分厚く覆われた雲が覗く。あの日から空は厚い雲に覆われたままだ。
「もう暫くすればこの辺りも吹雪となるだろう……分かるかい、冷気が近付いているのだ」
大通りをふたつほど渡った先は既に氷に覆われている。溶けることのない永劫の棺だ。
手を伸ばし、横たわる男の頬を撫でる。既に熱は喪われ、ひやりと冷気を纏っているようだった。
ふっと、息を吐く。
「……君はこの私を殺すと言った、真祖の血を引くこの私に、愚かにも」
手を組めと言ったのはこちら。その目的を果たすまでの間手を取ることをこの男は選んだ。そしてそれを果たせば必ず殺すとも。
ゆっくりとグローブを外し足下に落とす。
「君にそれが果たせるとは思えんが、一度吐いた言葉は飲めんぞ」
グローブを外した手を己の胸元にあてる。そこに脈打つものはないが、それはその機能がないということだ。
爪を立てると易々と肉を抉り、骨を断つ。そこからぐずぐずと崩れひび割れていく。
「……真祖の心臓……君に預けてやる」
ひび割れ崩れていく胸元から取り出したものが、僅かな光を反射し赤く輝く。
古の吸血鬼の、竜の血を継ぐ真祖の心臓。
「……せいぜいあがいてみせろ……愚かな若造め」
ぱらりと身体の末端から塵に変わっていく。
ぱらぱらと崩れ形を保てない。
幾度と繰り返してきたとはいえ、再び形をもつことはないだろう。
それに痛みはない。
崩れることに痛みも恐怖もない。
ただこの教会に足を踏み入れたときから続く胸を叩きつけるような痛みが、抉り出した心臓と共に消えていたことだけが不思議だった。
ぱきり、と踏みしめた足下から音がなる。
地を覆う氷が割れた音だ。
闇夜にひとりの男が佇んでいた。
氷を操る吸血鬼、氷笑卿と呼ばれる古の存在。
それは音に気付いたようにゆっくりとこちらを振り返る。
辺りを冷気が覆う。
ぱきり、と今度は背後の壁が凍り付く音がした。
「退治しに来たぜ氷笑卿、退治人ロナルド様と」
構えた銃が銀に輝く。
「……吸血鬼ドラルクがな」
冷気を纏う男が、口元を歪めて笑った。
(2021.11)