三文小説海風が気持ちいい。隣を見ると以前より少しくすんだ金髪の男が、風で乱れた前髪を整えている。
「あ〜優秀な後進をたくさん育てておいてよかったなあ。優秀な元生徒たちのおかげで心置きなく毎日ダラダラできるってもんだよ。きっと最強じゃなくなった僕のことなんかみんな忘れちゃってるね。」
「あなたもおじさんになりましたもんね。」
虎杖くんたちに会っても気づいてもらえないかもしれませんね、と七海が笑っている。
「ひどーい!そんなことないでしょ!だって髪の色は生まれたときからずっと白で変わんないでしょ?イケメンなのもずっとだし?年とっても一発でGLGな五条悟だって分かるでしょ!」
「そうでしたね。あなたはいつまでたっても子どもですもんね。きっと気づいてもらえますよ。」
「お前は渋い良い男になっちゃってさあ。いつまでも僕に夢中にさせておく努力を欠かせないから大変だよ。」
「そんな努力必要ありませんよ。あなたはあなたのままでいてくれるだけでいいんです。わたしはありのままのあなたを――」
目を覚ました五条はひとり自宅のソファに倒れ込んでいた。
呪いを祓って呪いを祓って親友を失って呪いを払うのをやめてまた呪いを祓って呪いを祓う。死ぬまで。
最強に生まれて呪いを祓って呪いを祓って親友に手をかけたりしながら呪いを祓って呪いを祓う。最愛が死んでも。
まるで三文小説のような人生。でもこのくだらない人生を簡単に手放す気はさらさらないよ。だってお前がいるから。
『七海、元気にしてる?最近どう?』
『いつも通りです。五条さんはどうですか』
『いつも通りだよ』
いつも通り寂しいよ。
七海がサラリーマンをしているあいだ、僕たちの関係はとても心許ないものだった。僕がときどき送るメッセージだけがふたりを繋ぎ止めていた。電話で声を聞いたら会いたくなるに決まっているし、会いに行って一般人としての七海の世界に侵食してしまったらもうメッセージの返信もしてくれなくなるような気がして怖かった。七海はこちらに戻ってくることはないとあの頃の僕は諦めていた。自分を貫くあいつの強さを知っていたから。その強さに心底惚れていたから。
かといって別れようとは言えなかった。というか言いたくなかった。僕とのことを終わらせるつもりならメッセージは全て無視されているはず、そっけなくても毎回律儀に返信してくれるということは七海も少なからず僕のことを想ってくれているに違いないと思えた。たとえ以前のように愛情を表だって見せてくれなくても、そう思えたら頑張れた。七海建人の痕跡が日ごとに薄らいでいく人生を諦めたくなるときも、七海が好きでいてくれた五条悟でありつづけるために踏ん張れた。
復帰するという電話がかかってきたときは笑いが止まらなかった。大事な七海が再び死と隣り合わせのこの世界に戻ってくることが決まったにもかかわらず嬉しくてしょうがなかった。あいつがこの地獄を、僕の隣を選んでくれたことが嬉しくない訳がなかった。
だけど人間はどこまでも欲深くで独りよがりで。今度はこいつとこの地獄を歩ききったその先も一緒にいられたらと考えてしまう自分がいた。
人生のあり得ない続きを夢見て期待するのは間違っていると分かっていながら夢の続きを書き続けていたかった。
「七海ただいまあ!会いたかったよお。はぁ疲れた……」
「おかえりなさい。お疲れさまでした。」
ソファに座る七海の膝に飛びつく。パサついた髪の毛をすく温かい手が気持ち良い。
「うわーん1週間ぶりの生七海だ……七海の匂いがする……生き返るぅ」
「ちょっと。まだお風呂入ってないからやめてくださいよ」
「お風呂まだなの?じゃあ一緒に入ろ♡」
「……いいですよ」
「だよねぇ、ダメだよね……え!いいの?」
疲れからか澱んでいた青がぱああと輝く。
「恋しかったのはあなただけじゃないということです」
「ななみぃ〜愛してるぅ」
「知ってます」
「本当に?本当に分かってる?七海がいないともうぼくダメなんだよ」
「本当です。だってわたしも同じですから」
あぁ、かつてのわたしは片割れを失ったあなたに何もしてあげられなかったけれど、今度はさいごまであなたと一緒に戦ってみせる。わたしにもそれができるのだと思わせてくれたのはあなただった。
あぁ、僕たちに幸せで美しい終わりなんて来ないけれど。地獄を生きた者にふさわしい辛くて冷たい別れが待っているけれど。結末の分かりきったくだらない人生もお前とならいつまでも生きていたいんだよ。
あぁ、あなたがほんの些細な表情や言葉一つでわたしを救いあげてくれるから。頭からつま先までこの地獄に沈み込んでいくことも、心をすり減らしながらイタチごっこのように呪霊を祓う毎日も、家柄もない出戻りがこの世界の最強を独り占めすることへの逆風も何ともないのです。ただ最期まであなたが愛してくれたわたしでいたいのです。
あぁ、僕のくだらない表情や言葉に微笑んでくれるお前は確かに僕の隣にいた。ただその事実だけでひとりぼっちになった今も立っていられるんだよ。