個人情報保護ノススメ「あんらぁ~! ボス、お疲れね?」
完璧な楽園内のマザーの自室。前のめりになっている創造主にお茶を運んできたシザーマジシャンが声をかけると、彼はくるりと振り返った。血走った目の下には、くっきりと隈が浮かんでいる。
「全くこの城のヤツらは何を考えているんだ」
悪態をつくと、手元のタブレットを持ち上げてシザーマジシャンに見せる。
白い背景に文字が並び、差し色の青が映えていた。最近、魔界で流行しているSNSの画面だ。
「個人情報が丸わかりじゃないか」
「ボス、どういうことかしら?」
マザーの表情はひどく渋いが、話が読めない。すぐそばのテーブルに湯呑みを置いたシザーマジシャンは、こてんと首を傾ける。
「そうだな、順を追って説明していこう」
自身の言葉が不足していることに気づいたのか、マザーはタブレットを引き寄せて数回タップする。
「まずコイツだ」
開いたページをシザーマジシャンに向ける。SNSのプロフィール画面だ。
「あんらぁ~『サウナー』さん? 伝説の銭湯で使われている桶と同じ桶が写っているのかしら? 温泉マークがかわいいわねぇ♪ ぱっと見は問題なさそうだけど?」
ヘッダーとアイコンを興味深く眺めていると、マザーは頭を横に振る。
「その下の自己紹介文に『魔王城勤務』と書いてあるのが見えるだろう? これは大問題だ! いくら勤務する者が多かろうと、呟きを見れば個人が特定できる」
マザーが検索窓にアカウント名と関連する単語を入力する。確定ボタンを押すと、該当のものが瞬時に表示された。
「この辺りがわかりやすいな」
スイスイ流れていく画面を、シザーマジシャンが横から覗き込む。
「えっとぉ、『寮の同部屋のヤツとケンカした』『魔術大会で幹部のすぐ下くらいのチョーよさげな成績を修めました☆』『種族知った瞬間、皆かしこまるのやめて』……あんらぁ?」
ずいぶん癖のあるエピソードが並んでいる。
マザーはうむ、と一つ頷いて、
「文面からわかるのは、寮暮らし――新人かつ魔力が高め。種族柄アドバンテージが高い精霊族の可能性。周りから一目置かれているという発言からもエルフだと容易にたどり着く」
「あ~! ダークエルフのあの子ね?」
推理を重ねると、極めて近い実像が浮かび上がるものだ。シザーマジシャンがポンと手を叩く。うむ、と頷くマザーはさらに手を動かし、『サウナー』のフォロー欄から、別のアカウント名をタップする。
「コイツも特定が可能だ。『へびいちご』。魔王城に勤務しているとは書いていないし、呟きにも載せていないが、ダークエルフと相互フォローしている」
「そうごふぉろー?」
聞き慣れない単語にシザーマジシャンがつまづいていると、「互いにフォローし合っているということだ」と解説が入った。
「つまり仲がいいってこと? それなら普通のお友達の可能性もあるんじゃあ?」
素朴な疑問をぶつけると、マザーは頭を振り、
「いや、ダークエルフが寄せているコメントが同僚のそれだ」
と、『へびいちご』の呟きをタップした。「仕事終了!」という言葉に対して、『サウナー』からの返信がついている。
「『おっつー! これから食堂行こうぜ!』……あー、間違いなく同僚ねぇ~」
「さらにコイツは職場の愚痴を載せている」
角ばった指でマザーが何度かスワイプするのをシザーマジシャンは目で追う。
「えっとなになに?『オレもうこの仕事自信ない』『エラい人が部屋に女の子連れ込んでるとか…職場間違えたかな?』『これ以上事故物件を増やさないでほしい』……あんらぁ?」
誰が呟いているのかピンとこないが、彼の仕事を悩ませた原因には心当たりがある。
「新人で不動産屋に勤務しているヤツがいるだろう? アイツの悩みに違いない」
そんな職場に配置して申し訳なく思うが、と一言付け加え、マザーは眉間にしわを寄せる。
「あ、ナーガくん! 不動産業も大変なのねぇ~。でも書いてあることはおそらく姫の所業ね? 姫も罪深いわぁ~」
派遣という形で働く彼を気の毒がる一方、城内で自由に過ごす人質の姫のことを思い出し、シザーマジシャンはフフフと微笑む。
