【夏五】第62回 お題「まやかし」「ねぇ、教祖様。僕と遊ばない?」
首都・東京、呪いの坩堝たる街、新宿。右を見ても左を見ても猿だらけのこの場所は本来忌避したいところだが、ここほど上級の呪霊が溢れているところも他にない。さらに手駒を増やすためだと割り切って、夏油はときどきこうして足を運んでいる。
だから、分不相応に話しかけてくる輩はいつもならば無視してそのまま去るところなのだ。思わず足を止めてしまったのは、その声が数年前にまさにこの場所で道を分かった、かつての親友と瓜二つ――いや、そのものだったからだ。
振り向いて、さらに驚く。
少し上にある視線、ネオンに照らされて輝く白銀の髪、そして。丸いサングラスから覗く、宝石を埋め込んだかのような青い瞳。
思わず開いた口が、懐かしい名前を象る前に気づく。
―――”これ”は、なんだ。
これ、は、彼、ではない。なぜならかつては全身で感じ取っていたあの強大な呪力が、目の前のコレには一切存在しない。
だからこそますます困惑した。
姿かたちはまさにそのまま、あのとき別れた元親友がそのまま大人になったであろうものなのだ。
「…何者だ」
「やだなぁ、忘れたの?薄情者」
「お前は、五条悟じゃない」
相手が一歩近づいた分、夏油は後ろへ下がる。
乗っ取った宗教団体の事業も、協力者を得てようやく軌道に乗り始めたとはいえ、同じだけ敵も多い。増やすだけの所業をしでかしている自覚はあるし、たとえ命を狙われたとしても返り討ちにしてやる自信はある。
だがさすがにこの展開は予想もしていなかった。
もともと呪術高専に所属していたことも、「五条悟」と同級生であったことも隠したことはなかった。かといって、かの御三家の御曹司を利用してやろうなどと考える不届者――ある意味勇者――などいなかった。
今の今までは。
「別にいいじゃん、ね、教祖様。この見た目、嫌いじゃないだろ」
夏油が何者かを知っている。知っていながら、躊躇することもなくずかずかとテリトリーに踏み込もうとするのはこの上もなく不快だった。
どんなに似ていようとも、目の前にいる男には術式どころか呪力だってほとんど存在しない。
呪術師の象徴たる五条悟ではありえない――夏油が常々見下している猿なのだ。
手持ちの呪霊を3体呼び出す。ヘドロのような呪霊が男の周りに漂うが、青い目はそちらを見ない――視えていないのだ。代わりにたまたま通りかかったひとりが小さな悲鳴を上げて逃げ出した。視えるだけの猿は、大抵ああいう反応をする。
このまま呪霊に喰わせてしまおうか――一瞬考えて、止める。ニコニコ、あのときずっと隣にあった表情を貼りつけた顔に、背を向ける。同時に周囲を漂っていた3体も地面に溶けた。
まだまだ甘いなと自嘲する。未練はとうに断ち切った。そのはずだった。
「お前はただのまやかしだ。死にたくないなら、さっさと消えろ」
私の心が変わらないうちに。一歩、二歩、三歩―――後ろの気配は動かない。
「―――呪術師じゃない僕は、お前にとって何なんだろうな」
周囲のざわめきに消えてしまいそうな小さな声。
思わず振り向いたが、そこにはもう、男の姿はどこにもなかった。
『俺が呪術師じゃなくなったら、お前どうする?』
高専生時代、ふざけてそんな質問をしたことがある。あいつは驚いた顔をして、でも真剣に考えていた。おふざけで発したことだったのに、真面目に答えようとした。
あのとき、あいつはなんて答えたのだったか。
「五条、このバカ!」
呪術高専に戻ると、焦った様子で家入が駆け寄ってくる。数メートルだって走るのが面倒だと公言していたのに、息を切らしていた。
怒らせてしまった原因はわかっている。ダメだと言われたのに、ひとりで外に―――天元の結界から出てしまったからだ。
「お前、今自分がどんな状態かわかってるのか」
「えー、相変わらずGLGだけどパンピーになっちゃった?」
深々と、大きなため息。ごめんごめんと軽く謝れば上目で睨まれた。
今自分がどんな状態で、ゆえに心配してくれていることは重々わかっているのだ。
それでもどうしても、見てみたかった。六眼(とくしゅ)じゃない目で見る世界はどんな色をしているのか。
――まさかそこであいつに会うのは、さすがに想定外だったけれど。
「大丈夫、もう出ないよ。呪力が戻るまでは部屋で大人しくしてるって、夜蛾センにも伝えといて」
まだ言い足りなさそうな家入に背を向け、ひらひらと手を振る。今は少し、ひとりになりたい気分だった。