はじめてのハンバーガー「あれ、明兄!」
能天気な声に呼ばれ、明儀はあからさまに表情を歪めた。
振り返るまでも無いし、振り返りたくも無い。
しかし、師青玄は目立つ。現に、明儀と同じ黒い学ランを着た奴らが興味津々にそちらを見ているのが分かった。
タッタッタッと、革靴がアスファルトを蹴る音が近付いて来る。
ここは、明儀の通う高校の近くである。明儀の高校は、所謂“不良高”だ。
そんな所にお上品で世間知らず丸出しの、地元でも有数の私立高校の制服に身を包んだ奴が無防備に歩いているなど、鴨にしてくれと言っているような物だ。
案の定、明儀が振り返るのを躊躇していると、背後でどこぞの怖い物知らずが声をかける気配がした。
「ねぇ、君、こんな所に何の用?暇なら俺と………………」
そのウキウキとした声を聞いた瞬間、明儀の額に青筋が浮かぶ。
明儀は師青玄の顔も碌に見ないまま、振り返りざまに白い手を掴んで、その場から強引に連れ出した。
「あ、ちょっと待ってよ明兄!?あはは、ごめんねまた今度……」
師青玄は目を白黒させながらも、話しかけようとした屑に向かってヒラヒラと手を振っている。
「今度など無い!あんなのと喋るな!」
明儀は怒鳴り付けると、更に足早になる。
「あ、ちょ、待ってよ明兄!転ぶ、転ぶってば!そんなに引っ張らないでよ!」
師青玄がきゃんきゃん吠えているが、知るか。
駅近くの賑やかな商店街まで来て、明儀はようやく足を止めた。
手を掴んだままだった師青玄は息を切らせながらボヤいた。
「もう、何なのさ。せっかく話しかけてくれたのに。あんなのって、ひどいなぁ。知り合い?」
「知らない」
正確には、話しかけてきた奴の顔を見ていないので、知り合いかどうかも分からない。
「なら、何で……」
「安易に近付くなと言っただろう?あんなの、カツアゲ目的に決まってる!!」
吐き捨てると、師青玄は目を丸くした。
ここまで言っても、警戒する素振りなど微塵も無い。
案の定、師青玄は首を傾げた。
「そんなの、分からないじゃないか。本当に友だちになりたかっただけかも知れないし」
明儀は、その丸い額に渾身のデコピンを叩き込みたくなった。
「そもそも、何でここに居る?」
苛立ちを何とか堪えて問うと、師青玄はにこりと笑った。
「親友に会いに来るのに、理由が必要か?」
明儀はひくりと頬を引き攣らせた。
「親友じゃない」
「明兄、まだバイトまで時間あるよね?ねぇ、せっかくだから“寄り道”しようよ」
渋い顔の明儀に構わず、師青玄は腕を絡めて来る。
キラキラとした目から目を逸らし、無言の抵抗をする事数秒。
「…………………メシを食いに行くだけだからな」
明儀の言葉に、師青玄は嬉しげに「やったぁ!」と声を上げた。
さて、明儀が選んだのは、近くにあったありふれたハンバーガーのファストフード店だった。
「あ、明兄、このマーク、何か見た事ある!」
師青玄は看板のロゴを指差して興奮気味に明儀の服の裾を引いた。
「逆に、どう生きて来たら見ずに生きて来れるんだ?」
明儀はさっさと店内に入る。
昼よりおやつに近い時間のせいか、カウンターの前には3人しか並んでおらず、店内も空席が目立った。
明儀はその中でも四人がけの一番大きなテーブルに一直線に向かうと、学ランを脱いでテーブルに放った。
師青玄はいそいそと対面のソファ席に座ると、テーブルの上を見回した。
「もう、明兄行儀が悪い!上着はちゃんと椅子に掛けないと。………あれ?メニューは?」
「………………あっちに注文しに行くんだ。これは席を取っておく為の目印だよ」
