sexual scrap #1己の股間を凝視する姿に何と声を掛けるべきか。二人で入るには窮屈な浴槽に向かい合うこの状況で、その気まずさは言葉にならない。
「俺このままじゃ魔法使いになっちまうかもしれねぇ。」
ゆっくりと顔を上げたイヌピーの真顔っぷりに「意味わかんねぇんだけど」と口をついて出てしまったのは致し方ないだろう。俺の恋人はビックリするほど時々不思議ちゃんなのである。
「真一郎くんが、」
「待て。いい、もうそれ以上言うな。」
その名前はフラグだ。十中八九しょうもない話に決まっている。聞く気はねぇぞとそっぽ向く俺に「聞けよココ!」とイヌピーが浴槽の水を吹っ掛けてくる。俺は腹を立ててる訳ではなく、くだらねぇ話題に違いないそのフラグはへし折っておきたいだけなのだ。謎に股間を凝視するその姿勢、突然の魔法使い宣言、そして真一郎くんという名前。どこを切り取っても聞くに値しないことを言うに決まっている。
「童貞のままだといつか魔法使いになるんだ。」
「…。」
ほら見ろ、くだらねぇじゃねぇか。俺の心の声はダダ漏れで、苦笑でも引くでもなく真顔で「あ、そう」と流す。都市伝説のようなその話はその実伝説でもなんでもなく、ただただ童貞であることを弄ったものだ。モテない男を揶揄う代名詞、とも言える。
「俺、このままじゃ魔法使いになっちまう。」
「何嫌なの?」
「嫌だ。」
食い気味に応えるイヌピーに俺は小さく唸る。それはつまり、どこぞの女で童貞を捨てたいということか?
「いや、そんなの有り得ねぇだろ。」
「だろ?」
目の前で水が跳ねる。イヌピーがやや興奮気味に腰を浮かせたせいだ。だが、今のこの短いやりとりで会話は全く噛み合っていないことに俺は気づいていた。
「イヌピーが魔法使いになるのが困るってことじゃなくて、」
「ァ?ココは俺が魔法使いになっても良いと思ってんのか?」
真顔が急に殺意を滾らせる。不良を卒業し真っ当に社会人をやっていても、イヌピーってやっぱり不良なんだなとどうでもいい感慨を抱く。
「確かにイヌピーは童貞非処女だけど」
「ココ、お前今絶対喧嘩売ってんだろ」
単なる事実がよほど腹立たしいのか、イヌピーは俺にさっきより激しめの水飛沫を引っ掛けてくる。それを交わすでもなく浴び、ぽたぽたと水滴を落としながら「イヌピーはさ、今更女抱けんの?」と問う。
「ッ…!」
「つか、童貞が魔法使いになるなら地球上に何億って魔法使いがいるってことだからな?そんなくだらねぇ話信じてどーすんの?ったく、佐野真一郎の言うことなんでもかんでも鵜呑みにすんな。」
後半はほぼ俺の妬みだ。イヌピーが憧れる佐野真一郎の言葉は、いついかなる時もイヌピーの心を鷲掴みにする。それがどれほどくだらねぇ話であっても、だ。
「そんなに童貞捨てたきゃ俺がもらってやろーか?」
散々水を引っ掛けられ顔面ずぶ濡れの俺は、べっ、と舌を出し挑発する。
「…いい」
「ン?」
急速に大人しくなったイヌピーは、また己の股間を見つめ小さく呻く。
「だって俺、お前のせいでケツじゃねぇとイけねぇし。ココじゃねぇとヤダ。」
水滴が浴槽にひとつ、跳ねる。一瞬の静寂。それから「ッッッ!!!」と悶えた俺は、思い切り浴室の壁に頭を打ち付けることになったのである。