熱海へ行きましょうカムイは唐突に「おめでとうございます!」と言って手に持たされた封筒をじっと見る。
おめでとう、とはどういうことだろうかと首を傾げるが、誰からも何の説明もない。
「すげぇじゃん、カムイ!」
「やったな!」
拓馬と獏に両脇を固められ囃し立てられるが、その凄さとやらもよくわからない。
自分はただ隼人に頼まれた買い物をして、レジで渡された抽選券とやらと引き換えにガラガラと小さなハンドルを回しただけだ。もともと抽選所に行くつもりもなかったが、せっかくだから引かねぇともったいないだろうと、何故か買い物についてきた拓馬と獏に半強制的に連れて来られてしまった。
コロリと飛び出てきた金色の玉を見て、周囲はわっと湧き上がる。どうやら、状況を把握出来ていないのは自分ひとりだけのようだ。
(悪いことではないらしいが……)
渡された封筒を開けると、中には「一等賞品 熱海温泉ペア宿泊券」と書かれた厚手の紙と、引き換え用の説明書類が入っていた。
「温泉?」
「はい、熱海に一泊二日だそうです」
「そうか、良かったな」
隼人の言葉のあと、その場に沈黙が流れる。
それならいつ行こうか、などと能動的な言葉を期待していたわけではないが。
あまりにも他人事のように言われて、途方に暮れる。
挙句の果てに「拓馬たちと三人で行くなら一人分足りないな。いつも調査を手伝ってもらっている礼に私が出してやろう」などと言い出す始末だった。
「そうではなくて……!」
崩れそうになる膝に力を入れる。こういう人だと、わかっていたはずだ……!
自分の希望を通そうとするのなら、相手にきちんと伝わるように説明しなければならない。それがこの家で、隼人と生活していく上での不文律だ。
「神さん」
「いつの休みなら、旅行へ行けますか」
問い掛けると、隼人は何を言っているのだという顔をしていた。
隼人のスケジュールなど、もちろん半年先まで把握している。いつなら行けるか、と問うているのだ。
「休みの予定なら」
わかっているだろうと。案の定隼人からはそう答えが返ったくる。それなら、
「空いている日に入れて良いということですね。では、来月の休暇に合わせて旅館に予約を入れましょう」
「待てカムイ、いったい何を……」
少し慌てたような声は、想定していない事態が起きたからだ。
カムイと二人で旅行に行くということなど全く考えていないことが次第に腹立たしくなり、スマホで指定のサイトにアクセスすると、高速で予約を入れる。
「予約完了しました。来月十五、十六日の一泊でよろしくお願いします」
「おい、カムイ」
「熱海に行きましょう、神さん」
温泉は初めてです、と言ってカムイは小さく笑う。
温泉どころか隼人と旅行に行くこと自体初めてだが、そこはあえて口には出さなかった。
言うだけ言って部屋に戻っていくカムイの背を、隼人は複雑な面持ちで見送る。
あの子が問い掛けではなく、断定的な提案をしてくることは非常に珍しい。なんなら、初めてと言っても良い。
昔から聞き分けが良すぎるくらいだったが、そんな子が初めて主張するのが自分との温泉旅行とは。
(何を考えているんだか)
今時の若いもんの考えることはわからないが、温泉旅行など久しぶりではあるのでまぁ良いか、と納得することにした。
温泉と美味い飯と酒。
(悪くはない)
そう考える隼人がカムイの思惑になど、当然気付くことはなく。
旅行から帰ったカムイから話を聞き出そうとした拓馬と獏は、全ての振りをかわされたことで、残念ながら面白いことは何も起こらなかったのだということを察せざるを得なかった。