君想う 故に僕ら在り 互いの想いとその重さを確かめ合ったからといって、何かセカイが一変する訳でもない。
今日もワンダーステージは平和だし、ワンダーランズ×ショウタイムのハチャメチャさもいつも通りだ。そして、晴れて恋人同士となった変人たちも、特に人前で変わった姿や砂糖吐くほどの甘い様子を見せることなどなく……今日も類は司を振り回し、司はそんな類に振り回される。そんなありふれた日常が世界を彩っていた。というのも、あの日奈落の底で重い愛をぶちまけ、あまつさえ唇を強引に奪っていった魔性の男は……しかしその実、人へと戻れば想像以上に初心な心を持っていたのだ。
これは付き合い始めて気づいたことだが、司は人前で『恋人同士の営み』を行うことに羞恥があるらしく、そっと手が触れたぐらいでも顔を真っ赤に慌てるほど恋愛に耐性が無かったのである。類を一生離さないと宣言した人間と同一人物だとはとてもじゃないが思えない。実際、類は司の慌てふためく姿に、最初こそにこやかな笑みを浮かべ楽しんでいたものの、流石に一か月経つ頃には「そろそろ慣れてくれないかなぁ」と少しのもどかしさを覚えていたほどだった。とはいえ、進展が皆無かといえばそうでもない。例えば周囲に人がいない帰り道であれば、互いの暖かい手をさりげなく繋いで帰れたし、控室に二人で隣り合って座っていれば、司は無言で類に寄りかかり、その頭を肩に乗せてきたりもしたのであった。
とどのつまり、司は恋人という概念に人間らしい羞恥を抱えながらも、その本心は彼と恋をすることを望んでおり、牛歩ながらも確実に類へと歩みを進めていたのであった。そのいじらしさと、普段は格好良さを目指す司のギャップを前にしてしまえば、類は惚れた弱みで『待つ』ことを選ぶしかなかった。
そのような経緯もあり、あの刺激的な夜からは考えられないくらい清い関係の二人ではあったが、その一方で類には一つの〝欲望〟のような想いがくすぶっていた。
「司くん。君はあの日のように、もう一度僕を激しく求めてくれないのかい?」
「ぶっっっっっっ‼」
とある日の昼休み。
屋上でくつろいでいた司は、隣の類から唐突に投げ込まれた爆撃によって、若干含んでいた麦茶を盛大に吹き出してしまった。
「げほっ! おま、お前はいきなり何を言っているんだ……!」
「勿論、言葉通りの意味だよ」
はい、と類から差し出されたタオルで乱雑に口周りと服を拭えば、司はジト目で類を睨みつける。そんな視線もどこ吹く風で受け流せば、類は最近考えていた秘め事を音にするべく口を開いた。
「君と両想いになったあの日、司くんは心の底から僕に執着してくれただろう? 今の君との距離も心地良いけど、たまには激しい刺激も欲しくなってしまうんだ。フフフ……」
「『フフフ』ってお前な……。あ、あの時はオレも気分が高揚しすぎておかしくなっていたと言うべきか……第一、寧々にもがっつり叱られてしまった以上、そ、そういったことは人前では控えるべきであってだな……」
普段の自信満々な彼からは考えられない程、今の司は〝恥じらい〟に思考を取られてしまっている。そんな初心すぎる彼に類は愛しさと優越感を重ねて覚えつつ、さりとてますます強まる欲望を類は持て余していた。その心を巧妙に隠しつつ、類はいつも通りの飄々とした態度で言葉を紡いでいく。
「そうだねえ。奈落から出てきた時に見た寧々の仁王立ちは、僕も暫く忘れられそうにないよ」
「暫くどころか一生ものだぞ……」
振袖のまま正座は辛かったな……と思い出したかのように自分の足をさする司を見下ろしつつ、類は逸れかけた本題を呼び戻すように言葉を続ける。
「まぁそれは良いとして、僕もしっかり司くんの気持ちを尊重しているんだよ? 人前で無闇に君に抱き着いたり愛を囁いたりしないし、ともすれば誰もいないところに引き込んで『それ以上』をしようともしていない」
「待て待て待て、何か不穏な言葉が聞こえた気が……い、いや。確かにそうだな。類の気遣いはとてもありがたい。オレもその想いに応えたいと、そう思うのだが……その、こういったことにはどうしても慣れてなくてな……」
「へぇ、つまり僕が初恋だって自惚れていいのかな」
「んぐっ、それは……そうだな。自惚れても、いい」
「……!」
てっきり揶揄うなと怒りの言葉をいただくかと思えば、帰ってきたのは素直な肯定。オマケに俯きながらも拙く答えてくれたとなれば、類の頭はあまりの衝撃にガツンと揺さぶられてしまった。
思わずつい先ほどまで自分が言っていたことを撤回したくもなったが、類はそれを寸でのところでぐっと抑える。欲望塗れの錬金術師とて、TPOは弁えているのだ。
沸き上がりかけた欲望を、代わりに司の頭を撫でることで昇華しつつ、類は俯く司に愛おしげな表情を向けた。
