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    ※派生※参謀×将校
    敬称をひらがなにするか漢字にするかでいまだに迷っています。漢字の方が文章の収まりがいいんですが、「将校どの」って呼ぶ参謀はかわいいし公式。
    あと3話くらい続く予定です。

    或る生者の備忘録(2)case.2 二人の庭師

     参謀は孤児だった。
     母親の顔は薄っすらとだけ覚えている。貧民街で体を売る娼婦で、父親は顔も素性も知らない。

     参謀が幸運だった一つ目は、五歳になるまで母親が育ててくれたことだ。子供を捨てる親ばかりの中、母親は雀の涙ほどの金を得ると、そのほとんどを参謀の食い扶持に当てていた。
     参謀の一番古い記憶は、死んだ母親の亡骸をぼんやりと眺めている光景だ。飢えか、病死か。どちらかわからなかったが、骨と皮だけになった母親を前に立ち尽くしていたことを覚えている。
     ――可哀そうな人だ。
     子供なんて早々に見限ってしまえば、もう少し長く生きられたかもしれないのに。きっと頭が弱かったのだろう。そうじゃないと、自らを犠牲にしてまで子供を育てる理由が無い。
     せめてもの情けで亡骸をどうにかしたかったが、子供の非力な腕ではどうすることもできない。いつも自分にしてくれたように彼女の頭をそっと撫でると、参謀は生きるためにその場を立ち去った。

     二つ目の幸運は、参謀が人よりも頭の回転が速かったことだ。一人で生きていくための盗みも騙しも、この頭のおかげで上手くいった。危ない橋を渡ったことも一度や二度じゃ済まないが、口八丁手八丁で何とか切り抜けてきた。
     成長して体が大きくなると、軍へ入隊した。食べ物に困らないと聞いたからだ。戸籍なんてものは持っていなかったから偽造して無理矢理入った。カミシロという苗字はこの時からの付き合いになる。
     軍の訓練は厳しかったが、飢える心配が無いだけ天国のような場所だ。身体能力は人並みで突出したものは無かったものの、人より働く頭脳を買われて司令部へ配属。大臣の手として働きだしたのもこの頃だった。
     ついには大臣の腹心と呼ばれるまで登り詰め、彼の人の陰謀を手助けするその地で――将校に出会った。





     森の少女達は風見鶏の件について町の民に謝罪をしたが、全く問題は起きなかった。職人に至っては、鷹をも騙せるほど精緻に作れたかと大いに喜んでいたという。代わりとして薔薇の鉄細工を贈られたようで、エムが嬉しそうに話していた。
     今日の参謀は、街に繰り出した将校のお付きだ。町の中をぐるりと回り、異常がないか確かめているのだという。この地に赴任してきてからの習慣らしい。

    (こんな警邏紛いのこと、する必要ないだろうに)

     巡視は下っ端に任せて、屋敷に溜まった書類仕事を片付けた方が余程効率的だ。そもそも将校は国家転覆を目論んだ事件を解決した立役者である。昇進して中央に戻るべきところを、こんな辺鄙な場所に留まらせている方がおかしい。
     国王の目は節穴か、と不敬甚だしい思索を繰り広げていると、前を歩いていた将校が振り返った。ムスッとした表情の参謀を見て苦笑する。

    「そんなつまらなそうな顔をするな。たまの外出も気晴らしになるだろう」
    「仕事をしている方がよっぽどマシです」
    「町の住民と良好な関係を築くのも仕事の内だ。お前も顔を売った方がいいぞ」
    「違う意味で売れていますがね」

     参謀の厭味ったらしい言い草に、将校は何も言わず肩を竦めた。
     町の人々は将校の顔を見ると親し気に挨拶を交わし、将校もそれに朗らかに返す。町と森の平和を取りなした将校は人気者だ。そして皆、隣にいる参謀の顔を目にすると、にこやかな顔が一変して厳しい顔つきになる。
     ……自業自得だ。森にも町にも参謀の居場所は無い。
     参謀の視線が下がり、俯き気味になる。本当に、自業自得なのだ。上司の命令とはいえ、平和な町と森に不和をもたらし、大勢の命を奪おうとした。居心地の悪さや、人の目線が気になるなど、参謀が思う資格は無い。
     いつものように帽子のつばを深く下げようとして――その手をそばにいた人物に止められた。

