お題:「予想外」「言いつけてやる」7/24 ここ最近、世間を騒がせている“悪党”がいた。名前は「ワルサムライ」血のような真っ赤な髪を地獄の業火のように逆立て、禍々しい白狐の面をつけている。面からギョロリとした眼をのぞかせて、その双眸に睨まれた者は身体中に一千もの穴があき、そこから血が流れだしてついには干乾びて死んでしまうとか。それはそれは異形の、不吉な、呪われた悪霊のごとく恐れられていた。今日も山で芝刈りをしていた村の翁が山道で「ワルサムライ」と出くわし、ほうほうのていで何とか村へと帰ってきたがそのまま三日ほど寝込むことになった。翁は村長に訴え、困り果てた村長が相談した相手が、今、街で話題の“正義の味方”の看板をぶらさげた「ニンジャジャン」という義侠の忍者だった。
「で、そのワルサムライ、ちゅうのは何処に住んでるんだい」
「それが神出鬼没でして、ふだんは山の中に潜んでいて、数多の魑魅魍魎を従えた“悪の秘密組織”とやらを率いて世界の転覆を目論んでいるという噂です。山に入った人間はその秘密を見てしまった為、呪われて寝込んでしまうんだとか。ああ、そうそう、このあいだは樵のじいさんがワルサムライの手下の小鬼たちに襲われて持っていた握飯をすべてとられてしまったとか」
「手下の小鬼ねえ、鬼も握飯を食うのかね、なあ、ドギーおにいさん」
「お腹が空いていれば食べるんじゃないでしょうか。ううん、それにしてもなんて悪いやつなんだワルサムライ……村の人たちを襲うなんて、許せないですよニンジャジャンさん!」
ニンジャジャンと呼ばれた男は、身の丈はそれほど大きくはないが忍び装束を着た上からでもわかる鍛えられた鋼のような肉体と、珍妙なマスクで素顔は覆われているが、軽妙な口調と朗らかな声をした、どこか捉えどころのない、飄々とした男だった。そして彼の傍らに在るのは世界中の困っている人、救いを求めている人たちを助けるために日夜、正義のヒーローとして昨日は西へ、今日は東、明日は空の果てまででもその名を呼べば疾風のように駆けてくる「ドギーおにいさん」今日は村長の訴えを聞きつけ、ニンジャジャンと共にとある村へとやってきた。
「では早速、おじいさんがワルサムライと遭遇した山へと行きましょう、まずは現場検証ですよ」
助走をつけて走り出さんばかりのドギーおにいさんに、ニンジャジャンは軽快に返事をして、二人は山へと向かった。
思ったよりも山は険しく、どうやら道をはずれてしまった二人は道なき道を鬱蒼と茂る草木をかき分けて歩いていた。深く入込むほどに緑の匂いは濃くなり、進めども進めども樹木たちに行く手を阻まれては木と木の間をすり抜け、草を踏むたびにいっそうと濃く咽返るような緑の匂いが足元から立ち上って来た。フと、あたりが不気味なほど静かなことに気がついた。あれほど賑やかだった鳥の鳴き声や、名も知らぬ獣の声がひとつもしない。ドギーおにいさんは鼻をひくひくと動かした。何か、妙な気配がする。突然、音がした。その音は天高く、または地の底から、大気を震わせて鳴り響いた。
べべん、べべべべべん、べん、
「……三味線の、音……?」
「シャミセン? 何ですかそれニンジャジャンさん」
ニンジャジャンが答える間もなく、殴りかかってくるように吹きつけてきた突風は旋回してニンジャジャンとドギーおにいさんを巻込んでぐるぐると廻りながら二人を頭上高く放り投げた。すぐさま体制を立て直したニンジャジャンはゆるやかに落下しながら周囲を見渡し、野生の獣の如くの視力で遥か遠くに蠢く闇色をした“鳥のような何か”を見つけた。ニンジャジャンは木の枝を蹠で強く踏むと飛蝗のように跳ねて再び空へと翔んだ。そうして木から木へと飛び移り、やがて姿が見えなくなった。
「ま、待って……ニンジャジャンさあああん……!」
ドギーおにいさんは目をまわしながら遠ざかってゆくニンジャジャンの姿にむなしく手をのばし、そしてつむじ風の気の向くまま飛ばされて、大きな樹木の真上へと真っ逆さまに落ちていった。
「うああああああああ、落ちる!」
絶叫と共に樹木の中に落ちたドギーおにいさんは思わず目を瞑り、自分のごくごく近い未来に起こり得ることを覚悟した。この後にくる、身体への衝撃。この高さで落下して地面に叩きつけられたらはたしてどれくらい無事でいられるのか。全身打撲……まさか骨折……いや、もしかして、このままもう二度と目を開けることが出来ないのでは?!
