花売りの○○変わったの花売りがいる。
それを聞いたのは、義兄が久々に家に帰ってきた時だった。
土産だと言って渡した綺麗な色の花は、生前母が一番大好きだった種類の花。小ぶりで目立たないがとても可愛らしいと何時も愛でていたと、良く父や義兄から聞かされていた。自分も一度だけ本物を見た事があるが、咲いている地域が限られている為、中々お目に掛からないものだった。
差し出された花は、最近この町で商売を始めた花売りから買ったそうだ。その花売りは少し変わった格好をしている男だが、中々のイケメンで、忽ち町の女性達が虜になり、噂が瞬く間に町中に広まってしまい、今ではこの町でちょっとした有名人だそうだ。
「じゃあ、モテモテだね、その人。」
「ええ。今日も迫る人達から逃げていたそうです。そこを偶然通りかかったので、仕方なく助けたところ、礼にこの花を頂戴致しました。」
「そうだったんだ。良くこの花が有ったね。」
「ええ。とある森の奥深くに生息しているそうです。」
「そうなんだ。……その商人さんと仲良くなったんだね。」
「不審者と仲を深めようとは、思いません。」
そうかな?と首を傾げると、義兄はそうですよ、と複雑そうな顔で答えた。そしてふと、嫉妬して下さりました?真剣に尋ねてきた言葉に、友達が出来て嬉しかったと真面目に答えると、義兄は何故か残念そうな顔をした。
その夜、二人は久々の再会に花を咲かせた。
翌日、家にばかり居てばかりでは不健康になると義兄に言われ、朝食後早々義兄に外へ出掛けるよう提案された。折角久々に帰ってきたのだから、義兄にはゆっくりして欲しかった。だが、頑なに意思を変えない義兄に、こちらが折れるしかなく、配慮は虚しく空振りになった。その代わり、外に出るならば次いでに買い物をしてくると、条件を付け加えた。すると、初めは渋っていたが何とか納得してくれた。今日の食事分のリストを義兄と一緒に作り、それを麻のズボンのポケットにコインの入った袋と一緒に入れる。そして義兄からお土産で貰ったフード付き、青いマントを羽織る。
準備を整えると、とある一つの部屋に入った。窓に付けられたカーテンから差し込まれる淡い光が、部屋の中を照らしている。明るい部屋はベットとナイトテーブル、後は小さな本棚が一つある、シンプルな作りになっていた。その部屋の中で一番カーテンに近いベッドに歩み寄る。そこには、一人の男が眠っていた。近寄った気配に気付かないのか、男はこんこんと眠り続けている。その顔は、頬は痩せこけていた。
少年は心臓部分があるであろう場所に、そっと耳を当てる。肌掛けから伝わる微かな心音にホッと胸を撫で下ろす。そして、顔上げると、顕になっている額に唇を寄せた。
「行ってきます、父さん。」
囁く言葉は、柔らかな日差しに溶ける。
そして、少年はそっと部屋を後にした。
静かになった部屋は、眠り続ける男の微かな呼吸の音だけが響いていた。
真っ直ぐ玄関に向かうと既に義兄が待っていた。
「じゃあ、行ってくるね。」
「本日はこの私めが家をしっかりお守りしますので、のんびり過ごして下さい。」
相変わらずの堅苦しい口調に、少年は苦笑した。
「でも、買い物したら帰ってくるよ?」
「それでは、気分転換になりません。折角ですから、もう少し外を散策なされては如何でしょう?」
散策と言っても特に目新しいものはないので、少年はどうしようかと悩んてしまう。すると、義兄はある提案をした。
「では、ダイ様。例の花売りの所へ行かれては如何ですか?」