    「参謀」

     力強い言葉に、ハッとして顔を上げる。琥珀色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。

    「顔を隠すな。お前は森の民にも町の民にも償いをしなければならない。今はつらいだろうが前を向け。目を逸らすな。後ろめたいと思うのはお前に良心があるからだ。お前が良い人間でありたいと願うなら、私の目を見ろ」

     そう言うと、将校は帽子によって影のかかった参謀の瞳をじっと見つめる。参謀も動かない。いや、動けない。
     目を見ろと言いながらも、絶対に逸らすなとでも言うように将校の視線は力強かった。琥珀色の瞳に、燃えるような熱があった。
     しばらく経っただろうか。不意に緊張した空気が緩み、将校がふっと口角を上げる。

    「私はお前を信じている」

     ――瞬間、息が止まった。
     見つめ合いながら、そんな、嘘みたいな綺麗ごとを。
     勢いに呑まれてしまったのか、参謀の右足が、じり、と後退る。しかし、それ以上は縫い付けられたように動けない。
     じわじわと頬が熱くなっていくのが自分でもわかった。何だ。何なんだこの人は。
     胸の中がぐちゃぐちゃにかき乱されていく。熱くて、酷く痛くて……でもそれが嫌だと思えないのが恐ろしかった。自分が自分じゃないような、眩暈のような感覚。大袈裟じゃなく、恐怖だった。
     参謀は二、三回口を開いては閉じるのを繰り返し……真っ白になった頭からようやく言葉を絞り出した。

    「な……んで、そこまで言えるんですか。私は一度あなたを裏切って……いえ、最初から騙していたんですよ」
    「……ふっ。さあな」

     将校は参謀の問いに機嫌よく笑っている……いや、にやついている。大方、参謀が照れ隠しで噛みついたと思っているのだろう。
     それを満更否定することのできない参謀は、頬を引き攣らせながら無理矢理笑みを浮かべた。

    「そうですか。理由は教えられない、と。いいでしょう……それにしても先ほどのセリフ、将校殿にしては気障でしたね。堅物の振りをして、案外大勢の女性を泣かせてきたんでしょうか」
    「はは、言ってろ」

     揶揄うつもりで言った言葉も効いていないようだ。だが、珍しく参謀相手に口を開けて笑っている。
     少し砕けた雰囲気に、何だか肩の力が抜けた気がした。牢から出され、この地に来てから数週間。知らず緊張していた精神が、この瞬間、ようやく落ち着いたように感じられた。
     相変わらず参謀に突き刺さる周囲の視線は痛い。それでも背筋を伸ばし、前を向く。信頼すると言った上司の言葉に、応えたいと思ったのだ。

    「おや」

     少しだけ高くなった視線で町を見回してすぐ、一人の少女が視界に入った。遊んでいるようにも、親の仕事を手伝っているようにも見えない。真剣な眼差しで何処か一点を見つめている。
     何となく目についたが、これと言って気に掛ける理由も無い。参謀はすぐに視線を外したが、目ざとく気づいた将校が少女のもとへ近づいた。

    「こんにちは」
    「あ、こんにちは将校さん! ……と、えーっと」

     年の頃は十に届かないくらいだろうか。将校に向かって利発そうな挨拶を交わした後、参謀の方を向いて口ごもる。

    「私の部下の参謀だ。名前はルイと言う。好きに呼んでくれ」
    「ちょっと」
    「参謀さん!」
    「……はあ」

     無垢な表情で呼ばれてしまい、今度は参謀が口ごもる番だった。この少女は森と町で起きた顛末の悪人を知らないらしい。
     将校がしゃがんで少女と目線を合わせる。

    「何やら思い悩んでいた様子だが、どうかしたのか?」
    「あのね……そっくりさんがいたの」
    「そっくりさん?」
    「そう! そっくり同じ人がこそこそしながら町長さんのお屋敷に入って行ったの」

