慢心と愛情一目見てから恋に落ちた。二度目の再会で人柄に惹かれた。三度目に主従の契りを交わしてからは、好きで好きで仕方がなくなった。
「フィン、好きだ!付き合ってください!!」
最早恒例の遣り取りに、フィンは困った笑顔を浮かべてやんわりと頭を振った。
「悪い」
我が王である少年の手にはたっぷりの香が赤い薔薇と共に納められた箱。好意は受け取れなくともその香は後でフィンの為に使われるのだが。
断られ肩を落とし香が使われるまでが恒例の遣り取りだ。すんすんとわざとらしく鼻を鳴らした少年は、泣く泣く薔薇を取ると香だけをフィンに渡す。
「やっぱり俺じゃ駄目なのか…」
生まれて初めて恋に落ちた故に必死だった。よりにもよって相手は人では無く悪魔だが、そんなことは少年にとって取るに足らない実に些細な事だ。
見目麗しい己が従者を狙う輩はごまんと居る。エンカウントするなりマリンカリンで色仕掛けをしてくる夜魔なり妖精やら兎に角様々だ。勿論そんな輩にフィンが靡くはずもないのだが、いつか彼が誰かの恋人になってしまわないかと気が気ではなく、隙あらば少年は必死にフィンの気を惹こうとしていた。
「お前さんは俺の大切な王ではあるが、それとこれとは別の話さ。気持ちだけはありがたく受け取るよ」
「えっ優しい…好き、付き合って」
「聞いちゃいないな」
これこそマリンカリンにかかってしまったのではないかと勘違いするほどフィンに夢中だった。べったりとくっついてくる少年をそのままに、フィンはいつも通り贈られた香を使い自身の能力を高めていた。
お馴染みの光景を仲間達はまたやってる…なんて言いながら眺めていた。その内恋は成就するのかしないのか、マッカで賭なんてしながら。
「お前は俺様の知恵に成り得る存在なんだぜ?少しは相手を選べよ」
と、少年が今日も格好良かったフィンをふわふわした笑顔で振り返っている最中に襲撃しに来たのはゼウスだった。ギリシャを統べる主神にして、牛角の神の系譜として少年と合一しうる存在。勿論少年はアオガミ以外の合一を突っぱねたが。
「煩いな」
そもそも少年はゼウスが嫌いだった。アオガミを造り物と貶した挙げ句、想いを馳せるフィンの事も自分より圧倒的に劣る幻魔だと馬鹿にしたからだ。更に全ては自分の物だというその傲慢さが癪に障る。
「俺はフィンが居ればいいんだよ。お前なんかお呼びじゃない」
「その幻魔にフられまくってんじゃねぇかオイ。今は何連敗だ?ん?」
少年の顎を掬い取り、喉奥で低く笑い煽る。不快感に眉を寄せると不躾なその手を振り払い、ナホビノソードを出現させた。
「何度だって、振り向いてくれるまで頑張るんだよ」
「果たして振り向いてくれるかな?チンタラやるより、攫っちまった方が早いぜ、オイ」
「お前みたいに不誠実な真似はしない」
話は打ち切りだと、剣を掲げ天剣叢雲を出現させる。様々な人物と関係を持った神の話など聞いたところで無駄だ。その中に自分をも加えようとしているのだから、少年にとって邪魔でしかない。
高まる禍つ霊にゼウスは肩を竦めると踵を返す。
「俺様みたく強引じゃないにしても、お前も果たして誠実か分かんねぇがな…ま、今日は帰るぜ」
ひらひらと手を振ると歪めた空間から消え去っていった。
「…」
ゼウスは去った。しかし少年の胸に、彼の言葉は蟠りとして残る。
『不誠実…俺が?』
「王!」
天剣叢雲を解き、言われた言葉を反芻していると休憩のため解散していたフィンが剣を手に駆け寄ってきた。ゼウスの気配を察知して慌てて駆けてきたのだろう、額に汗が滲んでいる。
「無事か!?」
「あ、うん…もう帰ったから」
