帰る場所に 配属された基地から、遠く離れた恋人の格納庫。長期休暇が貰える度にやってくるここは、もはや家の様によく知っている。
「マーヴ! 来たよ!」
広い格納庫に置かれた機体を避ける様に車を置き、マーヴェリックの趣味のバイクが置かれる棚を見上げ、奥に置かれた彼の住居へ声をかける。しかし、トレーラハウスのドアを開け覗く中は蛻の殻で、俺は小首を傾げてしまう。
「マーヴ?」
どこかへ出かけているのだろうか。
浮かぶ疑問に首を傾げつつ、いない家主に辺りを見回せば、彼のお気に入りのバイクが一台いないことに気づく。そして、バイクの特徴あるエンジン音が遠くの方から聞こえてくることにも。
「…いくらなんでも物騒すぎない?」
軍の基地内の格納庫に住んでいるからと言っても、流石に鍵もかけずに出掛けているのは不用心だ。呆れる恋人の行動に溜息を付き、それでも帰ってくる彼を待つべく、鞄を足元へ投げ、近くの椅子に腰掛けて開きかけのゲートを見つめた。遠くの方から砂埃を巻き上げ、格納庫内に流れる様にバイクで戻ってきたマーヴェリックは乱れた髪をかき上げながらこちらを見て笑う。
「早かったなブラッドリー!」
「なに? 今日は仕事?」
「いや、ちょっと怒られに行ってただけさ」
「…またなにかやったの?」
「ちょっとだよ」
降りるバイクのエンジンを切り、鍵を抜き取りこちらへ歩いてくる彼はいつもの笑顔でそう笑い、テーブルへバイクのキーを置くと、立ち上がる俺へとハグをくれる。
「久しぶりだなブラッドリー」
「うん、マーヴ会いたかった」
ライダージャケット越しに触れる、汗をかいた彼の身体は熱く、いつものコロンの香りが彼の熱に溶け、少し濃いく香り立つ。それがなんとも愛おしく、やっと抱きしめられる恋人の温もりに、両手を伸ばしてその小柄な身体を搔き抱けば、マーヴェリックの体が少し跳ね「ッ」と呻き声を上がるから、俺は驚き手を離した。
「…マーヴ?」
「ッ…アハハ、すまんすまん。ちょっとやらかしてさ」
(やらかす?)
「……まさか!?」
下げた眉で奥歯を噛み締められ、苦笑うように目線を逸らす彼に嫌な予感が頭を過ぎり、許可を待つより早くその開くジャケットの前から除く白いシャツをまくり挙げれば、見えてくるのは医療用のコルセットだ。
それも少しじゃない。見てるそこは胸下までコルセット覆われており、どう見ても肋の折れた時の対処法だ。だからまさかと、その着ているジャケットを剥ぎ取れば、腕も白い包帯に包まれていた。まるで、重病人のそれである。
「…マーヴ、これ…何したの…」
「あ〜…。実はこの前テスト飛行のパイロット任されたんだが、10.5G辺りで機体破損してさ。緊急脱出したんだが、墜落場所が悪くてな、少し谷を転がって」
「……は?」
「昨日やっと退院できたから、今サイクロンに怒られてきた」
(……え、俺何も知らないんだけど?)
