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    Kon_sch5

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    宵待草、鳥がよぶまで 6のちょっと続き

    #月鯉
    Tsukishima/Koito

    宵待草、鳥がよぶまで 6のちょっと続き 駅前のコンコースでは、今日も若者が歌っていた。今日の歌手は二十代前半くらいにみえる青年で、槇原敬之をカヴァーしている。派手にピッチがずれているのにやたらと笑顔をふりまいて、自分で手拍子までしているので(ギターの弾き語りではなくCD音源を流していた)、鯉登は思わず顔をしかめてしまう。いつもならばこんなこと、気にも留めずに通り過ぎるというのに。それどころか、以前の鯉登なら、調子外れな歌声にある種の微笑ましさすら覚えながら聴くことができた。例えばたいしてぱっとしない歌であっても、自分のおくる風変わりな——前世の部下と「友人兼恋人」をやっているという——日々の、面白可笑しいテーマソングのように聴くことができた。それが今はどうだ。力任せにはりあげるばかりの高音のオンパレード(極めつきに最後の「い」の長い伸ばし音といったら!)に、鯉登は閉口を通り越して憎悪さえおぼえながら、できるだけ大股で広場を通り過ぎた。これ見よがしに目の前でヘッドフォンを取り出してつけ、オリジナル曲を聴いてやりたいような、意地の悪い気分だった。
     なんでもないことのいちいちが、なぜだか癇に障って仕方がない。自分がひとまわりどころか三回り以上も器の小さな人間になったように思えて鯉登はうんざりしていた。ここのところずっとそうだ。原因ははっきりわかっている。〝風変わりな〟日々が、鯉登の容認しかねる方向へ転がったきり、軌道修正どころではなく加速を続けている気がするからだ。
     まずいんじゃないだろうか。こんなに、何度もしてしまって——。
     何度となく浮かんでくる問いを追い払う気持ちで図書館のゲートを大股にくぐると、びーびーびー、と、耳障りなのに妙にくぐもったブザー音が鳴った。職員がすばやく遠慮がちに近づいてくる。あのう、おかばんの中に、お貸出し中のご本、お持ちですよね。今朝からセンサーの調子が悪くって、処理済みの本もときどきひっかかってしまうんです、すみません。どうぞお入りください。言葉を短く区切って、けれどつっかえずにするすると説明する様子を見るに、朝からうんざりするほど同じ説明を繰り返してきたのだろう。職員がなにやらボタンを操作するのを待って、軽く会釈して入る。いつもならもう少し愛想よくするのに——。凝りもせず同じことを考えて、鯉登は恨めしい気分になる。愛想や愛嬌は得意分野ではないが、大変ですね、とか、大丈夫です、くらいは言ったはずだ(そういうとき、鯉登の起伏の乏しい声はあまり感情豊かには響かないので、いかにも社交辞令といった聞こえになるのだが)。図書館の天井はそれなりに高く、カーペット敷きの床は音を吸収してしまうので館内はとても静かだ。ソファで老婦人が本を片手にうつらうつらしている。机では学生が勉強道具を広げてひどい貧乏ゆすりをしている(問題を解いている手より、貧乏ゆすりをしている脚の動きのほうが派手かつ高速だったので、「勉強をしている」というよりは「貧乏ゆすりをしている」というほうが実態に近いと思う)。図書館の中は、鯉登が小学生のとき一番最初に通った学習塾の匂いがする。正確には、その学習塾のエントランスホールの匂い。ほこりっぽく静謐な、もの寂しい匂い。
     まず借りていた本をすべて返却し、次に目星をつけていた本を何冊かと、目についた何冊かを抱えてきて空いている椅子にすわり、多少時間をかけて吟味する。目新しい情報は何もない、と思っても以前のように失望していない自分に気付くが、極力そのことを考えないようにする。あのひとに会えなくても構わないのだろうか。そんなはずはない。月島がなにも思い出さなくても構わないのだろうか。そんなはずはなかった。けれど、彼がいつ思い出すのか、それが明日なのか十年先なのかわからないことに、鯉登はもはや耐えられそうになかった。時折ふいに月島にすべて打ち明けてしまいたい衝動に駆られ、けれどそれだけでは説明がつかない事情があまりに増えすぎてしまって、鯉登はこのごろ——鯉登らしからぬことなのだが、ほとんど思考を放棄していた。成り行き上恋人になったところまではいいとして、なにしろその先の説明がさっぱりつかないのだ。「するのかしないのか最初にきめ」るルーティンはいつの間にか立ち消えになっていた。口付けも性交も〝したいと思ったときにする〟ようになっていたし、会う度とは言わないまでもそれは相変わらずそれなりの頻度なのだった。互いの部屋へ行ってもなにもしないで眠るだけの日もあるにはあったが、それでも以前までとはすっかり違った。そういうときも月島は鯉登によく触れたし(必ずしもセクシュアルな意味でなく)、それだけではなく、鯉登の方からも月島に同じだけ、同じように触れることが当たり前になっていた。官能を呼び起こす接触というのではなくて、もっと親しみ深い、けれど友人同士では絶対にしないような種類のスキンシップ。ちょっと腕をとってみたり、肩にあごをのせてみたり、背中を小突いたり、うなじを撫ぜてみたり。そういうひとつひとつが月島のいる日常にとけこみすぎてしまって、もう鯉登は〝前の自分〟がどんなふうに彼と共にいたのか、以前のように切り離して思い返すことができなくなっている。
     「陸軍で愛されたメニュー、里芋飯」と書かれ、写真付きでレシピがのっている——肉飯や親子飯のほうが〝愛され〟ていたように思うが——ページをぼんやり見つめながら、月島が思い出したらどうしようか、と考える。考えてしまってから、鯉登は胸が痛んだ。月島はたぶん、驚くだろうだろう。驚くなんてものではない。驚天動地だ。世界がそれまでとは全然違ったふうに見え、ひどく混乱し、ほとんど恐慌するだろう——かつての鯉登がそうだったように、いや、きっとそれ以上に。
     もし彼が思い出したら、今の関係は一度清算すべきかもしれない。
     予想される月島のショックを出来得る限り和らげることが何より優先されるべきなのだし、かといって思い出す切っ掛けを与えた張本人にほかならない鯉登が姿をくらますような無責任極まりないことは出来ない。
     まずは——まずは何をしよう。鯉登は開きっぱなしのページの、「里芋飯」のレシピを見るともなしに視界に入れたまま考える。
     黙っていたことを詫び、これまでのことは忘れてもいい、と伝える。これまでのことは忘れてもいい。胸のなかで呟いてみる。ふさわしい言葉に思えた。けれど、鯉登は胸の中にじわじわと空洞が広がっていくような気がした。これまでのことは忘れていい。鯉登は今度はくちびるだけで、声に出さずに言ってみる。喉の奥ががらんどうになった気がした。最初から、なにもかもやり直そう。やはり声に出さずに、鯉登はそう付け加える。
     ——これまでのことは忘れていい。最初からなにもかもやり直そう。
     台本を覚えようとするように、鯉登は口の中でくりかえした。
    「鯉登さん?」
     音量をおさえた、ごくフラットな、けれど底の方が僅かにあたたかい感じのする声。顔をあげると、階段をあがってきた月島と目があった。
    「月島」
    「すごい偶然」
     月島は目を見張ってちょっと立ち止まってから、近付いてきて鯉登のかけている椅子の斜め前に立った。額にはうすく汗がうかんでいる。月島は机の上を見渡してから唇の端をちょっと引き上げ、円柱がならんだネオ・バロック様式の窓の写真が載った表紙を軽く指先で撫でた。その拍子に、鯉登の肘に月島の腕が軽くぶつかって、すぐに離れた。汗ばんで少し湿った、あたたかい腕。
    「髪を切ったのか?」
     月島の髪はさっぱりと短く刈られている。
    「床屋から駅まで歩こうと思ったらあんまり暑くて、ちょっと涼んでいこうと」
     月島は自然な動作で鯉登の隣の椅子を引いてかける。
    「おどろいたな」
     月島はもう一度そう言った。
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    Kon_sch5