その言葉にフィンは一つ大きな息を吐くと剣を鞘に仕舞った。汗を腕で拭う。次いで散り散りになっていた仲魔達も集まり、皆それぞれ少年の無事を確認して安堵の溜息を吐いていた。
「奴が来たのなら俺達を喚べばいいのに、お前さんは俺達の王なのだから」
「いや別に、ただの他愛ない話をしてただけだからな」
他愛のないはずの話を気にしてしまい、ついぎこちなく返してしまう。普段なら頬を膨らませて邪魔をされたと怒る少年がやけに大人しくて、フィンは首を傾げた。
この恋を諦める気は毛頭無いが、毎回フィンに断られている。幾ら愛情を向けても、その気が無いなら迷惑だろう。それでもいつか振り向いてくれるだろうと、優しい彼が強く突っぱねる事がなかったから告白を続けていた。
『俺のやってること、ゼウスと変わらないじゃないか』
不誠実とは誰のことだ。
「悪い、今日はもう解散」
「…お前さん?」
いつもなら「フィン格好良い!!付き合って!!」と突撃してくる筈だった。フィンもそのつもりで腰を落とし受け止める体勢を整えていたが、静かに解散を告げられ唖然としてしまう。仲魔達も異変にざわついていた。しかしそれでも、少年は「明日試験だし」と適当な理由を付け、龍脈から妖精の集落に飛ぶといつも通りに仲魔達を解散させ、東京へと帰っていった。
押しつけがましい行いに気付いてしまってからは帰路に着く足取りが重かった。昨日までは足取り軽く「今日のフィンもめっちゃ格好良かった~」と乙女の如くハートマークを飛ばしながら惚気るところだが、そんな気は起きない。
「幾ら頑張っても、押しつけにしかならないんだな」
諦める気はない。が、彼には断られ続けている。彼にとっては騎士としての忠誠を誓いはすれど、愛情だなんて迷惑でしかないだろう。主従の垣根を越えることはないし、その気もない。
寧ろ内心で、自分がゼウスに思うように嫌悪していたら…?
そう考えると怖くてたまらなかった。
「…これが失恋かー…参るね」
はは、と乾いた笑いがアスファルトに落ちた。
それから少し日数が空いて、次にダァトに現れた訪れた少年は精悍な顔立ちになっていた。フィンからは何か決意したようにも見えていた。そして、今まで恒例だった告白が消えたのもこの日からだった。
ただ香を集めてくることは変わらず、今日も山盛り詰め込まれた袋を手渡され、フィンは静かに受け取った。
「はい、これ今日の分ね」
「ああ…なあ、お前さん」
「ん?」
フィンを見る瞳には変わらない慕情が滲んでいる。それでも、何も言っては来ない。散々断っていたのだから本来ならこの距離感が当たり前であるのに、違和感が襲ってくる。
「何かあったか?」
『訊いてどうする?俺にどうにか出来るのか?』
確実に自分に関わることなのだろう。告白を受ける気もないのに、訊かずにはいられなかった。フィンの予想通り、少年は静かに頭を振る。
「何にもないよ。ただ、そうだな。愚かだなーって気付いただけで」
「…そうか」
そうとだけ言うと、少年は笑顔を浮かべて他の仲魔の元へと向かった。
今までなら些細なことでもフィンには自らのことを包み隠さず話していた少年が言葉を濁した。ゼウスと遭遇した時と、今回で二度目。彼が変わったのは、奴に会ってから。
「…」
奴なら何かを知っているだろう。フィンは一人踵を返し、拠点としているウエノ公園に向かった。
「珍しい客人だな、オイ。歓迎はしねぇが」
「要らん」
フィンは剣を抜き知恵の親指に口付けるとその指で刀身を撫でた。自ら出向いてきたというのに早々に敵意を剥き出しにする姿に、流石のゼウスも呆れた。
「礼儀がなってねぇなオイ。何か訊ねに来たんだろうが、答えてやらねぇぞ」
彼の言うことは尤もだ。マク・ア・ルインを消すと剣を鞘に収める。それでもいつでも引き抜けるよう、柄に手はかけているが。その構えを咎めることなく、ゼウスはゆったりと腰に手を当て落ち着いた様子で構えた。
