特別の日に贈るチョコレートには意味がある。本命、義理、友達や家族、自分へのご褒美と幅広く展開されるお菓子の祭典。チョコレートに想いを乗せて、意中の相手に届ける愛の告白。
──といった行事は、フォドラにはない! そもお菓子を贈る歴史は新しく、元はとあるお菓子屋がチョコレートを売るためのPRと言われており、東方の島国のごく一部で見られる現象だ。
とはいえ、多くの人々に広く浸透して、幾年も続けば文化となっていく。些末な発端での始まりでも、この日を待ち望み、期待と不安を込めてお菓子を作り、勇気を奮い立たせているのは事実。
ならば、似たような事例が別の世界の別の地で起きてもおかしくない……のかもしれない。
店の厨房に置かれた多様な材料の山を見て、リシテアはため息を吐く。
「はあ……この量をどうしろと言うのでしょうか」
カカオ、テフ豆、紅茶の茶葉、牛乳や卵など幾つもの品が長テーブルに置かれている。発注ミスではなく、全てお得意様サービスや『お菓子の材料に使って……』と村の者から、『お菓子に使えるって聞いたから!』と旧友からの善意の贈り物である。
平民でも気軽に買える美味しいお菓子屋は軌道に乗り始めたばかりで、こうして材料を恵んで応援してくれるのはありがたく、時には金銭より貴重な品を頂く事もあった。
そして、一度にたくさん揃うこともあった。小さなお菓子屋では身に余るほどに……。
「うーん……日持ちする物が多いですが、やっぱり新鮮なうちに使いたいですね。時間が経つと風味や味が落ちてしまいますから」
山盛りの材料を検分しながら自作のレシピ帳を捲って、書き加えていく。そこには彼女が考案したお菓子レシピが記されており、新たなお菓子へのヒントにもなっていた。
「でも、新作を出せば良いってわけでもないんですよ。旬の果物を入れて種類を増やしつつ……んー、なんだかピンと来ませんね」
新作を作るのは大事だが、経営も視野に入れなければならない。片田舎の小さなお菓子屋とはいえ、店を維持するのは容易ではない。さまざまな思考をを巡らせて、リシテアは思い浮かぶ企画を立案していった。
そして、その夜──。
「お菓子を贈る日を作りませんか!」
「なんだ、それは」
同じお菓子経営と職人見習い卒業したてのフェリクスは、リシテアの提案に首を傾げた。
「いくらお菓子を作っても、食べてもらわないと意味がありません。頂いた材料を無駄にしたくないですし、新しいやり方を試してみるべきかと」
「そうだな。売れなければ、明日の食い扶持すら危うい」
「そうです、待っているだけではお客は来てくれません! ですので、呼び込みをしようと考えました」
「呼び込み……な」
言い分は理解できるが、二人でやるには心許ない。フェリクスは愛想が悪く接客に向いてないので尚の事。
「俺とお前じゃ無理があるだろ」
「そうだと思います。だから普通の呼び込みではなくて、お菓子のイベントを作ろうと考えたんです!」
「イベントを作る……?」
「わたし達で作るんです!」
なんか矛盾と邪な目的に感じるが、商人間では普通のことかもしれないとフェリクスは考え直す。出入りの商人は週によって割引したり、大量に仕入れた物は幅広く売り込んでは、季節や周期を見てお得な取り組みをしている。
「自分達で作ってみるのも良いかと思って。売り込みは商売の基本ですし」
「……理解はできる。やってみなければわからん事はあるか」
「わたし達はその辺は素人ですから色々考えたり、知恵を借りるでしょうが良い気がするんですよ。お菓子を贈るイベント……あんただって、贈られて喜んでたじゃないですか!」
「『贈られた』ではなく『押し付けられた』だがな」
軽口を返して、リシテアの提案に賛同した。お菓子を押し付けられた(贈られた)縁故に悪くないように思えたし、彼とて善意の貰い物を持て余すのは忍びなかった。
フェリクスの同意を得たリシテアは、ほっと胸を撫で下ろして英気を得る。
「ふふふ、誰かに贈るためのお菓子……良い響きです。あっ、贈り物用のお菓子ですからラッピングもしますよ!」
「……え」
「贈り物ですよ? 装飾を施した方が映えますから」