    PROGRESS
    宵待草、鳥がよぶまで 7ちょっとだけ・・・・・



     夢見が悪い、というのは、もはや疑いようのない事実だった。
     週に一、二度は、寝汗をかいて飛び起きる。それがもう二か月は続いていた。夢の内容は思い出せない。絶望的な気分だけがべったりと背中にはりつき、はげしく打つ鼓動を聴きながら肩で息をする。絶望感の正体もまた不明だった。自分自身が危害を加えられたというよりは、取り返しのつかない行為に手を染めてしまったというような、そういう種類の絶望感だという気がした。
     食いしばりも日に日にひどくなるようで、顎から首にかけてこわばったようになって目覚めることもあった。職場で雑談の一環として何の気なしに口にすると、歯科にかかったほうがいいと熱心にすすめられた。部下からは「マウスピースは食いしばりを解消するのではなく歯への負担を軽減するものなので、ボトックス注射によって食いしばりを抑える治療がおすすめ」だと言われた。ボトックス注射というのは美容医療の領域でしか耳にしたことがなかったので、月島はおどろいた。「歯ぎしりが治まるだけじゃなく、フェイスラインもすっきりするのでお得」と言われたものの、月島は別段顔まわりをすっきりさせたいと考えたことはなかったけれど。
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    Kon_sch5

    DOODLE宵待草、鳥がよぶまで 6のちょっと続き
    宵待草、鳥がよぶまで 6のちょっと続き 駅前のコンコースでは、今日も若者が歌っていた。今日の歌手は二十代前半くらいにみえる青年で、槇原敬之をカヴァーしている。派手にピッチがずれているのにやたらと笑顔をふりまいて、自分で手拍子までしているので(ギターの弾き語りではなくCD音源を流していた)、鯉登は思わず顔をしかめてしまう。いつもならばこんなこと、気にも留めずに通り過ぎるというのに。それどころか、以前の鯉登なら、調子外れな歌声にある種の微笑ましさすら覚えながら聴くことができた。例えばたいしてぱっとしない歌であっても、自分のおくる風変わりな——前世の部下と「友人兼恋人」をやっているという——日々の、面白可笑しいテーマソングのように聴くことができた。それが今はどうだ。力任せにはりあげるばかりの高音のオンパレード(極めつきに最後の「い」の長い伸ばし音といったら!)に、鯉登は閉口を通り越して憎悪さえおぼえながら、できるだけ大股で広場を通り過ぎた。これ見よがしに目の前でヘッドフォンを取り出してつけ、オリジナル曲を聴いてやりたいような、意地の悪い気分だった。
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