ふと目が向かう。人混みの中、集団活動の最中、知らず知らず探していた。そして、すぐ様気付く。ここに居るはずがない──と。
わかっているのに何度も繰り返す自分に嫌気が差して、一気に酒を煽った。念願だった帝国から王都を奪還した祝いの宴なのだ。奇妙な感情は放って、皆で喜びを分かち合った方が良い。
故国の酒はうまかった……この日は安酒だろうと水増しの酒だろうと、どんな物でも美酒になる。月も出てて、お誂え向きの月見酒だった。
自室のベッドに横たわりながら脈を測る。……少し速いけれど、正常値の範囲だと判断した。熱は引いたが、頭はまだ少々重い。けれど、動けないほどではない。
「……少し、無理を過ぎましたか」
ぽつりと呟くリシテアの顔は後悔の色に染まっていた。それも束の間、起き上がっては着替えて部屋を出る。悠長に寝ている時間の方が、彼女には苦痛だった。
行軍の状況を確認しようと修道院へと向かうと、帰還した早馬が吉報を触れ回っていた。──無事に王都フェルディアを取り戻した、と。
聞いた者は皆、歓声を上げて胸を撫で下ろしていた。リシテアも同様に。
「先生がいるから心配していませんでしたが……良かった!」
どんなに備えても、勝率が高くても、敗退するのは珍しくない。何が起こるかわからないのが戦争だ。そして、敗れるとは死に直結する……それを避けれたと知れば、ようやく緊張が緩んでいった。
心の痼りが消えたせいか、身体の不調もリシテアは気にならなくなっていた。
……王都フェルディアへの進軍編成はあっさり決まった。土地勘のある者、ファーガスの寒さに対応できる者を優先して組めば、自ずと答えが出ていた。
ファーガス出身の者の多くが進軍し、その他の国の者の多くはガルグ=マクに残った。留守を預かるのも大事な任務であり、分散した軍を狙って奇襲する可能性がある。しかし、先の戦で帝国兵は疲弊しており、教会の幹部や騎士も詰めているため、おそらく杞憂で終わると予見していた。……かといって、疎かにできないが。
そして、その時を狙い澄ましたかのようにリシテアは紋章の研究に勤しんでいたのだが、ベレト不在で咎める者がいないせいか無理が祟り、一昨日から寝込んでいた……。
およそ二日ぶりの食堂は久しぶりに感じていた。
「あっ、具合良くなったんだ?」
食事を取ろうとしていたところに声をかけてきたのは、同じくガルグ=マクに残っていたツィリルだった。
「ええ、問題なく」
「問題があったからリシテアは倒れたんじゃないの? 気を付けないと駄目だよ。……でも、僕も先生に言われたことあるから、あんまり言えないけど」
「ふふふ、一緒ですね! 心配しなくても二、三日大人しくしてれば良くなりますよ。王都を取り戻せて安心しましたから、気が楽になりましたし」
「あっ、聞いたんだ。うん、みんな無事みたいで安心したよ!」
話題は王都奪還達成に移った。遠征に行った一同の無事を聞けば喜びも一入となる。
まだ報せを聞いてない人に伝えるのと、気が緩んでいる今こそガルグ=マクが危ないことを警告して、ツィリルは去っていった。
「あっ、リシテアはちゃんと食べて、休んでね。また倒れてほしくないから」
「ありがとう、ツィリル。もう大丈夫ですよ!」
「……リシテアのは信用できない」
去り際に釘を刺すのは忘れなかった。
★★★
真冬の比ではないが、それなりの寒波はあった。まだ雪がちらほら辺りに残っている土地が少し懐かしく感じる。ガルグ=マクや帝国領とは大違いの冷気に満ちた故国が、意外に恋しかったと知った。
「先に帰還するのか?」
「ああ」
先生からの問いに、フェリクスは簡素な答えを返す。
もう少しファーガスを見て回ったり、自国の領地に戻りたい欲はあったが、今の自分では大して役に立たないのはわかっていた。それなら、他のことに精を出した方が賢明だ。
「此処は問題ない。ガルグ=マクに戻った方が戦力が増して安全だろ」
「そうだが、ディミトリの心配をしなくていいのか?」
「もういいだろ。戻ったら拠点が無くなっていたでは話にならん」