参った参ったと笑うマーヴェリックの壮絶な事故に、流石に一緒にも笑えず黙り込む。というか、マーヴェリックがそんな状況だったと言うのに、俺のところにはなんの連絡も来ていない。
子供の頃から、家族だと思って過ごしてきた男のことなのに、俺の耳にはそんな話は一切来なかった。いや、彼に何かある度に、一応の連絡と安否を教えてくれていたアイスマンはもうこの世に居ないのだ。となれば、俺のところにはマーヴェリックが直接連絡してこない限り、彼の事故や安否について連絡はこない。
(…つまり、マーヴが死んでも俺には連絡が来ないのか)
マーヴェリック程の男だ。死ねば風の噂は流れてくるだろうし、ホンドやウォーロックは連絡をくれる筈だ。だが、こうして彼が入院したり、万が一生死を彷徨う様な様態でも、本当の家族でない俺には連絡が来ないのだ。俺の後見人はマーヴェリックでも、マーヴェリックの後見人は俺ではない。彼が死んだら、マーヴェリックは海軍の墓地に消えてしまう。
そこまで考えた瞬間、頭の中が冷え切り、喉が息を吸うことをやめてしまう。
「…ブラッド?」
手先が冷え切り、冷や汗が背中を流れ、涙が頬を伝っていく。
「お、おいブラッドリー?」
「…ッ」
ヒュッとなる喉に、目の前のマーヴェリックが焦り俺の手を掴んでくるが、握り返し方がわからない。訳も分からなく震えだす身体に、ただただ佇めば、その手を強く引っ張られ、首にマーヴェリックの腕がかかって身体を強く引き寄せられた。
「ッ」
「大丈夫、僕は生きてる!」
「ッハ!」
耳元で、力強くて大声でそう宣言する声に、ドッと酸素が肺へ流れ込み、足の力が抜けていく。後ろの椅子へ座ることもできず、ドクッと脈打つ心臓の動きにまるで子供のように地面へへたり込んだ。止まりかけた呼吸が復活し、肺からドッと酸素が身体へ巡りだし、今度は心臓が早く大きく音を響かせ、冷や汗がポタリとマーヴェリックの肩へと落ちた。白いシャツ上、流れ落ちる汗はそこへ広がり染みを作るが、彼は気にもせずに俺のことを抱き締めてれている。痛いだろうにそんなことも気にせず、この息がヒュッヒュと言わなくなるまで抱き締め、彼はごめんと謝った。
「…マーヴ?」
「すまない。軽率だった」
こんなに取り乱すとは思わなかった。
そう謝るマーヴェリックに、俺は息苦しい呼吸を飲み込み手を伸ばす。小麦色に焼けた頬に触れ、汗の流れる首に触れ、コレセットと被る心臓あたりへ掌を当て、そっとそこへ額を押し付けた。ドクドク煩い自分の心音に邪魔されながら、それでも押し付ける額の向こうに動くマーヴェリックの心音を感じ、喉の奥が苦しくなる。詰まる何かを飲み込み、鼻を啜った途端に視界が歪み、熱い涙が溢れ出す。
「ブラッドリー、大丈夫…だいじょうぶ」
「ッマーヴ…おいてっかないでッ」
「置いてかないさ。君を置いて行くなんて、どうやったって出来ない」
だから泣き止んでくれと俺の旋毛へキスを落とし、ただただ背中を撫でるように抱き締めてくれるマーヴェリックへ甘えてしまう。こんな道を互いに選び、命を張って飛ぶのが仕事なのに、マーヴェリックを失うことがこんなに怖いとは思わなかった。
溢れる涙を彼のシャツに滲みさせながら、やっとこんなことに気付いた自分の幼稚さに呆れてしまう。これでは、マーヴェリックに願書を抜き取られて当然だ。もう十数年前の出来事を振り返り、あの時の彼の思いをやっと自分は
感じれたのではないかと思ってしまう。
「お願い…何かあったら、連絡して…。俺、知らないうちにマーヴが死んでるとかヤダよ」
「……」
「アイスおじさん、いないんだよ? もう、誰も…俺にはマーヴの連絡くれないんだからねっ!」
マーヴェリックがあまりにも強運だから忘れていた。
彼にも死神はやってくるのだ。そして、父さんや母さんみたいに連れて行かれる。
(けど、マーヴだけは嫌だ!)
押付ける心音に耳を傾け、この鼓動を手放すのは嫌だと子供の時の様にマーヴェリックを見上げれば、彼は酷く困惑したようにこちらを見下ろし、「なら」っとその赤い唇を動かした。
「なら、俺と結婚するかブラッドリー?」
「……は?」
(まって…なんでそうなるの?)
