ハロウィン鯉月のあらすじ(ボツ)前編ある日の仕事帰り、会社員・月島基は駅へ向かう途中ショートカットしようと通った公園で、行き倒れを発見した。
木の陰に隠れるようにして倒れているその若い男、酔っぱらいか浮浪者かと思ったが、身なりは悪くないし人相も悪くない。ただし顔色はすこぶる悪い。体調を崩しているのかと、月島は若者の傍らにしゃがんで声をかけた。
「どうしました。大丈夫ですか」
若者はうめき声をあげて、どうにか月島へ顔を向けた。
「救急車呼びましょうか?」
「いや……それより、このあたりに薬局は……」
「薬局?うーん……ドラッグストアなら確か……」
突然はっとした顔になった若者は、立ち上がりかけた月島の足を掴んだ。
「おはん……」
「ごはん?お腹空いてるんですか?」
「ち、違う!」
地面に転がしておくわけにもいかないので、月島は若者に肩を貸して立たせた。口を押さえて具合悪そうにしていたが、若者は一人でも歩くことが出来るからと、近所のドラッグストアへ一緒に向かった。
ドラッグストアに着くと、若者は「ちゃんとお礼したいので、薬を買ってくるまで待っててくれ」と言い、店の棚には目もくれず真っ直ぐ会計所まで行くと、免許のようなカードを見せて店員から箱を受け取った。出入口で待っていた月島のところへやってきて、「もう少し待っててほしい」と今度は路地へ入ってごそごそしだした。
「お礼とかいいんで、大丈夫そうならもう失礼します」と月島が帰ろうとすると、若者が慌てて飛び出してきた。その手には注射器。中には赤い液体。ぱっと後ろ手に隠したが月島はしっかり見ていた。
「その注射……ああ、吸血鬼なのか」
「驚かんのか」
「珍しいとは思いますけど……あ、さっきの言い方は人種差別になるのかな」
現代には様々な人間がおり、かつては昔話の中だけの存在と思われた、いわゆるファンタジーな属性を持つ人間が時々現れる。狼男や狐女といった獣人や、彼のような吸血鬼など。
「我々は他人の血液からでないと一部の必須アミノ酸が吸収出来ない。属性というよりも、ある種の機能不全だ」
必要な量の必須アミノ酸をとるため、吸血以外の手段として、今は輸血パックか、緊急時用の補助治療剤があるのだという。事情があって、そのどちらも持っていなかったために先程は動けなくなっていたのだそうだ。手にしている注射器の中身は自己注射薬で、人に見られると誤解されるのでこっそり射とうとして隠れたのだ。
「そういうお前は?ヒトか?」
「俺?俺は見ての通りです」
「(普通の人間に見えるが……?)ともあれ本当に助かった。食事でもご馳走しよう」
「いや別にそこまでされることじゃないし、君まだ学生じゃないのか?身体のこともあるし早く帰ったほうがいいんじゃ」
「金ならある。それに……家には帰りたくない」
家出少年だったらしい。訳アリな様子の若者を放置して、また倒れられても寝覚めが良くない。
「困ったな、そろそろ俺は帰りたいんだけど」
「家は遠いのか?」
「そこまで遠くない」
「家族が待ってるのか?」
「いや……いないよ誰も」
「じゃあ……こういうのはどうだ」
一晩泊めてほしい。助けてもらった分と合わせて謝礼はするから。若者は熱心に頼み込んだ。家に帰りたくないからというより、まだ別れたくないという様子だった。
「別に礼はいいけど、うち片付いてないし寝るところなんてないぞ」
「この際贅沢は言ってられん」
「地味に失礼だな……」
「夕食は?」
「家で作る。君もまだなら食べるか?」
「いいのか!」
顔を輝かせて、若者は思い出したように付け足した。
「鯉登という」
「月島です」
ようやく名乗り合い、じゃあ行こうかと歩き出した月島の後ろで、鯉登はきらりと目を光らせた。
タクシーを呼ぶという鯉登を宥めて電車で帰ってきた月島は、簡単な食事を2人分作って鯉登と食べた。鯉登は床に座ってちゃぶ台で食事することをえらく楽しんでいる。
1Kの広くない住まいを見てもなお泊まる気でいるらしい鯉登に月島は何故家に帰りたくないのか尋ねた。
「意に沿わぬ見合いを勧められている」
「お見合い……上流階級は違うんだな。まだ若いのに」
「いや遅いくらいだぞ?」
「?」
見合いといっても結婚相手ではなくて、初めて血を吸う相手のことらしい。ファーストキスならぬファースト吸血か。しかし事実上の交際扱いになり結婚に発展することもあるという。
「吸血人は他人から血を吸って一人前と言われるが、私は気が進まなくて」
大人になるまでに、大抵の吸血人は他者の血を口にするのだが、たまにその機会を得ないまま成長する者もいる。鯉登がそうで、心配した周囲から勧められてくるのは、外見や家柄に文句のつけようもない良い女性ばかり。しかし鯉登にはどうも皆生臭く感じるのだという。
「においなんてわかるものなのか」
「写真からでも想像がつくし、実際に会えば味まで予測がつく、月島も……」
「俺?」
身構えた月島に慌てて鯉登が首を振った。
「いや!月島は生臭くない!とても美味しそうなにおいだ!」
「美味しそう!?」
ますます警戒して距離を空けようとする月島に鯉登が一生懸命説明する。
「む、無理矢理どうこうしようなんて思ってない!私はまだ誰の血を吸ったこともないんだぞ!」
「よかった……もし力づくでとか言われたら殴り倒すところだった」
「そんなことせん!気味悪がらず話を聞いてくれた恩人を襲ったりするか!」