その言葉が少年―ダイの耳に、やけに響いた。
ダイはフードを被り、全ての買い物をあっと言う間に済ませた。その後時間を潰す為町を散策するが、何せ小さな町故にそれも直ぐに終わってしまった。後は、花売りのところに行くだけになった。義兄からの折角の勧めなので行きたいが、町の人達に囲まれて忙しそうだったら止めようかと考えながら歩く。そんな事を考えている内に、教えられた場所に到着した。
メイン通りから少し外れた道の階段は、建物の影で少し薄暗い。
普段ならば人通りは疎らで、ちょっとした抜け道になっている。が、今は例の商人の追っ掛けなどで賑わっているだろう。そう思い周囲を見渡したが、そんな人混みは一切見当たらない。
売り場を他の場所に移したのだろうか。
なにせ、今巷で人気の商人だ。此処で売っていた時は、もの凄人込みだっただろう。
「ちょっと、見てみたかったかも。」
ほんの少しの後悔がダイを襲う。しかし、直ぐに気持ちを切り替える。本当は真っ直ぐ家に帰っても良かったのだが、まだ早い時間だと義兄が追い返しかねないと思い、少し遠回りをして帰る事にした。
ダイは、日陰になっている長い階段へと向かうと気分よく鼻歌を歌いながら、軽快な足取りでリズミカルに駆け降りる。
路地に軽い足音と鼻歌が混じり合う。
あっという間に階段の下まで降りると、ダイは階段を振り返る。
昔、父とこの通りを歩いた時幼かった自分は予想以上の高さに怖気づき、何時も人目を気にせず泣いて父の足元に縋り付いていた。そんな自分を何時も慰めながら抱き上げて、一緒に降りてくれた。荷物も持って大変なのに、父は少し困った笑顔で仕方ないなといつも迎えてくれた。一人じゃないよと言うように。
それから時は流れ、父の役は義兄が担うようになり、抱き上げるのは流石に出来ないからと手を繋いでゆっくり階段を下りるようになり、やがて歳を重ね怖さが無くなると、自分一人でも降りれるようになった。
今は、下を見ずに階段を駆け下りることが出来るようになった。
長い長い階段は、何処にでもある普通の光景だが、ダイにとっては思い出深く大事な場所だった。
懐かしい。
ダイは目を細め、在りし日を思う。と同時に寂しさが染み渡る。ダイははっと我に返り、頭を振り暗い感情を振り払うと、息を吐き切る。そして大きく息を吸い込み、気持ちを切り替える。
「よし」
自分に言い聞かせるように気合を入れた声を出し、荷物が入った紙袋を抱え直す。帰って義兄の手伝いをしなければと、ダイは表通りに出る為の小道を進もうと足を踏み出した。すると、道に珍しく人が居た。珍しいなとダイは思いながら、もう一度路地に居る人物を観察する。
その人物は銀色の髪をした、半裸の青年だった。
『その花売りは、銀色の髪で端正な顔をした、半裸の男です。』
義兄の言葉を思い出し、ダイは目当ての人物に突然出会い、目を丸くした。
男はこちらにまだ気付いていないのか、地面に無造作に置かれてる籠達の中の花を整理していた。真剣に見つめるのその顔は、切れ長の涼やかな目元で、鼻筋が通っている。伸ばされる腕、そして惜しげもなく披露されている上半身は戦士の様に鍛え抜かれている。この肉体美に加えて、その容姿だと、女性達が悲鳴を上げるのも頷けた。
凄くカッコいい人だな。父さん達みたいに鍛えてるのかな?普通の鍛え方じゃない気がする。何か武芸でもやってるんだろうな。……と言うか、本当に上半身裸だ。寒くないのかな?
ダイは男の姿に、首を傾げたが、不審者とは思わなかった。
きっと、上着を買えないほどお金が無いんだ!
