からん。軽快なドアベルの音が鳴り、店内に入ってきたのはフレアワンピースを着た可愛らしい女だった。伸びた爪は桃色に彩られている。
いらっしゃいませ、乾の声は聞こえていないのか。バイクなんて全然乗らなそうなその女は、やはり周囲を見ることなく一直線に奥で作業中の龍宮寺へと向かっていく。
「あの、龍宮寺さん」
鈴のなるような高い声だった。
あからさまな媚びた声に気づいてないのか、はたまた実家で耐性がついているのか。たぶん後者であろう。特に顔色を変えることなく、龍宮寺は「ああ、どーも」と小さく会釈をした。
「この間はありがとうございました。あの、これ。よければ召し上がってください」
そこでソファに座っていたアルバイトの万次郎は、読んでいる雑誌から顔を上げた。お手製の昼飯を届けに来てくれて、そのまま乾や九井と歓談していた三ツ谷。龍宮寺に笑いかける見知らぬ女。また、三ツ谷。二度ほど視線を往復させて、ゆっくり口を開いた。
「三ツ谷ぁ」
「なに?」
感情を削ぎ落とした瞳で、じっと龍宮寺と女を見つめる三ツ谷は、それでも万次郎を見るといつものように微笑んだ。あのふたりを邪魔するなとでも言うように、しっと口元に立てられた彼の人差し指は、ささくれが目立った。
「明日、デートしよ」
「は? 急になに・・・・・・、ふたりで?」
「うん。デートだからね」
万次郎が当然と頷き、三ツ谷は目を瞬いた。マスカラなんて塗っていなくとも長いまつ毛が、はらはらと迷ったように震える。
「・・・・・・わかった。デート、しよう」
きっと三ツ谷は、デートという言葉を万次郎が女の子同士が使うような感覚で口にしたと思っているのだろう。そうでなくとも身内に甘い彼は、ふっと笑ってそれを了承した。
「男同士でもふたりで出かけたらデートって言うのか?」そばにいた乾が首を傾げた。
「い、イヌピー!」
面倒ごとに首を突っ込むなと慌てる九井をよそに、万次郎はどこか勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべた。
「好き同士がふたりで出かけたらデートでしょ」
「ま、マイキー!?」今度は三ツ谷が慌てた。
「あ? 三ツ谷はオレのこと好きじゃねぇの?」
そ、りゃあ好きだけど・・・・・・、言葉にした時点で、三ツ谷の負けだった。友だちとしてな、と続けるよりも先に言質はとったとばかりに、万次郎は乾と九井に向かって「ほらな」と口角を上げた。
「そうか。ならココ、オレたちもデートしよう」
「い、イヌピー!」
今度は焦燥感なく、九井は嬉しそうに乾の名を呼んだ。この状況を作り出した当の本人、万次郎はぱちぱちと間抜けな音で拍手をしていて、三ツ谷はひとり置いてきぼりである。
「なにやってンだよ」
そのとき、突然ぐっと肩に重みを感じて三ツ谷が振り返ると、すぐそばに龍宮寺の顔があった。いつの間にか帰ったようで、女の姿はなくなっていた。
「女に逆ナンされてるケンチンには関係ねぇよな? なあ、三ツ谷」
万次郎が言うと、龍宮寺は「別にナンパじゃねぇよ」と息を吐いた。そして三ツ谷に、ハイと紙袋を手渡す。中を見るとそこには手作りであろうクッキーが入ってた。
「この前、絡まれてるところを助けたんだよ」
「ああ。オレもいたときのやつか」乾が頷く。
九井は頭を抱えた。それを言ってしまうと乾もいたのに、龍宮寺にのみ礼をしているという現状が露呈してしまう。もうすでに女の態度があからさまだったとはいえ、わざわざ今言うことではない。
「・・・・・・ナンパじゃん」
微妙な沈黙に、口を開いたのは三ツ谷だった。
「ナンパっていうか、絶対に彼女ドラケンに気があるよ。これ手作りだし、ほらここについてるメッセージカードにテル番書いてあるし」
三ツ谷の親指がクッキーに結われた桃色のメッセージカードを柔く撫でる。女の子らしいまん丸い文字で『連絡待ってます』なんて、ご丁寧に語尾にはハートマークまでついている。
「連絡しなよ」
「はあ?」獣が唸るような低い声だった。
「ドラケンにお似合いのカワイー女の子だったじゃん」
さらりと告げた三ツ谷に、龍宮寺は眉間の皺を深くした。さすが元とはいえ、東京卍會の副総長。穏やかな春の日差しが降りそそぐバイク屋には似つかない、ぴりっと空気が張り詰める。
「オマエはそれでいいのかよ」
「なにが?・・・・・・、オレには関係ないよ」
三ツ谷は一瞬ぐっと息を飲んでから、ゆっくりと首を横に振った。険悪とも言えるこの雰囲気の中、割って入れるのは、やはり総長しかいない。万次郎はニマニマ笑みを浮かべて「だって三ツ谷は明日、オレとデートするもん」と言い放つ。
「他のヤツなんて気にしてる場合じゃねぇもんな〜」
万次郎がひとこと喋るたびに、龍宮寺の顔が険しくなっていく。火に油を注ぐ、とはこのことだ。この時点で九井は乾を連れて、そっとその場を離れた。
「あ? どういうことだよ」
「別に一緒に遊びに――」
「デートはデート。好き同士のふたりが一緒に出かけるんだから、それはデートだろ?」
「マイキー!」
三ツ谷の焦ったような声と龍宮寺の怒った声が重なり、万次郎の名を呼ぶ。とはいえ当の本人は素知らぬ顔で、「だってそうだろ」と、どこからかたい焼きを取り出して食べ始める。
「行くな」
龍宮寺は、言った。
「は、ハァ?」
「行くなって言ったんだよ」
聞こえなかったわけじゃない、と言おうとして龍宮寺に強く掴まれた手首。三ツ谷は思わずじりっと一歩下がるも、その小さな距離はすぐさま詰められる。とんっと踵が万次郎の座っているソファーに当たった。もう逃げ場はなかった。
「な、んで」
やけに真剣な黒石の瞳に見つめられて、知らず知らずのうちに三ツ谷の声は震えた。
「オレ、オマエのこと好きだから。他のヤツとデートなんて行くなよ」
はっきりと告げられた龍宮寺の言葉に対して、答えなんてひとつしか持ち合わせていなかった。「・・・・・・う、ウッス」と、三ツ谷は顔を真っ赤にして俯く。
「で? オマエは?」龍宮寺は片眉を上げた。
「へ?」
「オレのこと。どう思ってんの?」
しんっと静まり返ったバイク屋の店内で、三ツ谷は顔を上げて、ゆっくりと口を開いた。覚悟を決めた藤色の瞳が強い光を放つ。
「好き、・・・・・・ずっと前から好きだバカ」
ハハッ!知ってる、なんて。龍宮寺から零れたのは、三ツ谷の前でだけ見せる無邪気な笑い声だった。
おいおい仕事しろよと言いたいところだが、そっと遠くから見ていた九井はまさかの大団円に苦笑いして祝福の溜め息を落とした。そっと隣の乾を見上げれば、これまた幸せそうに微笑んでいるから尚更だ。
と、思っていたところに、この展開を超えるまさかの爆弾が落とされた。
「でも三ツ谷は明日オレとデートするけどね」
ボマー・万次郎の唇にたい焼きのしっぽが、すぽんっと吸い込まれていった。