     少女が指し示した先には、周囲の家よりも二回りほど広い敷地を持つ館があった。参謀の背丈ほどの塀に囲まれていて中は見えない。少女は『そっくりさん』の謎を解明するために、その町長の館をじっと見張っていたのだと言う。
     子供特有の、いまいち要領を得ない話である。白昼夢か見間違いだろう、と参謀は思ったのだが将校は違うようだ。

    「詳しく話してくれないか」
    「将校殿……冗談でしょう」
    「何も聞いていないのにどうやって判断するんだ。不審者かもしれないだろう」
    「……やっぱり、悪い人なのかな?」
    「それを私が確かめてやる」

     不安そうに瞳を揺らめかせる少女に向かって、将校がニッと笑いかける。その笑顔に頼もしさを感じたのか、少女は安心したように息を吐いて話し始めた。

     少女は普段からこの通りで遊んでいるらしく、数日前もこの町長の館が見通せる場所で同じように過ごしていた。館には普段から多くの人の出入りがあるが、それらを観察するのが彼女の楽しみなのだ。
     その日も色々な格好の人間が出入りしていて、件の『そっくりさん』は庭師の恰好をした男だったらしい。お庭の手入れでもするのかしら、と思っていると、幾らも経たないうちにそっくり同じ格好をした男が館に入って行った。
     びっくりしたが、もしかしてどちらかがお師匠さんかお弟子さんで、手伝いに来たのかもしれない。そう思って鉄扉の隙間から覗いてみても、庭に見える姿は一人だけ。しばらくして庭師の男は館から出ていき、その後を追いかけるように同じ格好の男が出てきたのだ。しかも人目をはばかるようにコソコソと。
     その日以来、少女は庭師の男が入って行くのを見張っているのだと言う。

    「こんなこと大人に言っても信じてくれないし、でも何かあったらどうしようって思ってたの」
    「そうかそうか、よく話してくれたな」
    「うう~……将校さんありがとう!」

     感極まったのか、少女は目の前の将校に向かってぎゅっと抱き着き、将校は彼女の頭を撫でてやっている。……大げさすぎないだろうか。
     ここで「子供の戯言ですよ」と言うのは流石に大人げなかったので参謀も黙っていたが、いつまでも引っ付いている二人にイライラしてきて、「将校殿」と声を掛けた。予想外に低い声が出て自分でも驚く。

    「ん? ああ、早速行ってみるか」

     じゃあなと少女に別れを告げると、迷うことなく町長の館へ向かっていく。そういう意味で声を掛けた訳じゃなかった参謀は、慌てて背中を追いかけた。

    「ちょっと、今から行くんですか?」
    「その庭師は今いるんだぞ。真相を確かめるなら今行かないでどうする」
    「そりゃあそうですけど……」

     思い立ったら即行動が過ぎる。破天荒な上司のおかげでこちらは要らぬ苦労ばかりだ。
     参謀は厭味ったらしく深いため息をつくと、帽子を取って将校の後に続いた。





    「おお、将校様! お久しぶりですな」

     館に入ると少し太り気味の中年の男が将校を歓迎した。握手を交わした後に、執務机のそばにあったソファへ促される。

    「ありがとう町長殿。近くに寄ったのだが、たまには顔を出さねばと思ってな。しかし急な訪問ですまない」
    「いえいえ、将校様ならいつでも歓迎いたしますよ。……そちらの方も」

     将校へ向けていたにこやかな笑顔は消えてしまったが、それでも町長は参謀にも目を合わせ、同じソファに座るよう促した。つい頭の帽子に手をやりそうになった参謀は先ほど取ったことを思いだし、気まずくなりながらも腰を下ろす。
     そんな参謀の様子を穏やかに見守っていた将校が口を開いた。

