とっておきのお祝いを「そろそろ休憩しよう」
岩を登り崖を飛び降りを数え切れないほど繰り返した後、開けた平らな地面に降り立つと、キィニチが言った。
以前から機会があれば教えてほしいと頼んでいたエクストリームスポーツ。ナタの状況が少し落ち着いて時間を取れるようになったというキィニチから今日という日を打診された。
「ありがとう、キィニチ。おかげで動き方を理解できた気がする」
「いや、俺は本当に最低限のことしか教えていない。旅人の筋が良いんだ、流石だな」
急に止まるのは良くないだろうとゆっくり歩きながら話していると、キィニチが称賛の言葉を渡してくる。本人は称賛と思っていないと分かるその言葉は、受け取る側としてはどうにもむず痒い気持ちになってしまう。蛍が返す言葉に悩んでいると、キィニチは蛍が疲れていると考えたのか、ジュースでも飲むか? と今度は気遣いの言葉を渡してきた。
「ねぇキィニチ」
「どうした?」
渡されてばかりの蛍は、数日前からずっと聞こうと決めていたことを尋ねる。
「今日があなたの誕生日って、本当?」
少女にまっすぐに見つめられた少年は、何でもないことかのように、ああ、と同意した。さらりと肯定されてしまった少女は、なんとも言えない気持ちでそうなんだ……と呟く。
「誕生日おめでとう、良い一年を過ごせますように」
ありきたりな祝いと祈りの言葉を唇に乗せれば、少年は少し驚いた顔をした後に微笑んだ。
「ありがとう。言わせたみたいで悪いな」
「そんな風には思ってないけど……」
キィニチの反応を見て蛍は数日前のことを思い出す。
◇
「キィニチが? わざわざその日に?」
数日前、復興依頼の増えたナタを駆け回っていた蛍とパイモンが流泉の衆を訪れると、丁度ムアラニが聖火競技場に向かうところだった。ちょっと余裕が出てきたから〜と道案内をしてくれるムアラニにキィニチとの約束を話すと、彼女は目を瞬かせながらそう言った。
「何かある日なのか?」
キィニチから言われた日だから大丈夫だと思ってたぞ、とパイモンが言うと、ムアラニは明るい表情を引っ込めて首を捻らせる。
「うーんと、その日はキィニチの誕生日なんだ」
「えっ」
そんなこと聞いてない、と二人が驚けば、ムアラニはそうだと思ったと頷いた。
「キィニチ、自分の誕生日に興味ないみたいなの。仲良くなってからはカチーナちゃんとプレゼントを渡しに行くようになったんだけど、大抵お仕事してて見つからないから会った時に渡すようになっちゃった」
「そうなんだ……」
友達としてはちょっと寂しいんだよね、ムアラニはそう言って口を尖らせる。
誕生日にこだわりがないなら、むしろ祝われるのは迷惑だろうか。とはいえ、こうして聞いたのに何もしないのは、ムアラニの言う通り友人として寂しい気もする。
三人揃ってどうしようと悩んでいると、ムアラニがあっと声を上げた。
「旅人との予定があるってことは、その日はキィニチが捕まるってことだよね! じゃあ、誕生日パーティーしようよ!」
それだ、と蛍とパイモンは顔を明るくする。
「折角なら塵歌壺でやろうぜ! 飾り付けは任せろ!」
どうせオイラはエクストリームスポーツをする二人に着いていけないしな、とパイモンがじとりとした目を蛍に向けた。その視線を受けながらも蛍は気づかないふりをする。
「塵歌壺、って前言ってた旅人のお家みたいなところだよね。実は遊びに行ってみたかったんだ〜!」
楽しい計画はどんどん決まっていくもので、パイモン、ムアラニ、カチーナは昼のうちに飾り付けとナタ料理の準備、蛍は他国の料理の用意とキィニチを塵歌壺に連れていくという役割分担がトントン拍子に決定した。
「よーし、キィニチに最高の誕生日パーティーをプレゼントするぞー!」
おー! と腕を上げる若き英雄三人を流泉の衆の人々は微笑ましく見守っていた。
◇
