原稿 プロローグ1 私、砂漠の夢を見るの。ええ、時々なんだけど……。あんたの父親――あ……あの方は人だったのかしら? ええ、とにかくその方の夢を見るのよ。
私、若い頃にエジプトに一人旅をしたの。何故かしらね? もっと安全で、おしゃれな国はあったのに……。理由なんか忘れたわ。異国情緒溢れる街を歩いていると、日本という名の狭いつまらない現実を忘れられたのよ。私にはあの国は、似合わない。
でも、馬鹿よねぇ。カイロの雑踏を歩いていたら、突然見知らぬ男に腕を掴まれて地下室に監禁されてた。こんなに治安が悪いのかって呆れちゃったわ。だって、昼間だったのよ。それも、市場だったのに。
塀の高い大きな屋敷には、何人もの男たちがいたわ。一階の廻廊では、大きな隼が鋭い目でいつも庭を眺めていた。
私は地下室に放り込まれた。その地下室には何人もの女性が居たんだけど、不思議な雰囲気だったの。誰も帰りたいって言わない。泣き喚いたりする人もいないし。皆が落ち着いた様子で、静かに生活していたのよ。
監禁されてはいたけれど、清潔なベッドにおいしい食事。まるでホテルのスイートルームのように、広くて豪華な調度品が置かれていたわ。トイレもシャワーもあって、勝手に部屋から出ることが出来ない以外は快適っていえたのよ。監視の男がいるときには、太陽の光を浴びることも許されたし。
一度だけ、ブロンドの女が勝手に庭を歩こうとして、その隼に飛びかかられていたのを見たわ。
ここでの生活は満たされていたと言えるけど、私たちは囚われ人だった。羽根を毟り取られた、哀れな小鳥だったのよ。
私は見張りの隙を突いて、部屋から抜け出した。長い廊下を走り、階段を上がり玄関を抜けようとしたところで、捕まってしまったわ。冗談じゃあないわ。エジプトには旅行に来たのよ。死にに来たんじゃあないもの。
何度も何度も抜け出そうとしたわ。すぐに捕まってしまうけどね。だって、その地下室には鍵が掛かっていないのだから。何度でも、抜け出してやったわ。
でも、他の女達は私をぼんやりと見ているだけだった。私が脱走しようとすることが、理解出来なかったようだった。
「あの方にお会いしたことがないのね。可哀想に……」
一人のブルネットの女には、哀れむように言われたわ。
「あの御方の瞳に映ることが出来るだけで、幸せを感じることが出来るわ」
「あの方のお声は甘く冷たく、血のように赤いワインのように私を酔わせる」
「あの方を見るだけで、この身が震える。体の芯が甘く蕩け出すわ」
「あの方に触れられたなら、もう他の男に抱かれるなどと考えられないの」
女たちは皆、あの御方とやらの噂をする。素晴らしく美しいのだとーー彼のために自分はあるのだと。馬鹿馬鹿しいって思ったわ。私は私よ。どんな男だって、私を変えることは出来なかった。
私たちは囚人だけど、とても待遇のよい囚人だったとはいえたわ。世話役の男は私たちを家畜やペットを見るような目で眺めるの。健康状態はいいのか、毛の艶はいいのか。怪我をしていないか、病気にはなっていないか。私たちは管理されていたのよ。
「美しく、そして健やかにお過ごしなさい。あなたたちは神への捧げ物なのだから」
世話をしてくれる男は丁寧な言葉で私たちに話しかける。捧げ物と言われながらも、恐怖に怯える女はいなかった。皆がうっとりとその言葉を聞いていたの。用意された薄衣を身に纏い早く神にお会いしたいと、口々に言っていたわ。
数人の女たちが時々いなくなり、暫くして新しい女が補充される日々。隼に襲われたブロンドもいないし私を哀れんだブルネットも、もういなくなって大分経つ。