ビー玉と真葛2 以前からこのアパートには犬がいる。凛月が拾い俺がレオンと名付けられたコーギーは賢く、勇敢で俺にもすぐ懐いた。朝になると2人のどちらかを起こして散歩を急かし、学校に行っている間はお利口に待っている。ご飯の時間になると少しソワソワするし、一緒に遊ぶととても楽しそうに笑う。
凛月は何でもかんでも拾いたがる。綺麗な石を道端で拾ったり、海辺の砂を瓶に詰めたり、挙句食べれるかわからない雑草を天ぷらにしてみたり。何でもかんでも持ってきて俺に検分をさせるのだ。そのおかげで雑多に物が増えたアパートの共用部分はもうほとんど何も置けないでいる。
「あぁ…リッチー、お前な」
「コーギーおはよ、なんか落ちてたの」
ズルズル、とひきづりながら共用部分の扉を開けた。その体からは想像できないほどに軽々とそれを持ち上げると、自分の部屋のベットに投げ入れた。
「なんか落ちてて」
「それはさっき聞いた」
「レオンと散歩してたら、草むらの奥で寝てたんだ。多分、昨日の夜からあそこにいたのかな」
「どこ」
「川の近く」
かわ、と聞いたけどあれを川と呼んでいるのは俺たち以外にはいないだろう。ほとんどコンクリートでできた側溝のドブ水だった。溝から少しだけ水が流れているだけで、その中身は生活排水となんら変わりはない。
「死んでないとは思うよ、息してるし」
「まあ、そういうことで俺が驚いていると思っているのか?」
「え、うん」
悪びれもなくうなづいた。生きてきた環境が違うことは理解していたつもりだったが、こうも違うとどうやって今まで人生を歩んできたのか不思議でしょうがない。
「コーギーの知り合い?」
「…羽風薫だ」
「あぁ、この人なんだ」
ブルーグレーの吸い込まれそうな瞳は閉じられて、草むらのつゆを吸い込んだ服や薄汚れた頬を抜いたとしても、彼は確かに羽風薫の姿をしている何かだった。
助かっちゃった、と凛月の服を着て俺の作ったスープを飲みながら、羽風薫はそう言った。
「昨日飲んだことは覚えてるんだけど家に帰った記憶はないから、その辺で寝てるだろうなとは思ったんだよね。だけどまさか道で倒れているなんて思わないでしょ。凛月くんが助けてくれなかったらあのまま野垂れ死ぬところだったよ。それにこのスープとっても美味しい!何が入っているのかわかんないけど、体がぽかぽかするし春の夜露ですっかり冷えた俺の体があったまるよ〜」
早口で言い訳は話しながら俺と凛月、同時に目をやりながらにこにこと笑う。俺と凛月は瞳だけで会話するが、噛み合わない。ため息をついた俺が切り出す。
「…これ食べたら帰れよ」
「こことてもいい気持ちになれる場所だよね、近くに公園とかある?天気いいしお花見でもしようよ」
「親とか心配するだろ」
「大学からも近いんだね、ここからなら寝坊してもどうにか間に合いそう。それに古いけどよく手入れされてる。管理人さんにも会ってみたいな〜」
「…俺に話聞こえてるか?」
「晃牙くんと凛月くんはいつからここに入居してるの?」
「どっちも大学入学からですよ」
「ハァ…」
話が全く通じない。初対面なのに凛月は羽風薫を気に入っている様子で、懐きはじめてる。このままだといつもの調子でここに住まわせていい?と聞いてくるかもしれない。まずい。
「ねぇ〜コーギー」
「駄目だ」
「何も言ってないよ、意地悪」
「何も言わないでくれ」
トラブルメーカーと言う言葉の本当の意味を、俺は今目撃いているのかもしれない。「お花見しよ〜よ」
「えっいいの?」
「俺お花見ってしたことないんだ〜、正確には、『友達』とお花見したことない」
「俺も、したい!」
「…あ〜勝手にしろ、俺は部屋に帰る」
なんで?と2人の瞳が一斉にこちらに向く。「今の流れは仕方ないから付き合うか〜でしょ、ね?晃牙くん」
「コーギーお願い、コーギーがいなかったら誰がお花見用の美味しいご飯を作るの?」
「花見、できねえの」
したくないではなく、できない。言葉のニュアンスをしっかりと伝えると、あぁ、と凛月は頷いた。
「花粉ね〜」
「晃牙くん花粉症なんだ。そっか、じゃあ無理かな」
「いやいや、諦めるのは早いよ、薫さん。う〜ん。庭でやろ、そこだったら風がなければ花粉もあんまり来ないし」
コーギーは辛かったらみてるだけでいいから、とかなり強引な誘いに何度目か数えるのも面倒になってきたため息をついた。
「ね〜お願い。コーギーが前作ってくれた筍が入ったご飯のお稲荷さん食べたい!」
「え〜食べたい!俺も俺も!」
そんなキラキラした目で俺を見るな。さっさとこの場を立ち去ろうとしたその足で、俺は冷蔵庫の中身を確認する羽目になるじゃないか。
「ねえ、桜の枝って折っていいんだっけ?」
羽風薫は俺にそんなことを聞いてくる。知るか。