    「知っての通り、またこいつを部下として預かることになったんだ。皆思う所はあるかもしれんがよろしく頼む。私の目が黒い内は滅多なことはさせないが、何かやらかしたらガツンと叱ってやってくれ」
    「ははっ、将校様が言うと頼もしいですなあ」
    「ほら、お前も挨拶しろ」
    「……よろしくお願いします」

     ぐっと頭を押さえられて、半ば無理矢理頭を下げさせられた。子供じゃないのだから、と少しムッとしたが、甘んじて受け入れよう。この方が将校に手綱を握られている感じも出て、警戒を解きやすいだろうし。
     などと参謀が殊勝なことを考えているとは知らず、将校は町長と世間話に花を咲かせ始めた。不審人物を見かけたと言う本題にも入らずに。
     町の様子を知ると言う観点からすれば大事なやり取りかもしれないが、参謀にとっては無駄な時間としか思えなかった。さっさと庭師について聞けばいいものを、くだらない内容ばかりだ。隣家の犬が夜中に産気づいて子犬が五匹産まれたことなんて、すこぶるどうでもいい。
     イラついた参謀の眉間に皺が寄ろうが二人の会話は続く。

    「町長殿のご家族は息災かな」
    「ええ……いや、これがちょっと困りごとがありまして」
    「ほう」
    「娘なんですがね。どうも悪い男に引っかかってしまったみたいで」
    「はは、男親の言い分は信用できんな。どんな奴なんだ」
    「職にも就かず芸術だの絵がどうのこうの、夢みたいなことばかり言ってるんですよ。詳しくは知りませんがね。一度家に来たんですが、もう頭にきて問答無用で帰らせたので」
    「なるほどなあ」

     将校はうんうんと頷くと、窓の外に目を向けてにこりと笑った。

    「ああすまん、少し話しすぎたな。遅くなると悪いからお暇させてもらおう」
    「これは失礼。いかんですな、将校様には何でも話してしまう。娘に言っても聞く耳を持ちませんから」
    「強面の町長殿も自分の娘には形無しか」
    「それはもう」

     ははは、と笑い合って立ち上がり、三人連れ立って屋敷から出る。門扉までの石畳の両脇には整然とした庭木が並び、色づいた灌木は目にも鮮やかだ。
     そしてその整えられた庭園に、件の男はいた。見かけは至って普通である。つばのついた帽子に、動きやすいゆったりとした服。腰に鋏を提げて箱を抱えた様子からすると、男も今日の仕事を終えて帰る所だったらしい。
     こちらに気づいた男が、猫背気味の背中を曲げて軽く頭を下げる。そのまま門扉から出ていこうとする背を、将校が呼び止めた。

    「……な、何か?」
    「いや、特に用というわけでもないんだ。いい腕だと思ってな。美しい庭だ」
    「……ええと、その、どうも」

     聞き取りづらい声でそう言うと、男はそそくさと立ち去ってしまった。人目を厭うような仕草が怪しいと言えば怪しい。しかし、素人の参謀にもわかるくらい、庭師としての腕は確かなようだった。

    「町長殿、庭師は一人だけ雇っているのか」
    「ええ、はい。なかなか良い仕事をしますよ」
    「そのようだな」

     門から出て行った庭師はすぐに通りを曲がったのか、姿は見えなくなっている。彼が怪しい人間であるなら後を追いかけた方が良かったんじゃないか、と将校に進言しようとして、参謀はふと顔を上げた。
     二階の窓だ。
     外側へ張り出した窓ガラス越し、人影がこちらを覗いていたようだったが、参謀の視線を遮るようにぴしゃりとカーテンが閉じられた。

    「では、娘さんにもよろしく」

     気を取られている間に参謀達も門の前までたどり着いていたようだ。
     最後の挨拶と共に町長へ別れを告げて、肩を並べながら館への道を戻る。どうにもすっきりしない感覚だ。ゆったりと町を見回っていた時とは違う将校の速度に合わせ、参謀も足を動かした。

    「……他に同じ格好をした男もいませんでしたし、屋敷に事件があったようでもない。やはり子供の勘違いでしょうか。庭師は無愛想な態度でしたが……単なる人嫌いなら頷けます」
    「お前のようにか」
    「……」

