社の、いい年をした男が、ぬいぐるみ。
オレはイヌピーグッズを探すときに、ぬいが売りに出されているのを見たりしている。転売許すまじ。つい先日見つけた転売ヤーは社会的に殺してやった。
しかし、しかしだ。オレとてイヌピーぬいを手放したいと思うときが、万が一にもあるかもしれないじゃないか。
なによりオレは反社の男だ。なにかあったとき、イヌピーぬいをひとりにしてしまう。オレの部屋に残されるイヌピーぬいは、心にもない男たちにごみ箱に捨てられる。そんなことは耐えられない。
モニターに映るイヌピーぬいをちらりと見る。イヌピーぬいはつぶらな瞳でオレをじっと見つめていた。イヌピーぬい、そんな目でオレを見ないでくれ。
一か月に及ぶ葛藤の日々を越え、オレはとうとうイヌピーぬいを手に入れた。オレの、オレだけの、イヌピーぬい。手にしてみれば、なにを葛藤していたんだというくらいにかわいい。
オレはスマホで画像を撮った。くっそかわいい。
しかし世間にはオレよりかわいいイヌピーぬいの画像がある。いや、イヌピーぬいがわるいんじゃない。オレの技術と努力とロケーションが足りないだけだ。
オレはイヌピーぬいの洋服を外注し、ぬいサイズのバイクをつくり、いっしょにスイートルームに泊って、カメラで写真をとった。
オレのイヌピーぬいは世界一だ!いや、宇宙一だ!
オレは毎日イヌピーぬいを連れ歩いた。いっしょに出張し、いっしょにホテルに泊まり、いっしょに風呂に行き、いっしょにメシを食う。そんな日々を過ごしていたオレのイヌピーぬいに変化が起こった。
イヌピーぬいが成長したのだ。ほんのわずかだがオレにはわかる。
それからどんどんとイヌピーぬいは成長していく。手足が伸びるのはもちろん、つぶらな瞳がくっきりとした二重瞼になり、ぺちゃんこの鼻がすっと通った鼻すじになる。
外注した洋服が着られなくなったが、そんなことはどうでもいい。また新しく作ればいいだけの話だ。
イヌピーぬいはどんどん成長していき、いまはもうイヌピー人形というくらいになっていた。
本物のイヌピーに変化はないのかと思ったが、元気にライブをやっているようでほっとした。そんなとき、インタビューでイヌピーがほろりと零した。
「見て欲しい奴がいるから、がんばってる」
それってオレのことだよな。オレはいつだっておまえを見ている。でも、オレは反社だから、まともに応援はできない。
そんなオレの悔しさまで飲みこむように、イヌピー人形はどんどん成長していき、なつかしい少年時代そっくりになっていた。今の服は特注じゃなくて、こども服を買い与えている。髪も、皮膚も、本物のイヌピーそっくりだが、宝石のような瞬きひとつしない瞳が人形である証しだった。
「イヌピー、オレ、オマエを助けて後悔したことなんて一度もないんだぜ」
本人にはけして言えなかったことを打ち明ける。
「イヌピー、だいすきだ。愛してる。オレのそばにずっといて欲しい」
その時だ。
イヌピー人形の目がぱちぱちと瞬いた。びっくりして手を握り締めると、あたたかい。もしかしてと思って胸に耳を当ててみると、鼓動が聞こえる。
まさかまさかまさか。
「ココ……?」
イヌピーは脱皮をするように、いままでの人形の皮を脱ぎ捨てた。まるで蛹から蝶に生まれ変わるみたいに。びっくりして腰を抜かしたオレの膝の上に、人形だった時の千切れた子供服をわずかに纏った姿のイヌピーがいた。まるでビーナスの誕生みたいだと気の狂ったことを思った。
それからのオレは相変わらず反社の社畜だ。朝から晩まで仕事仕事。趣味はない。服と飯に金をかけるくらいがせいぜいだったが。
「ココ、おかえり」
家で待ってくれる人が出来て、生活に張り合いができた。上司や同僚にはヨメができたと説明してある。
アイドルのイヌピーは行方不明になってしまったらしいが、そんなことは芸能界でよくあることだ。アイドルじゃなくなったイヌピーは会いたい人、つまりオレといっしょにいるんだから、真実の愛はすべてを変えたってことだろ。
世界が不況になろうとも、どこかで戦争が起きようと、こうしてオレとイヌピーはハッピーエンド。めでたしめでたし。