明儀が説明してやると、世間知らずの師青玄は「へぇ」と心底感心した声を上げた。
「じゃあ、私も何か置いておいた方が良い?」
かと思うと、師青玄はブレザーと鞄を見比べる。そんな上等な物を置いてみろ。戻った時には盗まれている。
「いや、必要無い」
素っ気なく否定すると、明儀はカウンターへ歩き始めた。
「待ってよ、明兄!」
師青玄は慌てて立ち上がった。
カウンターには丁度、他の客は居なかった。
明儀は店員に向けて手短にクーポン番号をいくつか告げる。
それに興味津々なのは師青玄だ。
明儀のスマホを覗き込み、「私もそれで頼みたい」と言う。
「好きにしろ」
明儀がスマホを渡すと、師青玄は熱心にクーポンを一通り眺める。かと思うと、「ねぇ、明兄はどれを頼んだんだ?オススメは?」と話しかけてくる。
店員の微笑ましげな笑いから全力で意識を逸らせつつ、明儀は適当にシーズン物のメニューを指した。
「コレなんかどうだ」
「うん、それにする!えっと………この番号を言えば良いのか?」
そう言って元気よく告げた数字に、店員もにこやかに応じる。
「では、飲み物をお選び下さい」
「え?…………ああ、これ?どれでも好きなのを選んで良いのか?へぇ、じゃあ………ねぇ、明兄、明兄はどれを選んだんだ?」
たかがハンバーガーのセット選びで、随分と楽しそうだ。
明儀は他人のふりをしたいが、袖を掴まれている上に、三言ごとに肩を叩かれるのでそうも行かない。
ようやく注文が終わったかと思うと、師青玄が一際強く明儀の肩を掴んだ。
「あれ、明兄!このアップルパイって何だろう?食べてみたいんだけど…」
「好きに頼めば良いだろう!」
トレーに乗ったハンバーガーやポテトを見て、師青玄は目を丸くした。
「あれ、ナイフとフォークは?」
世の中には、ナイフとフォークで食べるようなれっきとした料理としてのハンバーガーが存在するらしく、師青玄にとってはそれこそが『ハンバーガー』なのだろう。
明儀は素っ気なく言った。
「無い。手で食え。その為の紙だ」
「へぇ、その方が効率的だから?」
そうだけど多分師青玄が思っているのとは違う。
しかし、いちいち訂正するのも面倒で、明儀は「そうかもな」と適当に相槌を打ちながら自分のハンバーガーを手に取った。
ちなみに、当然明儀のトレーにはハンバーガー………しかもダブルなんちゃらと命名されているタイプの物が6個積み上げられている。本当は10個は食べたかったが、金欠なので仕方が無い。
ポテトは勿論Lサイズだ。
師青玄は明儀が紙を剥く様子を興味深げにじっと見ている。
私立高校の白いブレザーに身を包んだ奴にとって、ファストフードは未知の領域なんだろう。
無邪気にはしゃぐ青玄に、明儀は苛立ちと疲れと呆れを感じていた。
しかし、同時に、ほんの少し面白がる気持ちと……悪戯心がもたげてくる。
明儀は如何にも本当らしく言った。
「いいか、ハンバガーは三口以内に食べないといけない」
「ええ、うそだろ!?」
師青玄は驚き疑うが、明儀は真顔で本当にハンバーガーを二口で食べてしまった。
クシャリと紙を丸め、明儀は次のハンバーガーに手を伸ばす。
黙々と食べる明儀を見ていたら、少し小さめに作られているのもそのためかと思えてくる。
師青玄は自分のハンバーガーをじっと見つめて眉を下げた。
「私は明兄みたいに口大きくないんだけど」
言いながらも、青玄は精一杯大きな口を開けてハンバーガーに齧り付いた。
「………」
「ふぁふぁっはな!ひぃんひぃ!」