疑われたことを心外だと言わんばかりに真っ赤になって頬を膨らませた。
「で、お家の人と揉めて帰りたくないと」
「社会に出るまでに、吸血出来るようになっとかんといかん。でも、吸いたいと思う相手が今までおらんかった。私だけがおかしいのかと思っていたが……私にもちゃんと吸いたいという欲求があることが今日わかった」
「それって俺のことか?」
恥ずかしそうに鯉登が頷いた。公園で出会った時から、この年上の男からはなんとも美味そうなにおいがしていたのだ。思いつめた顔でしばらく俯いていたが、意を決したように月島を見た。
「もし出来るなら、月島の血をもらえないだろうか」
「……血を吸わせろと?」
鯉登が今度は強く頷く。
「俺、男なんだけど」
「性別は関係ない」
「血液検査そんなにいい数値じゃないはずなんだが」
「健康であるに越したことはないが、強いていうなら遺伝子が好みかどうかだ」
「んー……遺伝子……」
「誰でもいいわけじゃないんだ。月島の血がほしい」
眉間に皺を寄せている月島に、鯉登はなおも頼み込んだ。
「助けると思って……お前の血なら飲めると思う」
「血を吸うって、牙を刺されるんだろう?映画で見たけど……痛いんじゃないのか?」
「痛くしない!我々が吸血するときは、相手を痛めつけないように麻酔と弛緩効果のある唾液が出る」
「蚊みたいだな……」
「虫と一緒にするな」
一瞬むっとした鯉登が、にやりと笑って囁く。
「あれは刺された後が痒くなるが、我々の吸血は全く違う。相手を快感で恍惚とさせるのだ。ストレスを与えると血が不味くなるから」
「なるほど」
「吸われる側は大層気持ちいいらしいぞ。また吸ってほしいと言われることもあるとか。マッサージを受けるようなものと思ってひとつどうだ」
「うーん……」
「嫌だったらすぐやめるから。牙の先っちょだけでいいから」
「なんかその言い方は若干嫌だな……」
「キェェ……」
しょぼんとした鯉登が何だか気の毒になり、月島はため息をついた。
「まあ、献血みたいなものと思えば…」
「!いいのか?」
「少しだけなら……要は他人から血を吸ったという事実があればいいんだろう?」
「そう、そうだ!お膳立てなどされずとも吸血できると証明出来れば……!」
「で?俺はどうしたらいい?」
「この家にカウチソファは無いのか?」
「見たらわかるだろ」
余計な家具を置くスペースはない。献血のときは採血用のベッドに座ると聞いて、鯉登は月島をベッドに座らせることにした。
「吸うのは利き腕じゃないほうがいいよな?」
「あ、腕でいいのか」
「月島がいいなら私は首の近くがいいが……」
「腕でお願いします」
鯉登は月島の左隣に座ると腕を取った。前腕を持ち上げて「ちょっとちくっとするぞ」と念押しした。
「そのくらいなら我慢するけど……あまり痛くしないでほしいな」
「……やってみる」
鯉登は口を開けると、かぷっと月島の腕に噛みついた。言ったとおり、ちくっと注射されたような痛みがあった。だが痛みは拭うように消え去り、噛まれた腕の部分からはじわりと熱が広がりだした。ぽかぽかと身体全体が暖かくなり、構えていた余計な力が抜けていくように月島は感じた。睡魔が迫り、月島は瞼が重くなってきた。腕に食いついている鯉登の喉が上下している。ちゃんと血が飲めたということだろう。これで気も済んだかなと、月島は目を閉じた。
「月島!月島!」
大声で呼びながら肩を揺さぶられて、月島は目を覚ました。眠ってしまったようだ。頭がぼんやりする月島の目に入ったのは、泣きそうになっている鯉登の姿だった。唇の端がまだ赤く濡れている。
「あれ……?」
「すまん月島!私が血を吸いすぎたせいだ。そのせいで倒れて……」
貧血で意識が遠くなったということらしかった。あまりに自然で、不快な感覚もなかったので、月島からすると普通に寝落ちしたのと変わりなかった。のっそりと月島はベッドから起き上がった。
「大丈夫だ。なんだか逆に身体の調子もいいような……確かに気持ちよかったな。これお金とれるんじゃないか」
「商売ではないぞ……」
「そのくらいよかったってことだよ。気にしなくていい。また頼みたくなるという話もこれなら頷けるな」
「……本当か……?」
申し訳なさそうにしていた鯉登が少し元気を取り戻した。月島は欠伸をして再びベッドに横たわった。
「まだ電車あるだろ……タクシーでもいい、ご家族が心配するから帰りなさい……」
「えっ、月島は……」
「俺はもう寝る……吸血は出来たんだからご家族も納得なさるだろ……鍵は開けっ放しでいいから……」
眠気だけではない、全身を覆う倦怠感に抗えず、月島は鯉登の返答を聞くことなく引きずり込まれるように寝入った。
朝になり、月島は仰天した。まだ鯉登がいるではないか。それも同じベッドの上に。まるで添い寝でもするように隣ですやすやと眠っている。慌てて揺り起こして、なんで帰ってないんだと訊いた。目覚めた鯉登は、正体もなく眠っている人間を放置していくことはできない、まして自分が原因なのだからと堂々と答えた。
「今朝はどうだ?身体にどこかおかしいところは?」
「大丈夫だって。いつもより快調なくらいだよ」
「……なら、また血をもらいに来てもいいか?」
「えっ?」
「今度は吸いすぎないようにする!」
「え、えぇ……?」
必死に、きらきらと輝いた瞳で懇願され、結局月島は「たまになら……」と鯉登のお願いを受け入れるのだった。