兄達よ和解せよ②〜2人きり編〜 雨竜が去り、カフェの店内に宗雲と戴天だけが残されている。雨竜のことを呆然と見送るしかできなかった戴天は、中途半端に浮いたままだった腰を再びソファーへと降ろした。
「何か私に用事でもありましたか?それとも雨竜くんの前ではできないようなお話でもあるのでしょうか」
戴天にとっては、宗雲と話さなければいけない用事も無ければ、何もないのにお喋りを楽しむような関係でも無かったから、今の状況がまるで飲み込めない。
「いや、特にそんな話は無い」
宗雲からの返答に戴天は訝しげな目線を向ける。
「私もあなたに用はないのですが……」
そう言う戴天に視線も向けずに宗雲は落ち着かない様子で手元のアイスコーヒーの氷をストローでかき混ぜている。カラカラと氷同士のぶつかる音が静かな店内に響く。グラスの表面についた水滴をコースターが音もなく吸いとっていった。
「……早く家に帰りたいか?」
珍しく自信なさげな声で問うてくる宗雲の目は、未だに宗雲は戴天の方を見ずに手元のグラスに向けられている。その言葉の意味が分からず、戴天は宗雲を見つめるしかできなかった。
「何か予定があるのなら帰っても構わない」
半ば強引に引き留めたかと思えば帰ってもいいという宗雲の言葉に、ますます訳が分からず訝しげな目線は困惑へと変わっていく。
「別にこの後予定があるわけではありませんが……」
あなたと居ても話すことなど何も無いとは流石に面と向かって言えずに、言葉を濁す。
「そうか。……今日、お前も来てくれて俺は嬉しかった」
「えっ……」
ようやくグラスに張り付けられていた宗雲の視線が戴天を捉えた。いつも戴天を見ている鋭い視線とは打って変わって優しい目線に僅かに上げられている口角。これはつい先程、交換したパフェを食べた雨竜の幸せそうな顔を見たときと同じ表情だ。
戴天にはその表情に見覚えがあった。雨竜がまだ幼い時、つまり叢雲と雨竜がまだ一緒に居た頃によく見せていた表情だった。
先程この顔を見たときに戴天がまず感じたのは、己がその場に居ることへのとてつもない不安だった。本当は宗雲と2人で来たかった雨竜が、戴天という先約があるせいで叶わなかったのではないか、そういった類の。そんなことを考えていると、美味しいと思っていたパフェの味もよく分からなくなった。もし己の存在が要らないのなら、初めから要らないと言ってくれた方が良かった。雨竜の兄は戴天で宗雲ではないのに、まるで兄弟のような仲睦まじさを、かつての2人を思い出させるようなことを見せつけないで欲しい、なんてあの時は思っていたのに。
戴天は動揺した。宗雲は今その表情(かお)を向けている相手が戴天だと分かっているのか。そんなもの向けられる資格もなければ、向けていい資格も無いはずではないか。戴天と宗雲は友人でも無ければ兄弟でも従兄弟でもない、ただの他人であるはずなのに。
「雨竜とこの店の話をしたときにお前も一緒でも構わないか聞かれたんだ。……正直、お前は断ると思っていた。でも来てくれた。それが嬉しい」
そう言い切った宗雲は、満足そうにアイスコーヒーで喉を潤わせている。
「ここのパフェは美味かっただろう?」
ただ穏やかに語りかけられて、戴天は目眩がしそうだった。裏のない言葉、優しい目線、穏やかな空気。その全てが現実では有り得ない状況で、これは夢なんじゃないかと思わず目元を押さえた。
「あなたは……誰ですか。何が目的なんですか」
絞り出した言葉は、この場に相応しくない刺々しい言葉だった。先程までの穏やかな空気を壊すような。
「何を言っているんだ」
グラスを持っていたせいで冷えた宗雲の手が、目元を抑える戴天の手に触れる。まるで顔を見せろと言うように、目元を隠していた手が外される。
「そんな苦しそうな顔をしないでくれ、戴天。ただ本当に嬉しかっただけなんだ」
困ったかのように笑っている宗雲とかつての相棒の高塔叢雲が重なって見える。もう叢雲が居なくなって10年ほど経つのに、名前を呼ばれるだけで、未だに鮮明に彼を思い出してしまう。
「強引に引き留めて悪かった。迎えの車はすぐに呼べるか?」
「…………はい」
戴天の返事を聞くと、宗雲が伝票を手に席を立った。あとは宗雲が支払いを終えて、戴天が迎えの車を呼べば解放される。スマホを取り出そうとする手とは裏腹に、頭の中では本当にこのままで良いのかと自問する。何の裏もなく、ただカフェに同席しただけで嬉しいと言ってくれた相手に対して疑うようなことを言ってしまった。本音を隠して私も楽しかったと伝えることは簡単なはずなのに、どうしてもできなかった。それはきっと受け止めるのが怖かったからだ。素直に嬉しいと言われたら、期待してしまう。まだこの人の中に私という存在が居るのだと。それは有り得ないし、有り得てはいけないことだ。それに期待は毒だと知っている。誓いも言葉も信頼も、宗雲となら泡沫の夢なのだ。
そして結局、戴天はスマホを手に迎えの車を呼んだ。
会計を済ませて戻ってきた宗雲の手に無理やり代金を握らせて、共に席を立つ。
戴天の思考は未だにぐるぐると忙しない。仕事あるいは仮面ライダーとしての調査であれば、即決即断。このようにいつまでも同じことを悩み続けるなどしない。
指定した場所に迎えの車がやってくるのが見えて、やがて目の前で静かに停車した。見送りは不要だと伝えたのにも関わらず隣に立っていた宗雲が口を開いた。
「気をつけて帰れ」
「えぇ、あなたこそ。ありがとうございました。……では、また」
そう言いながら宗雲を見上げた己の表情がどんな色をしているかも分からないまま、戴天は車へと乗り込んだ。
2人きり編 完