思わぬ決定事項を告げられて、フェリクスは渋る。食べれれば良いと思う彼にはラッピングの必要性が理解し難い。
「前から言ってるじゃないですか、お菓子は見た目も大事ですって」
「その度に理解不能と返してる」
「この機会に覚えていきましょう。フェリクスなら、すぐに出来ますよ!」
「煽てたところで変わらん。菓子が目当てなのに何だって……」
「特別感を出すんですよ。イベントですし、見た目で買いたくなる時があるじゃないですか」
「なるほど、衝動買いを誘引するってことか」
「ちょっと、嫌な言い方しないでください! ……間違ってはいませんが」
お菓子に関すると熱弁になるリシテアに押されつつ、フェリクスは納得していった。この手に関しては、お菓子好きの言葉は信用できるし、なんだかんだで天才スキルを発揮して営んでいる。
「腕を磨いても売れるには工夫がいるか。どこもそうか……」
「そうですね、お店を知ってもらうためにも宣伝は必要不可欠。ここは───伝手を頼りましょうか」
リシテアの目がキラリと光る。集中して幾つもの企画を頭の中で繰り広げていく姿を見て、フェリクスは安心する。こうなった彼女は聡明になるため後は任せた方が良い、と経験上理解していた。
「画策するのは構わんが、必要な分の材料を頼め。お前、よく余計な物を注文するだろ」
「よ、余計な物じゃないですよ! あんた、けっこうチェックしますよね……」
「傭兵の時は、金が無ければ何もできなかったからな。嫌でもうるさくなる」
一応釘は差しておく。こうして、あれこれ相談し合いながら自ら作り出すお菓子イベントを画策していった。
この日を境に、フォドラに変化が起きる。お菓子屋による陰謀計画……ささやかなイベントは後世に続き、お菓子を贈る記念日が制定された……ごく一部で。
★☆★
そして、迎えたイベント制定日──天馬の節14日。
「色々作りましたが、この中で一番食べてほしいのはこれです。チョコレートです!」
品出しする幾多のお菓子を吟味して、チョコレート菓子を目立つ所にディスプレイしていくリシテア。……なんか知っている展開になってきた。
「トリュフにガナッシュにガトーショコラ! きっと、みなさん気に入ってくれます」
「貰った材料はカカオが一番多かったからな」
「フェリクス好みのビターやテフのチョコもできましたし、派生でチーズを加えたティラミスも出来ました。種類を多くした分、たくさん食べてほしいですね! ……あっ、じゃあ、こうしましょう」
『チョコレートで想いを伝えよう』と、POPに書いて添えられるたくさんのカカオ菓子。……なんだか聞いたことあるキャッチフレーズだが、フォドラでは初の試みなので問題ない。
「こういうのはわかりやすくて、シンプルなのが一番です!」
「何故、菓子を贈る必要性があるのか理解不能だが……」
「お菓子を贈られて喜ばない人はいません。それに贈り物を選ぶ時は、相手のことを考えてますから気持ちは籠ってますよ」
「詭弁だな」
「きっかけ作りにいいんですよ~!」
女心は複雑なんです、と付け加えて自信満々に言い張るリシテアに何か言いたくなったが、自分では説得力に欠けると痛感してるのでフェリクスは黙る。まあいい……売れればいい、と考えを切り替えて、準備していった。
チョコレート菓子は専門の職人がいるほど技術を要し、また愛好家も多い。手を抜くわけにはいかなかったが故、出来には自信がある。
「……これでいいのか不安ではあるが」
「そんなことないですよ! たくさん試作しましたし、味見してもらった方々にも好評だったじゃないですか。もっと自信持ってください!」
絶賛の励ましを受けて、フェリクスに照れが生じる。リシテアの言う通り、幾多の試作と試食を重ねた上でのチョコレート菓子だ。不安になるところはない、と自身に喝を入れる。
「あっ、気になるのでしたらまた味見しましょうか?」
「お前が食いたいだけだろ」
「美味しいお菓子なら、いつでも食べたくなりますよ!」
悪びれず答えるリシテアに呆れながら、傍らに置いていたチョコ菓子を一つ摘んで彼女の口へと運ぶ。
「ん?!」
「食い過ぎるなよ」