「我が王に何を吹き込んだ?」
フィンの問いかけに思わず笑いそうになる。
「吹き込んだとは人聞きが悪ィな。そうか、まだ冷静に考えられる頭があったんだな」
此方を散々不誠実だの強引だのと決めつけて、自分の行いは棚に上げる愚か者かと発破をかけてやったのだ。フィンへと熱烈に苛烈に想いを伝えていたのに、立ち止まり諦めへと舵を切ることができた少年をゼウスは褒め讃えた。流石は最高神である自分が惚れ込んだ人間だ。
「んで、俺のせいだと決めつけてきたのか?」
フィンの眉間に皺が刻まれる。
「貴様以外に誰がいる」
ゼウスと会っていたあの日から変わってしまったのは事実だ。しかしゼウスは違うと言ってみせた。
「話しただけだがな。…変わっちまったのがそんなに嫌なのか?」
「当たり前だろう」
「オイオイ、さんざ断っておいて今更だな!お前が仕える王としての器は変わりねぇだろうが、オイ」
「…それは」
フィンは勿論仲魔達にも王として変わりなく接し、変わりなく困っている悪魔達を助けダァトを駆けている。態度が変わったのはフィンに対する熱烈な愛の告白だけで、他は変わりがない。忠誠を誓うに足る王として。
思い返し混乱したフィンは、柄から手を離した。何故此処に来たのか、何故激昂していたのかはっきりとしない。
「アイツも漸くテメェを諦めたんだ。良かったじゃねぇか、鬱陶しい告白を受けることもなくなったんだからな」
「そ、んな、鬱陶しいとは」
宝石のような瞳をきらきらと恋の色に輝かせて好きだと告白する姿を思い出す。自分は騎士であり、彼に対して慕情を抱いていないと断っても諦める事無く毎回告白をして、それを断り、肩を落とし、それでもまた告白してくる…愚直なまでに自分に一途な姿に嫌悪を抱いたことなどなかった。
「…ハァ。テメェにその気が無ぇならすっこんでろ。アイツが決心したことに一々口出すんじゃねぇよ、オイ」
煮え切らない態度に苛立ちを隠すことなく吐き捨てる。その声が、フィンの耳を突いた。ぴり、と体中を電流が駆け巡る。
「その気がない、だと…」
何故だか無性に腹が立った。混乱していた思考が冴えていく。好きだと告げてくれる姿が、自分にだけ向けられる一途な想いがたまらなく愛おしかったのだと気が付く。それが当たり前で、与えられるのが当然になっていて、フィンの愛情も少年に向いていた事に気付かない振りをしていた。
『だからこんなにも腹が立つのか』
柄を握り直すと、すらりと抜いた。
「…どうやら余計な事をしちまったみてぇだ」
涼やかな翡翠の瞳に滲んだ怒りの中に強い決意を読み取り、次いで遅いと呆れてしまう。本当に愚鈍で少年に見合うと思えない。勿論譲る気もない。
「お前にあの人は渡さない」
「吼えるなよ犬っころ」
親指に口付け刀身を撫でマク・ア・ルインを出現させる。対するゼウスもケラウノスを顕現させた。
貫く槍の一突きと激しい雷撃が交わった。
フィンの姿が無いことに気が付いた少年は、禍つ霊を辿ってウエノ公園までやって来た。
「フィン…!」
そこはゼウスがギリシャの拠点としている場所。小さな傾斜を登り、朽ちたコンクリートの狭間にしゃがみ込んだゼウスが居た。その足下には、瀕死になったフィンが横たわっている。
「ゼウス!」
「ああ?少し早かったな。今から消してやろうとしてたんだが」
走りながらぎちりと奥歯を噛み締めると手に魔力を籠め、ザンバリオンを放つ。
「危ねッ」
容赦の無い弱点属性攻撃に慌てて飛び退いた。自分を幾度と無く負かした少年の一撃を浴びればただで済まないことは分かっている。その隙にフィンの元へたどり着いた少年は右手をゆっくりと口元へ翳すと布瑠言霊を唱えた。神聖な光がフィンを包み込み、全回復する。
