今宵も月は綺麗でした登場人物:
不死川実弥:代々帝に仕える家系の出身だが、父が起こした事件のせいで閑職に。今帝のお陰で、少しずつ宮廷に出入りすることができている。
冨岡義勇:冨岡家の長男。病弱な姉に変わり、家の繁栄のために、と女性として育てられている。
冨岡蔦子:冨岡家の長女。幼いころから病に伏しがちで、家のために、と長男である義勇が自分の身代わりとして育てられていることを歯がゆく思っている。
粂野匡近:実弥の同僚。年齢や階級は実弥よりも上だが、幼いころに病で亡くした弟と実弥を重ね、かわいがっている。
月明かりに照らされて一瞬だけ目にした姿は、まるで月の精のように可憐だった。その一瞬だけで人が恋に落ちることがあるのだと、嘘のような本当の話が自分に降りかかってくるとは思っていなかった。
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俺は不死川実弥。代々帝仕えをする家系だったが、俺の父親が引き起こした「前帝主催の宴会ぶち壊し事件」のせいで、今は閑職に追いやられていた。しかし、俺が詠む歌を、今の帝がたいそう気に入ってくれたとのことで、少しずつだが宮廷に出入りすることも増え、多少は仲間もできていた。そのうちの一人が、粂野匡近だった。粂野は、俺よりも一つ年が上で俺よりも階級がいくつか上だった。他の奴らが階級やら年齢やらを気にしているにもかかわらず、初めから兄貴面をして俺を何かと気にかけている。初めは鬱陶しかったが、その遠慮のない態度がむしろ居心地がよかった。その粂野が、いつものようにうわさ話を持ち掛けてきた。
「なーなー、お前、知っているか?」
「知らねェ」
「いや、まだ何も言ってないから」
冷たくあしらおうとした俺の肩を、ばしん、と強くたたき、内緒話をするかのように俺の耳元に口を寄せる。告げられた言葉は、驚くべきものだった。
「冨岡殿のところの姫が、婿を探しているらしいぞ」
その言葉を聞いた俺は、半年前の出来事を思い出していた。
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あれは、半年前。今帝から「ぜひ、実弥の歌を聞かせて欲しい」と直々に依頼があり、一人で宮廷に向かっていた。本当なら、父親の失態のために俺が宮廷に入ることなど一生ないだろう、と思っていたが、今帝は「過去のことを変えることはできない。でも、共に未来を作っていこう」と宮廷に入るなり俺にそう声を掛けてくれた。その日は、時間が経つのも忘れて今帝にお題を与えられるままに次々と歌を詠み、気づいたころには日が傾き始めていた。
「おっと、いけないね……こんなに日が暮れては、実弥が邸宅に帰るまでに時間がかかってしまうね」
今帝は、空の色がだんだんと橙色に変わっていく様を見て、時間の経過に気付いたようだった。思いのほか長居をしてしまったことを詫び、また機会があれば、と辞去しようとした俺に対して、帝は穏やかだか強い意志を感じさせる声で俺に言った。
「明日から……と言いたいところだけど、今日はもう遅くなったし、明後日から通っておいで。実弥の読む歌を、仕官している皆に聞かせてあげたいから」
驚いて帝の方を見ると、片目をぱちりと閉じていたずらをする子どものように微笑んだ。呆気に取られてその場から動けずにいた俺を見て、「明後日、待っているね」と今帝は優しく微笑むと、そのまま奥の間へと戻っていった。
「……にしても、今帝様はすごいお人なんだなァ……」
牛車に揺られながら、思わずぽつりと呟く。あたりはすでにとっぷりと日が暮れ、風もなく穏やかに月が顔を出している。と、急に牛車が止まった。何が起きたのかと降りてみると、暗いためか少し道を間違えてしまった、と、牛車を操る牛飼童が、困ったように告げてきた。このあたりの道には自分もあまり詳しくはなかったが、少し離れたところに屋敷の明かりが見え、ひとまずそこまで行ってみることとした。
その屋敷は、「とても美しいが病弱な姫がいる」と聞いたことのある「冨岡邸」だった。屋敷の入口で声をかけると、訝しそうな顔をした使いのものが出てきた。道に迷ったこと、水を一口欲しいことを伝えると、いかにも好々爺といった雰囲気の使いのものが「それなら」とすぐに水を手配してくれた。道については、大まかなこの屋敷の場所を聞き、なんとか推測することができた。
暗くなってからの無礼を詫び、また丁寧に対応してくれたことへの礼を伝え、牛車に乗り込もうとしたその時。ザァッと強い風が吹き、思わずよろめく。と同時に室内が見えないように目隠しをしていた御簾が風にあおられ、中にいた姫の姿が見えた。
長く美しい黒髪と、透き通るような白い肌。艶やかな十二単とどこか寂しそうな瞳。まるで、月の精のように可憐な姿をしていた。一瞬のことだが、俺の心を捉えて離さなかった。
慌てた使いのものが、挨拶もそこそこに屋敷へと戻っていく。この時代では、相手に姿を見せることは契りを結ぶのと同じようなものだと考えられているからだ。
「寛三郎……大丈夫、大事無い」
おそらく、その姫が使いのものに声をかけたのだろう。少し低いが、よくとおる綺麗な声だった。俺は、その一瞬で冨岡の姫に心を奪われていた。