竜の守護者1.The flame behind the eyes
瞳の奥の炎〜マトリフ〜
ポップを弟子にして暫く後の事、マトリフは今日の魔法修行が終わってホッとした顔をしている弟子に声をかけた。
「おい、お前チェスを指したことあるか」
「俺みたいな庶民にはチェスなんてお貴族様のゲームとは無縁だよ。 キングとかナイトの駒があるのを知ってる位だ」
ポップはマトリフが部屋の奥から引っ張りだしたボードを見ながら言った。
「まあそうだろうな。俺も魔法使いの弟子入りする迄見たことは無かった」
師匠がまた面倒な事を言い始めたな、とわかりやすい顔をした弟子を無視してマトリフはテーブルにボードを置き、駒を並べた。
「今はゲームをするつもりはねぇよ。 これを使って今までの魔王軍とのバトルを再現してみな」
「駒を使って」
ポップは自分の前に並んだ黒の駒を抓んで首を捻る。
「魔法使いはパーティの誰よりクールに、全体を把握しなくちゃならねぇ。それにお前のところの大将のダイは火力と戦闘センスはピカイチだがパーティ全体の戦術を組み立てるのは苦手だ」
「だからお前が味方の戦力を把握し、誰と敵を組み合わせれば勝てるか、遭遇した瞬間に判断する必要がある」
マトリフが黒の駒からポーンを取り除け、クイーン ビショップ ナイト ルークからもひとつずつ除けた。
「キングはダイ、ルークはクロコダイン、ナイトはマアムやヒュンケル、ビショップは…賢者のレオナ姫てとこか。クイーンはお前だな」
「ええっクイーンは姫さんじゃねぇの」
ゲーム上だとは言え女扱いにポップは不満気だ。
「まあクイーンがキングに次ぐ威力だって事と、機動力がルーラができる魔法使いらしいってだけだから気にするな」
マトリフがニヤつきながら説明を続ける。
「白は先行、魔王軍だ。基本奴らから仕掛けてくるのをパーティで撃退するしかねぇからな。バトルの舞台を決めるのも、数で勝るのも奴らだ」
マトリフは真剣な眼差しになる。
「ゲームなら負けた駒は盤外で待機だが、現実は戦闘不能な怪我を負ったか死んだって事だ。魔法使いが役目を果せなかった証拠だな」
「戦闘不能…」
ポップが呟きながら黒の駒をボードに散らして配置し、次いで白の駒を並べ替える。
「初期配置は決まったか? ざっとでいいから誰がどんな役割をつとめたか説明しながら動かしてみな」
「ポーンがモンスターとして…」
ポップは最初はぎこちなく、次第に澱みなく黒白の駒を動かす。
「思った通りお前は後衛職の癖に前に出過ぎだ。奴さんの思惑通りだろうが。情けねえ……これで終わりか。文字通りの辛勝だな」
師匠のもっともな指摘にぐうの音もでない。ポップは頬を掻き苦笑いした。
それ以来マトリフの洞窟で修行をする日の締めくくりとしてチェスを使った戦術戦略講義が習慣になった。
マトリフは駒を左右の手で目線の高さへ持ち上げ、
「いままでは敵と同じ目線でバトルする事が多かっただろうが、そのままじゃ効果的な攻撃はできねぇ」
駒を戻し、この位置からとボードの一点を指す。
「お前のイオラなら雑魚モンスターをまとめて一撃で仕留められる」
「だけど射線上に味方がいるから撃てないって話だろ」
駆け出しの頃じゃあるまいしその位判断できる、とポップがため息をついた。
「だから味方だけでなく敵の配置も鳥瞰して考えてみな」
マトリフはボードを更にポップの胸元に押しやり、中央の上空から見下ろす視点で観測させる。
「魔法使いが戦術をたてるのに有利なのは何も知識と魔法力が他職より豊かなだけじゃねぇ」
「そいつのレベルや素質にもよるが、ルーラやトベルーラを使えるのはデカい。人間ってのは上からの攻撃を想定するのは難しい生き物だ」
目が顔の正面についてるから立体視ができるが、視界は一部の動物やモンスターより狭い。
訓練をしてない人間では前後左右は兎も角、頭上の危険には気がまわらない。
剣豪とよばれた男が、木の枝から落ちてきた蛇に噛まれたなんて笑い話もある、と講義を続ける。
「攻撃魔法を使う時にまず計算することは?」
「魔法の影響範囲と敵のダメージ予想にMP残量、あぁ味方への影響もか」
ポップは半ば瞑想状態に入りながら呟く。
今ポップは戦場の真上に浮かんでいる。
敵の主力をダイが叩くのに最善の配置は? ダイの必殺技を躱されたら? 仲間と相性が悪い敵があらわれたら?
