「結婚が決まったんだ」
春のはじまりの風が、大きな白い格子の窓から吹き込んでいた。その窓を背に、お気に入りの本をぱたりと閉じたこの部屋の主は、まるで世間話をするかのように告げた。
「……え?」
窓の外の若葉がさわさわと揺れる。午前の太陽の光が、優しい木漏れ日となって部屋の中を満たした。
なのに、突然極夜が訪れたように目の前が暗くなるのを感じて、黒崎一護は一歩も動けなくなった。
「五月にはこの家を出ることになると思う」
淡々と話す姿には結婚の歓びも、悲哀も感じられない。街に出かけるだけのような雰囲気だった。
「……相手は、誰ですか?」
喉がはりついて、声が掠れる。周りに誰もいない時は敬語ではなくて良いという約束だった。十年間そういう風にやってきて初めて、一護は誰もいないのに丁寧に尋ねた。
理由は自分でも分からなかった。
部屋の主、一護が護衛騎士として仕える相手、石田雨竜はその質問に初めて表情を変えた。
それを隠そうとしてか、それとも涼やかな鳥の声に気を奪われたか窓の外を見ながら雨竜は小さく言葉を紡いだ。それは、一護もよく知る名前だった。
「……それ、は」
咄嗟の言葉も思いつかず、それ以上何も言えなかった。
いくらこの国で大きな力を持つ公爵家といえども、その結婚には何も言えないだろうということを理解したからだ。
これまで雨竜に縁談はいくつもあって、その度に彼の父親が無理難題を出しては断ってきたのを一護は見てきた。だからこそ、結婚の話が出てもおかしくない年齢ではあれどほんの少し安心もしていたのだ。
でもこれでは、その父親の力ですら及ばないだろう。
何せ相手は、この国の王だ。
「まさか僕に声がかかるとは、趣味を疑うけれど喜ばしいことだよ」
窓から入り込んできたそよ風が、雨竜の黒髪を僅かに揺らし、ほんの少し遅れて一護の頬を小さな棘をいくつも刺すように撫でていった。腰に下げられた剣はこんな時には何の役にも立たない。
「……………」
「王都につくまでの護衛が君の最後の任務だ」
返事は特に求めていなかったようで、雨竜は言葉を続ける。鳥は見つからなかったのか、こちらに向き直ったその表情はもうすっかり元通りだった。
「王宮に入ったら僕はもうこの家の人間ではなくなるから」
言葉ひとつひとつが非現実的だった。
悪い夢を見ているように、身体も心もうまく動くことができなかった。なんとか「かしこまりました」と返事をして、一護は部屋を辞した。