誕生日を教えることもなく、単に定型文のお祝いを伝えただけで驚くキィニチを見て、蛍はムアラニの言ったことは本当だったんだと理解する。
誕生日の捉え方なんて人それぞれだ。興味がない人は結構な割合でいると思う。だとしても、彼の育った環境を知ったうえでその姿を実際に見ると、どう表現するか悩むような感情が生まれてしまう。
「旅人、少し座ろう」
日に当たりすぎて疲れたんだろう、丁度木陰もある。
誕生日の話はさっさと流されて、とても親切に気を回されてしまう。
感謝を伝えながら言われたとおりに座ると、さっとジュースを渡される。ケネパ・ショコアトゥルジュースというらしく、とても美味しい。今度レシピを教わろうか……。
(って、そうじゃない! せめて何か欲しいものを聞くくらいは――)
蛍が意を決してキィニチに向き直ると、彼もまた蛍の方を向いていた。蛍がまごついていると、彼はふ、と空を見上げ、ぽつりと語り始める。
「皆、誕生日になると何かしらのプレゼントを渡そうとしてくれるんだ。きっと善意なんだろうと分かってはいるが、代償なくそれを受け取るのはきまりが悪い」
ぎくり、と蛍は身を竦めた。今まさに自分もそれをしようとしていたのだから。
「だが、誕生日の過ごし方によって、その日に何らかの意味が与えられるとは思ってる。例えば――」
そんな蛍に気づかずか、キィニチは蛍に視線を戻す。
「今日は俺の趣味をお前と共有できた。こんなに楽しかったのは久しぶりだ」
キィニチは、いつもの大人びた表情を崩して少年のように笑った。そんな顔を見せられたら、こちらもつられて笑うしかない。
「また、一緒に遊んでくれる?」
まるで小さな子どもが約束する時のような言葉を、少女は言う。
「勿論。今度はもっと難易度の高い場所でやろう。旅人なら俺と同じ体験をするはずだ」
少年は悪戯を思いついた顔をして少女に提案する。
「……なんだか嫌な予感がするけれど、キィニチが傍にいてくれるんだよね?」
だったらやる、と言う少女に少年は満足げに頷いた。
蛍はちら、と日の傾き具合を見る。まだ夕暮れには早い。
「キィニチ、この後も時間はある?」
「明日の昼までは特に依頼もない。続きをするか?」
控えめに目を輝かせるキィニチに、それも良いけれど……と蛍はある冊子を取り出す。
「キィニチが良ければ、私の旅の体験を共有するのはどうかな? 丁度この間アルバムを纏めたの」
キィニチの目の輝きが増した、多分。
早速アルバムを開いて写真を眺めつつ思い出を語る。
いつの間にか撮られていたトワリンやアペプと戦闘している写真を見せれば、これも竜なのか? と興味津々に写真を覗き込み、慶雲頂からの景色を見せれば、ここでバンジージャンプをしたら楽しそうだと言い始める。蛍が自由落下の方が楽しいかも、と冗談交じりに言えば、それは名案だと喜色の交じる声で返される。
そうして、アルバムの最後のページ――ナタの七天神像の前でパイモンと一緒に撮った写真に辿り着くと、日は傾きかけていた。
「もうこんな時間か」
キィニチも気づいたようで、さっと立ち上がり蛍に手を差し伸べた。
「今日の宿は草臥の家か? 送っていこう」
「あ、それなんだけどね」
キィニチの手を取り蛍は立ち上がる。その手が離されないことに少年は首を傾げた。
「明日のお昼まで、予定はないんだよね?」
頷いた少年に少女は喜び、楽しげに告げた。
「じゃあ、今から私の家に来て!」
少年の口から漏れ出た、は、という音はナタの大層美しい自然に消えゆき、少女はさっさと壺を取り出す。
「準備できた! さ、行こう!」
少女が抵抗さえ忘れて呆ける少年の手を引いた。二人の姿は一瞬で壺に飲み込まれ、辺りには落ちたベリーに引き寄せられたユムカ竜だけが残っていた。
(ハッピーバースデー! キィニチ!!)
(驚いた? みんなでパーティーの準備をしたんだよ)
(……あぁ、驚いた。それに、色々と安心した)
(? ……よく分からないけど、とりあえず入って入って!)