一口サイズのお菓子を食べさせられたリシテアは驚きながら咀嚼する。ビター味のチョコを挟んだクッキー……ラングドシャは程よい甘さと苦味が口の中で合わさり、至福の時を与えてくれた。
そして、気付く。
「このお菓子……食べたことない」
店に並べるお菓子をリシテアが知らないはずがない。今日までフェリクスが作る全てのお菓子を食べてきた彼女が、初めて食べるチョコのお菓子。
知らない間に新作を……? と、彼の方へ顔を向けたと同時に扉のベルが鳴った。お客が来てしまった以上、店主の顔になってチョコレートのイベントの案内と紹介をしていく。
気になることは一先ず置いといて──。
お菓子屋イベントは盛況だった。チョコレート菓子を中心に売り切れが続出し、次の焼き上がり時間の予約注文を請け負ったりと実に慌ただしかった。
「村の人達には宣伝してましたし、幾つか試食品を差し上げてましたが……予想以上に売れましたね」
「俺は、こうなる気がしてた」
「それって、わたし達のお菓子が有名になったってことですか?」
「コネだろ」
「……ですよね」
お互い顔を見合わせて嘆息した。お菓子は売れに売れたのだが、大量買いしていった上客によるものだった……。
「ヒルダやローレンツにもお報せしましたが……あんなに買っていくとは……」
「売れ残るよりはいいがな。元々は多過ぎる材料の使用が目的だ」
「そ、そうですけど……なんだか釈然としません」
お貴族様は時々金銭感覚や価値観が違うと実感してしまう。貴族から平民の身になった二人だからわかるところはあるが、広くお菓子の魅力を伝えるには不都合に感じなくもない。
「まあいいです! 彼らなら正直な感想を教えてくれるでしょうし、幾つかは継続して作っていくつもりですから」
「売れなければ話にならんからな」
「そうそう、フェリクスのお菓子も美味しいって言ってましたよ! ヒルダが気に入ってて、マリアンヌの所に持って行くって」
「あいつは口が多い」
「美味しいから多弁になるんですよ。ふふふ、どんな形でも色んな人に食べて貰えるのは嬉しいですね!」
自分のことのように喜びながら、リシテアは店の在庫をチェックしていく。小さなお菓子屋のささやかなイベントだが、今日までレシピを考えては作ったり、あちこちに宣伝したりと忙しくしていた彼女の姿は晴れ晴れしくも疲れが見えていた。
やや不本意な形であるが、イベントは成功したのでフェリクスも安堵する。彼も同様に多忙だったが、たくさん頭を巡らせていたリシテアに感服しつつ、歯痒く感じていた。
「……菓子で想いを伝えよう、か」
彼女が考えたお菓子の宣伝文句は、当初は理解できなかった。今も不明瞭だが、チョコのように心に溶け出していた。
「あっ! そういえば、朝食べさせてくれたお菓子はなんですか? とても美味しかったですし、お店に出しても良いと思いますよ」
「出さない」
「え? な、なんでですか?」
意外な返答にリシテアは首を傾げる。
客がいなくなった店内の窓からは落ち行く陽が見え、二人の長い影ができていた。
「せっかく作ったのに売らないんですか?」
「売るために作ったわけじゃない。お前が散々言ってたことだ」
きっぱり言い放つフェリクスをリシテアは不思議に思う。何の事だかわからないが、彼の意志を曲げさせるつもりはない。ただ無念に思っていた……売りに出されないチョコレート菓子を。
「残念ですね……また食べたいと思っていたので」
「まだ残ってるから後でやる。お前が食いたいなら作ってやる」
「えっ、本当ですか!? じゃあ、もう少ししたらお茶にしましょう!」
「店仕舞いには早くないか?」
「もう売り切ればかりですからいいんですよ〜。ふふっ、今日はお菓子の日ですからチョコを優先します!」
「何を言ってるんだか……」
後でのご褒美を貰ったリシテアは機嫌良く、店の少ないお菓子を整理していった。花を飛ばして、美味しいチョコレートとの至福の時を夢見て。
──その笑顔が、何よりの至福と感じた。……存外リシテアも鈍い。
小さなお菓子イベントから始まった記念日は、後にゆっくりとフォドラに浸透していったとかなんとか……そんな話があったかもしれない。