「いや、人んちのもん勝手に壊すな」
「たしかに。それにしても綺麗だね」
庭、と言ったがそれは本当で、アパートの裏にはこじんまりとしているものの手入れが行き届いている場所がある。前の住人がそう言うのが好きだったらしく、たくさんの花の種を植えていったそうな。大家もよくそこを訪れては小さなベンチになっている板の上に座りそこでお茶を飲んでいたりする。つまりは庭だった。
春には桜、秋には紅葉が見れるんだよと俺がここに入居した時に凛月が話していた。彼はすでに1年このアパートで過ごしている。
「お稲荷さんが良かった〜」
「今度作ってやるから」
冷蔵庫の中には何もなかった。今日の夜にまとめて買いに行こうと思っていたんだ。コメはあったけど、ほとんど野菜の切れ端やもう少しで機嫌が切れそうな牛乳などしかなかった。だからそれらでできるもので外でも食べれて、かつ簡単なもの。
「でもカレーも美味しい〜コーギーは天才」
「ね、美味しい」
鍋いっぱいに作ったカレーを丁寧にお皿に盛ってやるとそれをスプーンで掬い口に運ぶ。くしゃりと笑った2人はそれを食べながら庭の花を眺める。
「いいね、こう言う時間が欲しかったんだ」
「薫さんはあんまり友達いない系なの?意外」
「え〜いるよ、いっぱい。でもこうやって自分が楽しいって思える子は少ないかな、みんな俺がそこにいれば満足だから。俺って言う中身には興味ないんだ」
それは本当のことだろう。実際羽風薫の噂は本当であれ、その性格に触れるものはほとんどなかった。いること自体に意味がある、そう言う個体。
「うんうん、たしかにコーギーみたいに薫さん見て泣いちゃうくらいの子ばっかりってことだよね?」
「おい、リッチー!」
凛月の一言に噛みつこうとして、大きく息を吸うと花粉が鼻をかすめて思いっきりくしゃみをしてしまった。じんわりと瞳が曇る。
「晃牙くん大丈夫?」
「リッチーお前…な」
「俺のせいなの、本当のことでしょ〜?ほらほら家の中に入っておきなよ〜」
「うるせ〜、ックシ!」
あ〜あ、と凛月はわざとらしく笑う。「もう、ごめんって」
「花粉症ってやっぱり辛いんだね…」
「いやぁ、大したことないよ。俺の幼馴染も花粉症だけど、外で元気いっぱい遊んでたし」
「個人差あるんだよ、こう言うのは」
こんなことならもっと強い薬を飲むべきだった。庭にあるのは桜の木だけだし軽いものでいいだろうと思ったが、見誤ったようだ。一度痒いと自覚するとどんどんそれは加速していく。鼻どころか目も痒くなってきた。もう花見どころじゃない。
「家の中に入る。お前らもあんまり長居すんなよ、春とはいえ寒くなるからな」
「は〜い」
「ありがとう晃牙くん、楽しかった」
俺の手を振る凛月の真似をして、控えめに笑う羽風薫を横目に見ながらアパートの中に入った。
そのあとすぐに寝て、起きたのは夕方過ぎ。症状はすっかりなくなっていて、代わりに夕方の散歩に連れて行けとレオンが俺の腹に昇ってぺろぺろと俺の頬を舐めた。
「わかったよ」
準備をしながら庭を一瞥する。流石に帰ったか。人の気配はない。
アパートから出るとすっかり先程の陽気は無くなって、涼しい風が吹いていた。まだ少し寒い気もする。上に羽織ったジャケットのチャックを締めると、いつものルートを辿る。レオンももう覚えてしまっていて、ズンズン進んでいく。
「薫さん帰ったよ」
アパートに戻ると共用スペースに何やら物を移動させている凛月がいた。「重かった〜」
「なんだそれ」
「なんだろ、わかんない」
薫さんを迎えに来た人がくれたんだ、とでかい段ボールを床に置いてそう言う。ガムテープが貼られていて中身を見ることはできない。
「二箱あったら一個はあげるね。コーギー来てから開けようと思ってたんだ〜」
手にもっとカッターで切り開いていく。中身は、箱いっぱいのお米だった。しかも一級品で新米。どこぞの日本食料理店で出されるようなブランド米だ。
「わ〜これでしばらくは困らないね、よかった〜」
「なんでこんなもん」
「そういえば薫さん迎えを呼ぶ時に『ご飯食べたらお礼持ってきて〜』って言ってたよ。お金持ちだったんだね」
それは知ってる。なんとかって言う財閥の関係者が身内にいるとか噂で言われてた。
「あ〜また来てくれるかな、面白い人だったね」
「…もう拾ってくるなよ」
「え〜俺の拾い癖はもうなんか習慣だから…あ、そういえばもう一個あるよ」
「何」
「はいこれ、薫さんから」
無理やりリードを持つ手を引っ張られたと思ったらポケットから出した物をそこに置かれた。見ると、小さなガラスの玉。
「ビー玉だって、桜綺麗だから」
綺麗だったから、と凛月がそう言った。羽風薫がそう言って笑う顔は容易に想像できた。