その川を越えて桑名と喧嘩した。
いつものやつだ。
頭を冷やす為に庭に出て、ひとりでふらふらと歩き続ける。夏の景趣では頭を冷やすどころじゃなく、熱で余計にくらくらする。もう原因すらどこかに飛んでいってしまったのに今更部屋に戻る事も出来ず、庭の隅の水場へと辿り着いた。
井戸とは別の外の川から引き込まれた小さな水路をきらきらと透明な水が流れていく。眩しい日差しを反射する水面はまるで夜空で瞬く天の川を彷彿とさせ、そう云えば短刀たちが七夕の笹飾りを賑やかに作っていたなと思い出した。
「年に一度しか逢えなかったらいいのに」
零れ落ちた独り言はどことなく寂しい。一年に一回の逢瀬が寂しいのか、そんな事を考えてしまう現状が寂しいのか、茹だるような熱の所為でよく解らなかった。
「……ひっ?!」
突然首筋にぺたりと何かが貼り付く。その感触と痛いくらいに冷たい温度に悲鳴によく似た声が出た。
「熱中症になっちゃうよお」
首を押さえて振り返れば口元に笑みを浮かべた桑名が立って居て、状況が飲み込めないまま口だけをぱくぱくと動かす。「酸素が足りなくなった金魚みたいだねえ」と伸ばした指先が僕の頬に触れ、いつも熱いくらいの桑名の指がきんきんに冷えているのを感じた。
「井戸水は冷たいよねえ」
首に宛てられたのは井戸水で冷やした手拭い。茹だった頭が冷やされて落ち着いてくる。
「僕たち、喧嘩してた」
「うん、まあそうなんだけれど」
当たり前のように僕に手を差し出した桑名に、当たり前のように僕は首元の手拭いを手渡した。手拭いは井戸から汲み上げられた手桶の中に沈められて、桑名の大きくて硬い手でやわらかく絞られて僕の手へ戻ってくる。
「どうせもう喧嘩の理由も憶えてないんでしょ?」
言葉に詰まる。何もかもお見通しみたいで口惜しい。
「……織り姫と彦星みたいに年に一回しか逢わなかったらいいのに」
そうなら喧嘩の頻度も減るかも知れないし、なんならしなくなるかも知れないから。口には出したりしないけど。
「逢いたくないの?」
「……」
「逢いたくないなら逢わなくてもいいけれど。もし松井が逢いたいなら僕は鵲だけに頼るなんてしないからね」
雨が降ろうが、川が氾濫しようが、橋を架けてでも、川の流れを変えてでも。ああ、そうだ、桑名ならやりかねない。
「で、松井はどうしたいの?」
「僕は……」
一度目を伏せて、ゆっくりと顔を上げた。
僕が口を開くよりも早く、細い水路を一歩で越えて目の前に。前髪で見えない筈の山吹色が細まるのが視えた気がした。