ブレスレット「もうすぐホワイトデーね。フィン、そんな事してていいの?」
と、虹色に輝く羽を羽ばたかせピクシーが言った。妖精の集落、瓦礫の上に腰を掛け清らかな川へと釣り糸を垂らしていたフィンは長い睫を揺らして彼女を見た。聞いたことのない言葉が飛び出たからだ。
「あら、やっぱ知らないんだあ」
その反応から心情を読みとってくすりと笑う。王と共に旅をする仲魔達の中でも一番の古参である彼女は取り分けヒトの習慣に興味を持っており、また詳しい。王が設置した暦を指さし数えながらこれは何の日だ、あれは何の日だと頻りに訊ねていた。そんな彼女が言うのだから、その【ホワイトデー】とやらは何か重要な日なのだろう。
小首を傾げたフィンの目の前に軽やかに飛んでくると、高い鼻先を小さな指先で突いて可愛らしく笑う。
「バレンタインデーにお菓子貰ったでしょ?」
バレンタイン、はフィンも覚えていた。女神イズンに何の日か教えられた後、王手ずからの菓子を戴きたっぷりと愛を伝えられた特別な日だ。
「そのお返しをするのがホワイトデーなんだって」
「…成る程」
確かに戴いただけで終わってしまっては不公平だろう。勿論フィンは先のバレンタインデーの際に貰った愛と菓子のお返しをベッドの上でたっぷりとした訳だが、それとはまた別の話だ。
とは言えども王の住まう東京と違い、このダアトでは準備の出来る贈り物等は知れている。秘石や魔石はよく剥ぎ取り戦利品として彼に手渡しているが、愛のある贈り物のお返しがその様な物騒な物ではあまりにも不吊り合いだ。上位の悪魔の首はフィンが送らずとも王が自分の手で狩るだろう…では何が良いだろうか。
「お菓子がいいんじゃないかな」
一人うんうんと悩み唸るフィンを見かねてピクシーが助言した。彼女も王の手作りではないが王からと言う名目で人造魔神からチョコレートを戴いていた。確かに菓子なら菓子で同じ様な物を返すのがいいのだろう。
「菓子、か」
ダアトで手に入る菓子ならばチャクラドロップが妥当な所だ。飴玉の形状をした魔力を回復させる為の道具。以前フィンは戦闘中に魔力が枯渇し、これを舐めたが蜂蜜のような甘い味がしたのを覚えている。王が口にしても問題はない物だろう。しかしそれでは、王が手作りの菓子を贈ってくれたというのに不釣り合いだ。
では何にしようかと再び思案し、一つ思い浮かぶ。
「お返しは菓子でなければいけないのか?」
「え?うーん、絶対って訳じゃないと思うよ。流石に私でもそれは知らないな~」
ピクシーの返答にそうか、と返して垂らしていた釣り糸を引き上げると釣り竿の変わりに得物を携えて立ち上がる。
「少し出掛けてくる」
「いってらっしゃ~い!」
紅緋のマントを翻し、彼は集落の出口へ向かって駆けていった。
荒廃した他の土地と比べて緑が豊かな集落周辺の森には悪魔以外の生物が未だ息づいている。時折狩猟の腕を鈍らせないよう鹿や兎等の狩りを、その数を減らしすぎない程度に行い、得た獲物は肉の一欠片も無駄にしないよう調理、または加工して、王は勿論仲魔や妖精の集落に集まる悪魔達に振る舞っている。
その森の中で一等大きな木の幹に鹿の皮を処理し広げて杭を打ち付け干していた物がある。フィンはその木の袂へ向かうとすっかり乾いている鹿皮とそれを縫い付けるよう幹に打ち付けられた杭を抜いた。手に取った革は柔らかくフィンの掌に纏いつく。
「これなら巧く作れそうだ」
柔らかな木漏れ日を落とす木の袂に腰掛けると、腰に下げたツル革の袋からナイフを取り出し鹿革に突き立てた。革を切り取り、自分の手首と比べ適度な寸法にすると両端を貫いて穴を空け、平たい部分に切っ先で革を彫る。愛しい王の姿を思い浮かべながら、ナイフで綺麗に故郷から伝わる紋章を描く。
丁寧に描かれる三つ葉の紋章。【シャムロック】とも呼ばれるそれは、幸運を願う植物の紋章だ。王の幸福を願い、丁寧に丁寧に繊細な模様を彫っていく。
