マナ石とファウスト 乗せたばかりの時には冷たさを感じさせていたそれは、指を閉じて握りしめていたこともあり、ぬるく温まっていた。
重さは、その大きさから想像するよりは少しばかり重たいのだと思う。初めて手にした際にはそう感じた。何度目かの今となっては、このくらいの重さということはわかっている。わかっていても、やはり、少し重い。
元のおおきな塊から砕けたはずのものであるのに、指で撫でるその表面はつるりとしてなめらかである。長く川底にあった石のように、指を、手を、そしてこれからそれを含む口の中を傷つける鋭さはない。
不思議な石。命のかけら。マナ石、と呼ばれる、かつて魔法使いであったもの。
かつて、といってもそれは昔のことではない、今日の戦いで命を落とし、石となったもの。戦いが始まる前まで、始まってからも、同じ目標を掲げ、肩を組み合った仲間であったもの。
『石になったら、そのときはどうか、食べてください』
一部は家族のもとに、一部は戦友たちに。全てとは言わないからあなたの力に。と乞われるようになったのは、なにもここ最近のことではない。革命軍に参加している魔法使いが初めて命を落としたあとからだった。
ファウスト含め、多くの魔法使いたち、もちろん人間も魔法使いが石になる瞬間というのは初めて目にするものだった。望まれがちな魔法は治癒や後方支援ではあるが、だからといってその力ゆえに後方支援が主だったわけではない。
まだまだ戦いの規模もそれほど大きくなかった、今思えば小競り合い、といえる大きさだったし、人員だって少なかった。部隊を分けられるほどの人数もいないから、やれることといえば前衛、後衛、退路確保などの役目はあれど、全員出撃。
魔法使いは圧倒的に人数が少なく、魔法の扱いにたけた者だってそれほどいなかったから、ほとんど人間と同じ戦場に立ち、同じように戦った。
精霊の加護のもと、幾分かの幸運は味方していたのかもしれないけれど。
そんな中で、幸いにも、というには状況が状況だけれど、最悪を戦場の片隅で仲間に看取られずに命を落とすよりは、基地の療養所で仲間に囲まれて看取られる方が幸いといえる中で、死を迎えた魔法使い。
彼は、ファウスト含む、実年齢と外見がまだ人間と同じ速度で成長しているものたちが多い中においては、人間の寿命を超えて生きていたひとだった。ただ願うだけでしか魔法を使うことができなかった若者たちに、箒での飛び方、魔法の仕組みや使い方を教え、先生、と呼ばれていたひとだった。
臨終の間際に、まずは若い魔法使いを枕元に呼んだ彼は、はじめに、そう願ったのだ。
『売って金にして軍のために使ってくれても構わない、だができることなら、食べてほしい』
魔法使いは死んだら石になるのだと、教えてくれたのもかれであった。その石が、マナ石であるということも。
誰かもわからない者の手に取られるならば、仲間のちからになりたい。仲間の中でも選んでしまうことを許してほしい。軍資金にすることがちからになるということになるけれど、みな仲間であるのだけれど、お前たちの身体の中で力になりたい。それはこのマナ石になった身体でしかできないから。
そう願う己の中にある矛盾のようなものを笑いながら、かれは言ったのだ。
『どうするかはお前たちの自由だ。わたしはわたしの心からの望みを伝えただけ』
そうしてかれは目を閉じ、そして、美しい音を立てて石になって、砕けた。
無数のかけらになったかれを集めて、魔法使いたちに渡したのはファウストだった。あなたはどうするの、と口には出さぬが問われる中で、ファウストは手にしたそれを天幕の明かりにすかしてみた。透明感はあるのに向こう側は見えない、不思議な煌めきの、命だったもの。
『かれの死を、アレクに伝えてくる』
視線の問いかけには答えずに、ファウストは静かに言ってその場を離れた。
この石を食べるのかどうか、決めかねているような、決まっているような、おそらく自分はかれの願いを叶えるだろうと確信しながら、けれどそれはまだ他人事のようで、どんな言葉にもまとまらなかったからだ。
涙は出なかった。悔しくて苦しくて、けれどもそれ自体は何度も経験してきたことで。日常ではないけれど、いつでもすぐそばにある出来事。慣れているといえばそうだし、けれど慣れることはないのもまた事実だった。
ただ、それでも生きていくことができる己を知っている。そこに己の命がある限り、生きて進んでいかねばならない。
少しだけ思い出に浸ってから、ファウストは手にしたマナ石を空にかざした。
これで、もういくつめだろうか。いや、分かっている。分かっていてそんななことを考える。零れ落ちた命は数えきれないほどではないけれど、数えていられないほどあった。失われた以上に人間も魔法使いも同胞は増え、戦いの規模も以前よりは大きくなっているし、これからも大きくなっていくことだろう。
感謝と祈りを捧げ続けてもきっと足りない。いつかそれは何かしらの形で己に戻ってくるのだろうとファウストは思っていた。数多の屍の上をいく旗を先頭で振っているのは己なのだ。
きみの命に感謝を。そしてどうか、安らかに。
祈りを捧げ、ファウストは両手で握り込んで体温の移ったそれを、持ち上げ、唇を寄せた。ひとつ、口付けてそっと口の中へと押し込むと、舌の上に乗せる。質量を感じたのは一瞬で、味もなくただ、どろりと溶けたものを飲み込んだ。
食べられるのかと興味を持ったアレクが以前、魔法使いのものではないマナ石を同じように口に含んでみていたけれど、そのときは石は溶けることもなく形を保ったままであったので、きっとこれは魔法使いの体内にはいることで起きる現象なのだろう。
魔法使いなのに、魔法使いのことを何も知らない。魔法だってきっともっと、使い方や使い道があるはずなのだ。最近、そんなことをよく考える。
食道を通って胃の腑へ落ちたものが通過した場所からじわじわと熱を持って、それが体内を巡っていく。乾いた体に水を飲んだ時のような、冷えきった体に温かいものを口にしたときのような、似ていて非なる、おそらくは魔法使いしか知り得ぬ感覚。
かのひとであった何かが染み込んでいく。目の奥までも熱が巡って、吐く息も熱く感じた。それが己の体が冷えているからなのか、体内が熱を持っているからなのか、それとも違う要因からなのかはわからない。
そしてただ祈る。
熱が引いて体に馴染めば、それはもうファウストの一部となっていた。