「可能性は低いが、無いと言い切れないのが辛いな……」
またも簡素な返事で、楽観視をいなした。先生がいるなら大丈夫だ、と付け足したかったが、口にはできずにいた。
そんな意図を読み取ったのか、ベレトは穏やかな笑みを向ける。
「わかった。こっちはちゃんと見ておくから安心してくれ」
「……ああ」
見透かされた気がして少々癪に障る。羞恥心に駆られるが、平静の振りをして馬に脚をかけた。
──冷たい風の中で走るのは寒くて、空気が痛い。相変わらず、平穏に過ごしにくい国だと思うが、それでも離れ難く思うのは故国故か。溶けかけの雪が名残惜しく感じた。
フェリクスが率いる先達組がガルグ=マクに帰還すると、留守を預かっていた者達が集い、労いの声をかけていった。大司教の代理となってるセテスに戦況の報告をして、ガルグ=マクでの状況や今後の見通し、生還祝いの宴話などをしていけば、いつの間にか時は過ぎていた。
慣れていても遠路からの旅路は疲労が募る。悠長に馬を走らせてなかったから尚のことで、自室に戻って少し休もうと修道院の廊下を歩いていく。
「あら、早いですね。お帰りなさい」
「…………ああ」
馴染んだ声をかけられた。突然のことで少し反応が遅れた。
今日も書庫からたくさんの本を借りたようで、細い腕に幾つもの書物が積まれていた。
「転ぶぞ」
「ちゃんと見えますから大丈夫ですよ。それに転んだことないです」
「また倒れたらしいな」
「えっ?! ちょっ、どうして、それを!」
動揺して本が落ちそうになったのをリシテアの前方にいたフェリクスが腕を伸ばして支えた。そのまま流れで、半分ほど書物を奪い取った。
「えっ? あの……」
「部屋に戻るついでだ」
「……すみません。助かります」
「通り道だ」
素っ気なく答えて、フェリクスは先に歩いていった。数秒遅れて我に返ったリシテアは、軽くなった本と共に後を追いかけた。
短くも長くもない道中は、フェリクスが帰還したばかりなので確認事項を伝え合うものだった。
ほどなくして、リシテアの部屋に着く。机に置かれる幾つもの書物は、他に借りていた本と連なって、二つの山が出来上がっていた。
「そんなに読むのか?」
「こっちはもう読みましたから返却しますよ。寝ている時間が勿体無いですから」
「倒れた方が効率が悪いと思うが」
「……耳が痛いですね」
フェリクスからも何度か苦言を貰っていた身なので、リシテアはバツが悪かった。とはいえ、事情もあるし、この渦中では何かしていないと落ち着かない心境ではある。
話題を逸らしたいため、リシテアはお誘いを口走る。
「あっ、そうですね! お礼にお茶でも淹れますよ! お茶請けは……甘さ控えめではないですけど、ありますよ」
要らんと言おうとしたが、何故か声にならなかった。疲れたから部屋で休みたいと思っていたはずなのに……。
「貰う」
「えっ? あっ、はい……わかりました!」
思いとは裏腹に誘いを受けていた。
てっきり断られると思っていたリシテアも予想外に承諾されて、互いに驚いてしまう。
急いでお湯を沸かして、茶葉を選んでお茶請けを用意してと、慌ただしくもテキパキと手際の良いリシテアを眺めてフェリクスは待った。
彼女の部屋に訪れたことはあるが、いつ見ても本が多い。あと何かわからない可愛らしい置物がある。
「……物が多い」
「女性の部屋をジロジロ見ないでください。自分でもつまらない部屋だと思ってますよ」
「それはわからん」
そもフェリクスの部屋の方が殺風景なので、つまらない部屋というなら彼の方が適してる。淹れた紅茶を机に置いて、湯気が出ているカップを手にしてリシテアは飲んでいった。
「ふふ、猫舌だと大変ですね」
「うるさい」
「あんたも猫みたいに可愛ければ良いのに。たくさん撫でてあげますよ!」
「……要らん」
軽口を言うほどの雰囲気。二人のお茶はお菓子の素晴らしさ布教の延長であるが、幾度か回数を重ねていた。