「そ、そんなのは嫌だ!」
「何が、嫌だって?」
カッ、と目をひらいたドギーおにいさんの目に映ったのは、この山に茂るどんなみずみずしくつややかな緑よりもあざやかで美しい緑色をした、きらめく初夏に清々と匂う、翡翠のような瞳。
「何で空から落ちてきたンだてめえは」
深い緑に吸い込まれるように呆、とその瞳をみていたドギーおにいさんは、自分の体が地面に叩きつけれれてもいない、打撲も、骨折もしていない、その体はがっしりとした二本の腕に抱きかかえられていることに気がついた。空から落ちてきた自分の体を受けとめたのは、美しい緑の瞳をした、
「……君は、」
眩暈がして、ドギーおにいさんは目を瞑った。
「とりあえず下りるぞ、しっかりつかまってろ」
緑の瞳をした男はドギーおにいさんを抱えたまま枝から枝へと飛び移りながら下りていった。ドギーおにいさんは人ひとりを抱えながら軽々と難なく移動する男の腕にしっかりとしがみついて、そっと、その横顔を見た。鋭い眼のなかを吹きぬけてゆくさわやかな緑の風。お陽さまをいっぱいに吸込んだような肌、そして、秋になったらこの山はこんな色になるのかもしれないと思わせるような、真っ赤に燃える髪。ドギーおにいさんは何かを思いだしそうになりながら、凝、と男の横顔を、見ていた。
「着いたぞ、……いつまでしがみついてんだ、降りろ」
「……あ、有難う、」
多少、身体に痛みはあるものの、あの高さから落ちたときのことを考えると今の自分の姿は奇跡みたいだと思い、ドギーおにいさんは自分を助けてくれた男に礼を述べた。男はドギーおにいさんの言葉を聞いているともいないともわからぬ風にそっぽを向いていた。
「君は、木の上で何をしていたの」
「昼寝だよ、……じゃまされたけどな」
「ご、ごめん」
申し訳なさそうに俯いたドギーおにいさんの視線が、男の腰にぶら下がる奇妙な面をとらえた。ドギーおにいさんは俯いたまま目の端でその面を凝視した。白い、狐の面。燃えるような赤い髪。獣のような身のこなし。人も寄りつかぬ山奥にひとりで在た。
「……何だよ、何処か痛むのか」
男は俯いたままのドギーおにいさんの顔を覗き込んだ。
「……君は、ワルサムライなのか、」
男の、動きがとまる。ドギーおにいさんはゆっくりと顔をあげて、男の顔を見た。男は、不敵な笑みをうかべていた。
「……だったら、どうだっていうんだ、」
「……カッコいい………」
「あ?」
「ワルサムライが、こんなにかっこ良くて、きれいな目をしていて、優しくてたのもしくて親切だなんて、予想外だ……! 君、ほんとうにあのワルサムライなのか?!」
鼻の先と鼻の先が触れてしまいそうになるくらい顔を近づけて大声の早口でまくしたてるドギーおにいさんに面食らってしまった男は思わず後ずさってしまったが、ぐ、と足に力を入れて何とか踏ん張り、眼光鋭くドギーおにいさんを睨んだ。
「……あの、てのがどのワルサムライか知らねえが、俺がワルサムライだよ、……どうした、恐いか?」
ワルサムライがドギーおにいさんを挑発する。ドギーおにいさんは迫りくるワルサムライの顔を真正面から受けとめて、ごくり、と喉を鳴らした。
「恐いなら……さっさと尻尾巻いて帰りな、キャンキャン鳴きやがってうるせえんだよ、……もう二度と此処へは、」
「ワルサムラーイ、何やってんの」
ワルサムライの長い足と足の間から、ひょい、と小さな顔がとびだしてきた。
「ッ、家へ帰ってろって言ったろ?! なんで此処にいるんだ!」
「あっちに茱萸の実がいっぱいなってるんだよう、ワルサムライもいっしょにとりにいこうよう」
「あとで一緒に行ってやるから今は皆のところへ帰れとにかく帰れ」
少年は不満そうにぶつぶつと文句を言いながら、ドギーおにいさんの存在に気付き、ぱあっと顔を明るくした。
「あ! 犬だ!」
「犬じゃないよ?! ドギーおにいさんだよ?!」
