2021.11.06「あっ、明日!」
跳ね上がった、聞いたこともないような声で黒崎が叫んだ。
十一月五日、午後十二時三十七分。
空座第一高校屋上。天気は晴れ、気温は十八度。鰯雲がゆっくりと流れていくのどかな天気で、遠くに見える山々はまだ青く、初雪にはまだ時間がかかりそうだった。
見下ろす校庭では一年生が休息をサッカーに費やしている。校舎の敷地内にある木々は葉の先をほんのりと赤や黄色に染めていて、静かに秋の気配を漂わせていた。
あと五分もないうちに昼休みは終わる。次は移動教室だと慌ただしく茶渡くんたちが屋上を出て行ったのは五分ほど前。その後はのんびりとした空気が流れていた。
「……その、バスで、ちょっと行ったところに、新しくケーキ屋ができて」
空気をぶち壊したことに自覚があるのか、黒崎は声の調子を落とす。
「ケーキ屋?」
「あー、えっと、その」
理由も言わずケーキ屋はあまりにも唐突すぎやしないかと僕が疑問符を投げかけると、黒崎は分かりやすく言葉に詰まった。
「行かないかと、思って」
「ケーキ屋に? 僕が?」
「金は出すから」
「……………」
何が言いたいのか分からないという体を装っていると黒崎のトーンはどんどんと下がっていった。
十八度の気温は、四十分近く屋上にいるには少し肌寒く、僕はカーディガンの袖に指先を押し込める。
分からないわけではないのだ。
明日は僕の誕生日だ。
一年生の時はただの一日に過ぎなかったはずの誕生日は、黒崎を含めた友人たちによってカレンダーにスタンプがつけられた。だから、忘れようもなかった。
黒崎がそんな日に何をしたいか分からないほど一緒に過ごしてきた時間が浅いわけではない。小島くんに妙に笑顔で対応され、茶渡くんには時折何かを語り掛けるような目で見られる。
あいにく僕は、黒崎ほど馬鹿じゃないし、それに加えて必要ないと思って敢えて排除してきたはずの情操がこの二年間で人並程度に育ってしまったのだ。
更に黒崎の態度と合わせれば、いくら鈍感だってこれが何を意味しているか当然分かる。ただ、どうしたら良いのか分からずに時間を稼いでいるだけだ。
「あーいや、行くわけ、ねえよな」
僕が返事をしないことで勘違いした黒崎は、俯き頭を掻いた。
悩む理由はひとつだ。
僕は、黒崎を傷つけたくない。
今ここで否と返事をすればきっと黒崎は傷つくだろう。
だけど、肯定すればきっと未来、僕は黒崎を不幸にさせるのだ。
今なのか、未来なのか。
それとも何か、黒崎が不幸にならない方法があるのか。
どうしたら良いのか分からないでいる。
「わり、忘れてくれ」
「あ」
だけど目の前の黒崎は、まるで大切にしていた絵本をなくした子どものように意気消沈してしまった。
僕のせいで、黒崎がそんな顔をするのはやっぱり許せなかった。
「い、行っても、良いけど!」
答えの出ないまま、慌てて僕は返事をした。
「マジで?」
ぱっと顔を上げた黒崎は、驚いてはいたけれどいつも通りの黒崎のようだった。
良かった、と安心すると同時に時間切れ、とでも言うように授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
答えは出ない。
明日になったら僕はひとつ大人になる。なら、明日の僕は良い答えを見つけられるかもしれない。
全てを明日の僕に託して、僕はただ、今黒崎の口元が緩んだのが嬉しかった。