「遅くなりましたけど、此度はお疲れ様でした。報せは聞いてましたが、皆んなが生還した聞いて安心しました。……あんたが先に帰ってくるのは意外でしたが、良かったのですか? 久々のファーガスでしたし」
「今、俺が居ても役に立たん。後は、あいつらが何とかするだろ」
「そうですか……ガルグ=マクの防備が上がるのは歓迎しますよ」
普段通りに答えるフェリクスだが、リシテアはそれ以上の言及を避けた。……ロドリグが亡くなってから日が経ち、立ち直っているように見えるが、色々思うところがあっても不思議ではない。
(故郷に戻りたい気分じゃないのかもしれませんね……)
今でこそレスターに帰れる状況だが、それまでは帰りたくても帰れないでいたリシテアは空気を読んだ。知られたくない過去や秘密を持っている分、他人の深いところに入り込む真似は出来ずにいた。
……なんとなく二人は沈黙した。話題がないわけじゃないのだが、お喋りする気分じゃなくなってしまった。
それでも険悪にならず、お茶を啜る音だけの空間でも心地良く思えるのは、どうしてか──。
リシテアが二つ目の焼き菓子に手を伸ばして口に含んだ時、ふとフェリクスが口を開いた。
「お前……ファーガスで暮らす気はないか?」
ぶほっと口に入っていた物を吹き出しそうになった。なんとか堪えて、咽せるリシテアをフェリクスは不思議そうに見つめる。
「詰まらせたか?」
「はっ?! ……っ、い、いえ……ゴホン」
誰のせいですか! と言いたかったが、それどころではなかった。
喉の痛みを癒すため震える手でカップに伸ばして、騒がしい心臓をお茶で鎮めようと試みる。
(お、落ち着いて! 相手はフェリクスです! おそらく何の意味もありません。思い出して……今までどれだけ散々思わせぶりな事言われて、肩透かしを喰らっていたのかを!)
だんだん腹が立つような虚しい気持ちになって、すんと冷めていった。これまでの経験を踏まえて、リシテアは冷静にフェリクスの意図を推測する。
「そうですね……わたしはファーガスに行ったことがないので、一度は行ってみたいと思います」
うん、これで良いだろう! 十分な回答だとリシテアは自画自賛して、改めてお茶を含む。
「いや……行くかどうかじゃなくて、暮らす気があるのか聞いている」
「っ、んっ……うぅっ?!」
またも吹き出すところだった。乱暴にカップを置いて、無理矢理お茶を飲み干して呼吸を整える。
さっきからなんですか?! どういうことですか? と、パニックに陥るのはごく自然の流れ。……二度も咽たから気管が苦しい。お茶が逆流してこないか心配になるくらいリシテアの頭と体は混乱していった。
「ど、どどう、どういう意味で、聞いてますか?」
「そのままだが」
「そ、そうじゃなくて……えーと、暮らすって? ……ああ! 観光なら行きたいですが、わたし一人で暮らす気はないですよ」
「俺と暮らす気はないか、と聞いている」
…………ん? 何言っているんですか、この人??
リシテアの脳は理解を拒絶した。あまりにも現実離れしていて、都合の良い夢にしても出来過ぎてて偽物っぽい。フェリクスの真意を探ろうと、またも彼女はあれこれ思索し始めた。
「……あ! 野営ですか?」
「話聞いていたか?」
強めに嗜められた。何故か、ちょっと理不尽に感じる……。
「ちゃんと聞いていますよ! ちゃんと聞いて、考えて、答えてますよ」
「なら、そんな話はしていないだろ」
「そ、そうかもしれないですけど。あんたのことですから……いつも予想の斜め上だから読めなくて」
互いに「何を言っているんだ?」と思い合う。こんな時に息を合わせることないのだが、こんな状況になってしまって……まあ仕方ない。日頃の行いだ!
……またも一時の沈黙が満ちた。未だ囃し立てる心臓音のままのリシテアは、改めて口を開く。
「あの……さっきから求婚されているように聞こえて……気のせいですよね?」
「気のせいじゃない」
「そうですか、やっぱりあんたは! ……え?」
「そのつもりで言ってる」
ん? ……え? ……んんー? どういうことでしょうか??