見事な紋章を彫り上げると自身のマントを引き寄せ、躊躇することなくナイフでその紅緋色の布を切り取ると、空けていた穴に通して三つ編みに編み込み結ぶ。反対側の穴へも同じ様に。
「…よし」
出来上がったそれを指先で摘んで、柔らかく降り注ぐ光に翳して見る。シャムロックが刻まれた鹿革と紅緋色の、フィンと同じ色のブレスレットが出来上がっていた。
来る3月14日。
「王、よろしいでしょうか」
「フィン」
王が妖精の集落に降りたって直ぐフィンは声を掛けた。王は耳に手を当て意識下でアオガミとの通信を終えると、合一化を解きフィンの元へ向かうと差し出された手を取る。彼と連れ添って歩く中、王がふと振り返れば、二人の背を見送る母の様に優しい眼差しを湛えたアオガミの周りに集落に預けていた仲魔達が集まるのが見えた。それぞれの手には沢山の花束と贈り物。それを見て気付く。
『あ、そうだ、今日ってホワイトデー…』
バレンタインデーで彼へ慣れない手作りのチョコレートと愛の言葉を渡せた事に満足していてすっかり忘れていた。そう言えば、今日は同じクラスの女子達はどこかそわそわとしていて男共は可愛らしい包みを手にやたらと緊張していたなと思い出す。そこまで思い出し、改めてホワイトデーである事を認識した王の頬は熱くなった。失礼な話ではあるが、まさか彼が準備をしてくれているなんて思っても見なかったのだ。
小鳥の囀りや小さな動物の鳴き声、木々が風に揺れ川がせせらぐ音が聞こえる集落の森の奥でフィンは脚を止めた。大きな木の袂で振り返り王に向き直る。きらきらと降り注ぐ月の光に照らされたフィンの姿に、まるで告白でもされるシチュエーションだと目の前に立つ眉目秀麗な従者の姿に見惚れてしまう。
「俺がお前さんに贈ってやれる物なんて、これくらいしかないが」
困った様な笑みを浮かべながら腰の皮袋に手を伸ばし、紐を解いて中を探ると鹿革のブレスレットを取り出した。そして王の左手を取ると丁寧に手首に巻き付ける。
「あ…シャムロック?」
「そうだ。幸運を授けると云われている」
革の部分に彫り物が施されたブレスレットを、王は驚きの表情で見つめた。本で見たことのあるケルト紋様の三つ葉のクローバーが繊細に彫り込まれている。
そして三つ編みの結び紐は、今やすっかり見慣れた紅緋の布。
「これって」
改めて彼をよく見れば、はためくマントの一部が破けていた。その部分をブレスレットの結び紐として使ったことは明確だ。少し不格好な解れたマントを翻して、フィンは優しく笑む
「揃いの物を持っていて欲しかったんだ。俺のマントで申し訳ないが」
「…全然。嬉しい」
腕を高く掲げ、彼の色をしたブレスレットをじっくりと眺める。真新しい鹿の革は今は生成色をしているが徐々に彼の装束と同じ飴色になっていくのだろう。編み込まれたマントの布もよく見れば所々汚れていて、確かに彼が着けている物だと分かる。
愛しい彼の色。揃いの物を持つということがこれほど嬉しいものだとは。
「鹿革がお前と一緒の色になるのが楽しみだな」
幸せに頬が綻ぶ。フィンはブレスレットが着けられた左手を取ると手繰り寄せてその細い手首に唇を寄せた。柔い肌に甘く噛み付き、ちゅう、と音を立ててキスをする。
「いつも有り難う、愛しい我が伴侶よ。永世の愛と忠誠を、改めてここに誓おう…愛してる」
愛しさを纏い射抜く翡翠の瞳。真剣な表情で凛と響く官能的な声色により告げられる感謝と愛の告白に、王の背筋は歓喜に震えた。彼の手と自分の手を重ね、指を絡めて温かさを確かめると赤くなる頬を隠すことなく真っ直ぐに彼を見つめ返し、唇を開く。
「有り難う…俺も、フィンだけを愛してるよ」
互いに顔を近付けていく。
柔らかな光を放つ月と小鳥達が見守る中で幸福な口付けを幾度も交わした。
おしまい