「よかった」
瀕死から回復したフィンを見、胸を撫で下ろすと強い敵意を帯びた眼差しをゼウスに向けゆらりと立ち上がる。
「フィンに何をした」
「何をって、全く不躾な主従だぜオイ」
もう何度呆れたか分からない。全く鈍感でどうしようもなく愚かな主従だ。
『だからこそ奪い甲斐も出るってモンだ』
フィンは漸く自身の気持ちに気が付いた。ならば少年とは相思相愛となる。主従を越えたその愛ある契りを壊し、少年を彼の手から奪うのも一興だとゼウスは笑った。ただ今は収穫の時期ではない。フィンとやり合った事で思ったより消耗している。少年がせっせと贈っていた香は無駄にはなっていなかった。
「あとは二人で宜しくやりな。俺ァ疲れたから帰る」
にんまりと含みをふんだんに持たせた笑みを湛え、ゼウスは消えていった。
冷たい風が吹いている。喧噪が消え、風の音だけが響いていた。少年はフィンに駆け寄ると、その体を抱えた。
「う…」
「フィン…」
たった一人でゼウスの元に向かうなど、聡明な彼ならけしてしない無謀な行いだ。逆に言えば、それだけの理由があると言う事。根ほり葉ほり聞くつもりはないがゼウスの意味深な笑みが引っかかっている。
「…お前さん…」
伏せられていた瞼が持ち上がり、翡翠の目が少年の姿を捉えた。
「布瑠言霊が間に合って良かった…」
目覚めたフィンを見て、安堵の表情を浮かべた少年の目尻から涙が溢れた。居ないと気付き慌てて駆けつけたがもう少し遅ければ…と思うと血の気が引き、指先が震えた。
「…」
細い肩を震わせる少年をフィンは愛おしく思った。腕を伸ばすと、その体を腕の中に閉じこめる。今まで抱きつかれてばかりだったから、抱き締めるとその体の細さを初めて感じられた。
「フ、フィン…!?」
初めて抱き締められ、腕の中で少年は混乱した。どうすればいいのか分からなくてされるがまま、腕は不自然に宙に浮いてしまう。
「お前さん。まだ俺を好いてくれているんだろう?」
想定外の問いかけに喉が引き吊った。何故そんなことを聞くのかと問いかけを返す前にフィンが答えをくれる。
「気が付いたんだ。俺はお前さんから無条件に与えられる愛に慢心していたのだと…それが無くなって不安になったのだと」
少しだけ体を離す。鼻先が触れ合う距離で、互いの瞳に滲んだ愛情を見やる。告白を冗談のように断っていた、楽しげなフィンの瞳はそこに無い。あるのは焼け付く愛の熱。
剣を握りささくれのある指先が少年の顎を捕らえ、吐息が混じり、唇が重なった。小さなリップ音が二人の間に響く。
「愛しているよ。お前さんの告白、喜んで受けさせてもらう」
「っえ…!?」
口付けの甘い余韻に浸る間も無く告げられた告白への了承に、少年の顔は喜びと羞恥から真っ赤に染まり更に夢ではないかと混乱して視線を泳がせた。今まで何度も告白をしておいて、受けられたらここまで慌てるのかとフィンはただ微笑ましくその様子を眺めている。
「えーっ、あ、ほ、ほんとに…?」
「本当だとも」
「ンッ…じゃあ告白してもいい?」
「どうぞ」
もどかしげに口を動かし、少年は潤む瞳でフィンを見つめると深呼吸して愛を舌に乗せた。
「フィン、好きです。俺と付き合ってください!!」
「俺もお前さんが好きだ。喜んで受けさせて戴くよ」
切っ掛けは憎くもゼウスであったが、気持ちに気付くことが出来、また愛しい告白を受けることが出来た。想いを通じ合わせ主従からもう一つ強い絆で結ばれた二人は抱き締め合い喜びと愛しさを分かち合うと、今度は深い口付けを交わした。
次の日からは少年の告白ではなく、愛の言葉を交わし合う主従の姿が日常となった。