約束「ユーリス、あの大きな建物がついに出来上がったようだぞ」
ベレトは少し興奮気味に小屋の中へと飛び込んで、キョロキョロとユーリスの姿を探した。彼の伴侶はまだベッドの中だろうか。
「ユーリス、ユーリス」
「聞こえてるよ、ここにいる」
ふあ、とあくびをしながら姿を現した彼は、『またあの場所に行っていたのか』とベレトを見た。ラフな部屋着姿で、すでに朝食が用意されているテーブルにつく。二人が暮らしているこの小屋は、フォドラの喉元に似た山の奥深く、人里から離れた場所にある。以前この国が大きな戦争に巻き込まれることなった時、二人は関わり合いになることを望まず、そっと街を後にした。
「お兄ちゃん達、どこへ行くの?街を出て行くの?」
近所に住んでいた子供たちにそう聞かれて、ユーリスは寂しそうにその子たちの頭を撫でてやった。
「そうさ。遠くへ行くんだ。うんと遠くへ」
「そっか……じゃあ、またね」
気丈に涙を堪えながら見送ってくれたあの子は、今も元気にしているだろうか。ユーリスはベレトの淹れた熱いベリーティーを飲みながらふと思い出す。もう顔も声も覚えていないが、名前だけははっきりと記憶していた。
「あの建物が完成したら、向こうの街まで降りてみようと言っていただろう?」
「そうだな。あんた、そんなに街に行きたかったなら、もっと早く行こうって言やあよかったのに」
「違う。きみと『あの建物が出来上がったら見に行こう』と約束したから楽しみだったんだ」
昔も、よく二人で示し合わせて、こっそりガルグ=マクから街へと出かけただろう。とにこにこ笑うベレトに、ユーリスは少し頬を赤らめた。いくつになっても彼が自分との逢瀬を楽しみにしてくれるのは嬉しいが気恥ずかしい。しかも、四六時中一緒にいられるようになってもこうして恋人気分を味わわせてくれるのだから、自分は幸せだ。
「それじゃ、出かけてみるか」
「ああ。貨幣が変わっていなければ良いのだが」
「古くなってても換金できるから大丈夫だろ。念のため、純金も少し持って行くか」
「剣は以前から禁止されていたな」
「絶対に置いてけ。ああ、それからこれを持たないと」
ユーリスは飾り棚の抽斗から、ずいぶん新しい紙を二枚取り出して見せた。ベレトが覗き込むと、そこには自分の名前とどこかの住所、なにかの番号が書き付けてある。
「それは?」
「新しい身分証明書だよ。こっちがあんたの」
「……日付が新しいようだが」
「まあその、俺様もあんたと街に下りるのを楽しみにしてたってことさ」
ユーリスは新鮮な卵で作った目玉焼きを一口頬張る。最近疲れ気味のようだった雌鳥は、今朝は良い仕事をしたらしい。卵を産まなくなったら肉にされてしまうのだから彼女も必死なのだろう。ベレトが収穫してきたのであろうアンゼリカとトマトも甘くて美味しい。街が見下ろせる小高い丘で、収穫物を抱えたままあの建物が出来上がっているのを見つけて目を輝かせたに違いない。その姿を思うだけで、急拵えの朝食が何倍も旨く感じられた。
「何度か夜抜け出しているのは知っていたが……危険な手は使っていないだろうな?」
「女神様に誓って」
疑わしそうな目を向けてくるベレトに、ユーリスは真面目くさって返事した。夜、そっと街へと出かけ、路地裏ではみ出し者連中と打ち解けることくらい、『危険なこと』には当てはまらないだろう。それにその辺りはユーリスの得意分野だ。偽造屋を探して、二人分の身分証明書を制作してもらうのは少し骨が折れたが、山を下りて再びベレトと街で暮らし始めるためならどうということはない。ついでに今の裏社会の様子も知ることができたし一石二鳥だ。
「ではユーリス、食べ終わったら服を選んでくれ」
「おう、任せろ」
言いながら、ユーリスはベレトの口元についたパンくずをとってやる。手製の燻製肉のサンドイッチも絶品だが、街にはベレトと一緒に食べてみたいものがもっと沢山ある。またベレトと一緒に新しいものを見つけて行くことができる喜びに、ユーリスは胸の高鳴りを感じていた。