仕組まれた夜 戴天が仕事から帰宅すると、先に返した雨竜がパタパタとスリッパの音を響かせてこちらへ走ってくる音がした。
「おかえりなさい、兄さん」
「ええ、ただいま。そんなに急いでどうしたのですか?」
雨竜を先に返した日は、玄関まで迎えに来る日もあれば先に自室で休んでいる日もある。今日は前者だったようだ。ただ、小走りに出迎えをするのは珍しい。何かトラブルでもあったのかと心配な表情を滲ませる戴天に、雨竜は慌てる。
「あ、いえ……!何かあった訳ではないのですが……兄さん」
きゅっと一度口を結んでから、意を決したように口を開く。
「これを持って、何も言わずに車に乗ってください!」
ずいっと差し出された紙袋と雨竜を交互に見て、戴天は混乱する。
「……………………今からですか?」
その紙袋が何なのか、行き先はどこなのか、聞きたいことはたくさんあれど、戴天の脳内で競り勝ったのはこんな時間から?という疑問だった。今はもうあと1時間で日付も変わろうとする時間だ。
1日仕事をこなした後の回らない頭では断りきれずに雨竜に促されるまま靴を履き、いつもであれば帰っているはずが何故か家の前に停まったままでいる送迎車へ再び乗り込む。
「兄さん。その紙袋は日付が変わってから渡してください。先に中を見てはいけませんよ」
雨竜が窓越しにそう言い残し、車は発車した。
走っている車の中、運転手へ事情を聞くも、運転手すら詳細は知らされていないようで、いよいよなす術もなく戴天は座席シートへ深く腰掛ける。ふぅ、と一息つくと気が抜けたのか襲ってきた眠気に逆らわず、そっと目を閉じた。
「到着いたしましたよ」
運転手からの呼びかけに目を開き、窓から外の様子を覗くと真夜中に差し掛かる頃だというのに煌びやかな光が溢れ、イルミネーションのように輝いていた。
「ここは……」
そう戴天が呟くと同時に、車の窓をコンコンと叩く音がした。そちらを見ると浄がひらひらと手を振っており、そしてようやく戴天はそこが商業地区の、さらに言うとウィズダムの店の前だということに気がついた。
「それではお気をつけて」
そう言いながら運転手がドアのロックを解除する。暗にここで降りろと言われている。混乱する頭を整理する暇もなく、戴天は雨竜から預かった紙袋を片手に車を降りた。
「送迎、ありがとうございました。あなたもお気をつけて」
運転手にそう声をかけると、程なくして車は走り去って行く。
「……さて。どういうことでしょう。浄くん?」
走り去る車から視線を浄に移し、問いかける。
「まぁとりあえず着いてきてくれるかい?」
浄はいつもと変わらぬ笑みのまま、踵を返してウィズダムの店へと歩き出す。聞きたいことはたくさんあるが、どうやら今質問をしても聞いてくれなさそうだと判断して、大人しく後ろを着いていく。
できれば余り近づきたくないウィズダムシンクスの謂わば拠点とも言える場所へと踏み込むことに、迷いや不安が無いとは言い切れないが雨竜も1枚噛んでいるとなると勝手に帰るわけにもいかなかった。
店内に入ると客はおらず、どうやら閉店後のようだった。
「あ、戴天!待ってたよ!」
戴天を見つけた颯がテーブルを拭いていたであろうダスターを片手に近寄ってくる。
「高塔……?」
その声に、店の奥で締め作業をしていたであろう宗雲の戸惑った声が聞こえる。
「さぁこれで準備は整ったかな?」
戴天の隣に立っている浄がパンと手を叩くと、その隣に颯が立ち、またその隣にはキッチンから出てきた皇紀が並び立つ。
店の奥から入り口へと出てきた宗雲は目を丸くしてその様子を見ている。戴天も似たような表情を浮かべて並び立つ3人を見つめていた。
「どういうことだ」
「はい、これ」
颯が宗雲に差し出したのは何かの鍵で、思わず宗雲はその鍵を受け取る。
「それはホテルの鍵だよ」
「は……?ホテル……?」
「そう。君たちには今日そこに泊まってもらうからね。店の締めは任せて」
浄の説明にますます意味が分からないと言った風な宗雲は、助けを求めるように、浄と颯と皇紀、そして戴天を順番に視線を投げる。目が合った戴天も何が何だか分からずに、思わず首を傾げてしまう。
「下にタクシーが来てる。それに乗れ」
皇紀が窓からチラリと外を見て、それから早くしろと言わんばかりに言葉を投げかける。
「3月3日、良い1日の始まりを」
「じゃーね!楽しんできて!」
続いて浄と颯もそれぞれ言いたいことを言うと、手を振って2人を送り出す。
「……なるほど。そういうことか」
「どういうことですか?」