スッと視線を逸らした明儀に、頬を膨らませた師青玄が憤慨する。
「笑ったな!明兄!」とでも言いたいんだろうが、口一杯に詰め込んだせいで全く喋れていない。
飲み下そうとむぐむぐと口を動かす師青玄の間抜けな顔を見ながら、明儀は3つ目のハンバーガーに手を伸ばした。
それも腹に収め、コーラを飲んでいると、ようやく飲み込めたらしい師青玄が赤みを帯びた顔で睨んできた。
「明兄!揶揄ったな!?」
「この程度の冗談に引っかかる方が悪い」
明儀はシレッと言うと、四つ目のハンバーガーに手を伸ばす。今度はダブルチーズバーガーだ。
「ほら、冷えたら不味くなるぞ」
食べるよう促してやると、師青玄は疑うような目を向けて来た。
しかし、どう考えても温かいうちに食べた方が美味しいに決まっている。
師青玄は大人しく自分のハンバーガーを食べ始めた。今度は、明儀の半分にも満たないような頬張り方だった。
咀嚼するごとに、不機嫌だった師青玄の表情が明るくなる。
「ん、美味しい!これは何のソースだろう?食べた事が無い味だ!」
ころっと機嫌を直した師青玄は、ひとしきり感嘆を漏らすと明儀のハンバーガーに目を向けた。
丁度、最後のハンバーガーを食べようとしている所だった。
「明兄のハンバーガーは何味?私のとは違うよね?」
明儀は包装紙を剥きながら素っ気なく言う。
「てりやきだ」
「てりやき?」
師青玄がキラキラとした目で明儀を見て来る。
次に来る言葉は、予想するまでも無い。
「ねぇ、一口ちょうだい?」
「…………………」
明儀の口元は知らず緩んでいた。
「交換だからな」
「勿論!いいよ…………………って明兄!?ちょ、明兄の“一口”って私の五口くらいあるんだけど!?」
師青玄が悲鳴を上げるが、明儀は宣言通り“一口”しか食べていない。
「大事に食べてたのに」
不貞腐れた顔をする師青玄に、明儀はてりやきバーガーを差し出してやった。
「食わないのか?」
「食べるよ!」
仕返しのつもりか、なるべく沢山頬張ろうと大口を開けると、師青玄は明儀のハンバーガーに齧り付いた。
「ん!」
その目がパチパチと瞬きをする。
「ふぉいひい!」
「美味しいなら良かったな」
明儀は小さく笑いながら、トレーに乗っていた紙のナプキンを差し出した。
師青玄は不思議そうな顔でそれを受け取り、ハッとして鞄から小さな鏡を取り出した。
男子高校生で鏡なんて持ち歩いているのは、コイツくらいのモノだろう。
鏡を覗き込んだ師青玄の顔が赤く染まった。
師青玄の口の周りには、幼い子どもみたいにべっとりとてりやきのソースが付いていた。
「欲張るからだ」
肩を竦めてみせると、ゴシゴシと口の周りを拭きながら師青玄が唸った。
「明兄にだけは言われたく無い!」
それから、ポテトを食べては「こんなフライドポテトは食べた事が無い!」と感嘆を漏らし、アップルパイにかぶり付いたら中身が溢れて大袈裟に慌て。
ようやく食べ終わると、師青玄は満足そうに笑みを浮かべた。
「美味しかった!明兄はいつもこんなのを食べてるんだね」
高級料理を食べ慣れている奴の嫌味かと内心ボヤくが、師青玄にそんな意図が無い事はよくわかっている。
「こんなの、またいつでも食べに来れば良いだろ」
頬杖をついて如何にも面倒くさげに答えると、師青玄は満面の笑みで頷いた。
「うん!また来ようね、明兄」
いや、一人で来れば良いだろ。俺を巻き込むな。
言ってやりたいのに、師青玄の無邪気な笑みを見ていると何故か言葉が出て来ない。
明儀は素っ気なく言った。
「………………次の期間限定メニューが出たらな」