     押し黙った参謀の肩を叩きながら、「冗談だ、怒るな」と将校が声を震わせる。断じて怒ってなどいない。少し癇に障っただけだ。

    「だが、お前を見てきた私だからわかるぞ。あれは後ろめたいことがある奴の顔だ。周りから何か隠したくて、背中が曲がっている」

     パシッと背中を勢いよく叩かれて、参謀は隣にいる人物を睨みつけた。そんな視線などどこ吹く風、と将校が続ける。

    「それともう一つ重要なことは……あの男、庭師じゃないな」
    「は?」
    「手が違う」

     手が? と疑問符を浮かべた参謀へ将校が見せた手の平は、皮の厚い、剣ダコが潰れた跡の目立つ軍人の手だった。参謀もここまでではないが、厳しい鍛練によって皮膚が硬くなっている。……なるほど。

    「そこまで観察していなかったのですが、要は職人の手じゃなかったということですか」
    「そうだ。庭師にしては綺麗な手だったし、タコも変な場所にあったな。よし、明日も様子を見るか」
    「は? 仕事が溜まっているんですよ?」
    「見回りの一環だ。不安の芽は摘んでやらないと」
    「はあ……」

     それはまあ、庭師でもない男が変装して出入りしているなんて、怪しい以外の何物でもないが。部外者なのだし、あとは町長に報告するなりすればいいだけの話だ。
     しかしこの頑固な将校は言っても聞かないだろう。そして確実に、自分もお供として付き合わされる。
     参謀は再び大きなため息をつき、からからと笑っている上司の顔を睨みつけた。将校の思い付きに付き合っていては振り回されるばかりだ。どうにかして手綱を取れるようにならなければ……。





     翌日、朝早くから将校は一人で町長のもとを訪ねていた。庭師と話がしたい、と断りを入れた彼を快く迎えてくれた町長は屋敷の中に案内しようとしたが、丁重に辞退する。

    「連日押し掛けてすまないな。うちの館も少しは整備しておかないと、軍部の視察官が来た時に体裁がつかないんだ」
    「そうでしたか。もう少ししたら来る頃合いですよ……ああほら」

     町長の館のポーチで二人、肩を揃えて待っていると、昨日と同じ男が門扉をくぐって入ってきた。将校と町長の顔を見て、ぎょっとした様子で目を見開いている。うろうろと彷徨わせた視線はあからさまに挙動不審だ。
     将校が人好きのする笑みでにこやかに近づく。

    「やあ、おはよう。仕事前にすまないが少し話を聞いてもいいか」
    「は、はあ……」
    「いやなに、私の所も庭師を探していてな。昨日の仕事ぶりを見て、ぜひ頼みたいと思ったんだ」
    「……」

     明るい表情の将校とは対照的に、男の顔はどんどん影が差していく一方だ。そんな様子を将校は気に留めることなく、あの灌木の配置がいいだの植えるなら葉が落ちない種類がいいだの要望を捲し立てた挙句、「どう思う?」と男に意見を仰ぐ。問いかけられた男はたじたじになって、「そうですね」などと曖昧な言葉しか返さない。
     出鱈目に話を引き延ばしている将校が、硬い樹木を切る時のコツを聞き出そうとしていた時だった。

    「うわあ!」

     屋敷の塀の向こうから別の男の驚くような声と、呻き声。そこに被さって聞こえる、バタバタと揉みあう音。しばらくして静かになった後、二人の人間が門から敷地へ入ってきた。

    「よくやった!」
    「ええ!?」
    「……」

     将校と、町長と、庭師に扮していた男と。三者三様の態度を見せた彼らの前に、二人の男――庭師の男と、その腕を拘束している参謀が姿を現した。





     そっくりな格好をした男二人に、困惑顔の町長。
     したり顔をしている将校に目をやりながら、参謀は拘束する力を少し緩めた。捕まえた男も庭師に扮していた男もがっくりと項垂れて、抵抗する気力は無さそうだ。彼らが件の『そっくりさん』だろう。