リシテアの許容量を遥かに越えたので、脳の働きが著しく落ちた。呆然としてる彼女に痺れを切らしたフェリクスが、呆れながら口火を切る。
「聞かなかったことにしてく」
「それは駄目です! ま、待ってください! もっとこう、盛り上がりに欠けるというか。本当に本当なのかとか色々」
「……そこまで信用がないのか」
「そ、そうじゃなくて! あんたの場合、信用以前の問題でしたし……その、突然で。意外過ぎてびっくりして。……フェリクスがそういうこと考えていると思ってなくて」
無縁だろうな、とフェリクス自身も思っていた。さぞ周りからは驚きの事態だろう。リシテアの反応は無理もない……なんか茶を濁された気がするが……。
──今すぐどうこう考えてない。お茶を共にしているうちに、こうして一緒にいる時間が続けば良いと思った。そうしたら、勝手に口から滑り出ていた。
「急がなくていいが」
「えっ? 本当なんですね! ……すみません、頭が追いつかなくて」
「俺もついさっき思って言った」
「そ、それはどうなんでしょう……」
求婚にはどうかと思うが、納得してしまった。ともあれ、フェリクスからそんな風に思われたなんて願ったり叶ったりで、喜んでしまう!
そして、はたと気付く。──受けれるわけがない、と。
「…………」
「……どうした?」
突然、無表情で固まったリシテアが異様に見えた。ついさっきまで慌ただしく感情を露わに百面相していたのに、今は無機質の人形のように削ぎ落とされている。
あまりの変わりようにフェリクスは不思議がる。何度かリシテアに声を掛けたが、聞こえていないのか瞬きすら止まって見えた。
「……あっ、わたし貴族じゃなくなるんです」
数分置いて、ぽつりと零した声は覇気がなかった。
「コーデリア家は爵位を返上する予定なんです……だから、わたしは平民になります」
「それが?」
「あんたの家と釣り合わないと思います」
「はあ……」
フェリクスからすれば、どうでも良かった。家柄で見ていたわけではないので、平民かどうかは瑣末な事だった。それに爵位を返上したからといって、レスターの五大諸侯の貴族だったことに変わりなく、優秀なリシテアなら問題にならないと思える。
「気にするなとしか言えんし、気にしたこともない」
「……あんたは気にしなさ過ぎでは」
「叔父がいるからな。代替わりはいる」
「縁起悪いですよ……」
素っ気ない回答だが、フェリクスらしく事実なのだろう。何かと慌ただしく、急変な事態が多かったから彼に爵位や家の話をしても通じないと、リシテアは察した。
また、ファーガスとレスターの情勢は違うから価値観の隔たりは大きいかもしれない……これでは説得力に欠ける。
「あの、わたし……元々誰かと一緒になる気ないんです。早く大人になって、両親を助けて穏やかに過ごせれたらとずっと考えてましたから」
「そうだったな」
「フェリクスの気持ちはすごく嬉しいのですが……」
受けることができない。
そう言うはずなのに喉が詰まって、言葉にならなかった。断らないといけないとわかっているのにしたくないと強く思っている。
真実を話したたら……いや、フェリクスはたぶん受け入れる。
(尚更、言えない。断る理由が思い付かない……)
短くない付き合いでわかる。そんな実直なところが好ましく思ってる分、どうしていいのかわからなくなった。……できたら余命の話はしたくない。必然的に自分が何をされたか語らなきゃならないし、戦争が終わってないのに気が早い気がする。
じゃあ、どうしたら良いのか。狭い頭の中でリシテアは必死に考える。
「……あ、相性」
「?」
「あ、あんたとわたしの、ああ相性が良いかわからないじゃないですか!」
「相性?」
そんなに悩むくらいなら断れば……と、フェリクスが言おうとした矢先だった。
黙り込んだと思ったら、唐突に訳の分からないことを言い出して困惑する。
「そ、そうです! いくら愛し合っても相性が良くないとうまくいかないと聞きます!」
「何の?」
「か、から……体のっ!?」
沈黙が空気を満たした。
失言だと自覚しているリシテアが羞恥心に駆られて、一気に赤面していく有様をフェリクスはそっと見ない振りした。
……なんか凄いこと言ってる/言ってしまった。
「え、えええ、えと、こここ言葉の綾です! そ、そう言う話もあるので……ほ、ほら確認する場合もありますし!」
「……聞いたことくらいはある」
「そ、そうですよね! あんたの身近な人が詳しそうですし、き、貴族なら別に珍しくないですから!」
「比べる対象が悪い」
顔を真っ赤にしながら必死に弁明するリシテアが滑稽で、かえってフェリクスは落ち着いていった。こうまで赤面するのは珍しいし、理由はアレだが納得できなく……うーん、できるか?