自分が上空から攻撃魔法をぶちかますのは容易い。
しかし戦士と違い大した防御力のない魔法使いは隠れる場所も、味方の掩護もない所にでるのは敵の攻撃の的になりに行くようなものだ。
マトリフの声が更にポップの意識を上空へと押し上げる。
「仲間の攻撃効果を最大に、敵からの攻撃を減衰して皆の命と負傷から守る。ついでに自分の命もだ。最悪を常に想定し仲間を戦場離脱させる手段と魔法力を残せ」
「ハードル高いな」
半眼になったポップは黒のナイトを下げキングを斜め前に進めた。
クイーンの攻撃魔法。白の布陣分断に成功。
ルークの攻撃。白キングにより負傷。ビショップによる回復。
だが戦闘中の完全回復は見込めない。
ナイトの攻撃。白のナイトを取る。
そのまま白のキングに仕掛けるが負傷。
攻撃手段を封じられたルークが戦闘力の無いビショップと戦闘不能のナイトを守る。
キングの攻撃を通すためクイーンが前にでる代わりに防衛ラインを下げ、白の中核戦力とキングの連携を崩す。
キングの攻撃をクイーンがサポート。 キングの必殺技が白キングを倒す……チェックメイト。
「どうしてもダイを、紋章の力を頼っちまうんだ」
「構わんさ。それが“勇者”の役割ってもんだからな」
「でも紋章の力は万能じゃない…」
ん?と先を促されてポップは、
「紋章がでてダイが自在に魔法を使えるのは300数える位までだ。 紋章全開なら150をきるからダイにしか倒せない奴以外は俺たちが倒すしかない」
「チームワークが物をいうな」
チェスを使って兵法をポップに教えはじめて直ぐにマトリフは舌をまいた。
アバンが一年以上育てた弟子。
初めて会った時はこの押しかけ弟子にアバンが入れ込むほどの才能があるとは思えなかったが、手元で「魔法使い」としてパーティバトルの戦術を仕込みはじめてその価値がわかった。
アバンが基礎を叩きこんでいるのもあるが発想が柔軟で、1を教えれば点ではなく面で受けとめる。
戦術から兵法戦略を教えればパーティ編成級は愚か、軍略から搦手まで砂が水を吸い込むように覚えて兵法書にない手まで披露しやがった。
仲間や敵を駒扱いできる奴はザラにいるが自分まで駒として使い潰す判断ができる天性の冷酷さを、なんで騎士や軍人として育てられてない武器屋の倅がもっている?
こんな軍師向きな頭をしてる奴が在野の魔法使いだなんて怖くて堪らねぇ。
まだコイツは若いが献策を受け入れる度量のある将と、それを実行する軍事力があれば魔王軍の侵略でガタガタになってる人界の勢力図は一気に変わりかねない。
俺が為政者なら何がなんでも自国に引込むか殺すだろう。
魔法は魔法で、これはレベルが足らないだろうと尻込みするような、契約に対する抵抗が全く無い。
契約という契約が成功するわ、今まで自分や弟子仲間が行った契約の受諾の証である精霊界の光が次元が違う光り方をするわ。
規格外なんてもんじゃない。
百年近い俺の経験と知識をものの数週間で吸収し魔王軍へ叩きつけて見せたのは圧巻だった。
そして今、相対しているポップの瞳はここでは無いどこかを見ている。
その白目の端が薄青く光った。
「俺の力、全てはダイの為に」
目の前に座っていたのは、その天賦の才を朗らかで人好きのする容姿に包んだ愛弟子のはずだった。
魔法の契約の時のように全身からオーラが陽炎のように立ちのぼる。
なにが起きた マトリフの背に冷ややかな衝撃が走る。
ポップの常に手袋に包まれて日に焼けぬ指がクイーンを摘まむ。
マトリフはカラカラになった喉からようやく声を絞り出した。
「お前は誰だ」
【竜の騎士の魔法使い】
ポップとは違う声で、躊躇いなく紡がれる言の葉。
琥珀色のはずの瞳が金色に輝く。
マトリフはポップであるはずの「それ」を見据えた。
あの瞳の中に揺らぐ黄金の炎は何だ
「お前は‘なに’だ!」
【……神の道具】
カタリ、と白キングを抑える位置にクイーンが置かれた。
「ステイルメイト」
ゲームのルール通り、引き分けの宣言がそう聞こえないのは何故だ。
その白い指先でポップがキングを後ろへ倒すのをマトリフは固唾を飲んで見守った。
2.The only thing I can do
俺だけにできるたったひとつの事
〜ポップ〜
「第五の精霊よ。善良なるものも邪悪なるものも、公平に黄泉の国に連れ去る精霊よ、我が命とともに、彼等も運べ、連れ去れ、引きずり込め、押し込めろ! メガンテ!」