甘えんぼモンスターの成獣 なぜか、梅宮を見上げている。より正確に言うならば、すっかり瞳孔の開いた梅宮の向こうに広がる空を見上げている。雲が少なく、快晴と言っていい空模様だ。天気が良いとなんとなく元気な気がする。
「なあ」
「黙ってろよ、今状況を良い感じに噛み砕いてるところなんだからよ」
「あ、そう」
梅宮はぱちりと瞬きをひとつすると、また口を閉ざした。
どうしてこんなことになっているのだったか、柊にはいまいち理解できていなかった。杉下の去った屋上で二人、畑と畑の間の小さなスペースで、柊は梅宮によって押し倒されている。つい数分前まで野菜の苗の育ちが良くてご機嫌の梅宮と、それを嬉しそうに見る杉下を眺めてベンチに座っていた。梅宮はともかく、杉下は自分の預かる衆の人間であり、以前から交流もあって柊にとっても大事な可愛い後輩なのだ。それが土汚れを頬につけてニコニコとしているもんだから、軽く拭ってやって、ついでに頭を撫でた。杉下の髪は柔らかく、指通りが良かった。
『お前髪括ったら?綺麗なのに汚れるぞ』
ここか、ここだろうな、奴が気に食わなかったのは。なんだ、杉下を可愛がったらいけないのか?お前は杉下の何なんだ。あ、髪に触ったのがいけなかったのか?あー……なるほど?そうだよな、嫌がる奴はいるだろう。……いやだから杉下にキレられるならわかるんだがなんでお前がキレるんだよ意味わかんねえよ。
お手上げだった。柊と言えど梅宮の思考を完全に読むなど不可能だった。
「あー……なんだ、何がお前の癪に障ったんだ?」
「え?」
「あ?杉下構ったから怒ってんじゃねえの?」
「いや……構ったら良いと思うよ……?杉下可愛いよな……」
違ったらしい。杉下は別に関係なかったようだ。じゃあなんだ。わからん。なんだ。
柊がウンウンと唸りながら思考をしているのを、黙ってろと言われた梅宮はジッと見ていた。梅宮は徐ろに柊の首に触れる。じっとりと鎖骨に繋がる筋を撫で上げ、喉仏を掠めて手のひら全体で首を掴み、温かなそれにほんの少し力を入れた。とくん、とくん、と生きている感触が手のひらを伝って梅宮に知らせる。
……温かい……生きている。
時々、本当に時々、寂しくなるのだ。自分の周りには有難いことに沢山のひとが集まる。みんな優しく、気が良く、彼らと関わるのは本当に幸せだ。けれどそれとは別に、あの日失ったものを思い出すことがある。お父さん、お母さん、弟か妹になるはずだった小さな兄弟。あの日こびりついた死の匂いが、梅宮の内側にひっそりと息づいている。いつか、誰も彼もが自分の前から居なくなるんじゃないか。そんならしくない思考をする瞬間が、梅宮にはあった。そんなとき、無性に人肌が恋しくなるのだ。
梅宮はゆったりと身体を倒し、柊の首元に顔を埋める。
「柊、俺も撫でて」
こんな姿は、弟たちには晒せない。先生や四天王のみんなにも、出来れば晒したくない。晒して良いと思えるのは、柊登馬ただ一人だった。
なんだそれ。柊は驚きや不快を極限まで高めた末に真顔になった。何をするかと思えば首を触り始め、あまつさえ絞めてきた。この時点で柊は拳を握ったが振り抜く前に梅宮がぽすんと倒れて来たのだ。……いや嘘だ。ドスッかも。なんなんだお前は。
唐突だが、柊登馬は梅宮一が嫌いだ。好き勝手に周りを引っ掻き回し、己を振り回しては屈託なく笑うアイツが嫌いだ。もはや自傷とも言えるまでの負けん気が恐ろしい。だのにアイツは自分にリードを渡してくるもんだからたまったもんじゃない。ブレーキになれって?冗談じゃない。自然災害を止めろと言われている気分だ。
それでも柊がわざわざ風鈴に来て、わざわざ隣に立っているのは、こんな弱々しい姿を自分にだけ晒されるからだろう。柊登馬と云う男は、縋られたら断れない男であるのだ。それが誰であろうと、柊は抱えてしまうのだ。
柊は深く深く息を吐く。握った拳を開き、梅宮の白髪をくしゃりと掴む。数回上から下へ撫で付けると梅宮は身じろぎ、ゆっくりと身体を起こす。
「……気は済んだか?」
「おう!」
「お前さ、甘えたいなら彼女に甘えろよ。引く手数多だろ」
渋い顔をして柊が問うと、梅宮はニカッと真夏の太陽のような笑顔で応えた。どうせ文句を言ったところで梅宮は甘えてくるのをやめないし、それならばさっさと立ち直ってくれた方がマシだ、と柊は脱力して目を閉じた。
唇に何かが触れた。まだなんかあるのか、と目を開けると、すぐ近くに翠緑色があった。肉厚の唇が押し付けられて、リップ音を微かに立てて梅宮は離れて行った。ほんの二秒ほどだっただろうか。
……コイツ睫毛まで白いんだ。
梅宮はおそらく世間一般に言う『イケメン』だと思う。パーツひとつひとつが整っている。勝気に吊り上がる眉に、甘っとろく垂れ下がる目、このバランスにクラッと来る女子も多分一人や二人じゃないんだろうな、と思う。中身だって(ちょっと行き過ぎたところはあるが)正義感の強い(近くにいたら大変うるさいが)ハツラツとした(頑固で自己中だが)好青年だろう、カリスマもある。コレだってむしろ自分にだけベッタベタの甘えんぼモンスターになるって言ったらギャップ萌えってヤツなんじゃなかろうか。
が、それとこれとは別だ。
柊は優しく微笑み、右手をグーの手にして、梅宮の頬目掛けて振り抜いた。
「ザッッッッッけんなよお前ッ鳥肌立ったわ!!彼女にやれやッッ!!」
梅宮はヒョイと柊の拳を避けると、手首を掴んでグイ、とまた唇がくっ付いてしまいそうな程に顔を近付けた。柊は口の端を引き攣らせて目を見開く。
「俺はお前とどうこうなったってそれはそれで良いと思ってるよ」
ああ、なんてこった。
言い出したら聞かないぞ。
「お、い……待て……」
「でもお前は俺が嫌いだから、簡単にはどうこうならないと思ってる」
「おお、そうだ、どうこうはならない……ヨシヨシ、分かってるな……」
「どうにかなったって今とそんな変わらないだろうけど、そしたらこういうのは絶対させてくれなくなるだろ?」
「そうだな、今もしたくないな」
にこりと笑う梅宮に、柊はホッと胸を撫で下ろす。ちょっと行き過ぎたいつもの戯れだったんだろう。コイツはスキンシップ過多で困る。はーやれやれと上体を起こそうとするとやんわりと押し返された。まだあるのか。
「俺はお前を口説かない。けど『そういう気』は、あるからな」
お前次第だよ、と梅宮は唇を柊の痩けた頬に押し付けて、甘く垂れた目を片方ぱちん、と閉じた。柊がひくりと頬を引き攣らせているうちに梅宮は柊の上から退いてウン、と背を伸ばす。
「天気良いとなんか余計に元気な気ィしねえ?」
女子に向けたら黄色い歓声が上がるくらい晴れやかな輝く笑顔で柊を振り返った。思いっきり顔を顰めた柊は盛大に舌打ちをする。
「本ッ当にお前嫌い……」