反射的にドギーおにいさんは突然現れた子供に全力でツッ込んでしまった。ワルサムライははしゃぐ子供に家へ帰るようにと何度も言いきかせ、子供は興味津々にドギーおにいさんのことをチラチラと見ながら後ろ髪をひかれるようにワルサムライが指で示した道を歩いて行った。ワルサムライの大きなため息が聞こえる。
「ワルサムライ……君、子持ちだったのか」
「違うわ! ボケ! あれはこの山に捨てられていた、」
「捨てられて、いた……?」
聞いたことがある。何年か前、大飢饉が起きた年。食べるものは無く、そこかしこの通りや畦道は空腹で息絶えた者、疫病で死んでいった者たちの屍で埋めつくされていった。息ある者もやがては死ぬ運命、それならばと弱っている老人や力のない子供が人も通わぬ山奥にひっそりと捨てられていた。それを知っていても誰も止める者はなく、止める術もなく、また救うことも出来ない。どんなに空腹でも苦しくても恨んでも呪っても、誰もが己ひとり生きることで精一杯だった。失われた数多の命の行方は誰も知らない。誰も振り返ろうとしない、思いだしたくない、忘れられた、命たち。
頬を林檎のようにつやつやとひからせて、無邪気に笑っていた少年。彼も、その命のひとつだったのか。やがてその体も骨も山の土となり、失えてなくなり、忘れられていくはずだった。それを……ワルサムライが、救けて、この山のなかで共に暮らしていたというのか? 「皆のところへ」と言っていた。他にもいるのか。先程の少年のような子供が。ワルサムライはこの山に捨てられた子供たちをすべて救って、育てていたのか。僕を受けとめたその、大きな手と、強い腕と、その緑の光あふれる優しい瞳で。
「……君は、君は、……天使なのか?!」
「やめろどういうキャラなんだてめえは」
「君が噂に聞く凶悪な悪党だなんて思えないよ……、ほんとうに、村の人を襲ったのか?」
「何だそりゃ」
ドギーおにいさんは村長から聞いた話とニンジャジャンと一緒にこの山へやってきた経緯を話した。
「ああ、あのときのじいさんか、うっかり道で出くわしちまって、俺の姿を見るなり腰を抜かして転がり落ちていったんだよ」
「じゃ、じゃあ持っていた握飯をワルサムライの手下の小鬼たちが奪っていったという話は、」
「あれは……ガキたちが……がまんできなくなって悪戯を仕掛けちまったんだろう、白米の握飯なんかめったにお目にかかれないからな」
「米一升持ってきますッ!!!」
ワルサムライは目の前の奇妙な男が、ますます奇妙な、よくわからない表情をして自分を真直ぐと見てくるその大きな深い海のような目に戸惑い、訳が解らなくなって舌打ちをした。
「……ニンジャジャン、聞いたことがある、なるほどな、その天下のニンジャジャンが俺を捕らえに来た、てコトか、で、てめえは犬のおまわりさん、てところか」
「犬じゃないよ?! ドギーおにいさんだよ?!」
このツッ込み二度目だな?! と更に自分にツッ込みながらドギーおにいさんはワルサムライを睨んだけれど、ワルサムライの微笑うその顔があまりにも子供のようにあどけなく、木漏れ陽のようにあたたかく、うつくしいことに胸をうたれ、何も言えなくなって黙り込んだ。
「どうした、ドギーおにいさんよ、他に何か言いたいことはないのか」
ドギーおにいさんは、は、としてかぶりを振った。
「す、素手で熊を握りつぶすほどの怪力という噂は……」
「熊の肉はご馳走だからな」
「真実だった!」
でも、その怪力は、誰かを害するためのものじゃない。いつだって子供たちを、誰かを救けるための力だったはずだ。
「犬の肉は、……喰ったことねえがな」
「僕のほうを見て言うなよ?! ……そんなこと言ってると、ニンジャジャンさんに言いつけてやるぞ」
「何をだよ」
「噂は随分といい加減なもので、君がほんとうはとっても“良い子”だって、コトをね!」
ウィンクするドギーおにいさんに、ワルサムライは心底げんなりとした顔をした。
「…………たまに、畑の野菜を盗んだことはあったよ、山の中にも畑は作ったんだが日照り続きで……、」