    「これは一体……」

     そもそも庭師が二人いることを知らなかった町長は、二人の男を見比べては将校に疑問の視線を投げかけている。もっともな反応だろう。

    「とある人物から町長殿の館に不審な動きをする庭師がいると聞いて、少し待ち伏せしてみたんだ。黙っていて悪かったな。ここで理由を問いただしてもいいが、もう一人役者が必要かもしれん」
    「もう一人?」
    「ああ――」
    「お父様!」

     将校と町長、二人の会話に割って入るように鋭い声が響く。皆が顔を上げた視線の先、若い女が館から飛び出してきた。スカートの裾を両手で持ち上げながら必死な様相で駆けてくる。

    「お父様、待ってください!」
    「マーサ?」

     町長を父と呼ぶ女――十中八九彼の娘だろう。その彼女は町長の隣に立つ男を庇うように前に立つと、がばりと頭を下げた。焦茶色の長い髪がふわりと揺れる。

    「この人は悪くないんです、わたしが、わがままを言って、お願いして……」

     息を切らし、必死に訴える娘に対して、庭師に扮していた男が「君のせいじゃない。元はと言えば僕が……」と口を挟む。お互いを庇い合う――どうも甘ったるい雰囲気に、参謀は嫌な予感をひしひしと感じていた。

    「彼との交際を父に否定されたんです。芸術かぶれはダメだ、もう近づくな、と。でもどうしても諦められなくって……。ちょうど屋敷の庭師を探しているタイミングだったので、とてもいいアイディアだと思ったんです。庭師さんにも協力していただいて、私と彼が会っている間に庭の手入れをしてもらって、こっそり帰ってもらったら今度は庭師として彼が帰っていく形で……」

     町長の娘が途切れ途切れに話す言葉に、今度こそ参謀は大きなため息をついてしまった。要は彼等二人が逢瀬を果たすために庭師と入れ替わったとかいう、頭に花が咲いたような理由だ。大げさに顔を引き攣らせなかっただけマシである。
     とはいえ脱力しきったのは参謀が赤の他人だからだ。一方の町長はと言うと、顔を真っ赤にしてわなわなと体を震わせていた。怒りを抑えきれず、噛みしめた歯の隙間から息の漏れる音がする。

    「……言いつけを破って娘をたぶらかすだけじゃ飽き足らず、コソコソと人を騙すような真似までしただと……!」

     あまりの怒りに、背後で炎が燃え盛っているかのような幻覚まで見えそうだ。
     ギンッと強面の町長に睨まれた男は、細面を青くして冷や汗をかいている。こうやって庭師と並べてみると、顔も体つきも全く似ていない。男は色が白くひょろりとした体つきで、とても外で働く男には見えなかった。
     ぎらぎらと睨みつける町長と委縮する男。まさしく蛇に睨まれた蛙である。ピリピリとした空気が漂っていたが、その蛙の肩を将校がポンッと軽く叩いた。

    「褒められたことでは無いが、愛し合う者というのは時に突飛なことを考えるからな。彼女を愛しているのなら、誠心誠意父親にぶつかりに行けば良かったんだ」
    「で、ですが、最初からもう門前払いで……」
    「それは気の毒だったが、尚更のこと、真正面から行くべきだったと思うぞ。父親として大切な娘を手放すんだ、大目に見てやってくれ」
    「はい……」
    「まあ、これからは町長殿と真摯に向き合うんだな」

     男の力を抜こうとしているのか、ポンポンと肩を叩く将校に声を上げたのは、渋い顔をした町長だった。

    「将校様、こいつは私を騙していたんですよ。そんな男とこれ以上話す余地なんて……」
    「すまんな、町長殿には我慢してもらうことになるが……人間誰しも挽回のチャンスはあって然るべきだ」

     そう言うと将校は、参謀の方を見て目を細めた。柔らかな琥珀色の奥には、陽だまりのようなあたたかさがある。
     不意にそんな視線を向けられた参謀は咄嗟に目を逸らしてしまった。血が上ってくるような感覚がしたからだ。二人の表情を交互に見た町長は、肩を竦めて苦笑する。

