306話の行間 どうしてもとどうして 爆発の煽りを食った兵士たちの呻き声が車内に木霊する。座席は吹き飛び、後方の壁には大きな風穴が開いて、そこら中に血が飛び散っている。自分の姿も無様なもので、頭を切ったのか血が流れてきて鬱陶しい。
ぐらぐらする身体を這うようにしてどうにか座席の陰に隠したが、敵の気配はどんどん近づいてくる。何とかせねばと焦りが滲む。
床に転がっている手投弾が目に入った。
――もうこの手しかないか。
本来なら、今頃自分はこの世にはいないはずだった。それが今なお生き長らえているのは、鶴見中尉殿のおかげだ。
甘い嘘で騙されていたのだとしても、使い捨ての便利な駒にするつもりだったとしても、私の戦友だからと言ってくれた言葉に偽りは無かったのだと、今は思っている。
死刑になるはずのところを救い出されたのは事実だ。落とすはずの命を拾われた。だから、拾い主のためにこの命を使う。それが筋というものだろう。人の道を外れた人でなしなんだ、せめて最後にそれくらい、真っ当な人らしい終わり方を望んだっていいじゃないか。
だって、あの子はもういないのだ。他に生きる理由も無かった。
今更思い残すこともない。鶴見劇場を最後まで拝めそうにないことが多少残念といえば残念か。
そう思うと、急に気が楽になった。焦りで波打っていた心が、凪いだように静かになっていく。
今まで幾度も手投弾のピンを抜いてきたので、この時も手が震えたりはしなかった。一息にピンを引き抜き、肘置きを蹴ってぶつかるように飛び掛かると、敵の襟を引っ掴む。男は自分の体重を受け止めて、一瞬巨体をぐらつかせたが踏みとどまった。やはり化け物だ。地面に押し倒してしまえたら一番確実だったが、仕方がない。不安定な状態で相手の上半身に組み付いた。
こいつを叩きつけてやれば終わる。
左手を振り上げた。
「月島ッ」
響き渡った声に、はっとして顔を上げた。
いつの間に現れたのか、敵の頭越しに銃を抱えた鯉登少尉が驚いた顔で立っているのが見えた。
「 来るなッ」
「よせ月島ッ」
真っ直ぐにこちらへ向かって鯉登少尉が駆けてくる。来るなと言っているのが聞こえていないのか?状況がわからないわけでもなし、何を考えているのだろうか。手投弾を持った人間に向かってくるなんてどうかしている。こちらへ来られたら爆発に巻き込んでしまう。
――どうして。
この敵はここで排除しなくてはいけないのに。
この手を、自分は振り下ろさなければいけないのに。
――どうして俺は動けない。
頭ではわかっているのに、振りかざした左手が下ろせない。敵を殺す時にも、死を覚悟した時にも震えなかった腕が、葛藤でブルブルと震える。
あの人のために自分が死ぬのはちっとも構わない。むしろ本望だ。
でも。
でも、あの人のために死にたいという自分の我儘のために、この人を死なせるわけにはいかない。
俺はこの人をどうしても死なせたくない。
――ああ、どうしてだ。
この命は、自分のものであって自分のものではない。
生き方なんて選べない。
ならばせめて、死に方は選ばせてくれたっていいじゃないか。
今が命の捨て所なのだ。敵を倒すことは、中尉のためにも少尉のためにも必要なことのはず。きっと今度は間違っていないはずなんだ。
それなのに何故止めるんだ。
優先するべきを間違えるなと、あなたが言ったんじゃないか。
――なんでなんだ。
「……なんで……いつもきかないんだ」
吐き捨てたつもりが、哀願するような声音になってしまった。ままならない上官と己が本当に嫌になる。
その隙を見逃さず、巨漢は自分を抱えたままで、振り向きざま鯉登少尉ごと自分を放り投げた。あっさりと我々の体が宙を舞う。
少尉殿、その頬の傷はどうしたんです。軍刀はどこへやってしまったのですか。肩にまで大怪我をしているではありませんか。
そんなボロボロの姿になってまで、どうしてそこまで必死になって、何の権利があって私の覚悟を滅茶苦茶にしようとするんですか。
ああ、もう、本当に。
折角ついた決心が台無しだ。
この人はどうあっても俺を死なせてくれない。