「姫と言えば、ヤツは個人情報を守る気すらない」
マザーはこの日一番不服そうな表情を浮かべると、『オーロラ』と検索窓に打ち込む。すぐさま『オーロラ・栖夜・リース・カイミーン』と表示され、タップするとプロフィール画面が映し出された。名前の横には魔王印の認証バッジがついている。
「あんらぁ~! これって公式マーク? いつの間に!? 自己紹介文は…うん?『はさみまものすやすやです。魔界のアイドル目指してがんばっています♡すいみんだいいち♡』? どういうことかしら?」
キャッキャと騒ぐシザーマジシャンに、マザーは不機嫌を隠さずに解説する。
「ヤツは認証バッジがほしかったのだろう。まず、はさみまものすやすやを十傑衆の一人だと思っている層の囲い込みを図った。ジゴ=クサツでアイドルデビューした経験も生かし、そのファンも狙った。結果的に一定数のフォロワーを獲得し、SNSの運営元に申請して得たと考えられる。魔王の名前をチラつかせて脅した可能性もあるがな」
実に苦々しい、と言わんばかりにタブレットを持っていないほうの手でマザーは顔を覆う。
「『今日はおばけふろしきを五体狩ってNEW寝具を作った』『素敵な寝具をプレゼントすると仲良くなれるからオススメ』『いい匂いに包まれて眠るのは至福』……中身は睡眠報告ばかりね~」
シザーマジシャンはふむふむと感心し、……わずかに間を置く。
「でもボス、アタシ気になっていたのだけど、この右上に『フォロー中』って書いてあるのは何かしら?」
ギョッとするマザー。
「うっ……痛いところをつくな。密かにSNSを見ていたら、ヤツに見つかってしまい勝手にフォロワーにされたのだ」
気まずそうに言い訳をする隣で、シザーマジシャンの左手がすっと伸び、画面左上の灰色の丸をタップする。
「なっ!?」と驚く主に構わず、SNSのナビゲーションメニューを表示させると、一番上に「キマイラ」という名があった。
「これってボスのアカウントぉ!? あんなに個人情報流出を嫌がっていたボスがSNSを!?」
仮面がずれるほど大きく口をあけるシザーマジシャンに、
「……知る努力をしたいと思ってな」
マザーはコホンと一つ咳をする。
「オレは今でもSNSは危険極まりないと思っている。個人情報を呟くなど愚の骨頂だ。……ただ、気の合うヤツの呟きを見るのは、悪くない」
口元から浮いた指はフォロー中のアカウント一覧を開き、とある名をタップする。
画面をシザーマジシャンが覗き込むと。
「……ヤギ?」
その二音節に、マザーはコクと頷く。
「『ヤギ』は、腰痛のこと以外はあまり呟かない。ただ時折、自身が作ったおはぎの出来を評することがある。その後に『ヤギ』の部屋に行くと、大量のおはぎがあって押しかけ女房と一緒にもてなしてくれる」
腰痛、おはぎ、もてなし。キーワードが指し示す人物はただ一人だ。
「ああ~おじいちゃん! でも押しかけ女房って……」
問いには答えず、マザーは続ける。
「それでオレは知った。情報を絞って載せれば個人の特定には至らないし、得た情報で日常がうまく回ることもある。そして何より」
これから自分が何を言おうとしているのか。ハッと気づいて顔を赤らめながらも。
「……つながることは、楽しいのだな」
言い切ったものの、柄にもないことを言ってしまったといたたまれない。マザーは顔を伏せてしまった。
しばらく無言の時間が流れ、シザーマジシャンはようやく口を開く。積もりに積もった感情が爆発する。
「ボスぅ~! アタシ感動しちゃったわぁ~!! あの引きこもっていたボスが、誰かと交流するなんて! 今日はお赤飯を炊かなくっちゃ!」
全力で祝わねばならない事柄だ。シザーマジシャンはさっそく準備をするべく出口へ向かおうとしたが、背中をぐいっとつかまれた。
力強い腕とは逆に、弱々しい声が漏れ聞こえる。
「……それはいいから……恥ずかしすぎるから……」
愛する創造主は、まだまだ己の変化を認めることができないらしい。
「もうボスったら。照れ屋さんね♡」