    「……将校様にそこまで言われてしまったら、私も倣うしかないでしょう。ただし、結婚を許すかどうかはこの男次第です」
    「勿論だ、それでいい。大事な娘のことだ。きちんとこいつの人となりを知ってから決めないとな」

     一件落着とでも言うように将校がにこりと微笑む。和らいだ雰囲気に、悲壮な顔つきをしていた娘と男は安堵の表情を浮かべた――が。くるりと二人に向き直った将校は笑みを浮かべているものの、その瞳の奥は冷たく鋭い。

    「それはそれとして――私も妹がいる身だから町長殿の気持ちはわかるつもりだ。若気の至りとは言え、人に嘘を吐いた分はしっかりと反省するんだな」

     決して声を大きく荒げているわけではない。だが、迫力は町長の比ではなかった。その姿以上に大きな存在に威圧された気分になるだろう。
     若くして将校の座についただけのことはある、と参謀が頷く一方で、若い男女は震える声で「はい……」と返事をするしかなかったのだった。





     肩透かしを食らいつつも謎は解けたということで、この一連の顛末を「そっくりさんがいる」と教えてくれた少女に伝えに行くと、彼女は大げさなほど喜んだ。ほっと胸をなでおろし、将校と参謀の顔を見上げ、にっこりと微笑む。

    「よかった、悪い人じゃなくて!」
    「そうだな。君も町のことを心配してくれてありがとう。すごい観察力だったぞ」
    「えへへ」

     将校に頭を撫でられている少女は、少し照れくさそうにはにかんでいる。妹がいると言っていたが、なるほど、年下の扱いに慣れているようだ。
     少女の目線に合わせて膝をついている将校とは違い、参謀は立ったまま二人のやり取りを傍観していた。実際、将校が動き回っただけで自分は何もしていないからだ。

    「でも二人は結婚できるのかしら?」
    「さてなあ。一度信頼を裏切ってしまったから難しいとは思うが……本人の頑張り次第だな。真剣に向き合えば、町長殿も心を動かされるかもしれん」
    「キンダンの恋ってやつね! いいなあ……」
    「ははっ」

     うっとりと浸っている少女に将校が笑い声を上げる。大方、ませた子供だと思っているのだろうが、少女の視線はしっかりと将校に向けられていた。……どうしてか気分の悪くなった参謀は、頬を引き攣らせつつ口を開く。

    「世間知らずが口の上手い男に引っかかっているだけな気がしますがね」
    「もう! 何でそうやって意地悪なこと言うの。参謀さんったらデリカシーが無いのね!」
    「はは、まったくだ」
    「……」

     あははと笑い合う二人に対して、懸命な参謀は黙ることに決めた。皮肉を言ってもまともに相手されないだろうからだ。
     押し黙った参謀に構うことなく、二人は和気あいあいと会話を弾ませている。家の近くに綺麗な花が咲いていたの、なんて子供らしい取り止めのない会話。全くもって生産性が無い。誰とでも垣根無く話す所は将校の長所で、参謀には絶対に真似できない苦行だ。
     そのうち少女の母親だと言う女がやって来て、家の仕事を手伝うように言いつけていった。そばにいた参謀の顔を見てギョッとしていたが、将校に頭を下げて少女の手を引っ張っていく。

    「将校さん、参謀さん、ありがとー!」

     少女は少し名残惜しそうにしていたが、大人しく手を引かれて行った。またね、バイバイ、とずっと手を振っている少女に振り返しながら、将校は隣にいた参謀に「帰るか」と促した。



     町長の館に向かったのは朝だったから、そこまで時間は経っていない。忙しく働く町の人々の合間を通り抜け、ゆったりとした足取りで館への道程を歩く。
     町の喧騒を背にしながら、将校は参謀の眉間に寄った皺を視線でなぞった。