シルヴァンがたまーにそのような話を勝手に振ってくる時はあるが、大体は聞き流しているからフェリクスもそう詳しくない。趣味じゃない。
「まま、まあ、その、そういうこともありますし……それで決まるわけではないですけど、考えた方がいいかなと」
「なら──確かめるか?」
「ふえ?」
じっと見つめてくる瞳にリシテアは掴まる。鼓動が熱く騒がしいのに、体は氷のように固まってしまう……フェリクスの視線で凍らせられた、と錯覚する。
「お前の話だとそう聞こえるが、いいのか?」
「…………え? あの、その」
「相性が良いのかは、してみないとわからないだろ」
んんっ?! は、はあああ!?!
さらに顔を赤く染め上げて、沸騰しているリシテアを睥睨しながらフェリクスは嘆息した。……こんな反応をすると思っていたので、驚きはしない。慌てふためいて、しどろもどろになっていく彼女は面白い見せ物のように感じた。
「そ、そそれって……つまり、あの!」
「身近に詳しい奴がいる。妙なことを口走ると足元を掬われるぞ」
「そ、そうですね……。で、ですが、それはあんたの意向に添うのかどうか。……てか、そういう欲あったのですね」
さすがにムッとして、フェリクスは顔を顰めた。至って健全な精神でいるし、この若さで枯れていない。リシテアの無知加減に呆れるが、貴族の令嬢なら珍しくない。色恋沙汰に興味の薄ければ尚のこと。
しかし、これはある意味では好機だった!
「わ、わかりました。いいです! 言い出したのはわたしです、なら確認してもらいます!」
……ん? なんかおかしなことになってないか??
「は?」
「ふ、夫婦生活を円満に送るには、そういった確認は大事ですから。た、たた、確かめておいて損はありません!」
「……お前、大丈夫か?」
今度はフェリクスの頭が痛くなった。半分以上言葉の綾だったので、こう返ってくるとは思いもしなかった。
「わ、わたしは本気です! 勢い余って言ってしまいましたが……覆す気はありません」
「別に覆して構わんが」
「それに本当にわからないんです……。あんたが揶揄ってると思いませんけど、今までの行動と結びつかなくて……突然言うし、なんだか夢物語みたいで」
困惑して顔は真っ赤のままだが、リシテアなりの真剣さは伝わった。震えてる声からは儚さも感じ取れる。
「だって、あんた全然そんな素振り見せなかったじゃないですか! わたしが、今までどんな思いしてたか知らないでしょうけど、急に言われても困るんです!」
「……嫌だったのか?」
「そんなわけないでしょ! 馬鹿言わないでください! 嬉しいに決まってるじゃないですか!」
叫ぶように言われて、フェリクスは面食らう。なんとも面倒くさい言い分だ……。
感情が昂ってるリシテアは目尻に涙が溜まって、混乱していく。
「な、何で今になって言うんですか。もっと前だったら……ちゃんと話せて、断れたと思うのに……」
「断りたいのか?」
「違いますよ! ……断りたくないから断る理由がほしいんです」
何言ってるんだ? と思いつつも、リシテアの雰囲気が変わったことや時々見せる儚い姿をフェリクスは気付いていた。何か事情があると察していたが、話したくないことをわざわざ聞く気はなかった。
そうして、気づかない振りをして今日まで過ごしていた。
「も、もういいです! ナンパも結婚も勢いが大事です!」
「その二つを並べるな」
「あんたは疲れているでしょうし、わたしは病み上がりですから日を改めましょう。──い、いつが良いですか?」
赤面したまま顔を逸らしつつ申し立てる姿は、まさに勢いだと物語っていた。緊張と羞恥心で体が小刻みに震えている有様に気付くのは雑作もなかった。
「……あいつらが帰還した際に祝宴が開かれるらしい。その時なら都合が良い」
「い、意外と、具体的ですね」
「勘付かれると面倒くさい。酒に乗じれば有耶無耶にできる」
「わ、わわわかりました。で、でではその時に……再度!」
リシテアの様子がだいぶ心配だが、日を置けば冷静になって撤回してくるとフェリクスは考えた。無体を強いる気はないし、大方方便だろう……というか、こんな話を真に受ける方がどうかと思う。
しかし、リシテアは心にしっかり刻み付けた。この娘は覚悟を決めたら成し遂げようとする気概は、面倒なことに人一倍に持っていた!
「忘れないでくださいよ。……か、肩透かしが一番辛いんですから」
「わかった」
この時のフェリクスの返事は、リシテアの秘めた度胸を知らず適当だった。
後々もっと説得した方が良かったな……と、悔いることになるとは思いもしなかった。