命名ふらりと昼時の望舒旅館に現れ昼餉を共にしようと誘われれば断ることなどできるはずもなく、杏仁豆腐と閑雲から預かってきたという豆腐布顛というおよそ凡人の昼餉とは思えないものが目の前にある。対する鍾離の前には旅館特製の日替わり昼食が並んでいた。
それでも同席しているという喜びと緊張を飲み込んでいると、
「名付けを頼まれた」
不意に鍾離が話題を振ってきた。いつもことなので、一拍置いて続きを促すような視線を送る。いつものようにその視線に動揺が見えていることに鍾離はわずかに苦笑する。
「三杯酔で何度か同席したことがあるという程度の、所謂顔見知りだな。もうすぐ子どもが生まれるから、名前をつけて欲しいと頼まれたんだ」
博覧強記の往生堂の客卿としても広く知られている鍾離に肖りたいと願う凡人の気持ちはよく分かる。しかしその正体は魔神戦争を勝ち抜いた岩の魔神モラクスであり、璃月を築いた岩王帝君その人なのだ。
いくら今は凡人として生きているとはいえ、名前を授かるということがどれほどのことか。
「そ、それは、その子にどれほどの祝福が授けられることか…鍾離様の加護を得た子がこれからの璃月を歩んでいく、実に喜ばしいことです」
言葉を慎重に選んでいる自分に気づいた。
名を授かる幸運、その加護…誰よりも知っている。分かっている。なのに何故かちくりと心に棘が刺さったような心地に舌がうまく回らない。
浅ましい。これは嫉妬だと気づき、杏仁豆腐を雑に大きく掬って口に入れる。
ぱさりと音がして手袋を外したのだと気づいて顔を上げる。その拍子にふにっと鍾離の指先が口の横を撫でた。次いでそのまま指を舐る仕草に何事かと目を見張る。
「ちゃんと己の口の大きさを把握しているか?」
くすくすと杏仁豆腐の欠片が付いていたことを指摘され頬に熱を感じた。
「…勿論、断った」
心臓の音がうるさい。
「名を与え寵するのは一人で十分だ」