「そうだね……君が僕をどれほど愛しているか、十分に伝わってきたよ。まぁ、今の初心な君も好きだけど、それでも〝あの夜〟みたいな君も僕は愛しているんだ」
「……つまり、オレにもう一度〝心中願い〟をしろということか」
「あはは、そこまで言うつもりはないよ。無理強いは勿論しないけど……でも、望んでないと言えば嘘になるかな」
「……」
少しの沈黙。そうして、ようやっと顔を上げた司が、自身の頭を撫でていた類の手を取る。その手を両手で握り締めれば、司は類をゆっくりと見上げた。
「……あの時は、類がオレの本当の想いを知らなかったから、お前に全てを見せつけたんだ」
真っすぐにこちらを射抜く、琥珀色の二対。それまでの恥じらいが嘘のように、その瞳は類の真鍮色を前に強く輝いていた。
「だが、類はもうオレのことを受け入れてくれただろう? ならば、オレが〝悪霊〟になる必要なんてもうないからな」
そう言って穏やかに笑う司を前に、類は少しだけ言葉を失った。
自分を悪霊と称するなど、普通ならば自虐の一種と捉えられるだろう。ただ、実際に悪霊に憑かれ、結果として悪霊すら恐れる大妖怪となった司が言ったとなれば、その意味は大きく変化する。
――要は信頼してくれているのだ。司自身の愛する神代類のことを。
かつておみよに起こった悲劇は、類が司を愛する限り起こらない。悪霊すら凌駕した強大な欲望だって、その前に満たされれば発露することなどないのだ。それでも、司を刺激するような出来事――例えば、彼の嫉妬を呼び起こすようなことが起きれば、類の欲望を満たせる光景が見られるかもしれない。だが、そんな選択肢は類の中に欠片も存在しなかった。類は既にこの世界で一番の美を知ってしまったし、その恐ろしさだって散々目の当たりにしている。超常現象を前に人間ができることなど皆無であり……何より、己を一途に想っている〝人間〟を悪霊にさせるほど、類は悪逆非道ではなかったのだ。
あくまで人として類を愛してくれている司の心を前にすれば、類の欲望はしぼむように消えてしまう。そうして、類自身も未だ慣れていない『愛されている』感覚を静かに噛み締めれば、類は司の手を暖かく握り返した。
「悪霊か……。僕は悪霊の君も好きだけど、他でもない君が僕を想ってくれているなら、これ以上を望むのはやめておくよ」
「ああ、そうしてくれると助かる。オレは人間でいたいからな」
司の不可思議な物言いに、疑問を抱く者はいない。何処か安堵したかのような優しい恋人を前に、類は穏やかな笑みでもって、彼の小さな願いを叶え続ける決意を抱いたのだ。
◇
それから二週間経ち、冬の寒さも本格的になってきた頃のこと。ワンダーランズ×ショウタイムは宣伝も兼ねた路上パフォーマンスを行うため、少し離れた街に遠征をしていた。普段はあまり訪れない地でのショー自体は問題なく終わり、あとは現地解散をして各々が帰路につく――そんな予定の筈であった。
「これはこれは……もしかしなくても『また』なのかな」
現在、類はそんなことを呟きながら、オレンジに染まる住宅街に立っていた。
周囲に類以外の人影はなく、空間を静寂が包み込む。だが、それは明らかにおかしいことだ。休日の夕暮れ時となれば、まだ遊び盛りの子どもや家に帰る人々でもう少し賑わっていてもおかしくはない。それなのに、周囲は耳を刺すほどに静まり返り、家々から人の気配は微塵も感じ取れなかった。
百歩譲ってそれを正常なことだと解釈しよう。それでも、先ほどから類自身を取り巻く重い空気と、背後からじわりと突き刺してくる〝視線〟の気配を感じてしまえば、いよいよもって『気のせい』とは言い難くなる。そしてトドメを刺すように、充電がまだあった筈のスマホの電気がいつの間にか落とされており、電源を押しても反応しない様を見てしまえば、いよいよ世界の異常さを否定することはできなくなった。
――詰まるところ、類はまたしても怪奇現象に巻き込まれてしまったのだ。
おみよの一件が解決したのは約一か月前のことであるから、然程間を開けずに怪奇現象に巻き込まれてしまった形である。これほど不運なことも中々ないだろう。
そんな不幸な犠牲者である類はと言えば――
「新興住宅街でなくとも、そんなに古そうな場所には見えないけど……一種の異空間を創り上げてしまえるほど、此処に留まっている想いは強いということなのかな」
――マイペースに現状の分析に勤しんでいる最中であった。
危機感など自宅に忘れてきたと言わんばかりに、類は周囲の非日常を前に堂々とした佇まいを見せている。異常現象を前にした人間としては、少々無警戒すぎる立ち振る舞いだ。
――だが、それも仕方ないだろう。
何せ、類はつい一か月ほど前まで大怨霊に呪われていたのである。命の危機に幾度も瀕し、大切な恋人を失いかねない綱渡りを何度も強いられてきた。それを思えば、知らぬ空間に拉致され、ただストーカーをされるだけの怪奇現象など何と生温いことか!