「説明は後だ。行くぞ」
1人納得した様子の宗雲に説明を求めようと戴天が宗雲を見ると、宗雲は笑みを浮かべて鍵を握りしめていた。そして戴天の手を取ると、店の外へと歩き出した。
停まっていたタクシーへ乗り込むと、宗雲がホテルの名前を告げる。戴天も聞いたことのある高級ホテルだ。
車が動き出すと共に、戴天が口を開こうとした時、戴天のスマホへ雨竜からのメッセージが届いた。
『突然連れ出してしまってすみません。兄さんは誕生日プレゼントなんです。明日は17時に1件社内会議を入れているだけですので、ごゆっくり過ごしてください』
そこに書かれた言葉を読んで、戴天はようやく合点がいく。日付が変われば宗雲の誕生日だ。しかし新たな疑問が生まれる。自分が誕生日プレゼントとはどういう意味なのか。
「突然すまないな」
事態を察したことに気がついたのか、宗雲が口を開く。
「正直まだ全てを理解し切れてはいないのですが」
「そうだろうな」
謝罪の言葉を口にしているものの、宗雲は上機嫌なようで口元に笑みを浮かべている。その笑みが余りにも幸せそうで、文句のひとつでも言ってやろうと思っていた戴天は何も言えなかった。
(私がプレゼント、とは……)
肝心な部分は聞けぬまま、タクシーは目的地のホテルへと到着した。
手渡されていた鍵でホテルの部屋に入ると、戴天は思わず頭を抱えそうになった。予約は2人なはずなのに、ベッドが1つしかない。戴天がいつも寝ているキングサイズのベッドと同じくらいだろうか。
「部屋、間違えてないですよね?」
「鍵が開いたんだぞ。間違えていない」
宗雲も視界にベッドを捉えているはずなのに特に疑問に思うことはないようで、荷物を椅子へ置くとソファーへ腰掛ける。
「今から飲みたい気分なんだが……付き合ってくれないか?」
宗雲が伺うように戴天を見る。
「……いいですよ。今日はあなたが主役です。付き合いましょう」
戴天が時計に目をやると、もう日付は変わっていて、それはすなわち宗雲の誕生日になったことを示していた。戴天は、プレゼントとして選ばれたこともベッドが1つしかないことも全てを飲み込んで、与えられた役割を全うすることに決めた。
ルームサービスのメニュー表を手に取り、2人で覗き込み、宗雲の希望を多く取り入れながらメニューを決める。もう夜も遅いので、お酒と軽いつまみ程度だ。
戴天が室内に備え付けてある電話機で注文を終えると、宗雲がジャケットを脱ぎながらポツリと漏らす。
「先にシャワーを浴びたいな……」
戴天にとっても、1日中働いたあとのままでいることは落ち着かなかったので、ありがたい申し出だった。
2人がシャワーを終えたところに、ちょうどルームサービスが運ばれてくる。セッティングされる様子を何とはなしに眺めていると、手際の良い従業員はすぐに準備を終えて部屋を出て行った。
戴天がシャンパンボトルを手に取り、グラスへ注ぐ。シュワシュワと泡を立てているグラスを宗雲へ手渡す。戴天もグラスを持ち上げ、じっと宗雲を見つめた。求められているであろう言葉を紡ぐには、少し躊躇いがあったが、今日の自分の役割を思い出す。
「……誕生日、おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう」
ニコリと微笑んだ宗雲がグラスを傾けて飲む。それを見て、戴天も喉を潤した。気づかないうちに喉が渇いていたのか、シャンパンがいつもよりも美味しく感じられた。
グラスをテーブルに置く際にふと紙袋が目に入る。そういえば雨竜に日付が変わったら渡すように言われていたことを思い出した。
「あの、これ。雨竜くんが渡してくれと」
「……雨竜が?」
少し驚いた様子の宗雲に紙袋を手渡すと、宗雲が中身を覗き込む。
「プレゼント……とメッセージカード?」
取り出したメッセージカードを宗雲が読むと、その顔が優しく笑む。読み終えてプレゼントを開けている間も笑みは引かない。余程嬉しいのか、鼻歌でも歌いそうなくらいだ。
「私ではなく雨竜くんを呼んだ方が良かったのでは?そもそも私は何も用意できていませんし…」
思わず口から出た言葉に戴天自身が驚く。これではまるで嫉妬しているようで、気まずさに視線をグラスへ落とす。
「……」
宗雲からの視線を感じても戴天は宗雲の顔を見ることはできなかった。
(私はせっかくのお祝いの場にも水を差してしまうことしかできないのに……)
シャンパンで火照った体を冷ますようにふぅ、と息を吐く。本当に、どうして雨竜ではなく戴天を呼んだのか分からなかった。