涙の溢れる瞳で見上げ、呆けたような顔をすれば、大好きな指が俺の涙を拭ってくれる。
「結婚したら、俺になにかあってもブラッドリーに連絡が行くだろう」
綺麗な顔で愛おしそうに笑い、君さえ良ければどうだろうかと言うマーヴェリックに、今度は別な意味で心臓が止まりそうだ。そして、そのあまりに飄々と言われた台詞に小さな疑問も浮かんでしまう。
「…マーヴ、結婚の意味知ってる?」
(だって普通、後見人手続きだろう)
「何だよ。バカにしてるのか? 確かに指輪とかなにもないけど、そんなの後で買ってやるから」
「ほら、絶対結婚の意味知らないじゃん」
涙も引っ込み、驚きすぎて軽口で返す言葉にマーヴェリックは頬を膨らませ、あの目でこちらを見てくるから狡い。そして、本当にこの人は後先考えずに結婚しようと言っているのだとわかり、そのマーヴェリックらし過ぎる発言に、俺の中で大きく膨れたがっていた不安が弾け、消えていく。
(結局敵わないのかよ)
「要らないよ、指輪なんて」
「…ん? まさか俺振られた?」
「振ったてっ言うか、…持ってるんだ…指輪」
「…え? なんで?」
「前々から、どうやってアンタに渡そうか考えてた」
結局、ハングマンによく言われる通り、肝心な時に機会を逃して、結局鞄の中でここと家とを往復しているだけだった指輪がここにある。手が届く隣に置かれた鞄を引っ張り黒いリュックのサイドファスナーを開いて、少し擦れた青い小箱を引っ張り出した。
驚く彼は尻餅をつき、大の大人の男が向かい合って地面に胡座をかいている。それでも、そんなカッコ悪さなど気にならないくらい、今の俺達は見つめ合っている。
「マーヴに、普通の結婚なんて求めない」
「……」
「好きに飛んで。…けど、必ず俺の元に帰ってきて。アンタは空は父さんと飛ぶから、陸では俺の隣で羽を休めてほしい。同じ止り木に止まっていたい」
不器用に、それでいて勇気を出してそういえば、手に持つ小箱をマーヴェリックの手に渡す。
「…アハハッこのままくれるのか」
「だってアンタ、そんだけ怪我してたら指も浮腫むし入らないだろう」
「フフッ確かにな。…あぁ〜怪我するんじゃなかった」
「そうだよ。怪我してなかったら、今夜はこれをその指に嵌めて抱き潰すつもりだった」
「残念だ。次回の休みに頼む」
拗たように呟く言葉に、彼が優しく頬を撫でてくるから、渇れた筈の涙がまた溢れだしてきて困ってしまう。撫でられる手に頬を押し当て、この休みは介護してやるよと言えば、マーヴェリックは酷く愛おしそうに笑い、次の瞬間には色気もなくこういった。
「実は洗濯物溜まっててさ」
「…フッ、コインランドリー行って来てあげるよ」
「一緒に行くよ」
「病人は寝てろ」
「はなれたくないんだ…」
(あぁもう、…ホント狡い…)
「車乗って。けど、俺の車揺れるよ」
「オフロードはそういうもんだろう」
「痛がったら置いてくからね」
青い小箱を握り込み、笑う彼の手に己の手を置き、愛おしいその手を握り込んで目の前の唇へと口付ける。柔らかく、バイクで走ったからか少し砂埃の味がする。なんとも俺達らしい味のキス。
「君を幸せにするよ」
離れる唇にそう囁かれ、俺は笑ってこう言った。
「フフ、そう思うなら怪我はしないで」
色気もなければ雰囲気もない。
暑い格納庫で砂埃まみれのマーヴェリックと、泣き過ぎて目の腫れた俺。格好の悪いプロポーズ。けど、多分俺たちにはお似合いだと思う。
(……空のマーヴはあげるから、陸のマーヴは俺がもらうね。いいでしょ父さん)
マーヴェリックの後ろ、遠くに見える父の写真へ視線を送り、再度マーヴェリックの胸に額を押し付ける。
「ブラッドリー?」
「マーヴ愛してる」
「僕もだよ、ブラッドリー。君は僕の空母だよ」
(あぁもう、やっぱり敵わない)
END