「通りゃんせ」毒を喰らわば皿まで言うやん。
遠征へ志願した理由を、彼はそんな風に言った。
やっぱ俺らもついていったほうがええんですかね、と隠岐は言い、一度くらい近界を見てみたいですよね、と海などはUSJにでも行くくらいのトーンだった。覚悟あらへんのやったらやめとき、と細井は一喝したが。
その覚悟を表すかのように、その日、水上だけが残った作戦室にやってきた生駒の手には、一本の日本刀が携えられていた。
「おう、まだおったのか」
「ちょっと見ておきたいデータがあったんで。それ、どないしたんですか」
「ああ、これか。許可取ってきた。遠征艇に持ち込めるか、上層部に。近界で殺り合っとる最中に、万が一トリオンが切れたり、換装体が廃棄されてもうても足掻く手段のひとつも持っときたいしな」
「……」
そんな事態、既に負け確ではないだろうか、と水上は想像しただけで胃のあたりがぎゅっと硬く冷たくなる思いでさすがに押し黙った。
目にしたことはなかったが、話には聞いたことがある。その刀は生駒流居合道宗家でもある生駒の祖父が嫡孫が三門市へと出立する際にあつらえてくれたという三尺三寸の真剣。ずしりとした存在の重さのようなものが、人の命を容易く奪うことが出来る事実を訴えてくるようであった。切り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 一足進め そこは極楽、そんな言葉を残したのは確か、本邦の歴史に名高い剣豪だったか。
「正直、それを抜く必要なんて起きへんことを祈りますわ」
「まあな」
十八になるまでは法律上刀は所持できないので、その間は本部長預かりだったと、真剣以外では色んなもんぎょうさんすぱすぱ斬っとるのにおかしな話やなぁと彼は磊落に笑った。
トリオン体であれ、人のかたちをしたものを断ち切る重たさは同じであろうに、彼は、出会った時から少しもその笑いをくすませようとはしなかった。研ぎ澄まされ、劫火で焼かれ、打たれ鍛えられた鋼の如き強さで。
「持ってみるか?」
「いやいやいやあきまへんて」
「鯉口さえ切らへんかったらかまへん」
「はあ。せやったらせっかくの機会ですし」
それを信頼と受け取って、水上はおっかなびっくり、差し出された居合刀を手に取る。そういや時代劇では出仕する夫に奥方が直接触れないように着物の袖で持っていたっけなどと思い出す。武士の魂とも言えば、人によっては人斬り包丁などとも蔑む。不思議なものだ、と水上は両の腕にのしかかるずしりとした重さを受け止めた。
それは、ずっと生駒達人という男が背負ってきた重さだ。
柄巻は木綿(後でその巻き方を雁木巻と訊き、将棋の囲いと同じ名前で偶然とはいえ何んとなしに感動した)、竜の目貫に鉄地の鍔の縁には百足が取り巻く意匠で真鍮細工が施されている。実用品としても美術品としても相当なものではないかと推せた。
「……後生まで語り草にさせてもらいますわ」
「なんや大袈裟やのう」
神妙な顔で隊長の手へと戻す水上に、生駒はゴーグルの奥の目をぱちぱちとさせると、ロッカーから刀袋を取り出した。質からして合皮ではなく本革だろう。決して真新しいものではなく長く使われ、丁寧に手入れされたらしく、古びながらも艶があった。おそらくは生駒の剣生と添ってきたものだろう。どうやらこの状態で遠征艇へと預けるらしい。出立までの間、本身での鍛錬はできないが、どうやら三門で所持している居合刀は一本ではないのだとも告げた。さすがは生駒流居合道次期継承者ではある。そんな立場ある人間が近界などへと赴いていいものか。今からでも止めるべきではないだろうか、と思わないでもない。
「おう、水上、これ預かってくれへん」
水上が今更な迷いに煩悶しかけていると、今度は生駒は拳を突き出してきた。手ェ、と促されて、両手を上へと向けると、掌の真ん中に綺麗な紐がくくられた穴の開いた形状の古銭をひとつ、置かれた。
「……六文銭、ですか」
「さすが秀才、言わんでも分かるか」
にか、と生駒はいかつい顔に人懐こい笑みで応じた。
「七つの年にひいじいさまが渡してくれたんや。三途の川の渡し賃やて」
七つまでは神様の子やからな、と生駒は言い添える。
「へ」
「抜刀術かて人殺しの技や。いつか人様からいらぬ恨みを受けてばっさりやられるかもしれへん。その覚悟を見る度に思い出せ、て。じいさんもおとんもそうやって代々のご先祖さんから渡し渡されてきたんやて」
「あかん、あかんですよ、そないな大事なモン!」
「はは、それはこないだ骨董屋で見つけて買うてきたぶんや。たいしたもんちゃう。組紐は地元の出入りのくみひも屋はんから取り寄せたやつやけどな」
「……はあ」
それにしたって、と言いたげな副官に向かって、生駒はちょっとだけはにかんだ表情を見せた。
「せやけどなァ、こっちに何かのとっかかりみたいなものを残しておきたいと思ったんや。銭一枚分でももしかしたらそれが運を分けるかもしれへん。命のやりとりってそういうもんやろ。それとも意気地がない思うか」
「まさか」と水上はつややかな紐が絡んだ古銭をじっと見下ろし、「分かりました。大事に預からせてもらいます。……せやったら」
ちょっと待っててください、と水上は一旦作戦室の畳の間へと引っ込み、すぐに戻って来た。
「俺からはコレをイコさんに貸します」
水上が生駒のごつごつとした掌に置いたのは、本柘植のうっすらと綺麗な模様の入った王将の駒だった。
「……普段、指しとるのとは違う駒ちゃう?」
「俺が奨励会に合格した時に師匠から貰うた駒です。いつかもうちょっと腹がくくれたら使おうと思って、ずっとここに置いておいたんです」
「そないな大事なもん預かれんわ!」
「大事なものやからです」
慌てて水上に押し返そうとしたその手を、水上は両の手で包むようにして握りこませた。
「王将がのうなったら、俺たちかて困ります。せやから、生駒隊の王さんは必ず盤上に戻ってきてください。約束です。約束してください。無事に遠征から戻るて。俺や、隠岐や、マリオや、海のところに帰ってくるて。そんで、近界での土産話ぎょうさんしてくれるの楽しみに待ってますから」
「……ん、分かった。おおきに。おおきにな」
生駒は王将を握った拳をこつん、と水上の左胸の上、心臓のあたりに軽くあてがって告げた。
帰ったら、今度こそきちんと将棋教えてもらうな、と。
そんな淡い約束は、六文銭と駒の軽やかさとおそらくは等価で、そして何よりも確かなものであった。