現状、こちらを見つめているだろう背後の霊は何もしてこない。ならばこちらも、深入りなどせずに無視を決め込むのが一番だ。そうして歩き続ければ、いつかはこの空間から脱出することもできるだろう――そんな結論を簡潔に出せてしまうほど、今の類は怪奇現象を欠片も恐れていなかった。寧ろあんなにも濃い体験をしてしまった以上、今後出会う生半可な怪奇現象は全て型落ちしてしまうだろう。
完全に怪奇耐性が麻痺している類ではあるが、そうは言っても此処にあまり長居はできない。それはあまり遅すぎると混雑する電車で帰る羽目になるからであり、時間間隔が曖昧な空間に居過ぎれば、家族や仲間たちを心配させてしまうからであった。ここでもやはり、幽霊への恐れは理由足り得ない。
そうして、類は怪奇空間を歩み出す。足取り自体は軽く、他者から見れば男子高校生の普通の帰宅風景にしか見えないだろう。その思考は早くも明日以降のショーの演出に染められており、徹底的に無視されている幽霊が哀れなほどである。
そんな類の余裕を感じ取ったのか、最初こそ見ているだけだった幽霊の気配は、類が歩みを進めるごとに強まっていった。肌を這う冷気。誰もいない筈なのにぼそぼそと聴こえる囁き。ひたり、ひたりと背後より響く足音……その全てが類という人間に畏れを抱かせるための手段だった。日本的な心霊現象としてはベタな演出であり、普通の人間相手ならばこれで十分怖がらせることができるだろう。
……それでも、幽霊にとって不幸だったのは、類が普通とは程遠い変人であったことだ。
例え悪霊から熱いアプローチを受けたとしても、この心は既に悪霊など足元にも及ばぬ『人間』に愛されてしまっている。その深い愛と想いを享受した身であれば、ただ気を惹きたい程度の怪奇現象など、そよ風程度の所業でしかない。
「フフ、僕の気を惹きたいなら、いっそ殺すつもりで来てもらわないとねえ」
ナンパのように生温い怪異を軽く笑い飛ばし、類は愉しげに呟き歩みを進める。幽霊の足掻きなど無駄だと暗に告げながら。
(……まぁ、たとえ死んだとしても、僕は司くん以外に惹かれることなんて一生無いだろうけど)
愛の如き呪いを刻まれた男は、その深き想いを誰にも明かさず心に落とした。
(中略)
「類‼」
幽世を離れかけた足が、止まる。
「……司くん?」
背後から聞こえた『声』は愛する彼のもの。類の記憶に違わぬ音を持って、確かにそれは投げかけられたのだ。
――何故、司くんの声が背後から聞こえた? それも、まるで僕を引き留めるように。
冷静に考える時間があれば、類は即座にそれを思いつけただろう。そうして、その声すら無視して、現世へと駆け出せた筈だ。
……だが、いくら怪奇に慣れた人間と言えど、神代類はただの高校生でしかない。それまで平常心を保っていたとしても、二時間あまりの孤独な旅は、気づかぬうちに彼の精神をじわりと削り取っていたのだ。
ようやく見えた出口に、彼の愛する人の声――その眩い光たちを前に、類は咄嗟に声を出してしまった。
……それが悪霊の最期の罠だと気づいた時には、全てが遅かった。
「――っ!」
類が『呼び声』に反応した瞬間――その背後より、昏い気配が爆発した。
膨れ上がった悪意がまるで手のように類へと伸ばされる。手、脚、首などあらゆる部位に形となった影が巻き付けば、その悪意でもって幽世に取り込もうと、恐るべき力で類を暗闇へと引き摺りだしたのだ。
足に力を込めようとすれど、ズルリズルリとその身は後ろへと引き込まれてゆく。加えて金縛りにあったかのように拘束されてしまえば、類に取れる抵抗手段など最早存在しなかった。
声が出ない。それは己の喉を絞める悪霊の手があるからだ。そのことに、類は強い不快感を覚えていた。
(……やめてくれないかな。君如きに上書きできる跡ではないんだけど)
それでも、類はこの期に及んでまだ恐れを抱いていなかった。
『かつて愛する者につけられた証を上書かれたくない』などという欲に塗れた抗議の言葉は、神代類という男をこれ以上なく表現する。
されど、そうやって張った小さな意地も、超常現象の前には意味を為さない。所詮はただの人間であり、その心以外に特異な力など持ちようがなかった。
暗闇へと連れ去らんとする手は、ついに類の視界を覆うように顔へと巻き付いた。意識ごと奈落に堕ちそうになりながら、それでも類は前へと進もうと足を上げる。
――彼方に輝く一等星
己を死んでも手放さないと誓ってくれた彼の元に戻るため。まだまだ愛し足りない人間としての君の全てを解き明かすため……。
(嗚呼、でも……このままだと、司くんに怒られてしまうな……。 『浮気したのか』なんて、言われてしまう、かも……)
酸素が足りず薄れかける意識の中、類は最期まで自分を殺そうとする悪霊を考えることなどなかった。何処までも何処までも、その心は愛する人間へと向けられていて――
(続きは頒布予定本にて)