    「何だお前、子供の言うことを気にしているのか」
    「……ええ、ええ。どうせ私はデリカシーが無いですからね。将校殿のように女性の扱いも上手くないですし」
    「急にどうしたんだ」

     棘のある言葉に将校が目をぱちくりと瞬かせる。琥珀色の大きな瞳。その丸い瞳を見ていると余計ムカムカする気がして、参謀は石畳を踏む足に力を入れた。

    「何でもないですよ。今回のせいで書類仕事が全然進んでいないなんて文句もありませんし。結局くだらない色恋沙汰に巻き込まれただけじゃないですか」

     『そっくりさん』は不審人物でもなかったし、遅かれ早かれ町長にバレて二人は大目玉を食らっただろう。その場合将校が仲裁していないため二人の交際は破綻していたかもしれないが、そんなことはどうだっていい。将校はもっと、彼に相応しい仕事をすべきなのだ。

    「ふふ……」

     参謀がつらつらと頭の中で文句をこねくり回していると、隣から抑えきれなかったような笑い声が聞こえた。胡乱な目で視線を向ければ、将校が可笑しそうに口元を押さえている。

    「……何ですか」
    「お前、鷹の時はあんなに気にかけていたのに、人間相手だと手厳しいなあ」

     お前らしいけどな、ともう一度将校が笑う。その言い草に背中の辺りがムズムズするような気がして、参謀は鼻を鳴らした。自分らしいって……この人は何を知っているのだろう。
     大臣の命を帯びた参謀が将校の部下になっていたのはほんの数か月だ。謀を隠しながら、企みがばれないように嘘をついて。そのたった数か月で、彼は何をもって己らしいと判断したのだろうか。
     遠くに館の門扉が見えてくる。見張りの兵士がこちらに気づいたようで、姿勢を正していた。

    「まあ、これから嫌でもここの人々と関わっていくんだ。少しは人間に興味を持つんだな」
    「……別に、私だって、気になる相手くらい……」

     います、と続けようとして硬直した。
     失態だ。
     口にした瞬間わかった。何も考えずにぽろりと言葉が滑り落ちてしまったのだ。ぎぎぎ、と壊れた機械のような動きで首を横に向ける。
     案の定、隣にいた将校の目は驚きに大きく見開かれ、爛々と光っていた。面倒くさくなりそうな予感がひしひしと伝わる。参謀は沈黙を選んだが、もちろんそれで引き下がるような相手ではない。

    「何だ、水臭い! そうかそうか、あの参謀がなあ。どこのお嬢さんだ?」

     ……こうなると思ったのだ。
     珍しく頬を薄く染めた将校は、興奮しながらあれこれと話しかけてくる。部下とその意中の相手の仲を取り持とうとでも考えているのだろう。ここ最近で一番の喜びようだ……人の気も知らないで。
     参謀は痛むこめかみを押さえながら、努めて、平静に、事実を口にした。

    「言っておくと、そういうアレじゃないんで。人間としての思考回路が他とかけ離れているので、珍獣を観察しているような気持ちです」
    「ち、珍獣……そうか。随分な人間がいたものだな……」
    「そうですよ。まったく」

     勝手に他所の女に懸想していると勘違いされるなんて、腹が立つ以前に吐き気がする。
     いつになく低い参謀の声が効いたのか、将校はそれ以上何も言ってこなかったが……まるでわかっていない顔だ。人の機微には意外なほど敏いくせに、自分への好意にはからっきしである。年端のいかない子供とは言え、町の少女も将校のことを憧れの目で見つめていたというのに。……いや、参謀のこれは断じて好意ではなく、ただの興味であるが。
     将校の方を見れば、微かに眉を下げた申し訳なさそうな顔でこちらを窺っている。傍目にはわかりづらいが、茶化していると思われただろうかと、気にしている様子だ。
     思えば最近は色々な表情を見せてくれるようになった気がする。まるで参謀が裏切る前の、昔のように。

    (――何故、僕を許したのか)

     この問いがわかれば、胸に渦巻いているモヤモヤも少しはすっきりするのかもしれない。
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