そんな戴天を見て、少し間を置いて宗雲が口を開く。
「前に、珍しく酒に負けて酔った日があったんだ。もちろん営業には支障はなかったが。営業終了後にウィズダムの皆と話している時に……」
不自然に言葉が途切れ、思わず戴天は宗雲を見る。先程の笑みではなく、今度は宗雲が気まずそうに視線を外している。口元に手を当てて、この先を言うのを躊躇っているようだった。
「そこまで言ったのなら続きが気になります」
その先に今戴天がここにいる理由がある気がして先を促す。
「……そうだな。ウィズダムの皆と話している時に、誕生日の夜に共に過ごしたい相手は誰かという話になった。そこで俺が言ったんだ。お前と過ごしたい、と」
「……お店でもたくさんお祝いされるでしょうに。それこそウィズダムの皆さんからも」
宗雲が口元に当てていた手を今度は目元に当てる。今日この場が無ければ恐らく一生聞くことのなかった話だ。宗雲も言うつもりは無かったのだろう。
「もちろん明日は店でお客様や仲間から祝われるだろう。でも家族や親戚から祝われることはもう一生無いと思っていたから。願ってしまった」
家族や親戚、と言う言葉に戴天は目を見開く。高塔から追放された彼にはもはや祝ってくれる親類は居ない。それは当たり前のことで、宗雲もきっとそれはよく分かっている。だからこそ、ただの雑談の中でつい出た本音だったのだろう。複雑な気持ちになって戴天の表情が曇る。
「すまない。やっぱり言わなければ良かったな。でもお前から祝いの言葉が聞きたかったのは本当だよ」
「……どうして雨竜くんではなく私なのですか?」
宗雲の家族と言われて1番に思い浮かべるのはどうしても雨竜だ。現に雨竜からのメッセージカードを見ていた宗雲はとても幸せそうだった。
「“夜”を共に過ごすとしたら、お前が1番嬉しい」
「夜……」
「そうだ。こうやって酒を共に飲み、お前に触れたい」
宗雲の腕が戴天に伸びる。頭の後ろと背中に回された腕で引き寄せられる。
「……良いか?今だけ」
「……ずるいです。こんなの断れないじゃないですか」
宗雲が笑う気配がする。時折首元にかかる息がくすぐったい。置き場所を彷徨わせていた戴天の腕が宗雲の背中へと回る。
「もう一度、おめでとうと言ってくれないか?」
「……お誕生日、おめでとうございます」
「あぁ、嬉しい。本当に嬉しいよ」
やんわりと抱きしめていた宗雲の腕に力が入り、きつく抱きしめられる。その力の強さに、宗雲の気持ちがこもっているようで戴天は自然と体重を宗雲に預けた。
「……戴天?」
しばらく抱きしめているうちに、戴天の頭が時折宗雲の肩に当たることに気がついた。どうやらうつらうつらとし始めているようだった。
「もうこんな時間か。そろそろ寝よう」
戴天を促して洗面所へ行き、2人で眠る支度をする。ベッドへ入る頃には戴天の瞳は半分閉じかけている状態だった。
「眠いなら寝ていい」
「だいじょうぶです。今日はあなたが眠るまで起きています」
宗雲が声を掛けると、眠気に抗うように嫌々と首を振る戴天が幼く見えて髪を撫でる。ぼうっとこちらを見る戴天の隙だらけの唇へ宗雲は吸い寄せられるように唇を重ねる。怒られる前に、とそのまま電気を消して宗雲も布団に潜り込む。
「あなたが私を選んでくれて、嬉しかったですよ。私にもまだあなたを祝う権利があるのだと分かって」
暗闇の中、睡魔と戦う戴天がいつもより少しゆっくりとした口調で話し始める。
「祝う権利?」
「はい。私はもうあなたを祝うことすらできないと思っていました。それをあなたが望まないとも思っていたので」
「……」
咄嗟に返す言葉が見当たらなくて、宗雲は黙り込んだ。今日ここに連れて来られた理由を、本当のことを話すまで罠だと疑っていたのかも知れない。普段の関係を思うと仕方のないことだ。宗雲だって、こうやって半ば強制的に連れて来なければ祝いの言葉すら掛けられない。
うまく言葉にできない衝動のままに、1人分空いた隙間を埋めるように戴天を腕に抱く。
「そんな訳ないだろう、嬉しいよ」
「ふふ……よかった……」
その言葉を最後に、戴天からは穏やかな寝息が聞こえる。つられるように宗雲も瞳を閉じる。すぐに眠りはやって来そうだった。
朝、宗雲が目を覚まして隣を見ると戴天はすやすやと眠っていた。
今回、戴天はよく付き合ってくれたと思う。そしてウィズダムの皆と雨竜には、感謝してもしきれないプレゼントを貰った。
宗雲は、眠る戴天の頬にキスを落として、ずっとその寝顔を眺めていた。