終末まではまだ遠く《ご注意》
・半田が聖職者な設定です。
・色々捏造注意です。
※上記を許せる人向けです。
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吸血鬼退治人であると同時に神父でもある半田の一日は、朝七時の週日ミサから始まる。
小さな教会では平日のミサに訪れる信徒はいない。神父の毎日の務めとして、祈りの言葉を唱え、曇り一つない銀の祭器にうやうやしく置かれた聖別したパンとキリストの血である赤いワインを口にする。そのようにして、淡々と朝の儀式を終えた。
途端に半田は退治人の顔になる。途中から現れ、会衆席の一番後ろに座っていた男の存在には気づいていた。一歩ずつ近づくたびに吸血鬼の持つ特有の香りが濃くなっていく。
「ロナルド、朝から吸血鬼が何の用だ」
「朝の挨拶ついでに寄ってみた!」
黒いカソックの裾を翻しながら近づいてきた半田に「おはよう、半田!」と、笑顔で手を振るロナルドはいつも通り似合いもしない黒マントと手の込んだスーツを着込んでいる。
「教会に行くなんてあんまり吸血鬼らしくないかな〜?って思ったんだけど、もうすぐクリスマスだしいいかと思って」
かつて教会は吸血鬼掃討の中心となっていた歴史がある。今でも半田のような退治人を養成していることもあり、吸血鬼にとって居心地の良い場所ではないだろう。ロナルドが気にしているのはあくまで吸血鬼らしいかどうか、だろうが。
「降誕祭は忙しいから、貴様の相手はできん」
「え〜!せっかくクリスマスだし派手に暴れようぜ!で、俺のこと死なせてくれよ」
いつものように笑いながら言うロナルドに、半田は眉根を寄せた。
なぜこの男が死んで復活することに異常にこだわるようになったのか、半田には全く理解できない。
まだ幼かった頃、二人で遊んでいたときは、こんな不穏なことは言わなかった。
すごい兄がいること、かわいい妹がいること、そして吸血鬼の兄妹の中で自分だけ日光が平気だから、いつも一人で外で遊んでいること。その三つは半田もロナルドから聞いたが、それ以外のロナルドの話は人間やダンピールの子供たちとそう変わらない子供らしい話だったはずだ。
「いずれ終末が来れば復活する。それまで待て」
「だってそれいつになるか分かんないじゃん!そもそも吸血鬼も対象になんの?死体なんて残らないぜ?」
「現代の教会法は火葬を禁止していない。つまりは遺灰になっても体の復活に支障はないということだ。これはあくまで俺個人の見解だが、人間の遺灰も吸血鬼の塵も変わりないと思っている」
「ダンピールも?」
「ダンピールも同じだ」
「へえ。半田も同じか〜!」
へらりと相好を崩す男の顔は美しい。この男といい己の母といい、どうして吸血鬼はこんなにも美しい形をしているのだろう。土塊から創られた人間と創世記のたった一節に反する生物の吸血鬼と、神に似せて形造られたのはどちらだというのか。
「ともかく、24日と25日はヒナイチかサギョウにでも遊んでもらえ」
「ええ〜?半田は他の退治人に俺が倒されちゃってもいいの?」
それは想像するだに不快なことで、半田はほとんど反射的にロナルドに詰め寄っていた。鼻先がかすかに触れる。
「ロナルドォ!貴様を倒すのは俺だ!!!」
「そうこねえとな!」
「だが、ミサを司式せねばならないから忙しいのは本当だ」
半田は祭壇へと視線を逸らした。
祭壇の前には聖家族の人形が飾られ、アドベントの四本の蝋燭には全て火が灯っている。過酷な生涯の後に十字架の上で死ぬ運命にある幼子の誕生日を教会は待っていた。
「……神様なんて、信じてないくせに」
耳元でロナルドがつぶやく。思わず目を向けた彼の赤い瞳には誘惑の炎が燻っていた。
「貴様のおしゃべりに付き合っていては夜明けの退治まで身体がもたん。俺は仮眠を取るぞ」
「じゃあ俺も寝る!」
「棺桶にでも入って寝てろ」
「俺もそうしたいんだけどさ〜」
あれ結構かさばるし置き場所に困るんだよ。と続けるロナルドを尻目に礼拝堂を後にする。私室のドアを開けると半田は小さく言った。
「……入るなら勝手にしろ」
招かれなければ彼が勝手に入ってこれないことは知っていた。
「なあ、半田……」
ドアを閉めた途端に耳元でロナルドがささやいた。吐息まじりの声が頭の中に直接響いてくる。退治人としての直感が危険を告げていた。
「どういうつもりだ!やめろ!」
顔を背けようとしたが顎を掴まれ敵わなかった。銀色のまつ毛に縁取られた真紅の瞳を一度見てしまえば、もう目を逸らすことはできない。
朝に夕に唱える祈りの一文、聖句の一節でもいい。言葉にすればいかに信仰を畏れないといえども一瞬は怯むだろう。
とっさに頭に浮かんだのは、マタイの一節だった。
『誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い』
元より自らに燃えるような信仰心のないことは自覚している。弱い肉体だけを持った者が何をできるだろうか。
ヤコブの手紙は言う。『神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい』
けれど、目の前の男が悪魔とは思えない。ロナルドは吸血鬼だ。腹を痛めて己を産んでくれた母と同じ生き物だ。
魅了を掛けられていることには気づいていた。深く酩酊したときのような心地良さに頭はぼうっとして、夢と現の境目がわからなくなる。もし法悦というものが本当にあるのならば、このようなものなのだろう。
「ロナルド……」
ようやく声になったのはそれだけだった。
「なあ、半田……俺を、愛してくれよ」
なにを求められているのか、靄のかかった頭でも薄っすらと理解はできた。
魅了の影響下に置かれた半田の手は、まるでそれが自らの意思であるかのようにロナルドの頬に触れた。白い首筋にくちづけを落とせば、ロナルド特有の強い気配臭が鼻先をくすぐる。
特別なミサのときに銀の振り香炉から立ち上る煙を思わせる落ち着いた甘やかさを持った薫り高い吸血鬼の香気。初めて出会った時から半田の心を掴んで離さない匂いを大きく吸い込む。
顔を上げるとロナルドの顔が近づいてきて、唇が触れた。。暖かくて柔らかい感触に、この男も生きているのだなと、靄のかかった頭の片隅で妙な安堵を覚えた。
「ん…はんだ…」
一度離れたロナルドの唇を奪って、喰らいつく。布越しに触れる肉体の感触がもどかしい。隔てるものなく抱き合って、ひとつのもののように混ざり合いたい。
それが魅了の主であるロナルドの欲求なのか、それとも自身が秘めていた欲望なのか、半田にはわからなかった。