辿り着いた推理に、この場に誰かいたならば「そこは先ず不審者として疑え」と突っ込まれるであろうが、残念ながらダイを止める者は誰も居ない。
ダイはならばとポケットに入っている袋の中に有るコインを確認すると、フードを深く被り直しゆっくりと歩を進める。口元には笑みを乗せて、作業の邪魔にならない様そっと近付く。そして、目の前で立ち止まる。
すると、男がダイに気付き、顔を上げる。
切れ長の冷たい瞳が大きな琥珀と絡み合う。
表通りの喧騒が、裏路地に小さく響く。
誰かの小さな呼吸の音が鼓膜を刺激し、鼓動が一つ大きく脈打った。
「何か用か?」
永遠に時が止まったかのように思われたが、唐突に落とされた低い落ち着いた声をきっかけに時が動き出した。
我に返ったダイは慌てて「花が欲しいです」と呟いた。すると男は「分かった」と頷き作業を止め籠から手を退ける。ダイは足元に紙袋を置くと身を屈め、今し方男が作業していた籠を覗く。籠の中には、色取り取りの大小様々な花達が見事に咲き誇っていた。
「うわあ、綺麗」
思わず声を上げてしまい、慌てて口元を手で押さえた。ちらりと男を見上げるが、男は気にした様子もなく、腕を組んで目を閉じていた。
安堵したダイは、もう一度籠の中を覗く。すると、ある籠の中に昨日義兄が家に持ち帰ってきた小さな花を見付けた。
『母さんは、この花でいつも花冠を作って、お前達に被せていたものだ。』
ふと、父の言葉が蘇る。
優しく慈しむ声は、今は聞けない。
懐かしさと寂しさが綯い交ぜになり、唐突に琥珀の瞳から一粒の雫が零れ落ちた。
男はその瞬間を目撃したが、何も言わずまた目を閉じた。
ダイは乱暴に腕で拭い去り乱れたフードを深く被り直すと、ポケットの中にある袋からコインを取り出し、空いている手で指さした。
「あの、この花、下さい。」
男は目を開け組んだ腕を解くと、ダイの指さす方角を確認し、差し出された小さな掌にあるコインの枚数を確認し、男は顔を顰めた。
「多過ぎる。」
受け取れないと言外に含まれた声に、ダイは首を横に振った。
「良いんです。昨日お花を貰ったんで、その代金です。」
「昨日?」
「金髪の男の人が、昨日お兄さんを助けたんですけど、覚えてますか?」
訝しむ男に、偶然助けた男が自分の兄だと教えた。そして、貰った花の金額分を上乗せした事も伝えた。
「…あー、そう言えば昨日助けられたな。なら、お金を渡さないといけないのは、オレの方だろ。」
「いやいや、それじゃあ、意味が無いです!」
首を振り言い募るダイに対し、男はどういう意味だと訝しむ。するとダイは慌てて言葉を付け加える。
「実は、この花ずっと探していたんです。でも、此処じゃ中々見つからなくて、困っていたんです。でも、漸く見付かった。」
ダイは、その花を愛おしそうに眺め花が綻んだ様に笑う。そして、顔を上げると黙っている男の大きく武骨な手を取り、コインを握らせる。驚き押し返そうとする大きな手を、小さな両手で包み込む。
「だから、これはそのお礼です。」
少し強引過ぎるかなと上目遣いに男を見遣ると、男は溜息を付いていた。
「……分かった。受け取ろう。だが、これだけで十分だ。」
そう言い、渡したコインの半分と少しだけを受け取り、ダイに返した。
「……お兄さんって、案外頑固だね。」
ダイは溜息と共に小さく呟いた。しかし、これ以上押し問答しても仕方ないので、渋々返されたコインをもとのポケットに戻した。
そして花を受け取ろうとした瞬間、何かを思い出したダイは急いでフードを脱ぎマントを脱ぐ。
露わになる顔は、男と比べると随分幼い印象を与えた。
男は瞠目した。
「ねえ、お兄さん。その恰好だと、いくら暖かいとは言え風邪引いちゃいますよ?だから、使ってるもので悪いんだけど、これ使って下さい。」
そう言い押し付ける様に青いマントを男の屈強な胸板に押し付ける。そして花を男の手から取り急いで受け取り紙袋を拾い上げると、男の静止を聞かぬまま表通りへと走り去った。
小道を全速力で駆け抜け一気に表通りまで出ると、足を止めた。そして近くの壁に背を凭れさせ、上がった息を整える。
通り過ぎる人達はダイの事など、気にも留めず道を歩いている。
「押し付けちゃった。」
本来の目的を成し遂げたので、ダイは満足だった。だが、家に居る義兄にマントが無い理由の説明をどうしようかと、困り果てた。
しかし、悩んでも仕方がない。何処かに忘れてきたなどと言って何とか誤魔化そうと決断する。
決断するや否や、壁から背を離し、人通りの少ない道を通って帰る為に表通りから背を向けて歩き出した。
その手には、小さな花が揺れていた。
小道に残された男は、返し損ねた小さなマントを見下ろした。
「……小さいな。」
困惑した言葉とは裏腹に、口元は緩んでいた。
***
その後二人は仲良くなって、パパの上着を貸してあげるんですが、力尽きました。
正式な題名は「花売りの半裸」です。
……ふざけて御免なさい。