喋らねぇで、場地さん…!①「千冬ぅ、手たりねぇから、飲み物取りに来てくれ」
「分かりました!」
学校帰りに場地の家に遊びに来ていた千冬は、そう大きな声で返事をした。
もう随分慣れた憧れの人の部屋で急いで立ち上がると、食べ物を取りに行った場地の元へと急ぐ。
と同時に、どこか身体に違和感を感じた千冬は、場地の元へ向かいながらも首をかしげた。
身体の動きが自分の意思と噛み合っていない。そんな不思議な感覚がある。
目的の場所へは向かっているものの、思っているタイミングで手足が動いていない気持ち悪さに、思わず顔を顰めた。
「なんだ……? これ……」
突然の事に困惑しながらも台所へたどり着けば、身体への違和感はピタリと止まった。
余計に訳が分からなくなり、千冬は混乱したような面持ちで自分の両手足を確認する。
来たと思えば、そんな挙動不審な動きをする友人に場地は首を傾げた。
「お前、何してんの?」
「え、あ、いや……」
そう聞かれても、どう伝えればいいのか分からず言葉が詰まる。
むしろ千冬の方が答えを知りたかった。
「まぁいいわ。俺は食いもんいくつか持ってくから、お前はこれ持ってってくれ」
「っす! ありがとうございます」
言われた通り、テーブルの上にあるお茶の入ったコップを手に取ろうとすると、再び千冬は体の違和感を感じた。
まただ。
千冬が思っているよりも先に、自分の手がコップを掴んでいる。
「なんで……」
「ん? なんか言ったか?」
戸惑いと焦りを含んだ声を聞き、菓子を見繕っていた場地が振り返る。
「そ、それが……、えっと……」
なんとか説明しようと思うものの、状況に頭が追いついておらず上手く言葉にできない。
その間も身体は勝手に動き続け、なんの説明もできないまま場地の私室へと向かっていく。
結局畳の上にコップを置くまで、千冬の身体は止まることはなかった。
「くそっ、なんなんだよ、これ……」
自分の意思とは関係なく動く身体。悪態をついて強がってみても、そのなんとも言えない気持ち悪さが悪寒となって背筋を走った。
「千冬、お前マジでなんかあった?」
「あ、場地さん……」
部屋に戻ってきた場地は、手にしていたいくつかの菓子を畳の上に置くと、千冬の顔を覗き込む。
眉間を寄せるその顔には、ありありと心配という文字が浮かんで見え、強張っていた千冬の身体が僅かに解ける。
「それが……、俺にも何が何だか……」
青ざめた顔をする親友に、場地の眉間の皺が深くなった。
「誰かに、何かされたりしたのか?」
「そんな奴いたらブッ飛ばします!」
「じゃぁ何があったんだよ。俺は察するとか得意じゃねぇから、ハッキリ言えって」
心配してくれている場地には、ちゃんと応えたい。けれど、身体が勝手に動いているなんて、言ったところで信じでもらえるだろうか。
そんな思い悩んでいる千冬の身体を、ピリピリとした痺れが走り抜けた。
一体何がと思った次の瞬間、千冬の唇は勝手に動き出し、言葉を発していた。
「俺も不思議なんすけど、なんかさっきから身体が勝手に動いてる感じがしてて……」
「身体が勝手に……?」
首を傾げる場地の前で、千冬の顔は真っ青になる。
今まさに起きた現象だ。場地に話すかどうか迷っていた千冬の心は置き去りに、口が勝手に動いていた。
(場地さんにハッキリ言えって言われたら、急に身体が痺れて、口が勝手に……。場地さんに……? え、まさか……)
「勝手にって、何か病気とかか……? 熱とかねぇよな。ちょっとデコ出せ」
「えっ……」
今まさに異変のキッカケに気づいた千冬に、場地からそう声がかけられる。
そして予想は外れる事なく、千冬の身体をピリピリとした痺れが駆け抜け、次の瞬間、右手は勝手に前髪をめくっていた。
遠慮なく晒された千冬の額に、場地の額が迫る。
眼前が憧れの人で埋め尽くされた千冬は、悲鳴とも呻き声とも取れるような小さな声をあげた。
「んー、熱はねぇか……?」
よく分からないと言って、ペタペタと額をつけては離してを繰り返す行為に、千冬はなぜか冷静ではいられなかった。
ここにいたらまずい。
何が不味いのか言葉には出来なかったが、心が警鐘を鳴らしていた。
「俺、帰ります……!」
「は? なんだよ急に」
不服そうな場地に良心が痛みつつも、千冬は頑として立ち上がる。
「まだお前の不安、なくなってねぇんだろ? ……それとも俺じゃぁ頼りねぇのかよ」
「そ、そんなわけ無いっす!」
でももし場地の言葉通りに身体が動いてるんだとしたら、このまま一緒にいると、どんな失態を犯してしまうか分からない。
「つうか、お前顔赤くねぇ?」
「いや、これは……」
場地と顔が近かったからだと言えるわけもなく、千冬は顔をそらす。
「マジで具合悪いなら、せめてお前の母ちゃんが帰ってくるまでウチで寝ていけ」
「うっ……」
そう命令口調で言われてしまえば、千冬の身体は逆らえない。
身体が勝手に場地のベッドに手をかける。
ダメだ、流石にダメだと必死に抵抗するものの、身体は駄々をこねるように場地のベッドから手を離さない。
「何だよ、やっぱ辛いのかよ。遠慮してねぇでさっさと寝ろ」
必死の抵抗を無に帰すような、無情な追い打ち。
語気がより強くなる程、身体への強制力が増すのか、到底抗えないほどの強い力に動かされ、千冬は場地の布団に包まれてしまう。
ふわりと香る持ち主の香りに、ますます顔が赤くなる。
千冬のそんな顔色に気を揉みながらも、ようやく言うことを聞いたかと、場地は僅かにホッとしたような表情を浮かべた。
「とりあえず、体温計と、頭冷やせるもん持ってくるわ」
「あっ……」
背を向け、部屋を出て行こうとする場地の背に、背後から小さな声がかかる。
振り返れば、思わず出た声を隠すように、両手で口を押さえる千冬の姿があった。
「どうした?」
「えっと……、何でも無いです」
あからさまに目を逸らす千冬に、場地は頬を引きつらせた。
先ほどからどうにも煮え切らない態度の続く千冬に、場地の我慢も限界に近くなる。
「……さっきから何度も……。言いたいことはハッキリ言え!」
「……い、行かないで下さい……。せ、せっかく一緒にいれる時間だから……」
「あ?」
場地に命令されてしまえば、千冬に断ることはできない。
自分は出て行こうとした癖に、場地が出て行くのは嫌だと、何とも理不尽で子供じみた事を口にしてしまったと、千冬は茹で上がった顔を両手で覆う。
恥ずかしさで場地の顔も見れなかった。
もはやこうなっては、この恥ずかしさを救う手立ては一つだけだ。場地に信じてもらえるかは分からないが、本当の事を全部伝えよう。そして家に帰る事が今の最善だ。
もし場地の言葉が原因なら、ひとまず声が聞こえる範囲にいなければ、こんな現象は起きないのだから。
そう覚悟を決めた千冬は、両手をゆっくりと口元までズラして、場地を窺うように見た。
「す、すんません……。あの、俺……場地さんに命令されると、身体が勝手にその通りにしちまうみたいで……」
「は……? どういう事だ……?」
「信じらんないっすよね。俺もそうです。でも、さっきから場地さんの言葉通りに、身体が勝手に動いちゃうんです」
そう話す千冬の表情は、とても冗談を言っているようには見えなかった。