遠き日の夢物語『いつか、海から昇る太陽が見てみたいものだな』
そう言ったのは、もう数えることが出来ないほどの逢瀬を重ねた夜だった。
鬼殺隊隊士、それも柱である杏寿郎と上弦の参という鬼の中でも限りなく始祖無惨に近い存在の鬼である猗窩座。
あの無限列車での死闘の後、相容れない立場でありながら惹かれ合った二人は誰にも知られてはならない関係を築きあげていた。
恋仲、と言うと二人は否定するかもしれない。
そのような温かいだけの関係ではない。
相手を倒すのは己だけ。
執着、という言葉は近いかもしれない。
そんな二人は、闘い、そして……お互いの全てを相手に晒し、奪い合うように体を重ねた。
一つになりたい、離れたくない。
ドロドロに溶け合えれば、いつかその願いが叶う……わけもないのはわかっているのに止められない。
その時間は嵐のように激しくて、そして世界に二人だけのように静かになる。
そんなとき、猗窩座は杏寿郎の話を静かに聞くことを好んだ。
ある夜、杏寿郎は海岸で見た景色を語った。
海村に鬼が現れたと聞き、確認へと向かった任務は二人の鬼を倒したことで解決した。
倒し終えた後、空が色を変えてきたことに気がつきそのまま太陽が昇るのを見た。
「美しいと思ったんだ。
君にとっては天敵の太陽だがな、本当に美しい光景だった」
空の色が徐々に変わっていく中、新しい日の始まりを知らせる陽光。
残酷なほど世界は歩みを止めず、太刀打ちできないほど美しい。
己が如何にちっぽけな存在なのか見せつけられてるようであり、その日々の大切さを噛み締める。
あの時の感覚は言葉にするのが陳腐なほど、心に響いた。
「ふぅん。お前がそこまでいうのなら…」
「うん?」
「いつか、海から昇る太陽が見てみたいものだな」
猗窩座は柔らかく微笑みながらそう言った。
月のような瞳に杏寿郎を映しながら。
そのことが堪らなく切なくなり、杏寿郎は彼を腕の中に引き寄せると
「いつか、君に見せてやる。約束だ」
「そうか。じゃあ楽しみに待っててやる」
クスクスと笑う猗窩座。
彼の少し高めの声を聞きながら杏寿郎は奥歯をグッと噛み締めた。
何故だか、涙が溢れそうだったからだ。
陽光を浴びれば消える運命の鬼。
叶うはずのない願い。
こんなのは寝物語の叶うわけのない、妄想のような言葉遊びだ。
それなのにどうしてこんなに胸が騒めいて、痛いのだろう。
「猗窩座……」
「……ん……、ぅん、杏寿…ろぅ?」
「もう一回、触れたい」
「いいぞ、俺も……そう思ってた」
こんなに求め合って
誰よりも近づいて
お互いの全てを欲しているのに
いつか来る終わりに心の奥で怯えているのは……きっと二人とも。
叶わぬ約束が増え続けていく。
それさえ……ああ、哀しいほど愛おしい。
※
「猗窩座っ!」
「っ!」
仕事終わりにたくさんの人が行き交う夜の街中で、猗窩座はすれ違った知らない男にいきなり名前を呼ばれ手首を掴まれた。
緋い瞳の獅子のような男。
だが余裕は感じられず、言葉を必死に探しているようだった。
「………海にいかないか。
太陽が昇るのを共に見よう」
その途端、胸の奥の扉が開いた。そんな感覚を覚えながら返す言葉を発していた。
「あの時の約束、叶えてくれるのか?」
「ああ。幾らでも叶えるよ。
これから君と一緒に。あの頃約束した沢山のことを……一つずつ」
真っ直ぐ見つめてくる瞳。
お互いにスーツ姿だが、重なるあの頃の姿。
涙が出そうなことを誤魔化すように猗窩座は言った。
「熱烈な口説き文句だな、杏寿郎」
「必死だからな。君を手に入れるためなら何だってするさ」
生まれ変わり、再び巡り会えたのだから。
人と鬼ではなく、人と人として出会えたのだから。
もう決してこの手を離さない。
お互いにそう思いながら、並んで歩きはじめた。
あの時の夢物語を、叶えるために。
【了】