そんな顔をしないで、ワルサムライ。僕は、そのときの君を抱きしめて、君と一緒に、泣きたかったよ。
「……世界転覆を企んでいるというのは、」
「それは、ほんとうだな」
「え……、」
「俺は、腹がへって泣く子供たちがいなくなる世界をいつか絶対に創る、捨てられていい命なんてひとつもねえんだよ、こんな狂った、不平等な世の中は俺がひっくりかえしてやる」
熱い、瞳。その瞳はいつかその手で掴みとる未来を視ている。この山に捨てられた子供たちが、世界中の子供たちが笑って暮らしている、未来を。
「俺を捕まえるか、ドギーおにいさんよ、まあ、てめえなんかに俺が捕まえられるわけねえけどな」
「勿論、捕まえるよ、君が、この世界をひっくりかえして君の希む世界を創ったその時に」
「は? てめえは何を、」
「君と僕が希んでいる世界は一緒のような気がするんだ、君は、僕とおなじ夢をみている」
すこしもためらうことなく、まっすぐにワルサムライの目を見る、かがやく瞳。その瞳にあふれるまばゆいばかりの光に目が眩んで、ワルサムライは目をほそめる。心臓が痛い、何故かしめつけるように痛い心臓をシャツの上から強く握りしめながら。
「でも、今の僕にはやることがある、だから僕は今の僕がやるべきことをやるよ、だから君も君のやるべきことをやってくれ、そして、いつか君の夢が叶ったとき、僕は君を捕まえる、そしてその時、僕は君と共に行くよ」
何を訳のわからないことを、そう、言おうとしたけれど、言葉が何もでてこない。その瞳がまっすぐに伝えてくる、その、想いに胸がしめつけられて、今此処に立っていることだけで精一杯だ、ワルサムライは小さく悪態をついて、唇を噛んだ。
「まあ、どっちかっていうともうすでに僕は君に捕まっちゃったみたいなんだけどな!」
笑って、照れくさそうにまあるい頭を掻く、その間抜けな、太陽のような笑顔に、ワルサムラもつられて、笑った。
「で、ニンジャジャンは何処へいったんだよ」
「あ! そうだった、何か突然、妙な音がして……」
「音……チ、アイツだな、まあ、心配はいらねえよ」
ワルサムライは心の底から嫌、がにじみでている顔をして舌打ちをした。
「山の麓まで送ってやるよ」
「……帰りたくないな」
ドギーおにいさんが甘えたような声でワルサムライを見る。そんな顔するな、帰したくなくなっちまうだろうが、そう言いそうになるのを堪えて、ワルサムライは精一杯余裕の声をつくる。
「まあ、またいつか会えんだろ、俺は世界転覆を目論む大悪党で、お前はその俺を捕まえるニンジャジャンとその手下、ドギーおにいさんなんだから」
「手下じゃないぞ?!」
わんわん、と仔犬のように吠えて抗議するドギーおにいさんと、豪快に笑いながらドギーおにいさんを揶揄うワルサムライ。でこぼこで土塊だらけの道に、二人ならんで歩く姿が長い影をつくった。
「……また会える、約束のシルシがほしい」
何、そう言って振返ったワルサムライの唇に、重なる唇。不意打ちの、甘いキス。
「へへ、約束だよ、僕を忘れないで、……ワルサムライ?」
無言で、ワルサムライが白狐の面を静かにかぶった。そして山のなかいっぱいに、麓の村にまで聞こえそうなほどの大声で、とっとと帰っちまえ、そう叫んで森の茂みのなかへと跳び込んでしまい、あとには木霊がのこるだけであった。
「突然いなくなっちゃうなんて、ワルサムライ、もっと別れを惜しんだって、」
山の出口まで辿りついたところで、ドギーおにいさんは呆、と道の真ん中に突っ立っているニンジャジャンをみつけた。
「ニンジャジャンさん! 無事だったんですね、よかった! ……ニンジャジャンさん? どうしたんですか?」
「…………妖精が、いた……」
「は??」
ニンジャジャンは山のなかで、実在するかどうかもわからない、ワルサムライと共に世界転覆を企んでいると噂されている全てが謎につつまれた「アクシャミセン」と運命的な出逢いをしたのだれど、それはまた、別のお話。